874. さらばだ
「ほっ、本当に私が出るんですかぁ~!?」
「他に誰がいる、さっさと準備しろ横村。さっきのゲームもほとんどプレーしていないだろうが」
「そうですけどぉ~……! うぅっ、あの廣瀬陽翔と対戦なんてぇぇ……! あんなのどうやって止めれば良いんですかぁぁ~~……っ!」
鳥居塚に代わり投入された町田南のゴレイロは、前髪ぱっつんのショートボブが印象的な女性選手であった。身長は琴音と同じくらい。
背番号は1番。半ベソを掻きながら指のテーピングを巻き直している。グローブは使わない派か。
相模にドヤされている様子を窺うに、彼女が正ゴレイロなのだろうが……。
「ミクル。あのゴレイロは?」
「
ということは二年生、栗宮胡桃の直系の後輩に当たるわけだ。奴に誘われてフットサルへ転向した口だろうか。
今一つ経歴と態度が釣り合わないな……まぁ構いやしない。ああやって怯えている間に決めるだけだ。性別は関係無い。
さて、町田南サイドで試合再開。先のゴールで元気を取り戻したのか、早速ミクルが敵陣へ突っ込み猛プレス。
「あぁん! もうっ、やだぁ~!」
「いつまで前髪気にしてんだよ!?」
コーナー付近でパスを受けた来栖まゆ。ミクルのミニツインテールが前髪に直撃し、古典お色気漫画みたいな甘い声を漏らす。ちょっと可愛い。
「ナイスですミクエルちゃん!」
「ええで、ええで! その調子やアホエル!」
「なんだその不敬なあだ名はッ!?」
砂川のフォローも空しく、奪い合いの末にラインを割る。相模の判定は……コーナーキックだ。よし、いいぞ!
「……自分が蹴る」
「んっ。あぁ、宜しく」
キッカーを志願した真琴。
一言添えてトボトボとアークへ向かう。
……やっぱり様子がおかしい。アイツだけ明らかに乗り切れていない……もう少しポジティブな言葉を掛けるべきだったか?
(まぁええ。守備は守備、今はこのチャンスや……ふむ。鳥居塚が消えて平均身長は下がったが……)
ニアで構えるミクルには来栖まゆ、ファーのノノには砂川明海が着いている。俺をマークする兵藤はほぼ同じ背丈。そこまで優位性は無いか。
(試す価値はあるな……)
二失点目、栗宮胡桃のキックインから鳥居塚のボレー。あれはコーナーの流れでも使える筈だ。ゴール前の密集はむしろブラインドにもなる。
大股でゆっくりと助走を取る真琴。同時にミクルがコーナーアークへ近付き、ノノがゴール前に。
「あ、靴紐解けてますよっ!」
最中、ノノは兵藤の足元を指差し叫ぶ。気にした素振りは無かったが、少なくとも耳を傾けている瞬間がコンマ数秒……それだけあれば十分だ!
「真琴ッ!!」
「っ……! 兄さんっ!」
細かいステップから大回りでファーへ逃げる。意図を汲み取った真琴はロブ気味のふんわりしたクロスを供給。やはり兵藤も着いて来たが……。
「おぉっ! これも上手えッ!!」
またも砂川明海が興奮気味に叫ぶ。左脚を振り抜くと見せ掛けつま先で弾き、兵藤の頭上を通す。瑞希の十八番、シャペウだ。
ボレーを警戒しブロック体勢に入っていた兵藤は反応出来ず、これで完全に入れ替わった。フリーの時間が生まれる。あとは……枠を捉えるだけ!
「んッ!?」
「ウッソォォォォ!?」
「でかした佳菜子っ!」
ノノ、砂川明海がほぼ同時にリアクション。コート外からもどよめきが。俺も思わず声が漏れてしまう。
インパクト、コース共に完璧なハーフボレーだったが……これをゴレイロの横村佳菜子、やや後ろ向きでセービング。
ノノと砂川がブラインドになっていたにも関わらず、凄まじい反応速度で左手一本、見事に掻き出してみせたのだ。
「真琴、セカンドッ!!」
タッチライン際で回収。栗宮胡桃は軽く寄せるだけで、これは簡単に振り切ってみせた真琴。左で巻く狙い澄ましたコントロールショット……!
「ナイスだぜ佳菜子!」
「クッ……ダメか……!」
またもや横村佳菜子が立ち塞がる。すぐさま立ち上がり構え直すと、右腕を軽く振るいシュートを弾き上げた。
立ち直りの早さと反射神経。そして球筋を見極める目の良さ……なにが『どうやって止めれば』だ、正ゴレイロに相応しい食わせ物じゃねえかッ!
「グォォォォ!?」
「あっぶなーい! 横村やる~♪」
何故か彼女のことは名字で乱暴に呼ぶ来栖まゆ。ハイボールの処理ともなると、流石に小兵のミクル相手にはあっさり競り勝つ。ライン際までおびき寄せたところで反対サイドへロングフィード。
「止めろ真琴ッ! 栗宮や!」
やはりカウンターへ備えていた。左足インサイドを駆使した、まるで天使の羽根のような柔らかいタッチ。見事なトラップだ……思わず見惚れてしまう。
だがそれはスイッチ、或いは起爆装置か。雪崩のように山嵜陣地へと突進する砂川、来栖、兵藤。栗宮胡桃と対峙する真琴を残し、こちらも帰陣を強いられる。
「まーくんストップ! ストップや!」
すると急造ゴレイロの文香、最後尾から何やら焦った様子で真琴へコーチングを飛ばす。
すぐにでも潰してやろうと前掛かりになっていた彼女は、このタイミングである大きな違和感に気付いた。
「……ど、どういうつもり……!?」
栗宮胡桃。足裏でボールを引いたりバックステップでシザースを織り交ぜ、自陣深くへと後退。予想外の動きに真琴は困惑している。
他の三名は右サイドへと密集し、それぞれノノ、ミクル、俺の動きを制するようブラインドとなる。これは……?
「はーくん! アイソレーションや! しおりんに教えてもろたことある!」
「アイソレーション?」
「あれ、知らない?」
マークに着く兵藤が話し掛けて来る。
確か直訳すると……分離? 孤立?
「そうだね。ここまで露骨なのはサッカーじゃあり得ないし、知らないのも仕方ないか……元々はバスケットボールの戦術で、こうやってわざとスペースを作って、一対一で仕掛けやすくするんだ」
「パワープレーみたいなモンか?」
「ちょっと似てるかもね」
なるほど。確かに三人はこちらのゴール付近まで上がっていて、栗宮胡桃、そして対峙する真琴の前には広大なスペースが残っている。
これで栗宮胡桃はどこからでも……比較的左サイドに寄ってはいるが、好きなタイミングで自由にドリブルを仕掛けられるというわけだ。
計十人が埋めく狭いコートのなかで、可能な限り『個』を活かすための戦術。アイソレーション、か。へえ、面白いな……!
「流れの中でもアイソレーションは良くある動きの一つだよ。まぁ、本来はフィクソを後ろに置いて、最低限のリスク管理はするけどね」
「栗宮胡桃だからこそ、か」
「その通り。これもウチの貴重な得点源なんだ……ところで、胡桃の相手はあの子で大丈夫? あんまり相性は良くないみたいだけど……」
細い眼鏡に落ちる汗を掬い取り、兵藤は不敵に微笑む。まるでもう、このアイソレーションの勝敗が見えているかのように。
そうか。コイツら、真琴が栗宮胡桃のマークに着くような状況を……奴にボールが渡った時点で、敢えて俺たち三人を引き付けるような位置にランニングして……意図的に作り出したのか!
「マコちん、無理しないでくださいっ! ノノかセンパイが代わります、それまで遅らせるだけでも……!」
「待て! その間に仕掛けられたら一人空いちまうッ! それこそアウトや!」
「でもセンパイっ!?」
焦れったそうに顔を歪ませるノノ。恐らく飛び出した瞬間、裏を狙った砂川へのロングパスが出て来るか、更に空いたスペースを使われてしまう筈だ。その場合の攻撃パターンも用意があるのだろう。
現に俺たち三人は、それぞれマーカーから二人の勝負が目視出来ないようブラインドを作られている。何度も動き直しているがしつこく追い回され、ミクルに至っては来栖と喧嘩でも始めそうな勢い。
ともすれば、なんとか真琴に耐え抜いて貰うほかない。止め切れなくてもある程度優位な状況に持ち込めば、むしろカウンターのチャンス……。
「真琴ッ! 落ち着いて動きを見ろ! 最悪ファールでもええ、絶対に逃げるな! 喰らい付けッ!!」
今は背中しか見えないが、苦渋の面持ちで栗宮胡桃を見つめる彼女が脳裏に浮かぶようだ。
足裏のコントロールでジリジリと近付く12番に対し、小刻みなステップを踏み最適な距離を測ろうとしている。
(負けっぱなしで終わるなよ、真琴……!)
正直に言うと、今からでも真琴と交代して栗宮胡桃を潰し切る自信はあった。兵藤も悪くない選手だが対人守備は鳥居塚より劣る。出し抜くのは容易。
ノノにああ言ったのは理屈だけが理由ではなかった。単に真琴と栗宮胡桃の勝負を見てみたかったというのも否定出来ない。
勝てば真琴にとっても大きな自信になるだろうし、どちらにせよ奴のドリブルを、その真の実力を間近で確かめる。そんなことを考えてしまったのだ。
だが、これは悪手だった。
あまりにも優しくなかった。
少なくとも今の真琴にとっては。
「あぁ。通りで面影があると思った」
「……姉さんのこと?」
「しかし、受け継いだのは上面だけか……あの女の持つオーラの欠片も感じない。母親が違うのか? それとも昼ドラの出演経験が? 安達○実みたいなババアになりたいとは思わないか?」
「うるっさいな……! 正真正銘、れっきとした長瀬愛莉の妹だよ……ッ!」
インプレー中は基本黙っていた栗宮胡桃だが、珍しく声を挙げ挑発している。応戦する真琴。
……いや、どうだろう。平坦な声色から察するに、見た感じたままのことを口にしている……?
「妹……女か。なんだ、そうか」
「なにか問題デモ!?」
「問題問題、大アリ小アリのデレ・アリだ。無駄な時間を使ってしまった。本家さながらにな。当時の輝きはいったいどこへ消えたのやら」
「……なんだって?」
露骨に肩を落とし、大きなため息と共に意味不明なことを口走る栗宮胡桃。
次の瞬間。スクっと面を上げ、カーリーなミディアムヘアを颯爽と揺らした彼女は……。
「――――残念だ。男なら良かったのに」
「ッ……!?」
「もはや望むまい。あの女にも、そして栗宮にも無いものを……どうやら貴様は持っていないようだ」
憐れむような冷笑。
毒を孕んだ棘さえ飲み干す、悪魔の微笑み。
寒くもないのに鳥肌が立つ。それは対峙する真琴だけでなく、コートはおろか体育館中へと蔓延する悪寒。
これだけの畏怖を、重圧を、プレッシャーを。
あの小さな身体で。
たった一人で生み出すのか。栗宮胡桃――!
「――――さらばだ、João」
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