823. 胸がいっぱい
二度目のキスは完全な不意打ちだった。それも先ほどとは違う。触れるだけではなくて、短い舌をグイっと引き伸ばし唇をぺろぺろと舐めて来る。
不慣れなりに努力しているのだろうか。恐ろしく不器用でたどたどしい。日頃の上品で優雅な振舞いにはちっとも及ばない。
(ディープのつもり……か?)
こんな美味しい状況で冷静に物事を考える自分に嫌気も差すが、それをも覆い隠す強大な振起。
大人ではないが、子どもでもない。ルビーは渾身の勇気を振り絞り、最大限出来ることをしている。
震度と共に上昇した心拍数。誰にも探せない密室。またとないチャンスを意地でも掴み掛かろうと、最後の一線へ自ら踏み込んだのだ。
『んぅ……っ!』
ただの女ではない。その気になれば芸能人だって目指せるような絶世の外国人美少女が、俺の気を惹きたいがためにここまで必死になっている。
勢い任せ、見様見真似の拙い口づけ。十分過ぎた。彼女にしか出来ない熱烈な歓迎が、ギリギリのところで燻っていた劣情をついぞ剥ぎ取った。
我慢出来るわけない。
知識だけ蓄えた未経験のマセガキではないのだ。それが明確なサインであると、少なくとも彼女よりかは知っている。
肩を抱き寄せ一転、反撃に出る。冷水を浴びた子猫のように身体を震わせ、ピッタリ閉じていた瞳を見開かせるルビー。
『むぅ!? んんぅっ……!?』
この手の悪事に掛けては俺が一歩も二歩も先を行っている。大変失礼な話だが、経験値だって雲泥の差だ。舌を突き伸ばし口内へ一気に侵入すると、ルビーは聞いたことも無い甘美な悲鳴を挙げた。
そこからは一方的な搾取、籠略。絶え間ない魔の手にルビーはちっとも抵抗出来ない。
身体を支えるために差し出した右手は自然と胸元へ向かった。収まりの良い湾曲を幾度となく解すと、またも甲高い嬌声を飛ばす。
理性はとっくに飛んでいた。恐ろしい性癖だ。汚れの無い美しい身体を弄ぼうというのに、もはや何の躊躇いも無かった。
『ハァ、はぁぁーっ……ひ、ヒロぉ……っ』
二つの乾いた息が湯気と重なり宙へ消えていく。湯に浸かった半身はそれだけでなくとも燃え滾るように熱い。依然窓を叩き続ける大粒の雨は、消え得るような呟きもすべて掻き消してしまった。
強気な態度もすっかり消え失せ、言葉を失い涙目で何かを訴えるルビー。焦点も合わず、青色の薄暗い光がグラグラと揺れている。
ここまで好き勝手放題されるとは思っていなかったのだろう。普段の軽薄な扱いと言い、この女は俺を深いところで舐めている。
上等だ。徹底的に叩き込んでやる。恰好の餌が自ら縄張りへ飛び込んで来たってのに、今更やめろとか言うなよ――。
『待って……待って、ヒロ……っ!』
『良かったな、暗くて何も見えなくて。これなら恥ずかしくないだろ?』
『だめ、ダメっ……! 怖いのぉ……!』
『大丈夫。優しくするから』
『今だってもう優しくないわ……っ!』
小粒の涙をぽろぽろと落とすルビー。
脳天から急速に身体が冷えていく。
違う。これは本気のノーだ。愛莉や琴音のような意地っ張りの延長ではない。
これ以上は無理だと首を小刻みに振っている。地震と停電に怖がっていたときと同じテンションだ。目を見ればだいたい分かった。
『ごめんなさいっ、わたし、調子に乗ったの……! こんな風にしてくるなんて思ってなくて……っ!』
『……こんな風にって。この状況で襲わない男なんか居るわけねえだろ。俺やなくてもこうなるわ』
『……でも、怖い……っ!』
必死の訴えに萎えてしまった、というわけではないが、考慮する余地はあると思った。取りあえず、このままじゃ話が進まない。
『なら、こうやってさ。同じ方向向いて、ちょっと座ろう。肩を寄せ合ってさ』
『ひゃっ……!?』
檜風呂は結構広い。並んで座ってもまだ余裕があった。右腕を回し華奢な身体を抱き寄せるとルビーはビクンと小刻みに震える。それでも残り少ない勇気を振り絞って、粛々と腕中へ収まってくれた。
『どこも触らない。変なことしないから』
『…………でもっ、くっ付いてる……!』
『これが駄目なら無理やり襲う。とっくに最大限譲歩してるんだよ。まだ生娘でいられることを喜ぶべきやぞ』
『……ひどいわ、そんなの……っ』
無防備な状態を曝し続ければ流石のルビーも顔無しだ。多少は慣れてきたとはいえこの距離感では目視も難しい。お互いギリギリのラインだろう。
乱雑な物言いにも理由がある。こちらが手綱を握らなければ、このまま拒絶されただけで終わってしまうと思った。
何がそんなに怖かったのか。結局ルビーはどうしたいのか。ちゃんと聞いてあげないと。本気で二人の未来を考えるなら、手抜きはしちゃ駄目だ。
『なんで……』
『んっ?』
『どうして、そんなに慣れてるの……っ?』
『あぁ、そっか。ルビーは知らないのか…………ごめんな。オレ、初めてじゃないんだ。こういうの』
『…………やっぱり、そうなのね……』
『ギャップ感じて怖くなった?』
『……うん』
喉をきゅるきゅると鳴らし力無く頷く。なるほど、だとしたら俺の失敗だ。もっと甘酸っぱいロマンチックな展開をイメージしていたのに、いきなり強引に攻められてビビっちゃったのか。
それもそうだ。あんな勢い任せのムーブを噛ましておいて、心の準備なんて出来ていないに決まっている。暗中の檜風呂なんて最高のシチュエーションだと思ったけど、俺はともかくルビーは初めてなのだから。
はぁ。完全にミスった。あれだけ経験を重ねてもまるで成長していない。情事を盗み見た聖来が『怖い』と言っていた理由も今ならよく分かる……。
『あのねっ。ヒロ。聞いて?』
『うん。どした』
『……本当は、全部プラン通りなの。ここじゃなくてもどこかのホテルか、ヒロの家に連れて行って貰って……こんな風になれば良いなって、思ってたわ。最後まで纏めて進めるつもりだったの……っ』
『……そっか。そうだったんやな』
デート中、頻りに『まだ足りない』『物足りない』みたいなことを言っていたのは、告白から一線を越えるまで予め計画していたから、というわけか。
肩の震えも収まり、ようやく自分の言葉で話が出来るようになったみたいだ。続けてルビーはこのように語る。
『……昔から貴方を知っていた。でも、こうなったのはつい最近よ。みんなよりずっと遅れているんだもの。これくらいのことはしないと、貴方を振り向かせられないんじゃないかって、そう思って……』
『無理しちゃったのか?』
『……ムリじゃないわ。イヤでもなんでもない。愛し合うamorなら、辿り着く先は一つ……興味だってあるわ。でも、やっぱり……』
『……怖い?』
『勘違いしないで? 貴方のこと、本当に愛しているわ……! あの日、公園でわたしを見つけてくれた日から……貴方のことで胸がいっぱいなの……っ!』
仰々しい告白と共に右腕を力強く抱える。言葉だけでは足りないと、全身使って必死に伝えるみたいに。
柔らかな感触と一緒に、ピンとそそり立った慎ましやかな主張が全身を刺激する。
真っ暗で良かった。顔まで見えてしまったら、いよいよ理性がはち切れそうだ。恐ろしいまである。なんて魅力的なんだ……。
『結局わたし、ダメな女のままだわ。パパとママと、ノノと、貴方に力を貰わないと、なにも出来ない。こんなにお膳立てして貰って、それでもまだ怖がって……ねえ、正直に言って。もううんざりしているでしょう?』
『……馬鹿言え。そこが可愛いんだよ』
『ウソよっ! 自分から誘った癖に、拒絶するなんて……! 失望しているんでしょう? 他の女の方がずっとマシだって、そう思ってるんでしょう!?』
酷くご乱心である。落ち着いたと思ったら今度は自己嫌悪か。顔色は普段と異なれどやはり騒がしい奴だ。
ノノとの再会を含め他人との接触を怖がっていた、初対面の頃を思い出す。
恵まれた家柄と生まれ持った美しさが、逆に彼女のコンプレックスになっているのだろう。自信満々のように見えて、幾多もの虚栄心で身も心も着飾り壁を作っている。愛莉と同じパターンだ。アイツほど深刻ではなくとも。
何かとポンコツ扱いされるのも、実はちょっと嫌なんだろうな。整った外見に見合う強い自分に憧れているんだ。
『ちゃんと説明してなかったな。なんでルビーが好きなのか』
『……えっ?』
『そりゃそうだよな。いきなり好きとか言われて、困っちゃうよな。勢い任せに関係迫られて、怖い筈だわ……』
数日前、ちょうど愛莉がこんなことを言っていた。親子でもなしに家族になるのなら、ちゃんと恋愛をしないと駄目だと。
俺の想い、全然伝わってないんだ。
なら、しっかりと言葉にしないと。
彼女に必要なのは、なんとなく気の合う関係とか、見えない糸とか、信頼とか、そういうのじゃなくて……。
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