819. Yeah!!


 そんなお前たちにはこの程度の舞台がお似合いだと、空からお𠮟りでも受けたみたいだ。僅か数秒後には壺をひっくり返したような土砂降りに襲われる。慌てて傘を掴み直し、俺たちは走り出した。



『ちょっ、降り過ぎでしょッ!?』

『走れルビー!』

『分かってるわよ! あーもおぉぉー! ここからが大切なのに!』


 対岸の展示ホールまで数百メートル。手を繋いで全力疾走。横殴りの突風に絡まる大粒の雨が身体を冷やす。傘はちっとも役に立たない。


 一世一代の余韻に浸る間もなく思い出の地から辛くも逃亡とは。心中察するに余る。無駄に美しいランニングフォームで桟橋をかっ飛ばすルビーは、時折聞き取れない母国語で奇声染みた大声を挙げ、更にペースを速めた。


 芯まで凍えるような寒さだが、不思議と気にならなかった。カッコつけたがりな彼女には申し訳ないけれど、こんな不格好で様にならないラブロマンスが、俺とルビーにはよく似合うのかもしれない。



『待て、ストップ! 行き止まりや!』

『はァァァッ!? なんで!?』

『分からん! 迂回や迂回!』

『行けるわよッ! こんな柵乗り越えられるわ!』

『無茶言うなスカートで! こっちこっち!』


 なにが全面開通だ。とんだ嘘っぱち掴まされた。展示ホールへ繋がる道は工事用の柵で防がれている。とても飛び越えられる高さではない。


 慌ててハンドルを切り、すぐ脇の階段を下って高架下の小さなトンネルみたいなところへ身を隠した。取りあえずここで凌ぐとしよう。


 大荒れの海面がすぐ近くで、下手したら波に攫われてしまうのではないかと不安にもなる。ちょうどビル群のライトが当たらないので暗いし寒い。煌びやかな都会の中心部から一転、山奥で遭難したみたいだ。



『濡れてるってか、浸かっとるな。もはや』

『……買ったばっかりなのにぃぃ~~!』


 デート仕様の一張羅もミニバッグもずぶ濡れだ。ハンドタオルで拭き取ろうと気休めにもならない。ぷるぷると肩を震わせルビーは膝を折りしゃがみ込む。


 ところが俺と来たら、こんなにひどい仕打ちは無いというのに笑いを堪えるので精一杯。いくら俺とルビーにシリアスなムードが似合わないからって、ここまで全力で捻じ曲げに来るものかよ。性格悪いな。天の神とやらも。



『ちょっとヒロ、なに笑ってるのよ! こんなに凍えている彼女をほったらかしにして!』

『いやぁ。滑稽やなぁって』

『怒るわよッ!?』


 ごめんごめん、と軽薄な謝罪を挟み、スカートに跳ねた泥を軽く払ってやる。その間もプリプリ怒っていたが、馬鹿デカいくしゃみを二つか三つ拵えるうちに怒りも収まっている。いや違うか。意気消沈しただけか。


 お互い背伸びし過ぎた罰かもしれない。気取ったデートは偶の一回、今日みたいな特別な日だけで十分ってことだ。

 アクシデント塗れの騒がしい日常こそ俺たちの原点。それがずっと続けば良い。馬鹿馬鹿しくて笑える時間が、最高に楽しい。



『……これ、ダメね。電車乗れないわ。どこかで着替えないと……』

『ちょうど今日買ったやつがあるやん』

『夏服なの、あれ。今じゃ寒すぎてとても耐えられないわ……もうっ、いつまで笑ってるのよ。死神みたいで怖いんだけど』

『amorに向かってなんちゅう言い草やテメェ』

『amorを鼻で笑い飛ばす下種野郎よりマシよ』


 気取った台詞を並べニヒルに笑う。

 釣り上がった眉はどうにも芝居臭く、等身大のままでこんなことやられたら、そりゃ勘違いもするよなって、諦めたくなった。



 一緒にいて楽しい。退屈しない。心から笑える。当たり前のようで結構難しいと思う。そして恐らく、恋人という括りにおいて最も重要なこと。


 俺という人間を彩る日常の延長線上に、シルヴィア・トラショーラスという少女もまた当たり前のように存在している。そんな事実が何よりも嬉しくて、やっぱり笑ってしまうのだ。



『……次は晴れた日に、な』

『ええ、そうしましょう。今度こそサンケーエンに行きたいわ』


 不満は多いだろう。少し前にも言っていた。こうやってしっかり決め込まないと、俺たちはロクにデートも出来ない。俺も同じように思った。恋愛沙汰へ縺れる予感がしないと。


 でも、無理を通したって結局こうなるんだからさ。まだまだ浅い付き合いの、出来立てホヤホヤのカップルなんだから。

 少しずつお互いを知って、主張して、削り合って、ちょうど良いところに収まろう。そしたらきっと、最高の妥協点が見えて来るから。



『ならそのときは日本語縛りでどうだ?』

『イヤよ。半分くらいどういう意味か分からないで喋ってるもの。二人きりのときくらい、心から思っていることを伝えたいわ』

『なんだよ。その気になれば喋れるんだろ?』

『全然、まだまだよ。説明し切れないわ。この不思議な、温かい気持ちを、すべて貴方へ伝えるには…………もっと教えて。日本語。特に愛の言葉をね』

『……ホンマ便利やわ外国語って。変に緊張せんでええから楽でしゃーねえ』

『ハァ!? どういう意味!?』


 良い意味で、ずっとこのままで居たい。なんの努力もせず、ただ気楽に肩を並べて、ありのままの自分たちで、辿り着きたい。


 自分でも意外に思うくらいで、実はまだ興奮している。ルビー。お前もみんなと同じでいつの間にか、欠かせない俺の一部になっていたんだな。


 あり得たかもしれない未来。

 それはもうただの妄想だ。


 でも、あり得るかもしれない未来なら。

 実に建設的。それでいて幸せな想像。


 そうだろルビー。俺たちならきっと、最高にハチャメチャで面白い未来を、一緒に作れる。みんなと一緒に――。



『……あれ? ルビー、その服は?』

『だから、今日のために買ったのよ』

『違う違う。その服って、今日買ったいま着るには寒過ぎる夏服のこと』

『…………あらっ?』


 持ち歩いている前提で話していたけれど、彼女はミニバッグ以外なにも拵えていない。ポーターズへ移動するまでは袋を持っていた筈だ。



『おいおい、どこに置いて来た? まさか橋のド真ん中で落としたとか……いや、その時はもう持ってなかったな』

『モールの中かしら……あ、そうよっ! アンパ○マンに乗ったときその場へ置いて、そこから……!』

『あらまぁ……もう閉まってるか、流石に』


 ガックリと項垂れ頭を抱える。せっかく買ったブランド服をポーターズに置き忘れてしまった。早いとこ回収しに行かないと。


 だが明日は有希と予定があるから、その帰りか次の日か。バレンシア語の通じる店員がいるとは思えないし。

 半分は俺のせいだ。まったくこんなところまで締まらない。ロマンスに浮かれるのも程々にしなければ。



『となると……その服で帰らないとな』

『えぇ~……着替えたい……』

『他の店も閉まってるだろうし、困ったな……乾くまで時間潰すか』

『乾くまでって、このトンネルの下で? いつ止むかも分からないのに?』

『まぁそれは確かに……移動してもその間にもっと濡れるよな』

Oh, Dios míoサイアク~……!」


 涙目でヒンヒン沸き立てる。スマホで時刻を確認。あぁ、ちょうど店が閉じる時間か。ポーターズを出てからここまでゆっくり過ごし過ぎだ。


 幸い電車は動いている様子なので、駅まで戻ればあとは帰路に着くだけ。びしょ濡れのルビーを大衆の面前に晒すのは忍びない、というか個人的に嫌過ぎるのだが、帰らないわけにもいかない。



『終電まで二時間か……』

『大人しく嵐が過ぎ去るのを待てってこと?』

『……ごめんな、寒いのに』

『はぁ~……良いわ、もう。仕方ないわよ』


 最後の最後に可哀そうなことをしてしまった。いやしかし、このまま放っておいたら流石に風邪を引きそうで、それはもっと困る。シャワーの一つでも浴びせてやりたいところ。


 お風呂とまではいかなくとも、家の近くにある銭湯みたいなところがあれば……サッカー部組と良く行く銭湯は結構遠いからなぁ。



『…………いや待て』

『なにかアイデアが?』

『お前さっき、何処の前で写真撮ったよ』

『写真? あぁ、マンヨーなんとかっていうオンセンの……オンセン!?』

「Yeah!!」

Genial最高!!」


 あるじゃん! 温泉!!

 行くしかねえッ!!


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