821. オ゛ッ
「やばぁなにこれェ……」
『ふ~ん。まぁ悪くはないわね。雨さえ降っていなければ最高のロケーションだけど、仕方ないわ』
それはそれは豪華な仕様なのだと道中ルビーが散々話してくれたので心構えだけはしていたのだが、その上を行かれた。
生憎の空模様とはいえ、大きな窓面から臨む開放感溢れるオーシャンフロントは圧巻の一言。寝室のほかに和室も二つある。使い道が無い。持て余す。
極めつけはこの部屋専用だというオーシャンビューの桧風呂。そしてプライベートサウナ。なに、プライベートなサウナって。そんな概念知らない。
『せっかくだしもう一回入ってこようかしら。つくづく天気が勿体ないわ……』
『お前そんな風呂好きやったっけ?』
『最近ハマってるのよ。ザオウでちゃんと体験出来なかったから、家でも湯を張ってみたの。そしたら、ね!』
あとは寝るだけとか悪くないとか云々言っといて大概だ。お目めがキラキラしている。もはや何も言うまい。思う存分堪能してください。
『扉、閉めておきなさいよ。覗いたらどうなるか先に聞いておく?』
『しないしない』
『あらっ、一緒に入ってやるくらい言って来るかと思った』
『寝たいんだよ俺は』
ここらで修学旅行のリベンジというのも悪くないが、混浴ドッキリならともかく普通に乱入してしまってはただの変態である。大人しく身を引こう。
締め出されてしまったのでお先にツインベッドの壁側をキープ。寝っ転がってスマホでこの部屋の宿泊費を調べてみる。あぁ、本当は五万円もするんだ。納得のお値段。学生の間は二度と来れないな……。
「檜風呂……ええなぁ……」
大浴場には無かったので多少興味はある。露天風呂を使えなかったから外の景色も堪能し切れていない。大雨でもそれはそれで面白そう。
防音機能までは付いていないようで、ちゃぷちゃぷと温水を遊ばせる音が時折聞こえて来る。なんでも熱海と湯河原からタンクローリーで源泉を運んで来ているそうで。そりゃ良い風呂なわけだ。
とっくに日付は変わっているし、明日のことを考えればもう寝ないといけない。実際だいぶ眠い。
でも、駄目だ。そわそわする。個室の檜風呂なんてこれから入れる機会があるかどうか。しかも無料とか。
「……起きればええねん。起きれば」
明日のことは明日考えれば良いんだ。せっかくのチャンスをみすみす逃したくない。
ルビーと交代で入ろう。そしてサウナも使わせて貰おう。サッカー部トリオに自慢してやるんだ。
「っし、ほんなら形からっすね~」
こんな良い部屋、良い風呂を前にグッズTシャツとか。駄目駄目。ちゃんと浴衣着ないと。風情が大切なんだ。
浴衣着て、脱衣所で脱いで、もっかい着て、そのまま寝る。このルーティーンが重要なんだ。お分かりかね。
浴衣と言えば、比奈も個人賞のご褒美を日帰り温泉旅行にしようとしていたな。彼女には悪いが、先に堪能させて頂こう。機会があるとすればこの部屋か、或いはやっぱり箱根辺りか……。
『ルビー。俺もあとで入るから。寝てたら絶対に起こせ。ええな』
『……え、なにっ? 聞こえないわ!』
扉を叩き注文を付けるが、声がくぐもって伝わらない。鍵は付いていないので開けりゃいい話だが、多分怒るし。
『せやから、あとで俺も…………ん?』
もう一度扉を叩く。
いや、叩こうとしたのだが。
頭がフワッと揺れ動くような感覚を覚え急停止。疲労が溜まって立ち眩みでもしたかと思ったが、そうじゃない。足元もなんだか覚束ない。
「地震か?」
うん、間違いない。地震だ。それもまぁまぁ大きい。壁の時計も和室のテーブルもガタガタと音を立て揺れている。
ちょっと新鮮。関西ではひと昔前に歴史的な大震災があったが、あれは割と特殊なケースで、数で言うと全国では地震が少ない方なのだ。上京して来た次の日に軽く揺れて結構驚いた記憶がある。
「えっ……デカくない……!?」
長い横揺れが続いていたが、時間が経つに連れドンドン大きくなって来た。大震災とまではいかないまでもかなりの規模なんじゃないかこれ……ッ?
『ヒロっ!? なに!? 何が起きてるの!?』
『地震や地震! 頭抑えてジッとしてろ!』
『やだっ、なにこれぇぇっ!?』
扉越しに慌てふためく声が聞こえて来る。滞在歴が長いとはいえ純粋たる外国人のルビーだ、地震はあまり慣れていないのだろう。
……いや、このデカさは日本人でも怖いって。マジでデカい、メチャクチャ揺れてるッ! あ、ちょっ、和室の掛軸みたいなやつ落ちてる!?
『ルビー! 絶対に動くなよッ! 滑って頭打つのが一番最悪や! ええなっ!? おい、聞こえてるか!?』
『ホントにムリいいィィーーッ!!』
『落ち着けッ! もう収まる、大丈夫やから!」
こちらも頭を抑え扉に寄り掛かり、出来るだけ低い体勢を取る…………おぉ、やっと収まって来た。一分以上は続いたな……建物の高い階だから余計に大きく揺れていたのだろう。こっ、怖かった……。
「ううぉッ!?」
『きゃあァァ!? 今度はなにぃッ!?』
すると突然、視界が真っ暗に。
なんてこった。停電だ。
不味い。スマホをベッドの上にほったらかして来たから、明かりがまったく無くてほぼ何も見えない。せめて地震の規模さえ把握出来れば、この停電が一時的なものかどうかも分かるのだが……。
『ヒロ、ヒロっ! ねえヒロっ!! そこにいるの!? ヒロったら!! お願い返事してぇぇ!!』
『いるいる! メッチャいるから! 落ち着けって! まだ動くなよッ!?』
『やだぁぁ……! 助けてヒロぉ……!』
ルビーは完全にパニック状態だ。地震と停電の極悪コンボに加え、恐らくまだ入浴中だったから服も着ていない。大変無防備な状態で余計にストレスが掛かっている筈だ。早く落ち着かせないと。
『スマホ取って来るから、それまでジッとしてろ! ええホテルなんやさかいすぐ復旧するわ! ええな! 約束守れるなっ!?』
『うぇぇ……ヒロぉぉ……っ!』
幼子のように泣きじゃくっている姿が扉伝いにも伺える。本当に早く助けてあげないと。あまりにも可哀そうだ。
ベッドまでの道のりは覚えていたが、如何せん部屋全体が広過ぎるので時間が掛かる。
それも真っ暗ななかを手探りで進むのだから中々に勇気がいる作業だ。まさか広くて豪華な部屋がこんな形で仇となるとは。
「ほっ。あったあった…………5弱か。やっぱデカかったんやな……」
速報メールが入っている。緊急速報は音が煩過ぎるから鳴らないように設定して、すっかりそのままだったのだ。あとで解除しておこう。こんな思いは懲り懲りだ。
規模から察するに、停電は極めて一時的なものと見てほぼ間違いないだろう。緊急システム的な何かが作動したに違いない。良かった。
ライトを付けて浴室までの道をひた進む。扉の先からはすすり泣くような声が聞こえて来た。
いやホンマ、鍵付きの部屋じゃなくて良かった。最悪閉じ込められていたかもしれないし……。
『もう大丈夫や。ほらっ、明かりもあるで』
『……ヒロぉぉぉぉ~~!!』
「オ゛ッ!?」
扉を開けライトを向ける。素肌を晒したままのルビーは檜風呂の淵をガッチリと掴み身動きが取れなくなっていた。
浴槽と脱衣所が一体になっておりすぐ近くに着替えも置いてあるのだが、揺れが収まってすぐに停電になって、服を着る余裕は無かったのだろう。
声を掛けると、ふらふらと覚束ない足取りで立ち上がり、ライトの明かりを頼りにこちらへ飛び込んで来る。
『怖かった……怖かったのぉぉ……っ!』
「お、おう……よ、よしよーし……怖かったなぁ、もう平気やからなァ……ッ」
胸元に収まりわんわん泣きじゃくるルビー。暫く抱き締めてやったり頭を撫でてやると、ちょっとずつ呼吸が安定して来た。落ち着いて来たみたいだ。
……それはそうと、ルビーさん。
この状況、ちょっと宜しくないな。
不可抗力とはいえね。
めちゃくちゃ裸ですね。ルビーさん。
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