861. おおきにな
愛莉が部屋を去ってからも暫く、彼女は狸寝入りを続けていた。よくよく観察すると確かに眉毛がピクピク動いている。
狸は臆病な動物で、驚くと倒れて一時的に気を失うそうだ。これを人々は自分たちを騙すための空寝と考え、狸寝入りという言葉が生まれたとか。なるほど、その気は無いにせよ彼女らしいムーブと呼べなくもない。
「…………ぐーぐー。むにゃむにゃ。すかすかぴっぴ~……」
「誤魔化す気ある?」
あくまで寝ている体らしい。理由はなんとなく分かった。一度寝て起きたことで冷静さを取り戻し、車中での言動を大いに恥じているのだ。
何かと大胆な女だが人前では弁える。子どもの頃もベタベタして来るのは決まって二人だけの時だった。
気を遣ったというほどでもないが明かりを豆電まで落とす。汐らしい文香は正直まだ慣れていない。まさか起きていたなんて。恥ずかしいのは俺も一緒だ。
「……いつから起きてた?」
「天下無双とは何か……天下無双なん、ただの言葉やでぇ……」
「誰が分かんだよ柳生石舟斎」
バガ○ンドの件から起きて来たようだ。どの場面で出た台詞なのかちっとも覚えていないのはともかく、真面目に会話する気は無さそう。
「ええけどな別に寝言でも……つうかお前、結局三人に頭下げてへんやろ。週明けちゃんと謝っとけよ」
「…………むっちゃハズい……」
「なーに年相応言うとんねんアホ」
「アホちゃうもんっ……ぐーぐー」
「まだ続けるか貴様」
布団を引っ張って覆い被さる。合流する前にどんな話をしていたのかは知らないが、よほど情けない面を晒してしまったみたいだ。
愛莉を筆頭に何かと張り合っている彼女。優しくされるのも慣れていない。知る限り地元でも同性の友達がほとんどいなかった。寝ている隙を突かれた格好だが、直近の何気ない言葉も強く響いたに違いない。
「ほな、もう起こさんで。よろしいな」
「…………むにゃむにゃ……」
無理に目を逢わせて話す必要も無い。言うて元々これくらいだ、俺たちの距離感は。広場でのやり取りが特殊だっただけ。
だったらこれからは、今まで通りでもちゃんと伝わるよう工夫すれば良い。これも二か月弱、俺たちに足りなかった要素なのかもしれない。
「アレや。その……お前だけちゃうねんで。重いんは。ホンマに」
「…………ぐー」
「夏の大会で、今のフットサル部としては終わっても……俺らの関係は変わらん。瑞希に至っては引っ越す気満々やからなアイツ。今よりうるさなるで」
「…………えぐ」
「有希も真琴も同じや。よう知っとるやろ。なんてことない顔で、まぁまぁシンドイ性格しとるでホンマ。たかが高一の分際で愛とか家族とか……俺のせいやけどな。ほとんど。せやかて、アイツら自身の意志や」
ダシに使うようで申し訳ないが、きっとこの場に二人が居たら同じように言う筈だ。或いはもう、先の広場で似た話をしたのかも。
愛莉にしたって同じ。要するに皆、同等の熱量を持ち俺と、フットサル部という家族と向き合って欲しいのだ。お前がこの街で僅かに感じていたであろう『アウェー感』に、みんなも少しずつ気付いていた。
「案外冷めた奴やからな。それでいて結構なリアリスト……俺やみんなの話を聞いて馬鹿馬鹿しいって思うのも、まぁ、分かるよ。今更否定もしない。最高にイカレとる。とっくに社会的に終わっとんねん、俺ら」
「…………うん」
「せやかて、これしかない。これしか無くなっちまった。始めは俺一人のエゴで、みんなを困らせとるだけや思うとった。ところがそうでもなかったんよ。俺が想像しとった以上に、みんなイカレとった。漏れなく全員や」
傍から見れば異常な集団だ。部活動という枠組みはとっくの昔に逸脱している。冷静に顧みる必要も無い。自覚も多少はある。
仕方の無いことだ。こうなることは必然だった。俺だけじゃない、みんな生きていく上で大事な部分が一つないしは二つ欠けていて、それを埋めたり補ったり、支え合って。気付けば今日まで転がり続けて来た。
異常は異常だ。それは認める。
でも、決して特別ではない。
心当たりがあるだろ。なあ文香。
「
「……それが、家族になんの?」
「実質な、実質。よく言うやろファミリー感ってやつ……偶々チームに男が俺しかいねえから、本当にそうなり掛けとるだけや。実際のところな」
花見でみんなと顔を合わせたとき、文香はこう言っていた。仮にも一人の男を取り合っているのに、こうも仲が良い理由が分からないと。
解釈の違いだ。最初は文香の言う通りだったけれど……もはや俺という存在も、この家族の中では一部分に過ぎない。幾らかのウェイトは占めているが、全部ではなくなった。
「文香。お前もさ。チームの一部になってくれよ。そしたらきっと分かる」
「…………ムズい。媚び売りたない」
「違げえよ。無理に仲良くしろって意味じゃねえ…………ったく、同じ話させんなよな」
「ふぁっ……?」
癖っ毛に指を通し頭を撫でると、欠伸みたいな気の抜けた声を漏らす。流石に狸寝入りは続けられない。
目は開いている。
細い目で、俺をジッと見つめている。
「はー、くん……っ」
「…………綺麗になったな。文香」
「……前からべっぴんやもん」
「そうやったっけ?」
「むう、いじわるぅ……っ」
やっぱり恥ずかしくなったのか、途端に視線を逸らし頬を染める。お世辞ではない。文香は本当に可愛くなった。いや、昔から可愛かった。幼馴染という一線に拘っていたのは、本当は俺の方だったのかもしれない。
明かりを落としておいて良かった。直視出来る自信が無い。きっと子どもの頃も同じだったのだろう。人間に化けた狸は恐ろしく美人で、ひとたび気を許せばあっという間に喰われてしまう。
「……無理も背伸びも必要無い。お前がずっと、この十六年間思い続けて来たことを、ちゃんと伝えてくれ。これからもずっと。もしフットサル部っていう家族のなかで、文香に何か出来ることがあるとしたら……たったそれだけや」
お前の与えてくれる愛に、優しさに溺れるということは、すなわち己の弱さを認めると同義。そう思い込んでいた。
だからこれからは、抵抗するんじゃなくて。弱さを認め、貰えるものは貰い、素直に生きていくだけだ。こんな風に。そうすれば俺はもっと強くなれる。お前だけの俺で居られるんじゃないかって思うけど、どうだろう。
「……それ、だけ?」
「むしろ他のことはやらんでええ。下手に張り合うと今回みたいになんねん。あれやで、レギュラー争いは大いに頑張って欲しいけどな。それとこれとは」
「ベッケンバウアー?」
「そういうこった。よう知っとるな」
「はーくんが昔言うとった」
「つまんな昔の俺」
小馬鹿にし合うよう噴き出す二人。良くも悪くも昔の姿へ収まったみたいで、余計に笑えて来て。互いに欲して来た『変わりたくない』の正体が、たかがこんなものであったことに気付いた。
「…………ウチだけ?」
「あぁ。文香だけや」
「……特別?」
「しゃあで。超特別扱い」
「…………なんか、ええかも」
うっとりと目を細め、置いた左手にそっと指を絡める文香。不思議な感覚だ。ドキドキして、ワクワクして。なのに安心して。
そうだ。俺たちは幼馴染で、それ以上でも以下でもない。だから良かった。幼馴染のまま、ここまで辿り着けた。他に何を望もう。
よくある漫画やドラマみたいに、単純じゃないけどさ。最高にイカレてるし、壊れてるし、メチャクチャな現実だけど。それでも俺たちなら、なんとかなると思うんだ。文香、お前はどう思う――?
「……なぁ。ちと寒いねん。あっためてや」
「暖房付けるか?」
「…………むぅっ……!」
いじらしく唇を尖らせ、ちょっと強引に腕を引っ張る。連れ込まれた布団のなかは嘘みたいに熱気で溢れていた。暑いのは苦手な筈なのに珍しい。
なんて、聞くまでもないか。
良かった。凄く嬉しいよ。
お前も一緒なんだな。文香。
一休みしよう。ボンヤリ過ごしていても、知らぬ間に進んでしまうものだ。過去ではなく、然るべき未来へ。きっかけもこの程度で十分さ。
「いつ振りやねん。同じベッドで寝るて」
「…………覚えてへん」
「ホンマにガキの頃やろな。それこそ一緒に風呂入っとった時期とか…………今から入る?」
「あかん! えろいの無し!」
「ごめんて」
まぁまぁ強気な語尾で咎められる。その手の話題で文香に窘められるとは。いやでも、あんまり興味無いっていつの日か言っていたっけ。
それとも、あれも強がりだったのか。
どっちでも構わないけれど……気になる。
「……そーゆうんは、まだ」
「ならいつかは?」
「…………ちゃんとベンキョーする。好き放題されるんは、イヤや」
「いつでもええよ。待っとる」
「……ホンマに?」
「お前の嫌がることなんて今までしたことあったか?」
「……ある。一回だけ」
「え、マジ? いつのどれ?」
記憶を辿る間もなく、気を削がれてしまった。握られた手と手。肌の温もり。
何をどうしたって、すべて呪いで上書きされるのだ。些細なすれ違いも、記憶の欠落も。語るに及ばない思い出も。
たった二つの優しい言葉で事足りる。
俺たちに必要なのは、今も昔も。
「ホンマ敵わんで……あんときから変態やったな。そーいえば。ウチがイヤ言うとるのに、無理やりケツ持ち上げて、エライ恥掻いたわ」
「…………懐かしすぎる」
「覚えとるんや」
「忘れるかよ」
「……あんがとさん。鉄棒教えてくれて」
「どういたしまして」
「そーゆう優しいとこ、むっちゃ好きやで」
「……ありがと。文香。俺の幼馴染になってくれて」
「にゃふふっ。おおきになあ」
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