878. 突き付けろ、その価値を


 目前で雷が鳴ったみたいだ。素早くボールを引き距離を取るが効果的な一手とはなり得ない。懐へ一直線に突き進む盲目的なディフェンスは妹のミクルとよく似たスタイル。



「……ッ!!」

「寄越せ……それは栗宮のモノだ!!」


 攻撃時の飄々とした出で立ちからは一転。ボールを刈り取る、とはよく使われる表現だが、まさに根こそぎ奪いに掛からんとばかりの超アグレッシブなデュエル。女扱いは出来そうにない。


 足裏のタッチを中心に軸をズラし、時折シザースを織り交ぜ突破を図る。

 だが釣られない。ボールの動きだけに注視しているようだ。ボディーフェイントは通用しないだろう。休む暇が無い……ッ!



「……兄さんっ……!!」


 祈るような瞳で俺を見つめる、どうしても涙だけは我慢出来ない様子の彼女がふと眼へ飛び込む。待ってろ真琴、今すぐそっちに……!



「余所見をするな! 栗宮を見ろッ!!」

「――っ……!?」


 僅かな油断も命取り。懐から伸びた刃物のように鋭く鋭利な右脚は、僅かにボールへ触れコントロールを乱れさせる。


 恐ろしい集中力だ。ジックリ構える鳥居塚とタイプこそ異なり、一概に比較は出来ないが……まさか、守備力すらも上回るというのか。



(この小さな身体の、いったいどこにそんなパワーが……!?)


 腰の入った強烈なアタックで思わず身がよろける。なんとかバランスを保ち右脚に持ち替え、足裏で引き出し展開。ようやく距離が出来る。


 性差だけではない、俺と栗宮は下手すりゃ40センチ近い身長差だ。にも拘らず、単純なデュエルでまったく引けを取らない……。



「クッ゛……!!」


 一方、栗宮胡桃の表情も苦渋で歪んでいた。

 アタックに使った右肩をやや気にしている。


 獣のように歯を食い縛り、荒々しい呼吸と共に鈍い声で唸る。初めて見た、奴の人間らしい表情。


 ……そうか、これは力任せの守備じゃない。シンプルに身体を入れるタイミングが上手いんだ。俺がよろけたと同時に、体重の掛かっていない箇所へ的確にブローを入れて来た。


 単に素早いだけでも、手数が多いだけでもない。俺の動きをしっかりと観察し、奪い切る機会を常に窺っている…………真琴の言う通りかもしれない。コイツ、人間辞めてやがる……ッ!?



(落ち着け……それでも奴は女や……! 百歩譲ってテクニックならともかく、スピードとフィジカルで負ける筈がねえ……!)


 真琴があれだけ狼狽していた理由が分かった。持ち合わせの技術以上に、栗宮胡桃が発する不気味なオーラは……上手く言い表せないが、ひたすらに『怖さ』を感じさせるのだ。


 なんというか、人間如きが発する威圧感じゃない。野生の猛獣が生存の為に天敵を屠るような、狂気にも近い執着が全身から滲み出ている。


 正直戸惑っていた。オフェンス時の栗宮胡桃とイメージがまったく違う。この常軌を逸した闘争心の根源は、果たしていったい……。



(あと15秒…………15秒!? もうそんなに経ったのか……!?)


 ほんの一瞬。電光掲示板を横目で確認した、まさにその瞬間だった。再びギアを上げ突進。迫り来るスピードはさながら稲妻の如く。



「アカン、はーくんっ!?」

「センパイっ!!」


 先に触られた。奴の右脚、俺の左脚がガチンと音を立て交差し、ボールはタッチラインへと転がる。不味い、五分五分だ……!



「栗宮の、勝ちだ……!!」

「……舐めんなああアアァァァァ!!」


 体格で上回る分こちらが有利にも見えるが、巧みにビブスの裾を引っ張りバランスを崩しに掛かる栗宮胡桃。これがまた上手い。相模に見えないよう外側から回るように腕を伸ばしている。


 最後にタッチしたのは俺。ラインを割れば町田南ボールになってしまう。それはつまり、この一対一。アイソレーションの失敗を意味する。


 残り13秒。

 敗北が、近付いている。



(…………俺が、負ける? 一対一で? こんなちっこい女相手に……ッ!?)


 守備ならともかく、オフェンスで負けた記憶は幼少期から数えて片手も無い。同期の内海、南雲、二個上の小田切さんに、セレゾンのトップチームの選手。ワールドカップで対戦した屈強な外国人。


 いつどんなタイマン勝負でも、全戦全勝を繰り返して来た俺が。対戦相手に欠片のリスペクトも無い、ただ天才だというだけの少女に、負ける……!?



「――――負けるな、兄さんッッ!!」


 栗宮は小さい。頭二つ分は差がある。だからコートの一番奥で、必死な顔でそう叫んでいる彼女の姿も、それはもうよく見える。


 あんなに辛そうな顔をして、ここで俺が負けたら、彼女はどうなる? 俺ですら敵わない相手にどうやって勝つんだって……。



(――――勝たないと)



 町田南は。栗宮胡桃は強い。高校フットサルの頂点。絶対王者。その看板に偽りは無かった。少なくとも今の俺たちでは、山嵜では敵わない相手。


 フットサル部のだらだらした、温い空気が好きだ。大会で勝ち進むことだけがすべてではない。例え敗れてもこのチームの絆は、縁はずっと続いていく。町田南に勝つことが。全国で優勝することだけが目標ではない。



 でも、勝ちたい。


 極端な話、相手がコイツでも、あの栗宮胡桃だろうと関係無い。俺たちが何故フットサル部へ、家族へ成り得たのか。


 偶に迷って。

 いつも大事なときに思い出す。


 俺は。俺たちは、勝ちたかったんだ。


 何かしら大事な部分が欠けた、或いは一度敗れた、一人ではロクに真っ直ぐ立てやしない、そんな捻くれた奴らばかりが集まって。

 なんとか肩を寄せ合って、補い合って、手を繋いで。大きな壁にぶつかるたびに、みんなで力を合わせて。壁を乗り越えて。


 いつどんなときも、俺たちは勝って来た。勝つことで証明して来た。ただ弱い奴が集まって出来た集団ではないということを。


 弱いことを認めて、弱いなりに考えて、努力して、最後は勝つために。笑顔を、幸せを、喜びを手に入れるために。どんな逆境も乗り越えて来た。



「――兄さんっ、がんばれええええぇぇェェーーーーっっ!!!!」



 頑張ってるさ。とっくに。

 でも、まだ足りないみたいだ。


 だから、もっと頑張るよ。誰よりも勝ちたかった、その存在を証明したかったお前のために。他でもない誰かになりたかった、お前のために。



 舐めるなよ。

 俺を。真琴を。そして山嵜を。

  

 俺たちの真の強さは、弱さそのもの。そして、その弱さをも乗り越える強い意思と……決して折れることの無い、飽くなき勝利への渇望だ――――!






「抜いたああああーーッッ!!」

「ここでヒールリフトかっ!!」

「上手いッ!!」

「兵藤、セカンド対応!!」


 右脚インサイドで擦り上げ、左脚ヒールで高く蹴り飛ばす。栗宮胡桃はとても小さい。高く上げれば上げるほど届かないのは当たり前。


 スライディングで足元ごと狩りに来ていた彼女だから、これには流石に反応出来なかった。宙を舞うボール。入れ替わる両者。残り11秒。



「……だらっしゃぁぁああアア!!」


 タッチラインを割るギリギリのところで拾い直す。残り9秒、まだ間に合う。ここからが本番だ……!



「ミクルッ! 任せた!」


 真琴のマークを放棄した兵藤が対応に入ったが、それより先に手放す。ペナルティーエリア手前で構えていたミクルの足元へ。残り時間、7秒。



「やりぃっ! コイツなら余裕で潰せ……ぬぅおおおォォッ!?」

「馬鹿め! 掛かったなッ!!」


 トラップからのシュートを選択したと思われたミクルを、砂川明海はファール上等で絡め取りに掛かる。左脚インサイドで巻くようなフォームが、ボールを捉えることは無かった。


 ヒールで後ろへパスしてみせたのだ。砂川を共に引き摺り倒し、パスはそのままコーナーアーク付近のノノへ……収まらない! ワンタッチだ!



「こっ、このデブゥゥッッ!!」

「マシュマロボディーの間違いじゃないですかああああァァァァ!?」


 凄まじい悪口にも負けず来栖まゆとのバチバチな攻防を制し、中央への折り返しに成功。俺、兵藤、そしてゴレイロの横村佳菜子が突っ込む。残り4秒。



「佳菜子! 触れッ!!」

「もう頑張ってますゥゥ~~!?」

「決めろおお真琴オオォォォォッッ!!」


 三者による激しい争奪戦を制したのは、俺だった。渾身のバックヘッド。

 栗宮は自陣へ戻っていない。背後にはノーマークとなった彼女ただ一人。あと、3秒。


 言っただろ。証明してやるって。

 兄貴が出来るのは、手助けだけだ。


 最後はお前が決めろ。

 自らの脚で突き付けろ、その価値を。


 Joãoでも、ましてや凡人でもない。

 長瀬真琴という才能を――――!






「……はああああぁぁァァーーっっ!!」



 華奢な身体が風に乗り、コートを悠然と浮遊する。ちょうど一年前に目撃した豪快なバイシクルと重なって見えたのは、決して偶然ではなかった。


 なるほど。どうして中学時代、明らかに向いていないフォワードで起用されていたのか、その理由もいま分かった。


 こんなに綺麗なボレーを撃てるのなら、最前線で使ってみたくもなるわ。

 尤もその決定力は……このチームでようやく手に入れたみたいだな!!



【4分58秒 長瀬真琴


 山嵜高校2-4町田南高校】


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