852. 傷付いちまって


 座席へ戻るよう閑静なアナウンスが流れ、反論の機会も無く船内へ戻ることになってしまう。


 興奮冷め止まない様子の有希は時折ちらちらとこちらへ目配せして、居心地悪そうにしている。流石に言い過ぎてしまったと反省しているのか。



「大丈夫、ハルト? 酔っちゃった?」

「……いや、平気。俺より真琴の心配してやれ。今にも死にそうやぞ」

「うぅぅっ……三半規管が……っ」


 グロッキー状態の真琴を膝枕し、同じく顔色の優れない俺を愛莉は心配そうに見つめている。話しても良かったが、反対側には有希もいるわけでどうしても口は重くなる。船が大きく揺れ、真琴は気持ち悪そうに鈍い声を漏らした。



(……全部見透かされたな)


 曰くに逢いたいのか。理由なき反抗が『とっくに決まっている』と宣えば、今にも増して生意気な当時の俺が脳裏へひょっこり顔を出し『知るかそんなの』と言い返して来る。



 文香は文香。到着までの僅かな合間、似たような言葉が脳内をグルグル回って、落ち着くようで落ち着かない。いくら考えても答えは同じだった。


 そうだ。俺は彼女との『何か』を変えたくて、こんなところまで追い掛けて来たのに。肝心の、具体的に『どうなりたいのか』がずっと欠けている。改めて有希に指摘されるまでもなかった。

 

 俺と文香が抱えている悩みは似て非なるもの。同じようなものだと高を括り、顔さえ着き合わせれば勝手にソレが動き出すと思い込んで。



(有希と同じ……か)


 幼馴染という縛りに囚われ、今現在の文香を注視していなかったという意味では、先日の有希との一件も同様。

 妹、後輩、憧れ。様々な枷を理由にその立場から逸脱出来なかった彼女は、それらをすべて脱ぎ捨て、新しい自分を模索している。


 文香も同じように、幼馴染という枠組みから逸脱するべくこの失踪劇を思い付いたのであれば。

 例えどこかで再会したとしても、俺たちは決して重ならない。同じ世界を、同じ高さから見据えることは出来ない。


 ……また、一緒だ。


 舐めていたんだ。彼女のことを。

 対等じゃないんだ。俺と文香は……。



 船旅から解放された俺たちは停留所からほど近い案内板へと向かった。比奈から貰った観光スポットの情報と照らし合わせ、次の目的地を検討する。



「船の上から見掛けたりしなかった?」

「一応探したけど、アカンな。もう原付に乗り換えてここを離れたと考えるのが妥当や……なんや真琴、もう元気になったか」

「まぁ半分くらいは……いや、てゆーか、別に酔ってないし。全然」


 お腹周りを抱え大きく息を吸う。それは強気を通り越して嘘の範囲だぞ……すると真琴、胸ポケットから何やら取り出し愛莉に手渡す。


 まだ足元がふらつくのか、それを置き土産みたいに案内板へともたれ掛かる。有希が優しく肩を撫で、呆れ顔の愛莉はこのように切り出した。



「二人がデッキに出ている間に、ちょっと覗かせて貰ったわ。裏で糸を引いている奴がいたみたいね」

「……日比野?」


 SNSのトーク履歴だ。一番上に日比野の名前がある。長い電話のあとに幾ばくかのやり取りと、地図情報をスクショした画像が並んでいた。



「原付のルートに、どの観光スポットへ行くのか……全部あの人のアドバイスよ。どうする? 電話して詳しく聞いてみる?」

「……必要無い。最後の目的地は分かったからな。全国の舞台で十倍返しすりゃええ話や」


 最終的に決められたと思わしきルートに、先ほどバッタリ遭遇した神社の名前もあった。この通りに文香は動いている。

 例の神社は下から二つ目。つまり文面の最後に綴られているのが、次の目的地。文香が最後に向かう場所だ。



「徒歩で行けるものなのか?」

「ちょっと待って。調べてみる…………いや、これ無理ね。車とかじゃないと行けないらしいわ。バスも運行してないみたい」

「なら原付でもキツいやろ」

「よく分かんないけど、そういう乗り物じゃないと行けない道の上にあるってさ……どうする?」


 どうやら何かしら移動手段が無いと辿り着けないようだ。しかし電車とロープウェイ、フェリーを乗り継ぎここまでやって来た俺たち。方法が無い。


 原付免許なら俺も持っているが、レンタルして三人を残し向かうわけにもいかない。見つけたら見つけたで、借りたら返すために戻って来ないといけないし、流石に時間を食い過ぎるし……困った。完全に手詰まりだ。



「あらっ? 電話……」


 暫く案内板を前に頭を悩ませていると、愛莉のスマホが鳴った。愛華さんからどこへ出掛けているのかと心配の連絡でも入ったのだろうか。



「はい、箱根にいますけど……そうです。湖の……港のすぐ近くです。案内板が目の前にあって…………えっ?」


 遠方から唸るようなエンジン音を轟かせ、一台の真っ赤な車がやって来る。この辺りは車の通りが少なく、しかも馬鹿にスポーティーな車体で目立つ目立つ。


 そして俺たち四人の前で急停止。左側のドアから、サングラスを掛けた背の高い女性が現れた。が、外国車……?



「ったく……恥ずかしいったらありゃしねえ。箱根の街並みにプ~ちゃんが馴染むわけねえんだよ、どいつもコイツもジロジロ見やがって……あーあ。まーた傷付いちまって、ごめんなぁ~……」


 よく見ると車体には幾つもの引っ掻いた跡が。ここへ来るまで新たに付いたのであろう傷を手で抑え、ガックリ肩を落とすその人物。



「おらっ、迎えに来たぞフットサル部部員共! 大会も近いってのに、こんなところほっつき歩きやがって!」

「……み、峯岸……ッ?」






「倉畑から事情を聞いてな。こないだ世良が原付で登校してるの見掛けてよ、そりゃもう危なっかしい運転で見てらんねえのなんの……休日使って一人旅は結構だけど、亡骸で母校に帰って来られちゃ私が困るんだよ」


 大袈裟にハンドルを切り峠を駆け上がる峯岸の愛車は、フランス製の著名なメーカーの限定モデルで今は手に入らない代物なのだという。中古を探し回って一年前に購入したそうだ。聞いてもいないのにベラベラ喋って来た。


 なんでも比奈から連絡を受け、東海道をひとっ走りし俺たちを追い掛けて来たそうだ。まさに渡りに船ではあるが……。



「よく私たちのこと見つけましたね……っ」

「小谷松だよ。ほら、あのGPSアプリ。世良が心配だから探して欲しいってさ。ちょこちょこ情報貰いながらここまで来たってわけ」

「なるほど……先生、車持ってたんですね」

「言わなかったんだよ。敢えて。どうせ金澤か市川が乗りたがるだろうしな……はぁ~。良い男捕まえてドライブデートするまで助手席は空けておくつもりだったんだけどねえ~」

「……だ、ダメです。ハルトとは変わりません」

「分ぁってるよ! お前で我慢するさ……良いか、絶対に車内を汚すんじゃねえぞ。これ以上私のプ~ちゃんを傷付けるような真似は許さんからな!」


 謎にテンションが高い。助手席に構える愛莉の引き攣った顔がミラーも伝わずよく分かった。

 車にあだ名とか着けちゃう人なんだ。峯岸。プ~ちゃんって。プ○ョーだからかな。センス無いな。


 峯岸が愛車に纏わるエピソードを延々と語り、愛莉が心底興味無さそうに相槌を打つ地獄のループが始まる。目的地まで終わることは無いだろう。




「あのっ……廣瀬さん」


 後ろの二人掛けシートに無理やり三人で詰めていて、しかも真琴は真ん中の有希の膝に寝っ転がっていて馬鹿に狭い。が、囁きは前の二人には聞こえていないようだ。



「さっきは、ごめんなさい。言いすぎちゃいました。まるで廣瀬さんがなにも考えてないみたいな言い方で……っ」

「気にすんな。全部有希の言う通りや」

「でもっ……廣瀬さんが考えていることも、やっぱり、分かるんです。わたしがそうだったように、文香さんも、廣瀬さんにとって……」

「ええよ。わざわざ言わんでも。それも含めて有希と一緒や。俺がそう思っていても、文香は違う……それだけのことやろ」

「…………お願いします、ねっ」

「んっ。ありがとな」


 小さく頷いて、ただでさえ近い肩を更に近づけて来る。彼女の強い情念を汲み取るに支障も無かった。


 一つ。ただ一つだけ。

 先ほどの有希に反論するのであれば。


 俺は文香との関係を。これからのことを何を考えて来なかったわけではない。今の距離感が一番良いと思ったから、敢えて進めて来なかったのだ。


 幼馴染でも、チームメイトでも、悪友でも、腐れ縁でも、後輩でも、なんでもいい。ただ彼女がと同じように。そしてこの一年のような、辛い思いを二度としなくて済むように。


 傍に、隣にいて欲しい。

 それが当たり前であり続けて欲しい。

 本物の家族のような存在でいて欲しい。


 俺が俺なら。文香が文香のままなら。

 十分幸せだって、強く思う。

 それだけは確かなんだ……。


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