846. もう何も喋るな


 登山鉄道は長い長い時間を掛け五月下旬の艶やかな緑の山岳を超える。午後二時過ぎ、箱根湯本駅まで到着。


 書置き通りならこの辺りに文香がいる筈。一度下車して駅近辺を探索することに。有希が『結局文香さんはどこに……』と言い出さなかったら完全に忘れていた。特に長瀬姉妹が。観光する気しかない。人のこと言えんけど。



 駅舎を出た直後から硫黄の強烈が匂いがあちこちから飛んで来る。修学旅行先の蔵王も著名な温泉街だったがそれ以上のインパクトだ。

 冬に訪れようものならそれはもう理想的なデートスポットだろう。比奈、マジでごめん。お先に堪能します。



「あ、温泉まんじゅう。美味しそう……なんで蔵王で食べなかったんだっけ?」

「二日目ほぼずーっと寝とったろうに」


 立ち並ぶお土産屋、温泉まんじゅう、揚げかまぼこ、ソフトクリーム。朝飯を食べていない愛莉はお腹を鳴らし物欲しそうに目を細める。まだ昼なので多少は余裕もあるか。先に腹ごしらえも悪くない。


 原付で出掛けた文香ではあるが、彼女の性格を考慮するに山の頂上から景色を見渡し感慨に耽る……というのはやや想像し難い。同じ場所でジッとしていられない性質なのだ。ご飯屋さんでバッタリという可能性も十分あり得る。



「取りあえずご飯処でも探すか」

「とか言って、温泉ばっか見てるじゃん」

「いやあ……本場やなぁって」

「あんな狭いアパートで暮らしてるからお風呂ジャンキーになっちゃったんだね。可哀そうな兄さん」

「刺多いな。急にどうした」

「別に? 電車で全然話乗ってくれなかったから拗ねてるとか、断じてそういうのじゃありませんケド?」

「なんその下手くそなツンデレ」


 この手の才能は姉から受け継いでいない真琴である。有希を連れて揚げかまぼこを買いに行ってしまった。なんだよ、蔵王では玉こんにゃく一つも渋っていた癖に。皮肉飛ばしてご満足ですか。そうですか。



「まぁ、摘まみながらの方が効率良く探せるか」

「温泉にいるって可能性は?」

「ゼロ。アイツ熱い風呂嫌いやし」


 愛莉も日帰り温泉が気になるようだ。人探しでなければ俺も入る気満々だったのだが、流石にそれは無いだろう。と、言い切った手前その根拠が気になるのか愛莉は眉を顰めた。



「なんでそんなこと知ってるの?」

「ガキの頃に……あぁ、言うても幼稚園とかそれくらいやで。一緒に何回か入ったことあんねん。お互いの家行き来しとったからな」

「……ふーん」

「ご不満か」

「そうじゃないけどっ」


 早速揚げかまぼこを購入しワイワイキャッキャしている二人を見つめながら、愛莉はどこか納得いかないご様子。


 なんだ。幼少期とはいえ混浴したのがそんなに気に食わないのか。しょっちゅうお前とも入ってるだろアパートのクソ狭い浴槽で。お互い背丈のみならず飛び出るものもありそれはそれはもう狭く……という話は置いておいて。



「ハルトってさ。冬に大阪戻るまで文香の話、全然してなかったじゃん?」

「おー。せやな」

「それにしてはよく覚えてるのね。なんか、普通に幼馴染っていうか」

「普通にもなんも幼馴染やろ多分」

「それはそうなんだけどさ…………うん。やっぱなんでもない」

「なんやねんお前」


 私も買ってこよ、と揚げかまぼこの匂いに釣られ二人のもとへと赴く。昨日早速日払い申請を出したので財布の中身は心配無さそうだが。こういうところで無駄遣いするから偶に貧乏なんだよ。ユニバのチケット代返せ。俺が出したんだぞ。



(……普通に幼馴染、ねえ)


 確かに愛莉の言う通り、俺は冬の遠征で地元へ帰るまで……みんなの前で文香に関する話題を一切口にしなかった。


 しなかったというより、忘れていた。忘れようとして本当に忘れた。文香と過ごした日々はどれも馬鹿馬鹿しくて印象的である一方、幼少期から続く苦い思い出と、どうしてもセットになっているから。


 こうして当時の出来事をなんの気なく語れるようになったのは、大阪で味わった挫折と屈辱、その他諸々のネガティブな感情と、世良文香という少女との関係性を切り離すことが出来たから。吹っ切れた、ともまた違うのだが。



 要するに、廣瀬陽翔と世良文香が対面切って向き合うに当たり、もはや弊害となる要素は一つも無い。ただただ気心知れた幼馴染だけが残っている。


 勿論それだけでなく、舞洲で再会したあの日に伝えた『一から友達としてやり直したい』という言葉にも嘘偽りは無い。俺は確かに、世良文香と幼馴染以上の何かになりたかったのだ。


 その何かとは、いったいなんだ。

 なんて今更考えるまでもない。

 みんなと同じように、文香も……。



「……最近こんなんばっかやな。ホンマ」


 すぐ近くに流れる川のせせらぎが僅かながら聞こえて来た。ケラケラとアホ丸出しで笑う彼女の声とよく似ている。


 ジッとしていられないのは俺も彼女も同じだった。なんとなく、なんとなくだが、ここにはいない気がする。早く見つけたい。見えない何かに急かされている気がしてやまない。


 いくらなんでも進み過ぎだろ。変なところに。よりによって見ず知らずの土地へ、たった一人で、慣れない原付で。


 なんで一人なんだよ。誘えよ。俺を。

 そういうところだって。なあ文香。



 駅の周辺を当てもなくふらつき数十分。文香らしい人影は見当たらない。ほくほくと熱気の籠る温泉まんじゅうに齧り付く愛莉は、片手で器用にスマートフォンを滑らせ地図アプリと睨めっこを続けている。



「見てハルト。東海道をそのまま抜ければ湖まで着くの。やっぱりこっちまで行っちゃったんじゃない?」

「となると、俺たちはどうやって行く?」

「もっかい登山鉄道に乗って、湖を渡るしかないわね。だいぶ遠回りだけど……観光のフェリーが往復してるから、辺り一帯は調べられる筈よ」


 曰く、原付で来ているとなると駅に寄るのは若干面倒な道のりらしい。湖近くにある展望台や神社は観光スポットとして特に有名で、原付で行くとしたらこちらなのではないか、とのことだ。



「詳しいな。お前も」

「……比奈ちゃんと話してたの。大会終わったら夏休みに行きたいねって」

「アイツも連れて行くつもりだった?」

「…………ううん。三年生とノノ。あとシルヴィアがどうなるかなって感じ」

「そうか。もう何も喋るな」


 どう考えてもをするためだけに画策されている。発案は比奈で間違いない。どうせ二人で行けないのならみんなで……という腹の内か。大会終わったら拉致されないように気を付けよう。


 ナチュラルに省かれている文香と一年勢だが、こればかりは仕方ない。今でこそ下級生や新入生ともそれなりに上手くやっている愛莉ではあるものの、三年の五人とノノに対しては特に思い入れが強い彼女。


 関係のある・無しである程度の区別を付けたい気持ちは大いに分かる。逆に言えば、そのラインを超えてさえしまえば……。



「あの子の一番分かんないのがさ」

「……うん?」

「大阪で出逢ったときも、春休みにこっちへ来たときも……私たちにライバル心剥き出しで、ハルトのこと絶対譲らないって、そんな感じだったのにさ。シルヴィアだってあんなことになってるのに……」

「たかが数日前の話なのにどうして全員に情報が行き渡ってるんだろう」

「女の子の情報網舐めない方が良いわよ。有希ちゃんの件だってみんな知ってるわ……だから、要するにさ」


 先に駅へと戻っていく二人を眺め、愛莉は力無くため息を溢した。部長責任が云々と言っていたが、他にもっと大きな動機があるようだ。



「逃げてるのよ。結果的に、ハルトから。そういうことになっちゃってるの」

「……そんなもんかね」

「体育祭の打ち上げのとき、言ったでしょ。独り占め出来ないのは諦めたって……諦めるっていうか、絶対に無理なのよ。いつどんなときだって、誰かしらアンタと一緒にいるんだから」

「まぁ、せやな」

「……上手く言えないけどさ。文香には文香の、ちょうど良いポイントがあると思う。でも、今のままじゃダメ。それだけは分かるから……っ」


 むず痒そうに唇を尖らせ地面を見つめる。口下手なのは相変わらずだが、言いたいことは分かった。愛莉は愛莉の出来る範囲で頑張っていて、文香のことも本気で心配しているのだ。


 それだけじゃない。フットサル部という歪でどうしようもない集団を少しでも前へ進めるために、彼女も変わろうとしている。


 今まで通りでは始まらない。だから、動いてみる。何かを変えてみる。きっと俺にも、そして文香にも求められている。この逃避行にもきっと理由が、手掛かりがある。二人が先へ進むための何かが。

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