824. 貴方が好き


『…………五秒くれ。勇気出すから』

『う、うん……?』


 何度経験したって慣れやしない。正面切って『貴方のここが好きです』なんて惨過ぎる罰ゲームだ。嫌ではないが、それ相応の覚悟はいる。


 ちょっと移動して彼女の真正面へ。暗闇の中で踊る美しい金髪はこの上ない目印になった。勇気が無いなら出せばいい。この距離感ではどんな嘘も吐けやしない。偽りの無い本心を、真っ直ぐ、正直に打ち明けるんだ。



『まず、まず何よりも……ルビー、お前は可愛い。物凄く。絶世の美少女や』

『顔が好み、ってこと?』

『それもある。人は見た目が九割やぞ。こんな可愛い子にグイグイ押されてみろ、俺やなくてもグラつくに決まっとるわ』

『……ど、どうも……っ』


 見慣れた自信満々のドヤ顔は暫く拝めそうにない。居心地悪そうに薄っすらと息を漏らすルビー。


 そう。見た目が九割。

 最初の印象は大切だ。


 生活アドバイザーという立場で彼女に携わったのも、きっかけとしては良かったのかもしれない。人当たりを知るより先に『守ってやらなきゃ』なんて、そんな風に思えたのも大きいのかも。


 でも、勿論それだけが理由では無い。半年間、彼女の隣を歩いて来て。その美しさの根拠を嫌でも突き付けられた。



『ところがな。人間、ただ顔が良いってだけじゃ『可愛い』とは結び付かないんだよ。俺も心当たりがある……』

『ヒロ、も?』

『愛情を注がれた人間は、注がれた分だけ可愛らしく見えるんだよ。可愛げがある、って言った方がええかな……有希を見てるとなんとなく分かるだろ?』

『ユキ……そうね。確かにそうかも。あの子もわたしに劣らず可愛らしいけれど、もっと大きな強みがあると思う……うん、ヒロの言いたいこと、分かるわ』


 両親の余りある愛情を受けて育った有希は、親子関係がサッパリ欠落している俺とは正反対の生き物だ。日頃の言動一つからでも見て取れる。


 上京当時、荒みに荒んでいた俺が有希をなんの気なしに受け入れてしまったのは……なにも容姿だけが理由ではなかった。

 生まれながらに併せ持つ『人としての暖かさ』が、きっと羨ましくて、魅力的に映ったからなんだ。



『ルビー。お前も一緒なんやと思う。チェコとお母さんと、それからノノ……お前を大事に想ってくれた人が、沢山の愛情を注いで……その愛情が、ルビーの自信満々で強気なマインドに繋がっている』

『……えぇ。そうかもね』

『俺には無かったものだ。ずっと欠落していた、人として一番大事な、暖かい部分……純真さとか、人としての心とか、そういうやつだよ。フットサル部のみんなと同じように……ルビー、お前も埋めてくれたんだなって』


 ただの友達だと思っていたみんなへの意識が、夏休みを境に変わってしまったのは……それだけ俺がみんなに対して、本気で愛情を注ぎ込んだおかげだ。だからいきなり可愛らしく、女らしく見えてしまった。



『他のみんなと少し違うのは……ルビー。お前だけは出逢った瞬間から、俺にとってだったってことや。これが一番しっくり来る』

『……どういうこと?』


 少しずつ人に対する情が、異性への愛慕がどんなものか分かって来て。自分に必要なもの、何を大切にしたいのか理解出来るようになった頃。


 今度は女だったお前が現れた。



『ずっと家族が欲しかった。心から信頼出来る、愛せる存在が。そして、手に入った……いやまぁ、傍から見れば俺たちって、ずっと恋人みたいなモンやったんやろうけどな。でも俺の意識はちょっと違ったんだよ』

『違う?』

『それで一回すれ違った。ちゃんと恋人になりたいみんなと、まず家族になりたい俺で、方向性のズレた時期があった。ルビーと出逢った頃だよ』

『あぁ……そう言えば喧嘩していたわね』

『俺なりにみんなの気持ちを理解しようとして、恋人って、恋愛ってなんだろうって、色々と悩んでた。そしたらお前、なりふり構わずアタックして来るモンでさ……そんな気にもなるわ』


 彼女の真っ直ぐな情熱を、まさに真正面から受け止めてしまったのだ。心を奪われるまで、それはもうあっという間だった。


 要するにルビーは、みんなとはスタート地点が違う。初めから『恋』が前提で、そのままここまで来ている。


 粗方の問題が片付き、いざルビーがフットサル部の一員となって。なんとなく彼女を雑に扱うようになったのは、早計にしてしまったのが原因だ。だから微妙に違和感があった。俺もルビーも。午前のデートがなによりの証明。



『今日、こうやってデートして、気持ちを伝えてくれて……一番大事なところを思い出したっていうかさ。根っこの部分に立ち返ったんだよ』

『……それで、どうなったの?』

『お前のことが可愛くて、可愛くて、気になって仕方がないってことにさ』

『ッッ……!? な、なっ……!?』


 部屋中の明かりを取り戻すみたいに、ルビーの顔が真っ赤に染まった。恐ろしくキザな台詞、日本語じゃとても言えない。

 改めて、こんな風に考える。三年前、大阪でではなく。あの日あの時、この街でお前と出逢えて。本当に良かった。


 部の誰もが俺にとって特別で、他の子には無い唯一無二の存在。そして同じようにルビーも、恋愛という概念そのもの。男と女が一対一で向き合い、何が起こるかを教えてくれた。


 みんなとはまた違った角度で、暖かな気持ちを呼び起こしてくれた。だから彼女も特別なんだ。好きなんだ。本気で愛していると、そう思えるんだ――。



『ルビー。俺も一緒なんだ。お前のこと大好きだし、愛しているし、何より恋人になりたい。彼女になって欲しい。ずっと女の子で居て欲しい』

『あっ……う、うぅ~~……っ!』

『家族とかそういうのは、もっと後で良い。今はとにかく、この好きだって気持ちを優先したい。他の関係じゃ駄目だ。気の知れた友達なんかじゃ、もう収まらない。恋人じゃなきゃ、俺が困るんだって……』


 あまりの羞恥にぷるぷる震えている。やっぱりずっと無理をしていたみたいだ。そんな姿も可愛らしくて、もう止まれなかった。


 もう一度、今度はお姫様を相手取るみたいな無駄に気取った拙さで、優しくルビーの身体を抱き締める。


 暖かい。どこもかしこもポカポカする。お風呂のおかげじゃない。この穏やかで、けれど燃え上がる灼熱地獄のような、理解し難い滅茶苦茶な情動は。ルビー、お前だけの特別なモノ。二人だけが分かる暖かさ。



『偶にキマらなくても、カッコ悪くても……ルビーなりに取り繕った、ダメダメなままのルビーで居て欲しい。調子に乗って失敗して、泣き面吠えてたって良い。それでも前を向いて、必死に頑張っているルビーが……俺も好きだよ』


 三度目のキスはこちらから。目を瞑る余裕も無さそうだから、俺も彼女の青い瞳をずっと見ていた。

 この世の摂理みたいにピッタリ重なった唇が、ゆっくりと離れて、透明な糸を引いた。また一つ、大事なものを繋いだ証。


 

『……今の告白、全部考えて来たの?』

『まさか。アドリブに決まってる』

『……すごい、ヒロ。どうしてこんなこと、スラスラ言えちゃうの? …………撤回するわ。貴方、とっても役者向きよ』

『いつの話だったっけな』

『なら思い出して? わたし、ちゃんとヒロインになるわ。貴方に相応しい、可愛くて魅力的な、最高のヒロインになるから……っ!』


 馬鹿に芝居掛かったクサイ台詞が連なり、緞帳を上げるスイッチが押されたようだ。その瞬間、ようやく電気が復旧した。世界に彩りが戻って来る。


 でも、もう関係無かった。彼女の顔も美しい身体も、さっきからほとんど見えているようなもので。ルビーも同じだったのだろう。



『……貴方が好き! 大好き、大好きっ!!』


 とは言えちょっとは安心したのか、嬉しそうに頬を緩ませた。あんなに怖がっていたのが嘘みたいに、向こうから抱き締めてくれる。


 それからちょっとの間、愛を確かめ合うように肌と肌を合わせ抱き合う。離れていたカップルが空港で再会を喜び合うみたいな、安っぽいドラマを思い出した。


 そう遠くもない筈だ。暫しの暗闇と焦燥に囚われ、手を放し掛けた俺たちは。余りある愛を確かめ合い、再び一つになったのだから。まぁ、今の今までずっと一緒に居たんだけどな。細かいことは良いのさ。



『……もう怖くないわ。なにも怖くない。今ならなんだって出来る気がする。貴方の為なら、どんなことだって……っ』

『……ここでするか?』

『悪くないけど、ちょっとのぼせそう。ねえ。ちゃんと一から教えて? わたしったらこんなことになっているのに、なにも知らないんだから……』

『じゃあ、ゆっくりな』

『……優しく、ね?』

『勿論』


 個室の外で電話が鳴っている。部屋の内線だ。長い停電だったから、恐らく安否確認のためだろう。スタッフには申し訳ないが、聞こえないフリをした。雨が煩い。もう寝ていた。言い訳はこんなもので良いか。


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