855. みんな嫌い


 初対面から陽翔を巡り何かと折り合いが悪かった二人。押し問答なら一切容赦の無い文香だが、この手の真剣な愛莉相手にはどうも分が悪かった。体格差でも大きく水を開けられる彼女を前に、お得意の口八丁もついぞ機能を失う。



「この二か月、アンタが山嵜にやって来てから……私なりに、結構頑張ったわ。そうは見えなかったかもしれないけど」

「……あーりん?」

「どうしてか分かる? 不安だったの。怖かったのよ。ようやく想いが実って、目を見て『好きだ』って、素直に言えるようになって……まだそんなに経っていなかった。そこにアンタが現れたのよ」


 不器用で人見知り。マウントを取らないとトークポジションすら握れないヘタレの愛莉にとって、お喋りで気分屋の文香はとにかく相性が悪い。


 似たような瑞希やノノと対等にやり合えているのは、陽翔やフットサル部に際するスタートラインが同じか少し遅れているから。遠慮する必要が無いからだ。一方、幼馴染という唯一無二の特性を持つ文香にはそれが通用しない。



「ねえ、覚えてる? お花見の最後のとき、この四人で話したこと……」

「……あったなぁ。そんなことも」

「調子の良いこと言っちゃったけどさ……正直、場の流れよ。あんなの。アンタが本気出して陽翔を持って行こうとしたら、絶対に敵わないって、そう思ってた」

「……ほーん?」

「本人を前にそんな顔しないけど、アンタのこと話してるときのハルト、すっごい幸せそうで、楽しそうで……当然よ。ただ幼馴染だからじゃない。アイツにとって一番必要な部分を誰よりも持っているのは……文香、アンタだもの」


 大阪で目の当たりにした陽翔と両親の歪な関係と、未だ埋まることの無い家族への強い執着。

 初めから存在しないものへ囚われていたのではない。彼は知っていたのだ。愛される喜び、そして暖かさを。


 その多くが幼少期まで健在だったという祖父母と、この世良文香という少女によってもたらされていたことを。問い質すまでもなく愛莉は強く実感した。


 そして酷く恐れたのだ。今のままでは、彼の欠けている部分の僅かな場所しか埋められない。そう遠くないうちに彼女が再び現れ、辛うじて補填していたに過ぎないものも、いつの間にか覆い尽くしてしまうと。



「……だから、頑張ったの。もっと私を見て貰えるように。アンタは私のこと、我慢の足りない色ボケの変態とでも思ってるんでしょうけど……まぁ、たぶんそうなんだろうけど……っ」

「ハッ。違うって?」

「……恥ずかしいのは本当よ。今だって全然慣れないし、気付いたら振り回されるし……あ、いやっ、だから、そんな話じゃなくて!!」


 自分から話しておいて、と呆れる文香だが、今ばかりは飲み込んだ。彼との関係だけではない。名ばかりの部長とはいえ矢面に立たされる立場の愛莉。癖の強い新入生の統合も含め、人知れず気を回していたことは文香もよく知っている。


 一年の隙間を埋めることだけを考えていた己とは違い、自身の欲求と全体のバランスをギリギリのところで保っていた、その努力だけは認めざるを得ないのだ。愛莉が次に何を言うか、文香も実際のところ気付いていた。



「部のことは三年生で考えるし、変にみんなと仲良くしなくたっていい。はーくんはーくん騒いでるアンタも、そんなに嫌いじゃないわ。出逢ったばっかりの瑞希を見てるみたいで、ちょっと楽しいし」

「……なら何が不満なんや。自分は」

「フットサル部部員の世良文香に、なんら不満は無いわ。私が気に食わないのは……アンタが今も尚、アイツの幼馴染でしかないってことよ!」


 胸倉を掴む腕に一層力を込め、愛莉はめいっぱいの声量で叫んだ。少しヒステリックなくらい顔を真っ赤に腫らし、溜まりに溜まった情念を吐き飛ばす。



「影薄いのよッ!! 有希もシルヴィアもあんなことになって、いつまでボサッとしてるわけ!? アイツが押されたら弱いことくらい分かってるでしょ!?」

「…………そ、それは……っ」

「アイツに必要なのは幼馴染じゃなくて、世良文香なの! もう気付いてるんでしょ!? 幼馴染のままじゃダメだから、大阪から飛び出して、一緒に居ようとして……ワガママ通してここまで来たんでしょ!?」


 愛莉を突き動かしていたのは陽翔への煮え切らない態度だけが理由ではない。彼との関係、そして部のポジション争いも含め、強力なライバルであると認め真っ向からの勝負を誓った彼女の停滞ぶりに、少なからず不満を持っていた。


 一度入り込むと抜け出せない性質だ。自身らの境遇に酔い痴れているわけでもないが、彼と皆で紡いで来た世界と、これからの未来に、愛莉は人生を賭けていた。それだけの価値があると、この一年間で証明して来たのだ。


 そんな自分たちを、友人でライバルで、ある意味で同志でも呼べる文香が。一歩引いた、或いは冷めた目で俯瞰していることに。愛莉はどうしても我慢がならなかった。



「だったら、貫きなさいよっ! もっともっとワガママ言って、アイツも、私たちのことも、もっと困らせなさいよっ! 本当に好きなら、奪いに来なさいよ! 普通に馴染もうとしてる場合ッ!?」


「今日だって同じよ! こんなところに来るくらいなら、アイツ一人だけ誘えば良かったの! 隙見つけて勝手に独占すれば良いじゃない! なのに探してください!? 日和ってんじゃないわよ! だから私たちに付け込まれるの!」


「アンタがそんな調子だから、ハルトも決心出来ないのよっ! 分かる!? 絶対に離したくないのよアイツは! 文香が大事だから! なのにそっちが日和ってるから、変に距離置こうとしたり、気取って幼馴染続けようとしてるの! 分かる!?」


「……甘えないでッ! 私たちだって、最初は同じよ! ただの友達で、クラスメイトで、チームメイトで、それだけだったのが……沢山失敗して、嫌な思いさせて、苦しめて……やっとここまで来たの! その結果が今で、これからなのっ!」


「幼馴染ってだけで、アイツの心を埋められると思った!? んなわけないでしょうがっ! アイツに必要なのは幼馴染じゃない、世良文香なのよっ!!」


「思い出話でマウント取るくらい、好きにしなさい! 精々羨ましがって聞いてるからこっちは! でもねっ! それだけで終わるんだったら、本当にもう終わりよっ! アンタとアイツの関係は! それが分かってるのかって聞いてんのッ!!」


 怒涛の大演説を終え呼吸もままならず、震える肩に連動し文香の身体も上下にふらふらと揺れていた。高地の突き刺さるような冷たい風と爽やかな芝生の匂いだけが漂う沈黙の世界。



「…………同じようなこと、大阪でも言ったわ。もう言わせないで。アンタに先輩面なんかしたくないっ……私と同じところに立ちなさいよ。正々堂々と勝負しなさいよ……アンタだけ、後ろに進んでるのよ……そうでしょ……っ!?」


 涙ながらに突き付けられては、のらりくらりと非を躱し毒っ気を飛ばすお得意のらしさも鳴りを潜めるばかり。

 いよいよなにも言えなくなった文香。無言の肯定はコンマ数秒で反転するあやふやな瞳へハッキリと現れた。


 少しは頭も冷えたかな。お互いに。などと一人ごちて、事態の火付け役となった彼女もここに来て動き始める。生意気げに鼻を鳴らし真琴は進み出た。



「言いたいこと全部持ってくじゃん。ずる」

「……なんかある?」

「じゃあ少しだけ。その間に化粧直したら?」

「してないわよっ。瑞希じゃあるまいし」


 口下手な姉を何かと馬鹿にする彼女だが、姉妹には通ずるものも多かった。例えば素直になり切れない一面や、それらを乗り越えた先に見えた分かりやすい姿。


 言うところの『ポジション』に固執していたのは文香だけではない。だが今は違った。彼女が出した答えは極めてシンプルなものだった。



「自分が聞きたいのは一つだけ。文香先輩。本当にあの人のこと、好きなんですか?」

「……なんて?」

「言っとくケド、重いよ。あの人。死ぬほど重い。たかが高校生の恋愛で、家族とか守るとか言っちゃうような、マジで重い男。その辺ちゃんと理解してる?」

「……わっ、分かっとる、それくらい」

「いいや。分かってない」


 あからさまに動揺する文香へ、真琴は凛とした姿勢を崩そうとしなかった。こいもハッキリと断言出来たのはやはり根拠がある。


 似た者同士の兄と姉。ならば血を分けた自身も同じことだ。そして同じくらい、幼馴染という概念にもその呪いが備わっている。心からそう信じていたからこそ、文香の現状がどうしても納得出来ない。



「だからこうなってる。気持ちが着いて来てないんだよ。花見での宣戦布告と、この二か月の言動がちっとも釣り合ってない。矛盾してるんだよ。挙句の果てにこんなこと始めて、なのに探して欲しいとか……甘えすぎじゃない?」

「……そーゆう厳しいとこ、しおりん譲りやな」

「後輩はともかく弟子は名乗りたくないな……まぁとにかく、文香先輩。早く覚悟を決めて。もうすぐあの人もここに来る。今日、この場所が貴方のターニングポイント。分かってるよね?」

「……せやから、早いっちゅうに」

「散々逃げ回って、自分から追い詰められに行ったんだから。自業自得だよ……その甘ったれたメンタルについても、もう少し言いたいところだケドね。結局あの人のリアクションありきなんだから」

「うぐっ……!?」


 改めて信じたいのだ。いや、そうでなければおかしいとさえ彼女は思っている。これだけ一人の男に執着する、自分と似たような女が。決断を渋っている筈が無いと。確信にも似たものを持っていた。


 結論を引き伸ばすことに意味は無い。それは自身が振り切った甘えでもあり、彼の隣に立ち続ける覚悟の一端でもある。



「これくらいにしておくよ。リスペクト出来ない先輩を弄ってるようじゃ、ただの嫌な後輩だからね」

「……へっ?」

「自分も同じくらい重い女だよ。そう、これでも女なんだ。残念なことに。一度気付いたら、もう後には引けない…………好きな人と、親友と、それからみんなと。ずっと一緒にいたい。本当の家族になりたい。それが自分の願いです」

「……まーくん?」

「そのの中に、出来れば文香先輩もいて欲しい。まぁ、いなくても困らないケド。でもそうだったら嬉しいです…………はい有希。どうぞ」


 暫し傍観者となっていた有希は、母譲りのオレンジブラウンを風に靡かせ少し驚いたように目を見開く。恐らくそれは三人には見えなかったが、むしろちょうど良い演出にも思われた。


 姉妹も分かっていた。この目的不明な逃避行の真意を掴むに、お膳立ては彼女にしか務まらない。苦難を乗り越え日に日に成長を遂げる彼女だからこそ、閉ざされた最後の鍵を開けるに相応しかった。



「……文香さん。わたしも聞きたいです。廣瀬さんのこと、どう思っているのか。それがハッキリしないと、わたしもみんなも、これ以上はなにも言えません。文香さんの本当の気持ち、教えてください……っ」


 縋るような拙い言葉たちに、文香は募りに募った怒りを飲み込んだ。だが、閉じ込めることは出来なかった。出来る筈も無かった。彼女が言いたいことは、伝えたいことは。最初から一つしかなかったのだから。



「…………きらいや。みんな嫌いや。ウチのはーくんやもん。ウチだけのはーくんやもん!! 好きとか、そうやないとか、んなんどうでもええねん!! ウチには、はーくんしかおらへんのやっ!!」


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