834. 根拠は無いけれど
出掛けて来る旨を伝えようと部屋に戻ったが、声を掛けても反応は無かった。差し入れを冷蔵庫に置いて克真とアパートを離れる。
「ちょっと肌寒いな」
「そのシャツ、ポーターズの手前にある銭湯のやつですよね? いつ買ったんですか?」
「昨日。まぁプレゼントってところやな……暫く着れねえけど」
建物の脇には徒歩二十分ほどの場所にある入り江へ繋がる川とも呼び難い水路が通っていて、ここを沿うように歩くと線路へ突き当たる。
対面にはお馴染みのフットサルコートがあって、隣には老人ホームが幾つか並んでいる。
駅前の喧騒が嘘のような静けさだ。線路と住宅街を挟んだ先には広い街道があり、こちらの道を使うのは生活圏の人間に限られる。時折猛スピードで肩を揺らす快速電車が唯一のBGM。
「……すいません。ご迷惑お掛けしました」
「本人に言えよそういうの。まぁ普通の風邪やろ、明日まで心の準備しとけ」
「……はい」
数台の車が通過し姿が見えなくなると、暫く肩を並べて歩いていた克真が長い沈黙を破る。
平日の昼前ともなれば人の姿も無い。ネタバレには持って来いの時間だ。克真は立ち止まり改めて頭を下げた。
「昨日のこと、聞いたんですよね……」
「ざっくりな。ざっくり」
「オレが誘ったんです。ただ、その、結果的にそうなったというか……全然、そんなつもりは無かったんです。オリエンテーションのとき、先輩に助けて貰ったじゃないですか」
「はて。なんのことかしら」
「それで分かったんですよ。やっぱりオレ、男として見られてないんだなって……だから、もっと時間を掛けようって思ってたんですけど……」
気まずさ全開ながらもなんとかやり取りだけは維持しようと必死な克真。
最近気付いたのだが、真琴と同じ癖がある。緊張したり決まりが悪いときは頬を引っ掻くのだ。
「謝るのは無しや。歩こうぜ」
「……どこまで行くんですか?」
「少し先、やな」
助けた、というほどのものでもない。ミクルを除く一年組は元々グループで動いていたそうだから、わざわざ上級生に気を遣わせるのもどうかと少し距離を置いたという、本当にそれだけのこと。
「やっぱオレ、凄い分かり易いみたいで……真壁とか、サッカー部の奴らからゴリ押しされちゃって。あとクラスの女子からも……」
「そこまでは有希から聞いた。嵌められて二人になっちまったらしいな」
「……失敗しました。色々と。完全に」
最後に写真を撮ったこと以外の内容を聞いていない。露骨に肩を落とし項垂れる克真。
まるで冴えない表情を見るに、順調なデートとは行かなかったようだ。
「朝から雨だったんで、午前中は水族館の中に居たんです。オレ、シーワールド行ったこと無くて。早坂さんは真琴と何度も来てるみたいだから、案内して貰ったんです」
「そういうところが分かり易いんだよ」
「えっ?」
「あぁいや、なんでも。続けてくれ」
真琴を呼び捨てにする癖に有希はさん付け。きっと慧ちゃんも聖来も、ミクルも呼び捨てなのだろう。だからバレるんだよ。純情か。
「ただ、早坂さん、ちょっと元気が無くて。まだ風邪気味とかではなかったと思うんですけど……」
「……で?」
「体育祭のときはすっごい元気だったから、何か気になることでもあったのかなって……ちょっと考えれば分かることなんですけどねっ……」
情景が目に浮かぶようだ。克真の気持ちを利用してしまったことに気付いた有希は、負い目に苛まれ酷く動揺していた。
そして友人たちのダメ押しを喰らい、流れるままにデートを始めてしまったわけだ。途中で切り上げる勇気も無かったのだろう。
(そこまで鈍感ではないか)
ちょっと考えれば分かる……克真もとっくに気付いていたのだ。彼女の気持ちが自分に向いていないこと。誰に向けられているのかを。
「調子に乗ったって言うか、もう、半分ヤケクソだったんです。その人のことなんか忘れさせるくらいオレが楽しませるんだ……みたいな感じで」
「別にボカさんでも分かっとるわ」
「……すいません」
「クラスの女子になんて言われた?」
「…………ちゃんと否定しましたよ。かなりボロクソ言ってたんで。確かに先輩は、その……言っちゃえばライバルかもしれませんけど。でも、それ以上に尊敬してますから」
「ハッ。そうかい……まぁ、あんがとな」
「いえっ……」
浮気性のクズ野郎に取られるくらいならさっさとアタックしろと発破でも掛けられたのだろう。一年女子からの評価、最悪だな。なんでもええけど。
彼も有希と同様、生真面目であるが故に人の話を聞き過ぎてしまう節がある。落ち着いた奴だがそうは言ってもまだ高校一年生。完璧な後押しを受ければ舞い上がってしまうのも自然な流れ。
「午後からちょっと小降りになったんで……傘も差さないで連れ回しちゃったんです。遊園地のゾーンとか……」
「ほんで風邪引かせたと」
「……なんも見えてなかったんです。本当に。ちゃんと目を見て話せば分かった筈なんです。早坂さん、喜怒哀楽がすぐ顔に出るから……オレに気を遣って合わせてくれてるんだって、絶対に気付けたのに……」
乾いた笑みを溢し自嘲に暮れる克真。思い出すのも億劫なほどの空回りっぷりだったのだろう。人生初デートともなれば致し方ないだろうが。
(気を遣って……ね)
その推測は恐らく半分外れだ。異性としてはともかく気心知れた友達ではあるわけで、彼女なりに一日を楽しんだのだと思う。
だが気付かない振りは、無視は出来なかった。このデートそのものが、結果的に克真の気持ちを踏みにじっていること。
与えられただけに過ぎない対等な関係へ身を委ねたところで、結局は『甘え』に回帰してしまうこと。迷いも後悔も分かり易く態度へ出たのだ。
「オレも中途半端だったんですよ。最後まで勇気が出せなくて……」
「告白しなかったのか?」
「……最初はそのつもりでした。こんなチャンス二度と無いだろうし、ハナから玉砕覚悟だったんで…………でも、無理でした。なんかもう、隣にずっと先輩がいるみたいな……幻でも見えてるんじゃないかって感じで……」
「俺が?」
「話題の種が、全部先輩のことなんですよ。偶に真琴とかフットサル部の話で、ほぼ九割くらい……この一週間くらい、ずっとそうでした」
「……悪かったな。邪魔して」
「いやいやいやっ…………」
どこまで行っても俺の影がチラついてしまい、最後の一歩が踏み出せなかったようだ。朧げながらデートの全容が見えて来た……本当にチグハグなままで終わってしまったんだな。例の写真はせめてもの抵抗ってところか。
「帰り際に雨が上がったんで、景色の良いところで写真を撮ろうって流れになって……形に残せたのは、ホントそれくらいです」
「ちょっと見ても良いか?」
「あっ、はい。どうぞっ」
いそいそとスマホを取り出す。アルバムを探すまでもなくロック画面に設定されていた。純情が過ぎる。骨の髄まで男子高校生だなお前。可愛い奴め。
「…………なるほどな。そういうことか」
「えっ……何がですか?」
「いや。分かり易いなって」
真琴から見せられた写真と同じものだ。だが、その時とは少し違って見える。気付いた、と言った方が正しいか。
確かに有希は笑っている。悪天候もナイトショットも関係無い。年中咲きっぱなしで枯れることの無い健忘症の向日葵みたいな笑顔だ。
そう。有希は変わっていない。
見えているもの、感じているものを身体いっぱいで味わい尽くして、数秒後には顔色が転々とする。真っすぐで純粋で。敢えて悪く言えば、単純。
デートの最後に写真を撮るのなら、出来る限り最高の笑顔で。気を遣うとかそういう話でもない。意図せずとも出来てしまうのだ。それ故、傍からは悩みや苦心とはまるで無縁のようにも見えてしまう。
「時に克真」
「はい?」
「今まで彼女は?」
「……いない、です」
あの時と一緒に見えたのは、有希の笑顔じゃなかった。隣にいる克真だったんだ。
写真が苦手で、可愛い女の子を隣にどんな顔をすればいいか分からなくて、酷く困惑して。
けれど、不思議と暖かな気持ちになって、自分の不甲斐なさとか、恥ずかしさとか、そんなものも全部忘れそうになって。
なにもかも曝け出されてしまった、あの日の俺と同じだ。
「好きな子は?」
「……あんまり意識したこと無かったかもです。幼稚園からサッカー一筋だったんで……女子の友達も、高校で初めて出来たくらいで」
「そっか」
スマホを返し、道の途中で折り返す。快速電車がすぐ隣を通過したから、なんとなく良いタイミングだと思った。根拠は無いけれど。
少し先まで来たから、帰るだけだ。
最初まで。スタート地点まで戻ろう。
「初恋か」
「…………そう、なりますね」
「奇遇やな。たぶん俺も」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます