880. 必要不可欠なモノ


 試合後。『何かと迷惑を掛けた。お互い様ではあるが』と疲れ切った顔で語る相模の計らいもあり、その後行われる常葉長崎高校との練習試合を正式に見学させて貰うこととなった。


 すっかり失念していた。

 常葉長崎とか、羽瀬川理久とか。

 たった一時間の出来事とは思えぬ。



「いやぁ~、控え組もレベル高いですねえ~……やっぱり止める・蹴るの精度ですよ。展開も早いし」

「常葉長崎はファーストセットやねんな?」

「だと思います。まぁ全国まで行ったら確実に顔合わせますからね。出来るだけ手札は隠したいんでしょう……にしても」

「エライもんやなぁ、あのゴレイロ」

「マジで全部止めてますねェ……」


 砂川、来栖、兵藤、鳥居塚。そして本当に帰ってしまった栗宮胡桃の姿は無い。出場しているのは主にセカンドセットの選手たちだ。


 意外にも真面目に観戦しているノノと文香。クラスメイトでもある二人だが、実はあまり絡みを見たことが無かった。

 切り替えが早いというか、根っこの冷めた部分は案外似ているのかもしれない。まぁ上手くやっているようで何より。



 そんな二人が注目しているのは、先ほどから常葉長崎のシュートを悉くセーブしまくっている町田南のゴレイロ。背番号1番の横村佳菜子。


 試合を通し主力クラスを揃えた常葉長崎が押せ押せで攻め続けているのだが、中々ゴールが生まれる気配が無い。スコアレスで終わりそうだ。


 華麗なセービングを見せるたび『どうしてこんなに攻められっぱなしなんですかぁぁぁぁ~~!?』と情けない声と涙目で訴える横村。ううむ、やはり実力と態度がまったく比例しない……。



「はっはぁ~。あの子も世代別代表なんですねぇ。サッカーでも元U-16代表……ほほー、レオーネ東京レディースの出身と。ってことは栗宮さん直属の後輩か」

「ほれ、こっちの記事にも載っとるで。中学ん頃の。なんか連続無失点記録作ったらしいな」


 スマホとコートを見比べ情報収集。その間もバシバシと鈍い音が体育館中に響いている。キックインからのリスタートはまたも横村佳菜子に防がれた。


 シュートの半数は例の羽瀬川理久が放っているのだが、見事に弾き返され当人は乾いた笑いを溢し顔を引き攣らせている。


 何故だろう。羽瀬川も世代屈指のストライカーな筈なのに。栗宮胡桃とやり合った直後だからか、凄さが全然伝わって来ない。不憫だ。



「テーピングでセーブって痛そうやな……あぁでも、プロでグローブ着けとる奴は確かに見いひんな」

「……ゴールクリアランスのリスタートでチャンスを作れるからだ。見ろ」


 こちらは姉とのやり取りからすっかり元気の無いミクルである。彼女が呟くと同時に、ゴール前の混戦へ飛び込んだ横村がボールをガッチリと捕獲。



「行っっきますよぉぉ~~っ!!」


 オーバーハンドでのロングスロー。相手のゴール前まで一気に飛ばす。

 これを町田南の男性ピヴォが収め、相手を背負いながら振り抜く。ネットが揺れた。


 なるほど、コートが狭いからこういう攻め方も出来るのか。ほとんどバスケみたいな戦術だな。あれが通ったら一点モノだ。

 ただウチのゴレイロは、根がそもそも運動音痴の琴音……あれを真似しろと言うのは流石に酷か。でも可能なら取り入れたいな。ふむ。



「……強敵だ。町田南は」

「おう。今日でよう分かったわ」

「勝算があると?」

「勿論。少なくとも強度は確かめられたからな。あとはアイツらのスピードに対抗出来る術をいかに身に付けるか」

「……たった一か月で、か」


 厨二語録も鳴りを潜め、ただでさえ小さい身体が更に縮んで見える。やはり姉の胡桃から受けたショックは相当のようで。



「気にすんなよ。元々ああいう奴なんやろ?」

「…………初めてだ。あんなことを言われたのは。おねえ……我が半身はいつどんなときも、我にだけは優しかった。自慢の姉だ」

「……ミクル」

「一緒に世界一になろうって、約束した……誰にも負けない最強の姉妹になろうって、言ってくれた……言ってたのに……っ」


 今度はこっちが泣き出しそうだ。

 唇をキュッと噛み締め肩を震わせる。


 そうか。そう言えばミクルも、町田南のセレクションを受けたんだったな。でも不合格で、流れるままにユースアカデミーへ昇格するところを胡桃のアドバイスを信じ、山嵜へ入学したのか。


 恐らく奴の話した通りなのだろう。姉としてミクルのことは気に掛けているが、自身のライバルとなり得るのなら容赦はしない。要するに……。



「……我の見て来たものは、すべて紛い物だったのか? 本当は我のことも、取るに足らない存在だと……Joãoだと思っていたのか……ッ?」

「かもしれないな」

「そんな…………なんでっ……どうして、お姉ちゃん……っ!」


 取り繕うことは簡単だが、それは優しさとは呼べないだろう。必死に涙を堪える彼女の頭をそっと撫でてやる。出来るのはこれくらい。


 奴にとっては妹のミクルさえ、天才・栗宮胡桃の付随物。自身の価値を高めるための一要素にしか無いのだ。

 彼女もまた証明してしまった。俺たちとチームメイトへの辛辣な態度がすべてを物語っている。



「でも、昔は優しいお姉ちゃんやったんやもんな……いつからあんな風に?」

「……分からない。この三年くらい、ずっと違うところで暮らしてて……でも、偶に会ったときは、前みたいに優しくて……っ」


 一見ちゃらんぽらんにも見える栗宮三姉弟だが、彼女らを取り巻く家庭環境は中々に複雑である。

 家族はほぼ離散状態。聞けば胡桃も弘毅も友人宅の厄介になっていて、帰る場所が無い。


 もしかすると、姉妹の交流が途絶え始めたというこの数年の間に、胡桃にも何かしら心境の変化があったのかもしれない。

 だからといって、それが真琴をJoão呼ばわりしたり、妹のミクルを傷付けて良い理由になる筈も無いのだが……。



「……悔しいよな。悲しいよな。理由はどうであれ、家族に裏切られるって」

「…………えっ?」

「よう分かる。離婚しとらんだけお前の家よりだいぶマシやけどな……まぁ似たようなモンや」


 決して同一には扱えないが、多少なりとも汲み取れる身の上だと思う。俺だけではない。部には本物の家族を失った瑞希みたいな奴もいる。


 ミクルもまた、一人間にとって必要不可欠なモノを持ち合わせていない、そういう子なのだ。このフットサル部へ集うべくしてやって来た存在。



「辛い気持ちとか、悲しい思い出とかさ。忘れろって方が無理やし、気張っただけや心も追い付かねえしさ。別に忘れんでもええよ」

「……お前」

「せやから先輩やっちゅうに…………だからさ、ミクル。取りあえず前だけは向こうぜ。こういうんは偶に振り返って、パワーに変換するだけでええねん」

「……パワー?」

「せやで。なにくそって、絶対見返してやるって、そういう気持ちが一番大切や。一人で戦う必要も無い。辛いときはみんなに頼ってもええ。だからミクルも、ちょっとだけ俺らのために頑張ってみろよ」

「貴様らの……ために」

「チームのために頑張ることの大切さ。もう知っとるやろ? 二点目のシーン、よう撃たないでノノにパスしたな。あれでええねん、お前のおかげでゴールになったんや。ああいうのを繰り返して、ちょっとずつやり返してこうぜ」


 一言一言を噛み締めるように頷き、何度も何度も涙を拭い取る。元気になるまではまだ時間が掛かりそうだ。まぁ良いさ。ゆっくりで。


 余計な因縁こそ増えてしまったが、ミクルなら大丈夫だろう。彼女はもう分かっている。一人で戦うよりみんなで戦った方がずっと楽しい。


 その中で一つ。何かゴツゴツして、キラリと輝くものがあるとしたら……それは間違いなくミクルの個性、強さってやつだ。



「終わりそうやな。挨拶は……まっ、どうせ向こうから来るか。行こうぜみんな。下手にマスコミにでも囲まれたらやってられん」


 号令を合図に皆も席を立つ。ミクルも平気そうだ。手を引いてやると『余計なお世話だ』と本当に余計な一言を挟みつつも、握り返してくれた。生意気な奴め。


 もう夕暮れ時だ。帰って明日からのトレーニングを今一度練り直さなければ。


 関東予選まであと一か月。

 残された時間は決して多くない……。



「真琴?」

「……ううん。大丈夫。なんでもないよ」

「まだ泣き足りないか?」

「ばか、そうじゃないって…………じゃあ、帰ろうか。兄さん」

「ん、おう。せやから帰る言うたやろ」

「そうだケド、さっ」


 ところで。約一時間半の試合観戦で、すっかり元の凛とした表情に戻った真琴である。

 馬鹿にスッキリしたな。泣いてスカッとするようなタイプでもなかろうに。



「また優しくしちゃって……ホント、ロリコンか妹想いか、どっちなんだろーね」

「あぁん? なんて?」

「なんでもないよ。変態兄さん」

「なんで? 脈絡無さ過ぎん?」


 軽快な足取りで通路を進む。ったく、急に元気になりやがって。ちょっとはさっきの汐らしい態度を見せてみろってんだ。可愛い奴め。


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