860. クセ強いな


「廣瀬さん、この原付って……!」

「オーバメヤン号!?」

「うわっ、懐かしい!」

(なにそのネーミング……あ、瑞希先輩か。絶対そうだ間違いない)


 峯岸と合流し原付を荷台に載せられるか試そうとしたところ、奇跡が起こった。なんと文香が購入した原付は、夏に合宿費用をねん出するため売却したオーバメヤン号だったのだ。俺より何故か愛莉と有希が興奮していた。



「はーくんと同じ……言葉も介さず想いが通じ合ったっちゅうことやな……!」

「そろそろ痛いんやけど。腕」

「にゃふふふふっ♪ おことわりや~♪」


 パンパンの泣き顔も三十分経てばいつものタヌキ面へ元通り。あの近辺には寂れた中古車屋が一つだけあるので、俺が売却したまま売れ残っていたに過ぎないという事実はこの際明かすまでもないだろう。


 というわけで文香も峯岸の車に乗り、一緒に街まで帰ることになった。それは良いのだが、先のむっちゃ好き宣言からテンションがエライおかしい。



「だから乗せたくなかったんだ……ッ」

「珍しく気が合いますね……」


 峯岸はずーっと顔が引き攣っているし、オーバメヤン号との再会に喜んでいた愛莉も助手席ですっかり意気消沈。理由は後ろの席でド派手に愛を巻き散らかす世良文香その人を置いて居ない。


 シートベルトを二重に巻いているみたいだ。右腕をガッチリ捕獲され、後部座席中央という比較的不安定な位置に座っているにも関わらず坂道でも微動だにしない。抱き着いている、という言い方も如何なものか。もはや合体だ。



「ごめんな有希。芝生臭いやろ」

「い、いえっ、大丈夫ですっ……すごいですね、文香さん……っ」


 左座席に座る有希もどことなく委縮している。そりゃそうだ。反対側から常絶え間なくハートマークがぷかぷか浮き上がって、こうして話し掛けるだけでも精一杯。車中は異様な空気に包まれている。当人だけが自覚していない。


 峯岸が広場へ現れるまで、ひたすら文香に拘束され芝生の上をゴロゴロとローリングする羽目になった。あれから一度も離れていない。涙ながらに語らい合った時間も、皆に突き出した大言壮語も、今となっては誰も覚えちゃいないだろう。



「はーくん、はーくん、はーくん……♪」

「ったく、お前って奴は……」


 見たことないくらいの、それはもう満面の笑みを咲き誇らせ、頻りにその名を呼び右腕へ頬をすり寄せる文香。

 一方、この地獄にも近い空間が生まれたのは俺のせいでもある。ただただ彼女が可愛らしくて、本気で抵抗する気が更々無かったからだ。


 近いようであまりにも遠かった距離。少しでも埋められるのなら、どんな形でも良かった。彼女がそうしたかったように、俺もきっと望んでいたのだ。多少の揺らぎは必要なのかもしれない。なんて、ちょっと思ったり。



「もう、無理ッ、ゲンカイ゛……ッ!」

「あと一時間や。我慢せえ」

「絶対に吐く……ッ゛ッ゛!!」

「好き好んで荷台を選んだ奴が何を言う」


 文字通りの揺らぎに遭う真琴と、残る三人の尊い犠牲が燃料。ぎゅうぎゅう詰めの外国車は、山脈を穏やかに染めるブルーアワーを背に箱根の街を後にした。






 高速を降り山嵜高校近辺まで戻って来る頃には、後部座席の有希、真琴、文香はすっかり眠りこけてしまっていた。俺は寝ていない。途中のサービスエリアで荷台へ移ったからだ。寝れるわけがなかった。


 アパートへ到着。ユキマコを有希の部屋へ三人掛かりで放り投げ、ここで峯岸とはお別れ。礼を述べると『別にワケないけど二度と車には乗せん』と非常に草臥れた様子で去っていった。週明けちゃんと謝ろう。



「よく背負われたまま眠れるわね……」

「眠りは浅いタイプなんやけどな。よっぽど疲れとったんやろ……愛莉はずっと起きとったな」

「あんな土臭い車でどうやって寝ろって?」

「言うて慣れとるやろ。その手の匂い」

「……色々考えてたのよ。色々」


 続いて文香の部屋へお邪魔し、こちらも雑にベッドへ投げ飛ばす。寝惚けているのか、枕をギュッと抱き締め何か呟いている。俺と勘違いしているのだろうか。なんだこの可愛い文香。こんな奴知らん。



「そう言えば初めて入るわ、文香の部屋……本当に小物だらけなのね」

「漫画もな」

「うわ、バ○ボンド……小っちゃいとき床屋さんで読んだなぁ……」

「お前もお前でクセ強いな」


 そんなナリして床屋通ってたのかよ。それともあれか、サッカー一筋で美意識もなんも無かった時代か。バガ○ンドが美少女を二人も育てるとは拗れた世界線だ。この話は止めよう、オチが見当たらない。


 手に取った漫画を適当にぱらぱらと捲り、すぐ本棚へ戻す愛莉。続いて彼女はこんな風に切り出した。



「変な子よね。文香って」

「なにを今更」

「アンタが思ってるようなじゃないわよ……なんか、すっごい損した気分。結構本気で怒っちゃったし……」


 俺が芝生広場を訪れる前、文香と三対一でまぁまぁな言い争いをしていたと聞いた。皆が文香に対し何かしら言いたいことがあったのは知っているが、愛莉はまだ何かが腑に落ちない様子。



「……結局文香は、ハルトとどうなりたいわけ? 幼馴染なのは変わんないみたいだし……あれで何に納得したのか、全然分からないのよ」


 再び漫画を抜き取って流し見。寝ているのだから素直に直視すれば良いのに、わざわざ一枚隔てる理由はなんだ。と、聞いても答えてくれそうにはない。


 まぁ、そうだ。愛莉の言い分は尤も。あれだけ『ウチだけのはーくん』に拘り上京までした文香が『死ぬほど浮気する』という言葉のどこに活路を見出したのか、理解に及ばないのは当然のこと。


 だが俺は知っていた。

 彼女が本当に望んでいるもの。


 単なる独占欲とも、過剰な執着ともまた違う。少なくとも愛莉、お前にも当てはまるものだと思うんだ。



「大阪遠征で……まだ青学館の選手やったアイツに、言われたんだよ。何か一つ、俺に負けないものが欲しかったって」

「負けないもの?」

「こうも言うとった。やること為すこと、全部はーくんの後追い。同じ土俵で俺に勝ちたい、それが自分のプライド。どういう意味か分かるか?」

「……それ、プライドでもなんでもないわ。だって、結果的にハルトが基準になってるじゃない」


 ご指摘通り。半年前の発言、そして今回の逃避行は実によく似ている。


 俺の気持ちを知るためにフットサルを始めた。俺から距離を置いて自分探しの旅に出た。近付く、離れるという違いはあれど、スタート時点は同じなのだ。


 要するに世良文香という人間は、独り立ちしようとしている風にこそ見えど、廣瀬陽翔ありきのマインドを今日まで一度たりとも払拭出来ていない。この街まで俺を追い掛けて来たことも、すべてが一本筋で繋がっている。

 


「思えばあの時に気付くべきやった……コイツはもう、俺抜きでモノを考えるっつう発想にすら至らない、そういう段階まで来ちまってる。峯岸にも言われた。生まれ落ちた瞬間に掛けられた呪いが、より強力になって今も生き続けている……」

「…………哲学?」

「違げえよ」


 小難しい顔で首を捻る愛莉。彼女にこの手の難解な表現は早計だった。咀嚼役に比奈がいると助かるのだが、仕方ない。もっと分かりやすく説明しよう。


 キーワードは二つ。

 責任。そして保証だ。



「根っからの関西人やさかいに、ボケたらツッコミがあらな落ち着かへん。愛してくれるなら、同じ大きさの愛を返さなあかん。せやないと、心が潰れちまう。現に一回、俺は潰しちまったんだよ」

「……ちゃんと見てくれているっていう、保証が欲しかったってこと?」

「あぁ。こんな脆い人間に育てちまった責任を、一生掛けて取り続けないといけねえ……そういう意味では、俺もコイツに呪われているのかもな」


 ベッドに腰掛け頭を撫でる。猫みたいに喉をコロコロと鳴らし、幸せそうに寝息を溢す文香。有り余る安堵の表れなのだろう。


 有希が望んだような『対等』とは似て非なるもの。同じ目線に立ちたいわけではない。ボケとツッコミで漫才が成立するように、俺という存在が世良文香の一部として確立され、失えば不完全なまま。



 スポッチョからの帰り道。文香はGPSアプリに頼る聖来を『保険が欲しい』だなんだと扱き下ろしていたが。

 実は文香も欲しがっていたのだ。今後二度と俺が自分の傍から離れないという、絶対的かつ強力な保険を。


 別れ際に『自分も年下だ』『ワンチャン妹』などと言い出したのも、心の奥底で望んでいたが故に溢れ出たものと今更気付く。妹。つまり家族だ。縁を切ろうと関係性は変わらない。同様に幼馴染も、一度そうなれば一生モノ。


 半年前の瑞希がチラついている。決して覆らない不変の存在、無償の愛情を欲し藻掻いていた。この二人にも共通項がある。信じていたものに裏切られ、一度は真実を、大切なものを見失った。



 そう。俺は一度、文香を裏切った。たった一つのアイデンティティーを踏みにじってしまった。二度目は許されない。


 信じてくれたのなら、応えなければならない。否、応えたい。彼女がそうであるように、俺にとってもまた、世良文香は欠かせない自身の一部。


 ボケ役もいないのに皮肉交じりのツッコミばかり飛ばしていては、いよいよただの性悪。事実、性根の腐ったガキだった。人間未満の存在でしかなかった。文香のおかげで、俺はギリギリ人間だった。やっと気付いたんだ……。



「……重い女ね」

「そう言ってやるな。自覚があるだけマシやっちゅうに…………それに、文香だけやない。俺も、愛莉も同じや」

「わたしも?」

「愛莉や文香、みんなのいない世界は想像すら出来ない。それってつまり、みんなが自分にとっての一部になったってことやろ?」

「……まぁ、確かに」

「コイツの場合、キャパの半分が俺で埋まってるって、そういう話や……ホンマ自分で言うてキッショい思うけどな」

「うん。キモイ」

「せやから言うなって」


 他人事みたいに話す愛莉。もっと真剣に考えてくれ。広場でブッ放した壮絶な浮気宣言は、なにも文香だけを納得させるためだけのホラでも、誰かに用意された台詞でもないのだから。



「愛莉。お前も一緒や。少なくとも俺は、長瀬愛莉っつう人間をこの一年でまぁまぁ変えちまった。会長も言うとったろ?」

「…………んっ」

「責任は取る。ただ、完璧には無理や。どう足掻いても足りないものはある……せやから時間と、量で埋めるんだよ」

「……みんなでずっと、ってことね」


 ようやく漫画を本棚に戻しこちらを向いてくれた。先ほどまでとは違いだいぶスッキリした顔をしている。整理が付いたみたいだ。



「……正直言うとさ。文香のこと、嫌いじゃないけど、好きでもなかったわ。だって明らかにライバルだし。レギュラー争い的な意味でも」

「まぁな」

「他のみんなと同じように見れなかったのは……私の居場所を文香が全部取っちゃうんじゃないかって、不安だったからだと思う。でも、違うのよね。私には私の、文香には文香の居場所がある……」


 ベッドの脇に屈み寝顔を一心に見つめる。体育祭の打ち上げで『私以外のことも』と口にはしていたが、内心不安でいっぱいだったのだろう。だがそれも、愛莉なりに前へ進むための勇気ある一歩というわけだ。



「ずっと言い聞かせてたけど、言ってるだけ。やっぱり無理してたわ……でも今なら、ちゃんと受け入れられる。この子のことを仲間だって、フットサル部っていう家族の一員だって……自信を持って言える気がする」

「…………そっか」


 そして今、努力は着実に結果へと結びつこうとしている。暖かな眼差しと、巻き髪を救う優しい指の伝いが何よりの証左。


 勿論、すべてが上手く行くとは限らないし、そもそも馬が合わないのはこの二か月弱で実証済み。でも大丈夫。時間と量のゴリ押しで、なんとかなるさ。



「今日はもう帰るわ。あとはよろしくね」

「よろしくって、なにを」

「……起きてるわよ。この子」


 ギクリッ。と吹き出しが浮かび上がるみたいに身体がビクンと跳ねた。無論、ベッドで横たわる彼女の話である。


 なるほど。もう一仕事あるようだ。漫才ライブにアンコールなんて概念あったっけ。カーテンコールなんてお洒落なものでもないが、まぁやってみるか。


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