872. 舐めやがって


 開始二分で三失点。


 正規のメンバーではないとはいえ、勿論フットサル部史上初めてのことだ。

 あまりに一方的な展開。流石の皆も言葉を失い、呆然とコートへ立ち尽くしている。


 かくいう俺も、ここまで大差を付けられたのはあまり経験が無い。世代別ワールドカップのドイツ戦、夏休みに対戦した大学サークル。もしかしなくてもそれ以上の差を感じている。身体中を鎖で縛られたような感覚さえ。


 ……落ち着け、考えろ。切らしちゃ駄目だ。すべての失敗には必ず理由がある。この二試合と町田南に共通するものがあるとしたら……。



(何よりまず、1on1の強度……)


 ミクルの怠惰な守備で失った二点目はともかく、一点目と三点目は栗宮胡桃、そして砂川明海に真琴が対応出来なかった。単純な一対一の勝負で後れを取ったのが最たる原因だ。


 勿論一人に責任があるわけではない。ここまでロクにパスが回っていないのは、町田南の強烈なハイプレスを前に、皆揃って冷静さを欠いているから。足元の精度、そして視野を確保する動きが決定的に足りない。


 相手の強い圧力に『喰われている』状態。技術云々の話ではない。同じ土俵にすら立てていないのだ。



「……どうした? タイムアウトでも取るか?」

「ッ……! いや、必要無い……!」

「ああ、そうか。まぁそうだろうな。でそこまで躍起になってもな……」


 審判役の相模は不敵な笑みを浮かべ鼻で笑い飛ばす。まるでこの展開、俺たちの苦戦を当然のように予期していたと言わんばかり。


 舐めてやがる。散々あの廣瀬陽翔が云々言っておいて、自分たちの実力に欠片の疑いも持っていない……掌の上で踊らせているつもりか。クソめ。



「時にお前たち……なに高校だっけ?」

「山嵜です」

「失敬。で、山嵜高校。フットサル部が出来てどれくらい経つ?」

「……ちょうど一年です」

「そうか。なら仕方ないな……フットサルはフットサル、サッカーの延長線上じゃあない。分かっているだろう?」

「試合中です。言いたいことがあるならハッキリと、簡潔にお願いします」

「そう気を尖らせるな。これでも善意のつもりだ……こうなるのも至極当然のことなんだよ。人数が少なければ少ないほど、それだけ個々の技量に委ねられる。まっ、昨今のフットボールでも似たような傾向はあるが」


 深く息を吐きこのように宣う。とどのつまり、コロラドの指摘した『個人戦術』に歴然の差があると相模は言いたいのだろう。


 自身と味方、相手の位置取りを的確に把握し、どのプレーを選択するか……考えるまでもなく最適解を見出せる町田南の面々と、プレスを回避するだけでも必死な俺たちではあまりに大きな差がある。


 そしてそれは、たかが一年の経験ではどうしたって埋め難い代物。無論、たかがスパーリング一つでは解決出来ない。既に勝負は決している……。



「どちらもチームスポーツであることに変わりは無い。選手同士の連携、基盤となる戦術もやはり重要だが……クローズアップすれば個と個の戦いだ。お前ほどのプレーヤーが気付いていない筈も無い」

「……ええ。勿論」

「なら示してみろ。悪いが俺は、山嵜高校だから、栗宮の妹が在籍しているチームだからとこの試合を提案したわけじゃあない……お前だよ。廣瀬陽翔。お前と俺のチームが戦う姿を見たかったんだ」

「…………俺と?」

「町田南は最強のチームだ。もはやフットサルという枠組みにすら収まらない……日本有数の『個』が集まった集団なんだよ。ともすれば、同世代ナンバーワンと名高いお前と、どちらがより強力で鋭利な『個』か……気になるだろう?」


 サングラスの奥から覗く瞳は、俺を試しているかのようだ。チームバランスや味方へのフォローなど気にせず、単騎で仕掛けて来い。とでも?


 目に見えた挑発だ。ここで俺が出しゃばったら更なる失点は免れない。ただでさえみんな気落ちしているのに、これ以上差を付けられたら今後のモチベーションにも影響が及びかねない……。



「さあ、再開するぞ……まだのなら、無理やりにでも引き出してみせるさ。一分後にも同じことを考えていられるか、見ものだな。廣瀬陽翔」


 ホイッスルを鳴らし促す。結局みんなへの指示やポジションの修正が出来ないままだ……クソ、これも戦略のうちか。



「なーんだかなー! あの廣瀬陽翔がエースだってんだから、少しは期待してたのによー。超ガッカリだぜ!」


 早速ハイプレスが起動、最後尾の俺までふらふらとボールが戻って来る。挑発混じりに飛び付いて来たのは9番の砂川明海。


 ただ盲目に追い回すだけではない。右サイドに開いたノノへパスを出すよう、左へのコースを完璧に消している。そしてノノの元には既に、来栖まゆが狙いを定めていた。まさに『ハメる』ディフェンスそのものだ。



「おらおらおらおらッ!! 男のクセに逃げることしか出来ねーのかァ!?」

「……ッ!」

「この程度の奴が世代ナンバーワンだァ!? これならジンの方がよっぽどマシだぜ! 羽瀬川よりも下かもなっ!」


 中々にお喋りな砂川だ。だが言いたいことも分かる。現に俺は砂川のプレスをブロックで防いでいるだけ。攻めっ気に欠けると思われているのだろう。



 恐らく町田南というチームの最大の長所は、パスワークはさることならこの連動したアグレッシブな守り。

 サッカーで言うところのストーミング。絶え間なく相手にプレッシャーを与え、自陣での致命的なミスを呼び込む超攻撃的守備。 


 狩り切れなくてもフィクソの鳥居塚がドッシリと構え、即座にリトリートへ移行できる。奪ったら栗宮胡桃の個人技で一気に打開しカウンター……隙が無い。徹底的に『勝ち』へフォーカスしている。なるほど強いわけだ。



 一方、この戦術は相模淳史一人によってもたらされたものではない。砂川明海、来栖まゆらの卓越した限定守備、栗宮胡桃の打開力、鳥居塚仁の安定感を軸に構成された『個の掛け算』でもある。


 覚えがあった。守備強度、個々のクオリティーは段違いだが、似たようなスタイルのチームと試合をしたばかりじゃないか。


 なら、この守備網を突破するには……。



「明海ぃ! 取っちゃえ~!」

「兄さんッ、危ない!?」


 焦燥に満ちた真琴の絶叫がアリーナ中へ木霊する。もはや廣瀬陽翔に恐れをなすことも無いのだろう。砂川明海の猛プレスは激しさを増している。



「チッ! 流石にキープは上手えな……!」


 幾度となくフェイクを織り交ぜ躱しに掛かるが、そう簡単には引かない彼女だ。ノノのスタミナと文香のフォアチェック、両方を兼ね備えている。それでいて決定力も抜群……疑う余地も無い。素晴らしい選手だ。


 出し処が無く気付けばコーナーアーク付近まで追いやられてしまう。下手に持ち続ければグッと伸びて来る脚に攫われてしまいそうだ。どうしたものか。



「センパイ、こっちですッ!」


 ゴール前まで戻って来たノノが横パスを要求。しかしここには来栖まゆ、更に反対サイドから兵藤も詰めていた。そのせいで文香も下がらざるを得ない。


 だが、ここを打開すれば……あとは栗宮胡桃と鳥居塚仁の二人。前線に真琴とミクルも残っているので、数的有利に持ち込める。



「アカン市川ッ! ゴール入れ!」

「兄さんっ!!」


 絶え間なくフローリングを叩く足音。砂川明海が頻りに位置取りを変えボールを奪いに来ている証拠だ。

 いよいよボールを奪われると察したか、ノノはゴール前に構えブロックの準備。文香も近付いて来てフォロー体制へ。



(…………舐めやがって……ッ)


 どいつもコイツも、俺がボールロストする前提で動いてやがる。そんなに四失点目が怖いのか? 俺のキープ力を信じていないのか?


 早い話、相模の挑発を真に受けている。


 というか、昔の悪い癖が出ていた。状況が悪くなると一人で何とかしようとしてしまう、そういう癖だ。誰かに頼るということをすっかり忘却してしまう。


 残り二分半か。

 まぁ、そんだけあれば十分やろ。



「グっ……!?」

「正当なチャージや! セクハラちゃうぞッ!」


 右肩を強く押し出し、ほんの僅かな空間的余裕を生み出す。相手が女子だからとか、それこそ関係無い。お前も同じ考えだろ、砂川明海。


 町田南のレベルを肌で体感出来る……そんな甘っちょろいメンタルで試合に臨んだのが、そもそもの間違いだった。負ける気は更々無かったとはいえ、少し様子を見たいと考えていた節は確かにある。


 クソ。外にマスコミがいたせいで『本来の実力は隠しておきたい』とか、しょうもないことを思っていたんだろう、どうせ。腹立つわホンマ。いい加減にしろ。今の俺にそんな余裕があるものか。



 良いだろう。やってやる。

 そんなに見たいのなら、見せてやるよ。



「うわッッ!?」

「なんとッ!? それは我が奥義、インフィニットディスカバリーか!?」


 ありがとうミクル。お前のおかげで新しいフェイントを知ることが出来た。こっそり練習してたんだけど、実戦で使うの怖くてさ。でも良い線してるだろ? しかもちょこっと改良したんだ。


 ラボーナダブルスイッチターン、とでも命名しようか。詳しく説明してやりたいところだが、暇がねえわ。取りあえず一点取って来るから、その後にな。



「なっ……なんだよ今のフェイント!? 最後どうやってターン、えっ、てゆーか、どこ通された!?」

「明海ぃ!? なにしてるのよぉ!?」

「仁、胡桃ッ! 時間を稼ぐんだ!」


 やっと学生らしい顔なったな。宜しいことで。


 しかとその瞳に焼き付けると良い。

 まっ、目で追えたらの話やけどな。


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