858. なんという傲慢さ


「ほら、文香。いつまでそんなとこ座っドヴぉぁアッ゛ッ!?」


 勢いのあまり突っ立っていた愛莉をブッ飛ばしてしまう。後で謝るつもりではあるが、覚えていられるかは自信が無い。

 兎にも角にも捕獲するのが先決だ。また俺の顔を見て逃げ出されたりしたら堪らない。



「有希、避けて!」

「へっ?わわわっ!?」


 慌てて道を開ける二人。正しい行動だ。大の男がヘッドスライディングで突っ込んで来たら目もくれず逃げた方が良い。


 やはり言い争いでもしていたのか、文香の目元は涙の跡で真っ赤に腫れている。今から脱出するのは状況的に、物理的にも不可能。なのにこうも焦っている理由は、分からなかった。



「どわほぁああ嗚呼アアアア!?」

「捕まえたァァッ!!」


 豪快なタックルが決まる。抱えたまま芝生を滑り摩擦で急停止。現役の頃もこんなに激しい守備をしたことは無かった。ラグビーの才能があるかもしれない。それはともかく、胸元で若干呼吸が怪しい彼女が心配だ。



「ほっ、ほっ、こほ゛ッ……!」

「峯岸から聞いたでお前、運転下手クソなのにあんな厳つい道一人で登って、アホか……ッ!」

「ご、ごめ、おっふ……ッ!」


 馬乗りでマウントを取られ何がなんだかという様子の文香。限りなく似たような顔をしている自覚があった。迎えに来て欲しかったのは事実だろうが、こんな再会はお望みじゃないだろう。


 ところがしかし。幼馴染からの脱却という難題に縛られ、互いに気取ったままだった俺たち。一度原点へ立ち返る必要がある。こんな馬鹿馬鹿しいワンシーンさえ、今の二人には必要なのだ。



「どっ、どないしたん、エライ焦ってもうて」

「お前が逃げるからやろがいッ! ええか、このまま片時も離れず山嵜へ帰るからな! ええな! 大阪ちゃうぞ! あのボロイ安アパートやからな!」

「あー……なあ、はーくん」

「アアンッ!?」

「温度差」

「……………………エグイな」

「一回退こうや。もう逃げへんてっ……」


 そっぽを向き他人事みたいに呟く文香。彼女だけではない。事態を見守る三人もやや引いている。そんな目で見ないで。マゾ耐性が無い。シンプルに辛い。


 一旦降りて芝生から彼女を引き上げる。真っ当な議論が機能する環境が整ったは良いが、この空気である。なんとも気まずい沈黙が続く。


 ……いや。俺だけじゃない。


 余計な熱に当てられたのか、文香はどうにも居心地が悪そうだ。一向に目を逢わせてくれない。唇を噛み汐らしそうに何か言い淀んでいる。



「……ホンマに、探しに来たんやな」

「アァ? なんや今頃になって。つうか、いっぺん神社で会うとるさかいに」

「せやねんけど……」

「…………なんだよ」

「はっ、はーくんのせいやっ……! なんか、調子狂うねん……!」


 チラチラと俺や背後の三人へ目配せ。腕をギュッと畳む。いよいよ役目を終えようという西日は満足なシルエットを描けず、細身で小柄な身体がいつも以上に小さく見えた。


 まぁ、でも、気持ちは分かるのだ。

 初めてだから。



「昔とは反対やな。文香」

「……にゃにゃ?」

「いっつも俺のあと追っ掛けて、お前の気も知らんと逃げてばっかりで……こんな気持ちやったんやな。やっと気付けたよ」

「…………ふんっ。こんくらいで分かった顔しよって。堪らんで……」


 一転、僅かばかりの不快感を拵え鼻を鳴らす。彼女の言う通りだ。俺が無視して来た、裏切って来た時間と執着は今日一日の比ではない。


 大阪での日々に留まらず、この二か月弱もそうだ。お前の気持ちを真正面から迎えることが出来なかった。


 勇気が持てなかったのだ。たった一人の幼馴染という強力な呪いに掛けられ、次の一歩を踏み出せなかった。ソレが俺たちの正しい姿なのだと、半ば諦めていたのかもしれない。



「……アカンな。ホンマに。後ろにべっぴん三人も立たせよって、なんの説得力も無いねん」

「なんやって?」

「怠いわ。ホンマだるい。結局はーくんにとって、ウチはいっぱいおる中の一人。特別でもなんでもないねん」

「ハッ。エライ湿気っとるな。説得力が無いのはお前も一緒や……そんな性悪の男に縋って逃げ出したのはどこのドイツ人や。エエ?」

「うぐっ……!?」

「所詮は幼馴染や。俺たちは。当てが外れた、こんな奴に感けとる場合ちゃう言うて、大阪へ帰るくらい簡単やろ。飽きっぽい奴なんよう知っとる」

「うぐぐっ……!」

「せやかて、お前はこの街に残った。ほぼ県境やけどな。それでも大阪には帰らなかった……逆に変なモンばっか熱中する癖も、ちっとも変わってへん」

「グゴゴゴ……ッ!?」


 俺たち史上最も真面目なシーンだというのに、絵にならないアホ面と大袈裟なリアクション。これも転じてらしさか。


 もはやどうにもならないことだ。世良文香という人間はどこまで行っても女には事足らないし、ヒロインという概念からも限りなく縁遠い。



「正直になれ。女誑しのどうしようもないクズに成り下がった俺でさえ切り捨てられない、そういう女なんだよ。お前は」

「な、なんという傲慢さ……ッ!?」

「否定したいのなら今すぐ原付持って来て俺をしょっ引け。一秒以内に。はい、ゼロ。よし認めたな」

「んなんで選択肢与えたつもりかいな……あれか? さっき頭でも打ったか?」

「クソ元気」

「にゃはは……みたいやなあ……」


 怖ろしく引き攣った顔だ。当時もこんな呆れ面で、俺の世迷い事を受け流していたっけ。懐かしい。なにもかも思い出すよ。


 実を言うと性格もそこまで合致していない。趣味からして正反対で、むしろ共通項を探す方が難しいくらいだ。事実ガキの頃はあまり好きじゃなかった。コイツはこういう奴だと許容を持てたのは結構経ってからだったと思う。


 そんな彼女を、俺はいつまで経っても切り捨てられなかった。たかが一歳差だ、そんな言い方はまったく適切ではないが、当時の俺に必要不可欠かと言えばそんなことはなかった。


 ならどうして、って。

 もう考えるのも億劫だ。


 だって文香は、そこに居るのだから。

 いつどんなときだって。

 俺の隣に居てくれたのだから。



「はぁぁ~~…………ホンマ、あきまへんな。全部言う通りですわ。我ながら趣味の女やさかいに」

「嫌いやないで。そういうところも」

「ちゃうねんなあ。嫌いやない、ちゃうんよ。ウチが言うて欲しかったんは、ずっと一つ。昔からずーっと……」


 強い風が吹いて、細身のシルエットは癖のあるブラウンの巻いた影で覆い隠された。奥底から臨む薄い目は、なにを捉えているのか。



「鉄棒手伝ってくれたあの日から、はーくんはウチの憧れで、目標で、ほぼアニキで、だいたい友達で、たま~に男……偶にな。偶に。せやのに、いつからか……男にしか見えへんなった」

「……不思議なこともあるな」

「理由なんて分からんよ。いつからかも覚えてへん……気が付いたら、ウチの好きっていう感情は、はーくんとイコールで繋がってしもうた」


 他人事みたいに話す彼女。涙を我慢しているようにも見えない。こんな風に想いを伝えてくれたのは実家の部屋で二人きりになったあの日以来だが、その時とはまるきり異なる印象。ある種の達観さえ匂わせている。


 だが考えれば分かることだ。ただ再会しただけのあの時と、改めて腰を据え向き合った今とでは、やっぱり違う。

 この二か月弱、彼女も悩んでいた。分かっていた、気付いていたのに、無視し続けていた。

 


「好きやけど、でもそれだけや。はーくんが隣にいるだけで十分やった。幼馴染とも呼べない、そんな曖昧な関係も……ウチは結構好きやったんよ」

「……文香」

「ウチもはーくんも、昔とは変わってもうた。それがアカンのちゃう。変わっても尚、こんな関係が続いていることに……ちょっとガッカリしてもうたんや」

「ガッカリ、か」

「はーくんに言うとるんちゃうよ。ウチ自身に、っちゅうことや。はーくんの一番になりたかったのに、今のままでもええと思ってる。満足してもうてる……」


 春にこの街で再び出逢い、俺たちは大阪での思い出を焼き直した。そんなつもりはなくとも、傍から見ればそうでしかなかった。


 否。それしか出来なかったのだ。他に距離を縮める方法は沢山あった。なのに俺たちは敢えて望んだ。幼馴染であり続けることを。



「……怖かったんや。きっと。ウチとはーくんは、ただ昔馴染みやっちゅう、そんだけのほっそい糸で繋がっていて……少しでも引っ張ったり緩めたりしたら、簡単に切れてまうような、脆い関係で。事実、一度は切れてもうた」


「下手に離れてもうたのがアカンかった。ウチ、ビビっとんねん。変わりとうないねん。これ以上進んだら、後戻り出来ない。また壊れたら、今度は取り返しがつかへん。ならこのまま、怠い関係続けた方がマシやって……」


「……せやけど、心の奥ではそうやないって叫んどる。もっと近付きたい、進みたいって、溢れ出して止まらへん。ほんで気付いたら、この街まで来てしもうた」


 文香も同じだったのだ。離れたくない。二度とあんな思いをしたくない。だから昔と同じ関係、距離感を維持することを選んだ。やはり選んだつもりは無く、本能がそう叫んだからだ。


 だが現実は非情。もはや俺の人生は俺だけのものでも、ましてや文香にだけ捧げられるものでもない。幼馴染なんて弱い糸では到底抗えない、強力な呪いをみんなと掛け合った。そして、その輪の中に文香はまだいない。


 焦るのも怖くなるのも当然。だから彼女にとっては、停滞こそが唯一の対抗手段で、存在証明だった。少なくともこの二か月弱は。


 しかし、そんな唯一無二の頼みの綱が思いのほかずっと脆かったことを。俺も文香も、今日日に至るまで気付かなかった。気付かないフリをしていた。だからこうなったんだ。



 でも。それでも、幼馴染だ。

 何の因果か、俺たちは縛られた。


 男と女ではない。単なる一人間として。

 同じ街。同じ星の下で。

 然るべくして出逢ったのだ。


 ならば幼馴染のまま進むしかない。一方、停滞も許されない。

 何故なら俺たちは、こうして拒んだのだから。煮え切れない現状を。曖昧なままの未来を。


 長ったらしい前置きはここまで。

 やるこた一つだ。さっさと終わらせよう。



「どうしようか。俺たち」

「…………このままは、イヤ」

「だったら、どうなりたい?」

「…………変わるのも、イヤ……っ!」

「なら、折衷案はどうや?」


 出来損ないの影が重なって、後押しするように風が強く吹いた。


 本当に、脆い関係だ。幼馴染なんて。

 最初から無かったような気になる。



「愛してる。文香」


「俺も変わりたくない。でも、このままでは居られない……だから、もっとお前を縛るよ。ずっと縛り続ける。大事なことも、ちゃんと伝える。お前が大切だから。本当に、ホントに好きだから……」


「……どこにも行くな。傍に居てくれ。なあ、頼むってホンマに。俺やって嫌や、耐えられない……文香が隣にいない人生なんて……っ!」


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