851. 責任を取る


 間もなく有希から連絡が入った。自転車で遠慮無しに爆走する奴に足で追い付ける筈も無い、一先ず体制を整えるべく畔のフェリー港まで戻る。走って。


 受付窓口で三人が待っていた。有希の片手には透明のポーチに包まれた見慣れないスマートフォンが握られている。これは……。



「文香のスマホ?」

「フェリーの座席に置きっぱなしだったみたいですっ。三十分くらい前に落とし物として、こっちの乗り場に届いたそうですよ」

「本人やないのによう回収出来たな」

「えへへっ。名前と生年月日と、住所もちゃんと確認出来たので……」


 スタッフさんを騙しているみたいでドキドキしました、と申し訳なさそうに苦笑いの有希。

 名前はさることながら皆の誕生日は共有済み。何しろお隣さんだ、部屋番一つズラすだけだし。騙したことに変わりは無いが。


 なるほど。途中で激ヤバZ○nlyこと聖来御用達GPSアプリの反応が消えた理由が分かった。窓口に届いた時点で切電されたんだ。電源が入っていなければ所在地は把握出来ないシステムなのだろう。


 ……そう言えば、もうすぐだな。誕生日。



「で……見つけたって?」

「チャリキで逃げられた」

「この辺でやってるレンタルサイクルね。でも、原付で来てるのになんでわざわざ自転車を?」

「向こうおった頃からお決まりの移動手段やからな……小回りも聞くし原付や登れへん坂道もあるとさかい、昔の血が騒いだんとちゃうか」

「アンタ、文香と絡んだ後だと露骨に関西弁戻って来るわよね。偶になに言ってるか分かんないからやめてくれない?」

「なんで今そんなこと言う? 状況考えて? 俺よりアイツに怒れ??」


 散々歩き回ったからか心なしか疲労の色も垣間見える愛莉。八つ当たりだ。夜遅くまでハッスルするからこうなるんだ。自業自得だ。


 それはさておき、文香が湖の周辺をうろついていることは確定した。GPSの力を借りるまでもないだろう、アイツの向かいそうな場所をピックアップし先回りすれば良い。先の神社だって的中したのだ、そう難しい話でもない。



「兄さん。自転車のレンタル、向かいの岸に受付があるんだって。一度見付かった以上、湖をグルグル回って時間稼ぎすることも無いだろうし……」

「他にも行きたい場所がある言うとったわ」

「オッケー。ならこっちもフェリーに乗って対岸を目指そう。チケットは取っといたから、その間に次の捜索場所を決めないとね」

「なんか楽しそうやなお前」

「いっ、イヤ、ベツニ。ソンナコトハ」


 誤魔化すように咳払いする真琴。種は愛莉からラインで聞いた。途中で『なんか探偵っぽい』とかなんとか言い出し先頭を意気揚々と歩いていたそう。ターゲットが目前へ迫り少年心に火が付いたのか。女の子なのに。ええけど。


 まぁ気持ちは分かる。行く宛ての無い箱根観光ではないのだ。真琴も真琴でなにか文香に言いたいことがあるらしい。



「あの神社、縁結びで有名らしいわね」

「らしいな……それが?」

「分かってるでしょアンタも。書置きにあった通りよ、なにもかも」

「さぁ。どうやろな」

「…………どうせ逢っちゃったんだから、そのまま伝えれば良かったのに。やっぱり逃げてるんじゃない。時間稼ぎのつもりなのよ……勇気が無いだけ」


 目を細め達観を滲ませる愛莉。


 時間稼ぎ。勇気が無い、か。エラく強烈な言葉だ。だが思い当たる節が無いわけでもなかった。

 文香だけではない。同じく、ずっと無視し続けていたことがあった。勇気が無いのはお互い様で。


 フェリーの出向時間を告げるアナウンスが駅舎内に響く。それから会話らしい会話も無く、俺たちは搭乗口へ向かった。



 片道でおよそ二十分。点在する三つの港を行き来するフェリーは豪華客船にも見間違う広々とした開放的なデッキが特徴的だ。

 差し込み始めた夕陽が湖に反射し美しく映えている。富士山をはじめ幾つもの山岳、著名な神社の鳥居など、移りゆく湖上の景色は飽きることも無い。



「んーーっ……! 風が気持ちいい~……」

「あら。姉妹はどうした」

「マコくんが少し酔っちゃったみたいですっ。面倒見るから外に行って来て良いよって、愛莉さんが」

「ホンマ今日ダメダメやなアイツ」


 一人デッキで波の移ろいを眺めていると、背後から有希が現れた。

 出逢った頃からまったく変わらない、オレンジ味のあるブラウンのミディアムヘアを少し冷たい風で靡かせ、腕を空へ向かって力強く伸ばす。


 揃ってデッキの柵に身体を預け、文香がいるであろう対岸をぼんやりと眺めている。波に釣られて肩が同じ方向へふらふらと揺れた。


 別に面白くもなんともない絵面の筈だが、何故か笑いが零れた。横顔が綺麗で見惚れていた、ということにしておこう。まぁ嘘でもないとは思う。



「こんなところで好きな人から告白されたりなんかしたら、きっと良い思い出になっちゃいますね……廣瀬さんっ?」

「よう言うわ。ったく」

「まだ諦めてないんですからねっ?」

「分ぁっとるよ。ちゃんと」

「はいっ。分かってます」


 ここ数日、特に箱根へやって来てから有希には手玉に取られっぱなし。水曜日の出来事がすべて幻だったかのような気分にもなる。だがあの苦しみを、失敗を乗り越えたからこその今現在。女の成長は早過ぎる。俺とは大違いだ。


 沈黙はやがて羞恥心へと変貌を遂げ、震えていたスマホを取り出し間を埋める。

 比奈に協力を仰ぎ、文香が次に向かいそうな場所を調べて貰っているのだ。関所跡、水族館、またも美術館。候補は数え切れないほどある……。



「今日、ここに来るまでずっと考えていたんです。どうして文香さんがこんなことを始めたのか」

「……ん、おう。結論は出たか?」

「はいっ。でも、考えるまでもなかったんです。わたしもマコくんも、もちろん愛莉さんも……最初に書置きを見たときから、ずっと同じことを思ってました」


 ふわふわと靡くオレンジウェーブの奥から、暖かくも強い意思が俺を貫く。

 重なる視線。決して逸らすなと訴えるような、前置き代わりの真っ直ぐな瞳。



「わたしたちと同じなんです。後輩でも、妹でも、友達でもなくて……一人の女として、もっと自分を見て欲しいんだと思います」

「……女として、か」

「廣瀬さんの幼馴染は、文香さんだけ。そこだけはわたしたち、どうしても勝てないところなんです。みんなが知らない廣瀬さんを、文香さんはなんでも知っている……すっごく羨ましいって、いつも思ってます。でもっ……」

「それだけでは……ってことやろ」

「……はいっ」


 流れゆく水面を見つめ有希は頷く。


 懸念通りの事態が起こっている。幼馴染という絶対的な立場、パワーを持ってしても、他の面々には追い付けない何かがある。文香が文香たる所以が、歯車が少しずつ噛み合わなくなって来ている。


 だから逃げ出した。廣瀬陽翔との関係を一から見直すため、たった一人で街を飛び出したのだ。まさに言うところの自分探し。



「お花見へ行ったときのこと、よく覚えてます。わたしにも、みんなのことも、とっても警戒していました。結局仲良くはなれたけど……でも、恋のライバルであることに変わりは無いじゃないですか?」

「自ら肯定するのは実に憚れるが、まぁどうしてもそうなっちゃうわな」

「絶対に有利なんです。幼馴染なんて。十年も差があるし、スタートする場所だって違うんですから……なのに廣瀬さんは他の子とばっかり仲良くしていて、自分のことはほったらかしで」

「う、うん」

「上手くアピール出来ない間に、他の子とドンドン仲良くなっていくのが耐えられなかったのかな……って。廣瀬さん、文香さんのことすっごく適当に扱うし。不安になっちゃう気持ちも分かります」

「ハッキリ言ってくれるな……」


 何気ないフレーズにも聞こえるが、ちゃっかり俺の非を刺して来る。これも有希らしいと言えば有希らしい。事実過ぎて反論も出来ぬ。



「だったら幼馴染のままで良いやって、そう思い始めていたんだと思います。幼馴染は文香さん一人……廣瀬さんの唯一でいられる、一番ラクで簡単な方法だから」

「……なら、どうして旅に出る必要が? 女として見られたいっていうのと、矛盾してる気がするんやけど」

「はいっ。矛盾しています。きっとまだ結論が出ていないんですっ。自分でも分からなくなっちゃったから……だから『探してほしい』って書いたんです」

「深してほしい、な」

「……もう、廣瀬さんっ!」


 茶化すような口ぶりを有希は真剣な顔をして咎める。ごめんごめん、と軽薄な謝罪を述べる暇も無かった。



「マコくんも言った筈ですよ! わたしと、同じなんですっ!!」

「…………有希」

「本気で心配しているのは分かってます! 早く逢いたいのも、本当にそう思ってるって、知ってます! でも、それだけじゃダメなんです!」


 自ら口にした『それだけ』を真正面から返されたからか。或いはあの日と同じ、焦燥に満ちた強気な声色に圧せられたのか。不甲斐ない俺は、言葉を失い息を呑むばかり。



「廣瀬さんが逢いたいのは……『幼馴染』ですか? 『妹』『後輩』……それとも『好きな女の子』ですかっ? どの文香さんなんですか!?」


「曖昧なままじゃ、なにも始まらないんです! 終わりもしないんです! 本当に文香さんのことを大切に想っているなら、ハッキリ伝えてください! わたしと同じ思いをしてほしくないんです! 苦しんでほしくないんです!」


「文香さんもわたしにとって、友達で、先輩で、ライバルで、お姉ちゃんみたいな人で……みんなと同じ、大好きで大切な存在になったんです! 一人だけ仲間外れ、置いてきぼりなんて……そんなの、絶対にイヤです! 許しませんっ!」


「だから廣瀬さんも、口だけじゃなくて、行動で示してくださいっ! そんな調子だから、わたしにもフラれちゃうんですよ!!」



 …………ゆ、有希……ッ。



「好意に甘えるだけじゃ、ダメです! ちゃんと責任を取るんです! 十年以上の付き合いなら、十年間の想いを……良いところも悪いところも全部、ぜんぶ伝えてください! それが廣瀬さんの責任で……廣瀬さんにしか出来ないことですよっ!!」


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