857. 一生モノ


 当てが外れた。急患センターなる怪我人の応急救護を行う施設を見つけ、目もくれず飛び込んだが文香の姿は無く。

 まだここには運ばれていないのだろうかと、決まってもいないのに最悪の事態を妄想し、一向に息も心も休まらない。



「すいません、ちょっと……あぁ、いや、なんでもないです……ッ!」


 もう一度ラウンジ内を隈なく探し回る。が、何処にもいない。神社での再現に期待し座っていた女性へ片っ端から声を掛ける。すべて不発。


 後ろ姿からしてまったく違うのに、全員確認しなければ気が済まなかった。完全に時間の無駄だ。とっくのとうに冷静さを欠いている。自覚していた。でも、止められなかった。



「クソッ……!」


 ラウンジに居なければ今度は外。飛び出した駐車場は強い西日に照らされ一帯は仄かに暖かい。なのに寒気が止まらなくて、暑いような寒いような。もうワケが分からない。冷や汗で背中がビチャビチャなことだけが分かる。


 袋の鼠だ。文香でないことを確認すればするほど、急患で運ばれてくる重体の女性が彼女である可能性は高まる。

 大人しくソレを待っていた方が精神衛生上よっぽど良い。分かってる。分かってるって。そんなこと。



 恐ろしい事実を目の当たりにしていた。俺が大阪から居なくなった一年。いや、その瞬間から。彼女はこんなに辛い思いをしていたなんて。


 これほどの喪失感を、彼女はずっと一人で耐えていたのだ。信じ難い。こんな思いをするくらいなら、いっそ死に別れした方がマシじゃないかとさえ思う。


 馬鹿な男だ。失い掛けて、初めて大切さに気付くなんて。どこの安っぽいドラマだよ。俺のような男にそんな資格があるものか――。




「……箱根のブランコ?」


 顔を上げた先に案内掲示板。すぐ近くの広場に設置されているという、カップル向けの名所が目に付いた。芝生のド真ん中に木製のソレがぽつんと置かれているらしい。何故ブランコなのだろう。


 少しだけ気も楽になる。麓でも縁結びの神社へ向かった文香だ。最後はそこで俺を待っていたという、やはりドラマみたいな演出の用意があるのかも。



(……見つけて、どうすんだよ)


 足が止まった。止めざるを得なかった。


 理由は明瞭だ。無事で良かった、さあ一緒に帰ろう。たったそれだけの台詞で、この助長な逃走劇が大団円で纏まる筈が無い。


 有希は言った。ハッキリしろ。責任を取れ。それはつまり、今日限りで世良文香という人間に対し、なんらかのジャッジを下さなければならないということ。この箱根の地が俺たちの分岐点。ターニングポイントになる。



 もし文香が、一介の幼馴染という関係性に終着を見ていたとして。俺は、彼女の気持ちに応えることが出来るのか?


 数日前と同じ展開に、というのは甘い考えだ。追い詰められようやく皆との関係性に不満を漏らした有希とアイツでは、考え方もポリシーもまったく違う。三人を箱根に連れて来ている時点で文香にすれば思うところがあるだろう。


 協調性云々の話でもない。むしろ彼女が正常だ。実態はともかく、文香にとって『数いる内の一人』という状況は決して許容出来るものではない。アイツはいつだって『自分だけのはーくん』が欲しいのだから……。



「よう。見つかったか?」

「……待ってるんじゃなかったのかよ」

「煙草。風通しが悪くてな。車内は出来るだけ清潔に保ちたいのさ……と思ったら喫煙所が見当たらなくてよ。まぁ取りあえず一服」


 背後から缶コーヒー片手に峯岸が現れる。合流してから一瞬たりともサングラスを外さない。似合っているかどうかは言及しないでおくとして。



「聞こえるか? 向こうで言い争ってるぜ。アイツもいるんじゃねえの」

「…………かもな」

「おいおい。探してたんじゃねえのかよ。今更置いて帰るつもりか?」


 確かにすぐ近くからハスキーな二つの声が聞こえた。何かと愛莉とは折り合いが悪いアイツだ、なんではーくんじゃなくてお前らが見つけるんだ……という具合で喧嘩でもしていたり。


 そうと分かればあとは向かうだけだ。事態は想像していたよりずっと楽観的に見える。にも関わらず一向に足が動かない俺を見て、峯岸はおおよその真意を読み取ってしまったようだった。



「情けねえ面してるな、ったく。日本中のサッカー少年が恐れる和製ロベルト・バッジョ様が、一体なんたるザマかね」

「関係無いやろ。今は」

「ああ、ちっとも。天才サッカー少年、廣瀬陽翔と日本中の生娘が恐れる世紀のヤリチン男が同一人物だなんて、誰も思っちゃいないさ」


 クックックと真剣さに欠けた顔で小馬鹿にする。言い返す気にもなれない。表現として的確か否かはともかく的は射ていた。思えば峯岸はいつもそうだ。



「しかしまぁ大変だな。ハーレムの主ってのは。一人でもほったらかすとこんな風に馬鹿騒ぎ起こしてよ。当然尻拭いはすべて自分の役目……ねえ~?」

「茶化すな。ハッキリ言え」

「へっ。いっつもこんなんだろうが」

「偶には先生らしく導いてくれや」

「だったら少しは生徒らしくあれよ。いつまで経っても可愛げのねえクソガキが」

「…………質問があります。先生」

「おー。どうした」


 やたら嬉しそうな声で返事する。俺に劣らぬ世話焼きのお節介な奴だ。こうなっては仕方ない。少しだけ力を貸して貰おう。



「……責任って、どういう意味ですか」

「数学科に聞くなそんなの。辞書引け辞書」

「引いても分かりません。俺の辞書にはそんな言葉、載っていませんでした」

「性格の悪いナポレオンもいたモンさね…………じゃ、教えてやるよ」


 もうここで良いか。誰も来ないし。と煙草を取り出し火を付ける。胸ポケットには携帯灰皿が見え隠れした。最初から喫煙所を探すつもりは無かったのだろう。まったく、コイツは。



「自分のケツは自分で拭くってことさ。少年。サッカーだけじゃない。すべてにおいてお前は、良くも悪くも周りに影響を与えちまう、そういう人間で、星の下に生まれたんだよ」

「頼んだ覚えがねえ」

「だとしても。幸い、お前は学ばずとも知っていた。サッカーに関してはな。努力を努力と思わずにやってこれた。だから誰も責められない………このジッポライター、手に馴染むのが最高だわ。一生使える。サンキューな」

「腰を折るな。続けろ」


 馬鹿に臭い息をあちこち撒き散らし、峯岸は少し歩き出す。例の芝生広場へ向かっているのは意図したものかそうでないのか。つい茶々を入れたくなるがジッと我慢する。もう少し頭を冷やした方が良い。



「なら、アイツらには。世良にはどう責任を取るのか? まぁ簡単ではないな。ガキの頃に染み付いた行動指針は大人になっても着いて回る。一生モノさね」

「運命的やな。実に」

「んな生易しいモンじゃねえ。呪いだよ。呪い。出逢った瞬間から、お前はアイツを呪っちまったんだ。一生掛けても消えないヤツを。それもこの十数年間で、より色濃くしてしまった。他ならぬお前と、世良自身の手によってな」

「……だから困ってる」

「困ってる場合か? どう足掻いても消えないなら、消せないなりに付き合っていくしかねえんだよ。派手なタトゥーを彫った奴は市民プールへ行くべきじゃない。自前で用意するんだよ。プール付きの豪華な家を。分かっか?」


 顎をクイっと突き出す。先には芝生広場と箱根のブランコ。誰も座っていないが周囲には人影がある。芝生に座り込んでいるのは真琴と、もう一人。



「少なくとも、天才サッカー少年・廣瀬陽翔はそうして来た。見合う努力を重ねて、自分で買ったんだよ。プール付きの豪華な家。だからお前も、女好きのヤリチン男子高校生・廣瀬陽翔もそうするべきだと思わないか?」

「……どうやって買うんだよ」

「稼ぎ方は人それぞれ。本当に金で買うことも出来るかもな。でもお前はそうじゃない……本当に大切で、愛しているものなら。それらを守るためのすべても、努力のうちには入らねえ。違うか?」

「……話が遠いねん。いっつもいっつも。教師向いてへんやろお前」

「分っかる~自分が一番思ってる~」


 こんな短い時間で吸い切れるか、とヘラヘラしたまま携帯灰皿に煙草を押し付けた。

 相変わらずである。それらしいことを言って、肝心の答えは教えてくれない。最後は各々の裁量に任せきり。だから他の教師に嫌われるのだ。


 でも、そうか。それもそうか。

 結局は俺次第。いつどんなときも。



「世良は関係ねえ。アイツらもそうさ。お前がどうしたいのか、それが大事……さてと、課外授業はこんなところで良いか?」

「お世話様でした。先生」

「ありがとうございました、だろ」

「……原付、後ろに乗る?」

「サイズ次第だがギリギリだな。間違いなく一人は荷台行き……いや、載せねえぞ絶対に。これ以上プ~ちゃんを汚させるようなことは……」

「ホンマ助かりますわ、センセー!」

「あ、ちょっ…………おい、載せねえからな!?」


 峯岸の声はもう届いていなかった。

 ブランコへ一目散に駆け出す。


 その呪いとやらを、もう一度強く掛け直すためだ。俺と、文香。そして、俺たちのために。他のみんなは関係無い。



「――――文香ッ!!」


 形はなんでもいい。一緒に居て欲しい。


 今も昔も、これからも。世良文香は俺の人生の一部で、そのものだった。散々遠回りして、やっと思い出した。一刻も早く伝えたくなった。



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