845. 概念


『ず~~る~~い~~~~!!!!』

「ごめんごめんごめんごめんごめん」

『なんで誘ってくれなかったのぉ~~!! きらいっ! 陽翔くんっ!!』

「ごめんってぇ……」


 電話越しに荒れ狂う比奈。あまりの大音量に慌ててスピーカーを解除する。

 ホームを飛び交う発車ベルのメロディーも気にならない。こっちもこっちで大変だな、と真琴の乾いた呟きがアナウンスと重なり宙へ消えていった。


 念には念をと文香の所在を把握していないか部員全員へ確認を取ったのだが、行き先を知るものは居なかった。誰かの協力を得ての逃避行ではなく、やはり彼女の独断のようだ。



『どうせトラブルが起きて良い感じの宿にお泊りすることになって、四人でえっちなことするんだ! 交尾するんだ! うまぴょいするんだ!!』

「やらんやらん……うまぴょいってなに?」

『概念!!』

「説明になってないです倉畑さん」


 彼女も交流センターで学童の世話になるべきだ。日本語の奥深さたるや計り知れない。いや、転じて浅いか。この場合は。


 比奈が何かに託けて箱根へ行きたがっているのは知っていたので、なんとなく気後れしてしまい連絡は一番最後になってしまった。

 それもそれで不満だったらしい。早く聞いていれば即合流したのに、と珍しく不満たらたらである。



『ふーんだ。もう知らないもんっ。せっかく夏休みに計画立ててたのに。他の男の子見つけて勝手に行っちゃうんだから』

「アホ言うな。殺してでも止めてやる」

『……ぶー。じゃあ、埋め合わせしてねっ?』

「分かったって。必ずな、必ず……それで、本当に文香から何も聞いてないか?」


 最寄駅からマイナー路線を辿って駅間を徒歩で移動。二つの乗り換えを経て、まずは小田原までやって来た。ここから登山鉄道で箱根へ向かう。


 よくよく考えてみると、単に地名だけ教えられてもその何処にいるのか分からないのでは探しようがない。というか、昨日の晩に出発したということは既に箱根へ到着していてもおかしくないわけで。


 ヒントが圧倒的に足りないのだ。書き置きは出発する前に決めたルートに過ぎないし、やっぱり気分が変わったとまるで別の場所に向かった可能性も否定出来ない。少しでも情報が欲しいところ。



『うん。なんにも聞いてない。でも文香ちゃんってずっと関西だったんでしょ? こっちのことは詳しくないだろうし……あんまりマイナーなところには行かないんじゃないかな?』

「例えば? 俺も分からん」

『あー、陽翔くんもだもんねえ……うーん、箱根と言ったらやっぱり、大涌谷と芦ノ湖?』

「原付で行く場所ちゃうわな。間違いなく」

『美術館もいっぱいあるし、一つに絞るのは大変そうだねえ……でも、そっか。原付なら高速には乗れないから……国道を真っすぐ進めば箱根湯本まで行けちゃうし、その辺りがゴールかも』

「ほーん。詳しいな」

『家族旅行で何回か行ったことあるの。お昼過ぎに折り返せば日帰りでも帰って来れると思う……って、夜からいないんだっけ?』

「なら湖を中心に探すのが賢明か」

『そんな感じだと思いまーす』


 どっぷり県民である比奈のおかげで、ある程度候補は絞れそうだ。今後も力を貸して貰うとしよう。

 こうなるといよいよ本格的な観光になりそうだな……公式戦まで一か月ちょっとなのに、相変わらず遊んでばっかりだ。もう仕方ないけど。


 通話を切るとちょうど乗り入れの電車がやって来た。特徴的な赤い車両だ。気持ちレトロな感じ。大阪も堺近辺はこの手のしょぼい車両が良く走っていて、ちょっとだけ懐かしさを覚えたり。



「そう言えば初めてかも。箱根」

「あぁ、そうなんか」

「旅行とか滅多に行かないからさ……ホント、馬鹿な子よね。アレコレ悩んで一人で旅するくらいなら、ハルトを誘えば良かったのに」


 怠惰な休日を過ごすつもりが突然の長旅に付き合わされ、途中まで愛莉は結構かったるそうにしていた。

 が、ここまで来たら来たで妙にソワソワしている。合宿も修学旅行も一際浮かれていたっけ。ひたすらに金欠なのがアレだけど。



「一人で考える時間も必要……的な?」

「でも探して欲しいんでしょ? 本末転倒じゃない。それなら素直に大阪へ帰れば良いのに、敢えて県内に留まる意味が分からないのよ」

「行きたかったんじゃねえの。箱根」

「……まっ、私には関係無いし、別に良いけど。まったく手の掛かる子なんだからっ」


 先に乗り込んで手招きする二人に続き車両へ向かう愛莉。十八番のツンデレムーブも今ばかりはキマらない。ずーっと腰摩ってる。


 仮にも家出少女の探索が目的なのに欠片の緊張感も無い。まぁ見つけるまではただの箱根観光、楽しい日帰り旅行か。



 登山鉄道を名乗る割に案外普通の電車だな、と暢気に構えていられたのは最初の頃だけ。小田原城の脇を通りトンネルを潜ると一気に雰囲気が変わって来た。


 街中を急カーブで突き抜け、そびえ立つ山々へ向かってゆっくりと、しかし着実に進んでいく。登山鉄道はあまりの急勾配故に単線での運行らしく、対向列車が下って来る間は各駅で停車するようだ。


 それな事情もあり、ゆったりとした進み具合は『とんでもないところへ連れて行かれるのではないか』となんだか不安な気分にもさせられる。もっともそんな風に思っていたのは俺一人のようで。



「おっ、この宿も良いカンジ……ねえ有希、自分たちの卒業旅行でこの辺とか良くない?」

「えぇ~? 県内で良いのマコくん?」

「まずは自分の住んでる県を知っとかないとさ、遠くに行ったとき比較が出来ないでしょ。こんなに面倒なら近くで済ませれば、ってなったらサイアクだし……うわっ、ねえ見て姉さん。すっごい上り坂!」

「え、あぁ、うん。そんな驚くこと?」

「凄いんだって! 電車ってさ、坂道には弱いんだよ。こんなに急な道を登れるのはこの鉄道くらいで、世界でもトップクラスの急こう配でさ……!」


 何処からか手に入れた小っちゃいパンフレット片手に真琴は饒舌に語る。愛莉も有希もやたら高いテンションに着いて行けていない。真琴、電車とか好きなんだ。やっぱ中身が男の子なんだよな。



「急に子どもっぽいなコイツ」

「蔵王に行ったときもこんな感じでしたよっ。新幹線に乗ってるときとか、すっごい楽しそうでした」


 愛莉相手にお喋りの止まらない真琴。俺の隣に座る有希はニコニコと微笑ましそうに見守っている。そう。地味に隣。ちゃっかり。


 現地より向かう途中の方がワクワクするのは男の性みたいなものだ。俺も海外や地方への遠征には良く行っていたから経験がある。着いたときにはもう疲れてるんだよな。で、ホテルに閉じ籠る。


 しかしまぁ、何かとクールで三枚目を気取りがちだが、姉の愛莉や親友の有希と一緒にいるときに限りどうも子どもっぽい真琴だ。

 二人の懐のデカさ、或いは滲み出る母性みたいなものにやられて、元来の末っ子気質が隠せなくなるのだろう。つっても年相応だけど。



(にしても……なぁ)


 有希と真琴のコンビは基本的に有希が手綱を握っている。これはいつも通りだが、前よりその兆候が強くなっているようにも見える。


 変わったとしたらやはり有希の方だ。先日の一件を境に表情が一層穏やかになった。日常すべての所作に余裕が垣間見える……とでも言うべきか。



「……廣瀬さん? なんですかっ?」

「いや。なんか、大人っぽくなったなって」

「わたしが、ですか?」

「良いことでもあったか」

「あっ。それ、意地悪かもですっ」


 二人には聞こえないほどの声量で呟き、有希は悪戯な目で微笑んだ。間違いない。あの日から有希のなかで何かが変わりつつある。


 勿論、その理由も何もかも知ってはいるのだが……想像していたよりもずっと速いスピードで成長しているような、そんな気がする。



「……逆ですよっ、逆。悪いことがいっぱいあったから、これからは良いことしか起こらないんです。廣瀬さんも、そうですよね?」

「だったらええねんけどな」

「ダメですよ。着いて来てくれないと」


 愛嬌たっぷりのウインクまで決められる。こういうところ、ますますお母さんに似て来たな。大人への階段を一段飛ばしで駆け上がっているかのようだ。


 余計に意識せざるを得ない。俺もそうなんだけど、やはりアイツのこと。この登山鉄道のように何もしなくても前に、上へ進んでくれれば良いのだが。そう単純でもないのが世の常、人の道。



(一人で考える……つってもよ)


 愛莉にはそう言ったが、実はちょっと違うんじゃないかとも思っている。俺と文香に必要なのは時間じゃなくて……。


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