883. 結婚しよう


 後ろ姿は余裕で見えていたので、普通に後から着いて行って、地区センターの玄関を出たところで追い付いた。


 横に長い階段の端っこに座る真琴。途中自販機で買ったと思わしき缶ジュースを横に置いて、スマートフォンを倒し何やら動画を流している。



「なんの試合?」

「…………なんだよ」

「あぁ、羽瀬川理久か」

「……今日は調子悪そうだったからね。あれぐらいだと思って油断してたら、痛い目見るの確定だし」


 少し前に行われた、フットサル日本代表の親善試合のダイジェストを見ているようだ。話題の羽瀬川、そして鳥居塚の姿もある。


 隣に座って暫し一緒に観戦。羽瀬川がゴールを決めると、二人揃って『おぉっ』と声が漏れる。

 思わず顔を見合わせて、それから真琴はほんのりと頬を赤らめ、プイッとそっぽを向いた。



「……近いんだケド」

「いっつもこんくらいやろ?」

「そーだケドさ……」


 反対の頬をポリポリと引っ掻き、むず痒そうな顔で息を漏らす。無性に懐かしい気分だ。

 最近は向こうからベタベタして来るくらいだったけど、昔はこれくらいでも恥ずかしがるくらいの距離感だったな、なんて、少し思い出して。


 どうやら皆のテンションに着いて行けない、というわけでもなさそうだ。もしかしてコイツ……。



「今更恥ずかしくなったのか? みんなの前でギャンギャン泣いたこと」

「違うって……全然、そーいうのじゃ……っ」

「ならなんだよ。どこか痛めたわけでもないんやろ? 大人しく練習混ざれよ」

「…………はぁ……っ」


 やってらんねえ、と言わんばかりのクソデカため息。まぁ真琴のよくあるリアクションの一つだが、にしたって意図が分からない。


 試合中にも話していた筈だ。別に悩んでいるわけではない、と。なら何がそんなに引っ掛かっているのだろう。



「あー。いや、その、まぁ……ごめん。別になんでもない。心配しないで」

「気になる。教えろ」

「……わ、分かんない?」

「ちっとも分からん。反応を楽しんでいるとかそういうのでもなく、普通に」

「…………じゃあ、言うケド」


 スマホの明かりを消して階段に置き、指先をスッと絡めて地面へと伸ばす。

 真琴にしてはちょっと女の子らし過ぎるムーブで、ついドキッとしてしまう。続けて放った台詞は、更に俺の心を酷く揺れ動かした。



「…………こーやっていじけてれば、そのっ……来てくれるかなって」

「……えっ?」

「兄さんなら、気になって着いて来てくれるかなって……思った」


 いじらしく唇を尖らせ、出来るだけこちらを見ないように、けれどちょっとだけ目が逢うように、チラチラ。


 えっ?


 待って?

 可愛い過ぎない?

 なにお前? ふざけんな??



「結婚しよう」

「はぁぁッッ!?」

「あ、ごめん。間違えた。可愛いな」

「どーいう間違え方ッ!?」


 思わず本音が漏れてしまった。


 顔を真っ赤に腫らし、大慌てでズリズリとお尻を擦って後退する真琴。そんなお前、ドン引きしてるみたいに。やめてよ。お兄ちゃん悲しいよ。



「あぁぁ~~……! やっぱ言うんじゃなかったぁ……ッッ!!」

「そんなに構って欲しかったのかよ」

「ち、ちがうっ!? そーじゃない、そんなんじゃ……うぅっ……ッ」


 姉とはまた違った方向性のデレ方だ。なんもかもバレバレという点ではまったく一緒だが。何ならこっちの方が露骨なまである。


 ……まぁでも、そうか。これも試合中に俺が言った。この一か月くらい、あまり真琴のことを気に掛けてやれなかったのは事実。


 彼女の心を蝕んでいた『漠然とした不安』の正体は、少なからず俺に起因するものもあったのだろう。だからこんな、らしくない甘え方までして。



「……なぁ、真琴。オレ、兄貴やからさ。曲がりなりにも、こんなんでも。だから真琴の望むことは、出来るだけ叶えてやりたいんだ」

「…………へっ?」

「ほら。なんでもええで」


 我ながらキザったらしいとは思うが、これくらい分かり易い方が彼女には良いと思った。

 もはや俺の羞恥心やプライドなど些細な問題。そんなチャチなことを気にする場合では、とうになくなった。


 それに、案外嫌いじゃない自分もいる。昔の俺が聞いて呆れるだろうが、でも許してくれる筈だ。

 一度知ったらもう止められない。誰かに優しくするって、こんなにも、嬉しくて、心地良い。



「…………別に良いんだケドさ。そーいうの。ヘラヘラするのはやめたほうが良いよ。普通に。キモいから」

「笑うなと?」

「普通にしててよ、もっと……」

「ムズイなぁ」


 そんなつもりは無かったが、どうやら下心があると思われているらしい。まぁ、あるけど。ギュッてしたいけど。気持ち我慢しよう。


 誰が見ているわけでもないのにあちこちキョロキョロ。どうしてもバレたくないらしい。変なところで意地を張るの、やっぱり長瀬家の血筋だな。


 仕方ない。どれだけクールに気取ってもまだ16歳だ。風呂に突撃するのも、恋人みたいな甘ったるい時間も、まだまだ時期尚早ということか。まずはこういうところから始めてみよう。



「あっ……」

「冷めてえ手してんな」

「…………兄さん、こそ」


 差し出した右手を、真琴はしっかり握り返してくれた。やっぱり視線は逢わないけれど、まぁ、良いか。取りあえず。



「……兄さんは、さ」

「うん?」

「もう、分かった?」

「なにが」

「……どっちが良いのか」

「どっちって?」

「…………妹か、そうじゃないか」


 拙い声で問い掛ける。


 まったくお前は。とっくに片付いた問題を今更になって蒸し返すのか。どう答えて欲しいかなんて、もう自分でも分かっている癖に。



「どっちでもええ。っつうか、どっちも欲しい。妹の長瀬真琴も、女としての長瀬真琴も、両方とも好きだよ」

「……欲張り」

「欲張りで結構。冬にも言うたやろ。俺んなかの大事なモンに、長瀬真琴も最初から入ってるんだよ。アレか? それとものか?」

「…………ううん」


 気を許せば深い夜の海に飲み込まれてしまいそうな、とても小さな呟き。だが彼女は間違いなく。ハッキリとノーを突き付けた。



「自分もさ。どっちでもいい。結局は手段に過ぎないから。兄さんが、ちゃんと兄さんのままなら……なんでもいいんだ」

「……ん。そっか」

「でも、だからかも。どっちつかずで、色んなことを欲張ってたから……有希や文香先輩を見て、不安になったんだと思う。どういう風に兄さんと接すれば良いのかって。別に悩んでもないのにネ」


 満天の星空を見つめ、嘘っぽくそう言った。悩んでいないは、本当に嘘だと思う。少なくとも心のうちに溜まっていたものまでは否定出来ない。


 有希と文香の揺るぎない決心を前に、自身の出した結論が果たして正しいものなのか、知らず知らずのうちにグラついてしまったのだろう。


 強かな子だ。でも、まだ16歳。彼女も俺と同様、大人でもなければ子どもでもない。僅かな隙間にさえ恐怖は、不安は顔を覗かせる。



「自分もビックリしたんだ。勿論、栗宮胡桃は凄い選手だし、実際ボロボロにやられたし……でもそんな、泣くほどのことじゃないだろって。兄さんに色々言われてるとき、自分でもそう思った」

「ええねん。怖いときは怖いって言えば」

「うん。怖かった。自分の頑張って来たものが、全部無駄なんじゃないかって、マジで思った。フットサル部のことも、兄さんとのことも……」

「…………真琴」

「アイツの言う通りだ。そんなことないって、今もずっと言い聞かせてるケド……自分の心は、まだJoãoだったんだよ」

「……心が?」


 なんとも分かりにくい例えに首を捻る。

 お得意の澄まし顔で、真琴は続けた。



「だってさ、普通じゃないんだよ。。姉さんとタメ張れる女なんて自分くらいだと思ってたのに、自分より上手い人、いっぱいいるし。好きな人はメチャクチャなハーレム作ってるし。マジキモイよ」

「キモい言うなって」

「客観的に見ればそうデショ。当人がどう思ってたって、それは変わらない…………だからさ、そういうのを止めたいんだ。他人事を」

「……他人事?」

「冷静にモノを俯瞰して見れる自分と、そうじゃない、もっと深いところに入りたいっていう、暑苦しくてかったるい、そーいう自分……中途半端なんだ。何もかも。男か女かも分からない自分も……やっぱりまだ、好きじゃない」


 息詰まるような切なさを瞳いっぱいに抱え、彼女は更に語った。


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