859. むっっっっっっちゃ好き


 それはもうあまりに突然の出来事。一瞬で顔を真っ赤にした文香は、細い身体をカチコチに硬直させ微動だにしなくなる。


 お湯を通してやるくらいのつもりで肩を抱き寄せると、ビクンと魚みたいに跳ねてちょっと面白い。段々と柔らかさが戻って来た。


 何度体験したって不思議な感覚だ。

 少し素直になっただけ。

 燻っていた想いを一つぶつけただけ。


 たったそれだけで、こんなにも違って見えるものだろうか。知らない。この世良文香は。半年前に再会したあの日とも、春休みの突飛な邂逅とも違う。



「……な、なっ、な、なっ……!?」

「ははっ……ったく、可愛いやっちゃな。前はそっちからキスしてくれたやろ? あんときはほっぺやけどな」

「…………ぁぁぁぁああ~~……!!」


 カラカラの声と涙目で必死に何かを訴えている。長いこと飄々とやり過ごしていたのに、別のところから湧き出てしまったみたいだ。せっかくの緊張と昂ぶりも収まり掛ける。


 一方、未だにわなわなと震える左胸。ならばと更に強く抱き締めて、似たような鼓動を脈打つ。彼女が恥じらうのなら、俺も同じものを共有したい。二人が何か足りなかったとすれば、まさにこれだ。



「……ずっとこうしたかった。こうするべきやった。俺も一緒や。お前の幼馴染であり続けたい。でも、それだけや意味が無い。分かってたんだよ……文香、お前のことを、ちゃんと女の子にしてあげたかった」

「…………うそや……そんなんウソやぁぁ……っ!!」

「ホンマやって!」


 ほとんど消え掛かった声だが、それでも彼女は頑なに否定する。まぁそうだ。今までお前のことを女扱いしたことがあったかって、改めて反省するまでもないよな。信じられないのも当然だ。


 でもさ。文香。たま~にそういうこと、言ってただろ? 一緒やねん。心の奥底で望んでいることは、どうしても溢れ出るんだよ。言葉にも態度にも。


 信じられないのは、幼馴染だからだ。一度だって俺たちは、男と女になろうとしなかった。なり掛けたときもあったけど、なあなあで終わってしまっていた。時間もタイミングも悪かった。それだけなんだよ。きっと。



 今度こそ、ハッキリ伝えるから。

 廣瀬陽翔が、世良文香に望んでいること。


 マジで、どうでもいいんだよ。

 幼馴染とか。恋人とか。


 世良文香。お前は可愛い。綺麗だ。良い女だ。最高の相棒だ。フィーリングは何かと合わないが、肩を寄せ合うにはちょうど良い相手だ。


 だから、一緒に居たい。

 傍に居て欲しい。これからもずっと。


 馬鹿にするな、もっと真剣に考えろって嘲笑うのか? そんな資格、無いよな? ある筈無いよな? だって、こんな大馬鹿野郎に本気で惹かれているんだぜ。お前って奴は。同じくらい馬鹿で、どうしようもないだろ――?



「どんな形でも構わない。もう二度と、この細い糸を切ることの無いように……しっかり掴んでいて欲しい。俺が望むのはそれだけ。俺も離さない。離したくない……絶対に、絶対に……ッ!」

「…………なんやねんそれぇぇ……!!」

「分かれ! 分からなくても! 花見の時も言うたやろッ! 俺の人生に必要な奴らのリストに、世良文香がいないワケがねえ! お前は俺にとっての手足で、心臓で、絶対に欠かしちゃいけない存在なんだよッ!!」


 グチャグチャの泣き顔で。なのに頬はリンゴみたいに紅潮して、正味どのような感情か分かり兼ねる。まぁ似たようなものだろう。



 あの日、彼女に向けて放った台詞とまるきり同じ。だが意味合いは少しだけ異なる。二か月前の俺にとって、世良文香はまだ。他に彼女を繋ぎ止める方法が、分からなかったから。


 でも今は違う。幼馴染の世良文香ではない。世良文香という、一人間が欲しいのだ。どうしても必要なのだ。同じようでまったく違う。こんなに簡単なことを、どうしてずっと認められなかったのだろう。


 やっぱアカンな。幼馴染なんて。

 この際だ。すべてブッ壊そう。



「なら、ハッキリさせたるわ! ええか、俺はこれから、お前もうウンザリするくらい、百回死んだって償えないくらい…………死ぬほど浮気する!!」

「……はぁぁぁ~~……!?」


 ギョッと目を飛び出させあんぐりと口を開ける。俺とてこのような言い方は本意でない。でもお前には必要だ。

 文香だけじゃない。後ろで突っ立っている三人も。勿論ここに居ないみんなも。結局やってることに変わりは無いんだ。耳かっぽじって聞け。



「俺は正真正銘のクズや! あれだけ大勢のべっぴん侍らせて、ロクに相手もしてやれねえ程度のゴミカスクソ野郎やッ! よろしいな!? 重々承知やな!?」

「…………へぇぇ……っ!?」

「でも、約束する! どれだけ遊び惚けても、必ずお前のところに帰って来る! おい、コイツだけちゃうぞ! お前らも一緒やッ! この台詞、よう覚えとけ! 忘れたら半殺しにしろ! 縛って海に投げ捨てろッ! ええなッ!?」


 首が折れても致し方ないほどの速度で振り返り、唖然とした様子の三人にも声を荒げる。暴走している自覚はあった。だが止まるつもりは無い。


 全員に。フットサル部というチーム、家族におけるすべての事象に、両脚どころから頭の先まで浸かってみせる。分かったフリも、分かっていないフリもやめにしよう。もっともっと素直に、強欲になろう。


 これが俺の、俺だけが負える責任だ。



「……それ、どーゆうこと……? ウチ、もう逃げられへんの……?」

「そうだよ。一生逃げられねえ。残念やったな文香。お前は生まれた瞬間から、俺に人生を奪われたんだよ。ホンマ可哀そうな女や……ッ!」

「…………やっ……ばぁぁ……!!」


 最低最悪の束縛宣言を突き付けられ、彼女はもはや笑わずにいられなかった。凄まじいまでの絶望が透けて見える。


 だが、笑っている。

 泣きながら笑っている。


 まただ。彼女はまたも証明してしまった。

 その身自ら、俺に相応しい女であることを。



「……ホンマにアホや……アホすぎる……っ!」

「おう。知っとる」

「ちゃうわっ、ボケ……はーくんちゃうって。ウチ、ウチっ……こんなひっどいこと言われて、馬鹿にされて……自分が無い言われとるも同然で……死ぬほどムカついてん、せやのにっ……!!」


 スクっと顔を上げて、ぽろぽろと涙を胸元に溢す。たかが十六歳。あと数日で十七になる彼女は、たった今、人生を終わらせたようなものだった。


 自らが何者なのかも分からず。叶えたい夢や、将来の展望など何一つ見えないまま。性根の腐った男に残りの人生を啄まれた。人間としての尊厳もプライドも、アイデンティティーも、すべて奪われてしまった。



「アカン……アカンってこれ、ホンマアカンって……ッ!! 嬉しすぎて、ウチ、頭おかしなりそう……っ!!」

「…………みたいやな」

「はーくん……ウチだけのはーくん……! なぁ、ホンマか? ホンマにずっと、ずーっと一緒にいてはってくれるんか……!? ウチ、はーくんの隣におってええねんな……!?」

「言うたやろ。離さねえよ。一生」

「ウチ、ホンマに重いで!? ガキの頃から一人の男追っかけて、友達にプライドゼロのアホ言われて、それでもええ思うような、空っぽの女やねんで……!!」

「だったら、腹の底まで廣瀬陽翔で埋め尽くしてやる。それが世良文香っちゅう人間で、お前のプライドで、アイデンティティーや。悪くないやろ?」


 等価交換だ。文香。お前の人生をメチャクチャにした責任は、これから長い年月を掛け、すべて責任を取る。


 だから、これだけは約束して欲しい。もう二度と、俺から逃げ出すな。もっと可愛くなれ。女らしくあれ。俺に似合う女になれ。唯一無二の幼馴染、誰にも負けない幼馴染であってくれ。


 そうしたら、俺も縛られるから。きっと。ウチだけのはーくんってやつに、必ずなってみせるから。


 そしてお前も同様、責任を取るべきなのだ。こんなどうしようもない俺に、愛を与えてくれた責任を。一生掛けて、償え。



「……ゲッスいわ……ホンマに、ホンマにゲッスい男やなぁ……っ!!」

「せやから言うたやろが。嫌なら今すぐにでも原付でしょっ引け」

「…………ぜったいに、いや!!!!」


 思いっきり肩を突き飛ばして、今度は文香が馬乗りになる。そのまま腕を回されて、死ぬほど脆い両腕でグリグリと胸を寄せた。


 やっと終わりそうだな。謎の逃避行。

 最後は大阪人らしく、オチでも付けてくれ。



「…………好き! はーくん! ウチの、ウチだけのはーくん!!」

「俺も好っきゃで。文香。しっかしまぁええ景色やん。下々の連中に訴えてみるのは如何かね」

「――――むっっっっっっちゃ好きやああああああああーーーー!!!!」


 ボロクソのしっちゃかめっちゃかな、それでいて最高の笑顔を張り巡らせ。ありえんくらいの爆音で叫び散らかし、どこからかやまびこが返って来た。きっとこの街だけでなく、大阪にも。いや、世界中に届いたことだろう。


 特に後ろの三人には。

 いや、マジで、すっげえ顔。



「これだから関西人は二人揃うとダメね……」

「あ、あははははははっ……」


 ごめんって。ちゃんと説明するから。


 まぁ、分からなくても仕方ないけど。

 幼馴染にしか通用しない、特別な呪いだよ。



「いやいやいや……重っっっっも……」


 真琴さん。それだけは禁句だって。今は。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る