844. つめたくしちゃ、やっ
地頭の悪さ丸出しの丸っこい文字で書かれた謎の声明文。間違いなく文香のものだ。しかしその意図たるやサッパリ理解不能。
昨晩から姿を見せなかった理由は分かった。原付でどこか遠くへ旅に出たのだろう。が、後尾に加えられた深して……いや、探してくださいという一文。明らかに俺へ対するメッセージだ。
「家出、ですかね?」
「一人暮らしなんに家出する理由がねえだろ……これ探さないと駄目だよな?」
「探さない選択肢があるの? 兄さん。あんなにストレス溜まってたんだから、相手してあげないと可哀そうデショ」
なんてことない澄んだ声で真琴は呟く。
文香が……ストレスを溜めていた?
「昨日の練習……クールダウンの時とか、凄かったよ。兄さんと姉さんのこと、ずっと睨んでた。いや睨んでたっていうか……羨ましそうに見てたよ」
「そう……なのか」
「有希と同じパターンじゃない? 全然相手してあげないから浮気しに行ったんだよ。そうに違いない。ねえ有希」
「もうマコくんっ…………うん、でも廣瀬さんっ。浮気ではなくても、きっと何か思うところがあったんだと思います。そうじゃなかったらこんなこと……」
やや棘のあるパスをサラリと躱し、有希もこのように言って来る。心配そうに目を細めていた。
当たらずとも思い当たる節があるのだろう。決しておふざけではなく、何か大きな意図が込められていると感じたようだ。
(とは言っても……探すって、どこを?)
旅に出た以外のヒントが一切無い。原付で辿り着ける範囲は限られているだろうが……いやでも、昨日の晩に出発したのなら距離自体は結構稼げるし、あまり参考にはならないか。
「あっ……いたぁ……!」
すると。自宅の玄関が開き、愛莉がひょこっと顔だけ出して来た。起きたら俺が居なくて探しに来たみたいだ。
そのままドアを押し退け通路へ出て来ると、ふらふらと覚束ない足取りで近付い……って、ちょっ、なんでワイシャツ一枚!?
「アホお前っ、なんちゅう格好で……!」
「ねぇなんでなにも言わないで行っちゃうのぉ……こわかったぁぁ……!」
「待て待て待て待て!?」
まだ寝惚けている。両隣で呆気に取られているユキマコの姿も認識していないようだ。
豊満な二つのおもちをムギューっと押し付け、首後ろに腕を回し抱き着いて来る。
ま、不味い。昨晩の余韻が抜けていない……!
「落ち着け! シャキッとしろ!? ああもう下着も付けないで、誰かに見られたらどうすんねん!?」
「むぅー……誰もいないもん。わたしとはるとだけっ……ねえはやくおうち行こぉさむいから……はるとので、あったかくして? びゅびゅーって……」
「着てねえから寒いんだよッ!!」
「んぅぅー……! つめたくしちゃ、やっ! ぎゅってしてぇぇ!」
「危ない危ない危ないッ!?」
めっちゃ寄り掛かって来る。なんとかバランスを取って支えるが一向に回復する気配が無い……と、ここで思わぬ助け船が。
「こらっ、愛莉さんっ! そんな格好で外出ちゃダメです! 女の子なのに、はしたないですよっ!!」
「…………ふぇ?」
視野にも意識にも入っていなかった有希の登場に、微睡みで溢れていたまん丸の瞳は少しずつ色を取り戻していく。やっと気付いたか……。
「…………いやまぁ、そんなことだろうと思ったケドさ。こっちにいるのは分かってたし、急に二人とも家に来たし、だいたい分かってたけど……実際に見るとキッツいな……」
「まっ……真琴……ッ!? 有希ちゃんもっ、ど、どうして……!?」
「早くお家に入りましょうっ! 本当に誰かに見られちゃいますから!!」
「――――ヴぇ゛アアアアああああ゛ああああ゛あああ゛あああ゛゛あああああ゛アアアア゛ー゛ーーー゛!?゛」
「……で? 文香が家出ってどういうこと?」
「なに気取ってるんだよ変態姉さん」
「うるっさいわねッッ!?」
お前だよ。うるさいのは。
半狂乱の愛莉を三人掛かりで自宅へ押し込む。一先ず二人には有希の家で待機して貰って、三十分近く掛けパニック状態を解除。俺一人で。超メンドかった。
シャワーを浴びさせ一応余所行きの格好に着替えて貰い、改めて二人を招き状況を説明。愛莉は布団に包まりながら例の張り紙と睨めっこ。今ここ。
「言われてみれば文香さん、少し元気が無かったかもしれないんです」
「……例えば?」
「四月の頃は金曜以外一緒に学校へ行っていたのに、振替休日が明けてからは一人で学校に行っちゃうし、昨日の練習中もどこか上の空で……何か悩んでるんじゃないかなって、ちょっと思ってたんです」
ベッドへちょこんと座り天井を見上げる有希。
先のハプニングを気にしている様子は無い。妙にイライラしている真琴よりよっぽど冷静だ。その手の類は不慣れな筈なのに。
あぁ、でも本当は知識持ってるんだっけ。水曜に言っていたな……まぁそれは良いんだけれど。
(やっぱりあの日……)
聖来、慧ちゃん、ミクル、そして文香の四人とスポッチョへ遊びに行った日。バッセンでのやり取りと、アパート二階でそれぞれの部屋へ戻る直前。
ふとした瞬間にほんのちょっと見せる、どこかあやふやで寂しそうな瞳。少し引っ掛かっていた。
もっとも、次に何かを言うときはいつものテキトー人間の彼女に戻っていて、確証までは得られなかったのだが。
「なあ真琴。さっき言うとったのホンマか? 俺と愛莉を見てたって」
「……別に。昨日に限らずよくあることだよ。兄さんのことはいっつも見てる。兄さんにはバレないようにね」
そういう自分はこちらに見向きもせずスマホを弄ったまま。恐らく俺ではなく愛莉を目に入れたくないのだろう。
可哀そうに。姉貴が半裸で男に甘える様子を目撃するなんて。あとでフォローしてやらないと。
「これもさっき言った。有希と同じなんだよ。取りあえずアクションだけ起こしてみた……そーいう段階ってこと」
「……同じ、か」
平坦な声色。しかし晴れ間の中にもグレーは映り込む。正直に打ち明ければ、真琴に指摘されるまでもなかった。
有希との関係を先延ばしにして来たように……文香との今後をあまり真剣に考えて来なかった節は、どうしてもある。大阪で再会し、もう一度友達、幼馴染から始め直した俺と文香。
そしてこの街で再び出逢い、チームメイトになり。皆にフットサル部の一員として歓迎され、文香もそれを受け入れ。ここまで共に走り抜けて来た。
ただ言ってしまえば、それだけだ。
俺と文香は二か月弱、幼馴染でそれ以上でも以下でもなかった。少なくとも『男女』や『恋人』ではなく、ただただ気心の知れた腐れ縁。
「探して欲しい……これがヒントで全部なんじゃないかな」
「……それっぽいこと言うのな」
「まーね。この数か月、なんの考えも無しに生きて来たわけじゃないんで、オアイニク…………で、どう? 変態姉さん。他にヒント見付かった?」
「だから変態じゃないッ!!」
まるで説得力の無い反論片手に愛莉は布団から抜け出し、例の張り紙をテーブルに置いた。裏表逆で。だが何か書いてある。
「……あったわよ。ヒント。どうせ逃げる気なんて無いのよアイツ。最初から見つけて貰う気満々ね」
「あははっ。そうみたいですねっ……」
有希も苦笑いで張り紙を受け取る。
理由は単純、行き先が書いてあったから。
『箱根ゆ元』
「湯本も漢字で書けねえのかよあのタヌキ……」
「そんな頭悪かったっけあの人?」
「クッソアホやぞアイツ」
真琴も呆れ顔。小学生の頃、初めてテストで100点を取ったとわざわざ自慢して来たくらいだ。それも小二のときに一回。つまり他は一度も無い。
青学館の偏差値は進学コースを除いて恐ろしく低い。前にラインで日比野に聞いたのだが、フットサル部で唯一の普通科が文香だったそうだ。しかも夏休みは補習でまったく練習に出なかったとか。学力の低さは健在のようで。
「なに? ってことは原付で箱根まで行ったの? 電車の方が良くない?」
「長い距離走りたかったんじゃね?」
「なんでも良いわよ……まぁ、そういうことなら行くしかないわね。あんまり気乗りしないけどっ」
「なんや。優しいな」
「仮にも後輩でしょ。自分探しの旅でもなんでも良いけど、帰り道が分からなくなって野垂れ死んでも困るわよ……そういうの、部長責任だし」
何だかんだで愛莉も心配しているみたい。ならば決まりだ。週末の予定は埋まった。練習するつもりだった有希と真琴には申し訳ないが。
「行くよ。自分も。勝手に悩むのは構わないケド、一人で突っ走られても困るんだよね……あんな人でも、同志みたいなものだからさ」
「わたしも着いて行きます。マコくんと一緒で……ちょっとだけ、お話したいこともあるんですっ」
「ん、おう……分かった」
意図は定かでないが二人も乗り気の様子。揃って愛莉へ目を配らせると、彼女はどこか複雑な面持ちでそっぽを向く。深くは知らないが、この三人だけにしか分からない共通理解のようなものがあるようだ。
まぁ良い。準備をしよう。同じ県内でもここまで南下するのは初めてだな。目的はともかく、ちょっと楽しみ。
遊びじゃないけど。でも、遊びだ。
だって文香だもの。他に理由はいらない。
……それだけなら良いんだけれど。
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