873. もう一度、ちょこん


 開放した右サイド、タッチライン際をドリブルで猛然と駆け上がる。

 ハーフウェーライン手前でようやくファーストディフェンス、栗宮胡桃が現れた。しかし……。



「栗宮アア゛ァァァァ゛ーー!!」


 ライン上の相模が凄まじい怒声を飛ばす。それもその筈。なんと栗宮胡桃、ちょっと寄って来ただけでまともに守備をしなかった。

 ホームを通過した快特電車を白線の内側で見送るが如く、一定のポジションから微動だにしない。


 視線が重なる。すると彼女、僅かに口元を吊り上げ目を逸らした。その先には…………なるほど、そういうことか!



「仁ッ! 頼む!!」


 全速力で帰陣する兵藤は破れかぶれに叫ぶ。それに応えるよう、鳥居塚仁は鋭く睨みを利かせこちらへと進み出た。


 一対一。タイマン勝負だ。栗宮胡桃もこれが見たかったのだろう。構いやしない、俺も本望だった。



「クぅ!? 眷属の分際で我を無視するか!?」

「ああもうっ、全然見てない……っ!」


 中央にミクル、反対サイドでは真琴が待っていたが、パスを出す気は無かった。こんな格好の舞台、譲れるものか。まぁ見てろって。



(ええ距離感やな……縦の切り方は勿論、中へ切り込むのも簡単やない。これやからデカブツは……!)


 腰を鋭く落としジックリと構える鳥居塚仁。半身で備える教科書通りのポジショニングだ。

 それだけならともかく、180センチ以上の長身と肩幅の広さは想像以上に圧迫感がある。蟻一匹分のスペースも許さないと言わんばかり。


 迂闊に仕掛ければ身体ごと潰される。

 かといってシュートコースも無い。

 なら、やることは一つ。


 揺さぶって、揺さぶって、揺さぶって。

 脳天まで突き動かして……こじ開ける!!



「おおっ! ホーカス・ポーカスだ! すっげぇー! まゆ、今の見たか!?」

「良いからマーク着きなさいよぉっ!?」


 ラボーナ、からのエラシコ。背後から追い掛ける砂川明海は大興奮だ。だがこれには釣られない鳥居塚。仕切り直し。


 とにかく相手の視線、そして重心をズラすのだ。足裏、インサイド、アウトサイド、使えるものはすべて使いボールを舐め回す。


 奪いに来るタイミングを見計らうのでは遅い。隙が無いなら作るまで……!



「なんという超速神技……ッ!」

「い、いやいや……なんですかあの手数とスピード……あったまおかしぃ~……」


 ノノの呆れる声が聞こえる。もうみんな敵陣まで来たようだ。相手も戻っているな……少し時間を掛け過ぎたか。まぁ良い、そろそろ限界だろう。



「クッ……!?」

「素直に従っとけばええモンを……!」


 ここまで動じずに堪えて来た鳥居塚だが、僅か一瞬、ステップに乱れが生じた。

 そりゃ疲れるだろう、さっきまでフルタイム試合に出ていたのだから。しかもその後に俺の相手? ほら見たことか、だから相模も言ったんだ。


 腰、浮き過ぎ。ガラ空きだよ。 



「カラスちゃん、縦たてぇ!?」

「ううぉッ!? マジかよっ!!」


 右脚つま先でボールを浮かせたと同時に、左膝で突き一気に走り出す。引いて押す動き、プル・プッシュの応用。

 スタートを切ると同時にボールも前へ進むので、準備が足りないと着いて来れない。内海が得意とする反発ステップと同じ原理だ。



「フン……ッ!!」

「クゥ゛……!」


 とはいえ流石のフィジカル。少し前へ出る程度では躱し切れない。ビブスを引き千切りそうな勢いで肩を掴み、強引に止めへ掛かる鳥居塚。


 さあ、最後の勝負。溢れんばかりのアイデアに、俺の身体は着いて来れるか。そしてそのアイデアは、鳥居塚を上回れるか……。



(突破するだけや意味が無い。ゴールを奪うには、流れを引き寄せるには……)



「切り返したッ!!」

「ここでカットインか!」

「仁ッ、潰せるぞ!!」


 コート外から試合を見守る町田南の面々は口々に叫ぶ。右足裏でタッチし減速すると、鳥居塚は覆い被さるよう身を投げ出して来た。


 そうだよな。普通は。ファール上等で止めたいよな。そろそろ。ここまで来たらあとはフィジカル勝負だと、思っちゃうよな。流石に。



 教えてやろう。


 思いつくなかで、最も難しいプレーを選択する。

 これぞ我が信条。廣瀬陽翔たる所以。


 俺が勝つって言ったら、もう勝ってんだよ。



「なっ……なんだそりゃああああアア!?」

「カラスちゃんっ!?」


 右足裏で引く。

 同時に反転、ボールを隠す。

 左つま先で浮かし、右で拾い直す。


 宙に浮いたソレを、もう一度、ちょこん。






「やっ……ばぁ~~……ッ!!」

「んなアホな……っ」


 唖然とするノノと文香の情けない顔が、背中越しに見えるようだ。そうそう。それが見たかったんだよ。もう少しキープしてろ。


 左脚ジャンピングボレーで叩き豪快にネットを揺らす。鳥居塚の頭上を通し突破したところ、7番の兵藤がゴール前でブロックに入ったが……。



「ハァー、ハァっ……あー、もう……見惚れてて間に合わなかったとか、絶対監督に怒られる……ッ」

「よう戻ったな。立てるか」

「ご丁寧にどうも……今の狙った?」

「なにを?」

「足元だよ」

「まぁ、見えたし」

「ハハハっ……恐っろしいなぁ……」


 本当はノーバウンドでグサッと突き刺したかったのだが、それだと当たっていただろう。ちょっと不格好なゴールになってしまった。

 叩き付けるのはボレーの鉄則ということで、ここは偉大なFWたちの格言に肖るとする。


 ゴールマウスに飛び込み、ネットに絡まったままの兵藤は苦笑交じりに応える。続いて、ウォームアップの傍ら観戦していた町田南の選手たちからも拍手と歓声が上がった。



「今のってボラジーフリック!?」「途中まではそうだけどっ……いや、マジですげえ、目で追えなかったわ」「そこからリフトして反転したんだよ」「あー、なるほど!」「絶対外に出ると思ったら一瞬で……」「ソンブレロとの合わせ技ってとこか?」「すごいっ……あんなの胡桃ちゃんでもやってるとこ見たことない!」「トリが抜かれたところ初めて見たぜ……!」「最後のボレーも完璧過ぎるだろ……!」「やっぱ足首の柔軟性が大事なのかな?」「いやもう、柔らかいとかの次元じゃなくね?」「抜き切れなくてもその後の回収が早いんだよなぁ」「それな。選択肢がメッチャ多いんだよ」「あれ、出来るか?」「無理ムリムリ。遊びならまだしも、あんなの実戦じゃ使えねえって」「ちょっと鳥肌立ったわ……」「あれが廣瀬陽翔……やっぱり凄いなあ」「世代別のエースは伊達じゃねえな」「15のときにバルサからオファー来たんでしょ?」「いや、それは噂だろ?」「あのレベルならあり得なくもねえよ」「そもそもなんでこんな無名校にいるのかな……?」「分かんねえ。怪我して退団したんだろ確か」「山嵜高校か……これは要警戒だね」「鳥居塚が対人で勝てねえとなると……」「まぁでも、他の面子はそこそこだし大丈夫だろ」「レギュラーじゃないのかもしれないよ?」「面白いチームが出て来たな……!」



 エライ大絶賛だ。お褒めに預かり光栄である……しかしその一方、スコアはようやく1-3。負けていることに変わりは無い。



「何を狼狽えている。鳥居塚仁」

「……すまない……ッ」

「忠告した筈。奴の個人技もとい戦闘力はミスター・Jをも上回るソレだと……貴様にしては珍しい醜態だな。まぁ見える結果ではあったが」

「……俺の実力では及ばないと?」

「そうではない。信託を聞き損ねたか? フルタイムの後にアレの相手はいささか分が悪過ぎる……今日はもう下がれ。借りは公式戦で返せば良い」


 ここまでロクに指示の一つも送らなかった栗宮胡桃だが、鳥居塚仁へ辛辣な言葉を投げ掛けている。鳥居塚は厳つい顔を更に強張らせ、悔しさを滲ませながらコートを出て行った。


 いや、実際かなり危なかったけどな。最後の最後まで寄せられて、兵藤も目に入ったことでシュートフォームを崩してしまった。


 ……浮かれている場合じゃない。

 この程度で満足するな。まだ二点差もある。

 必ず逆転する。必ずだ……ッ。



「相模淳史。試合は残り何分だ?」

「アァ゛!? そんなことよりなんだ今の守備は、舐めてんのかこの野郎ッ!?」

「様子を見たまでだ。良いから質問に答えろ、試合は残り何分だ」

「だから、敬語を使え敬語をッ! ったく、好き放題やりやがってこの宇宙人め…………あと二分弱だよ! 何するつもりだ!」

「ゴレイロを起用したい。これほどの名手が相手だ。正規編成で立ち向かわなければ失礼というもの…………廣瀬陽翔、そちらも用意しろ」


 総監督相手でも超上から目線の栗宮胡桃。俺を呼び付けそのように言う。ゴレイロか。今は琴音もいないし誰にやらせよう。



「……自分、ゴレイロで良いよ」

「いや、お前だけには任せん。せやな、文香。頼んでもええか。一応ルールは知っとるやろ」

「えぇ~? ウチも攻めたい~!」

「頼む文香。この俺が、他でもないお前に任せたいんだよ……ええからやれ」

「むぅ~……しゃあないなぁ~」


 ヘラヘラした顔で自陣ゴールへ駆けて行く文香。頼んでおいてアレだが、なんだか変に従順で怖い。有難いけど。



「なっ、なんだよ。意地悪して」

「黙れ。余計なこと考えんな……まだスッキリしねえなら、俺でも見てろ。気の済むまで」

「……に、兄さん?」


 文句の一つでも言いたそうだったが、暫く目を逢わせると真琴は我慢比べに負けたみたいに顔を逸らし、いそいそと自陣へ戻っていく。



「……余興はここまでだ。廣瀬陽翔。というか、栗宮より目立つな。不快」

「それはお前次第やな」

「なら証明するのみ。まったく連中め、栗宮より凄いだのと何だのと、カイル・ノートンだのと……」

「多分言うてへんで」


 コート外のチームメイトたちを一瞥し、やたら不機嫌な仏頂面で鼻を鳴らす。公式戦と同じ編成になり、いよいよ本領発揮と言ったところか。


 栗宮胡桃。次は何を見せてくれるんだ?

 掛かって来い。倍返しにしてやる。



【2分57秒 廣瀬陽翔


 山嵜高校1-3町田南高校】


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