818. 天邪鬼なんだよ。多分
キスはあまり上手くなかった。上手い下手以前に唇をちょこんと当て軽く重ねただけ。あぁ確かに触れたなと感じる程度の、本当にささやかなものだった。
もっと情熱的に求めて来るものかと身構えていたら、案外不格好でそれこそ子どもっぽい。普段みんなにベロベロ舐め尽くされているせいで感覚が麻痺ってしまったのか。だとしたら一方的に俺のせいだけれど。
ただ、そのおかげで。というのも失礼な物言いだが、少しだけ冷静さを取り戻せた自分もいる。目の前に立つ少女がどんな表情で、どんなことを考えているのか。しっかりと見据えることが出来ていた。
『……それで? へ、返事は……ッ?』
きつく閉められていた瞳をゆっくりと開き、一歩後ろに下がって、震え混じりに強気なフレーズを飛ばす。紅潮した頬には降り注いだ雨粒が滴り、火照った身体を僅かに冷ましているようだった。
だから、ちょっと分かりにくい。不慣れなのは明らかだとして、どこまでイメージ通りに事が進んでいるのか。
目線を合わせるだけで精一杯な様子を見るに、前もって準備した台詞なのかもしれない。そう考えると微笑ましくも思う。
『凄い女だよ。お前は。俺がどういう人間か知らないわけじゃあるまいに、ここまで強気に出れるんだから』
『……全然、答えになってないんだけど!』
『ええけど、そろそろ歩こうぜ。雨、結構強くなって来たしさ。風邪引くぜ』
『ダメッ! いま! 今ここで答えてっ!』
照れ隠しか興奮しているのか、かなり激しい語気で決断を迫られる。グイっと身を寄せられ、しまいにはシャツを掴まれる。恐喝されてるみたいだ。
先延ばしにするつもりは無いが。
まぁなんというか、性格の悪さが出た。
ちょっと泳がせたいな、なんて。
さながら映画のワンシーンみたいな、綺麗で不足の無いクライマックスも嫌いじゃないけれど。俺とルビーにはもっと相応しいオチがあると思う。
ロマンスだけを追い求めるわけにはいかない。勢い任せで進んでは午前の二の舞だ。いつの日か比奈が言った通り。クラッシュしてからでは遅い。
『分かった、分かったよ。ちゃんと答えるから。だから一旦離れろ』
『…………どこ見てるのよ。ばか』
『んな胸元空いた服着てくる方が悪い』
『……興味あるの?』
『そりゃ当然。いつホテルに行きたいって言い出すか楽しみにしてたくらいよ』
『なっ……ッ!? そっ、そ、それは、流石に早過ぎるわよっ!?』
大慌てで距離を置き、雨脚に苛まれる心配も余所に胸元をひた隠す。クールダウンにはちょうど良い。色々な意味で。
この手の話題を彼女を前に出したことは無かったが、一応それなりに知識は持っているようだ。思わぬ収穫。
背丈は小さくとも出るところは出ていて、西洋人特有の血を感じさせる。ノノと並んでいるとどうしても意識し辛いところはあるが、決して小ぶりというわけでもない……いやまぁ、そんな話はともかく。
『この通り、そしてお前も知っているように……俺はルビーが想像しているような清廉潔白な人間でも、ましてや理想的な交際相手でもない。その点をしっかりと理解した上での告白ってことで、そういう認識でええな?』
『……分かっているわ。貴方がどうしようもない浮気性で、優柔不断な男だって。でも、その程度の障害、諦める理由にはならないもの』
『ああ、そう……』
彼女にしてもまったくの無知ではない。どこまで共有されているかは知らないが、女は男が思っている以上に鋭い生き物だ。春休みの間にガラッと変わった皆との関係性の一端を少なからず察している。
それでも尚、こうしてチャンスを窺い告白まで漕ぎ着けている。しかも玉砕覚悟の思い出作りではない。本気で俺の隣を奪いに来ている。恐るべき執念だ。嬉しさも程々に感心してしまう。
『……ホンマになんなんやろなお前も、みんなもそうやけど。男を見る目無さ過ぎんだよ。いつかとんでもないヘマしそうで怖いわ』
『アァッ!? なに!? 喧嘩売ってるの!?』
『そうやなくて……わざわざ進んで茨の道へ進むマゾばっかやなって……』
『言い訳になってないんだけど!?』
フシャーっと逆毛を立てて威嚇する。いつもの調子でふざけるのもそろそろだ。お互い多少は頭を冷やせた。時間は十分稼いだ筈。
感情任せに事を進めて上手く行った試しが無い。バレンタインのときだってそうだった。この手の具合はあくまでもポジティブな状況のみに限る。
俺の気持ちも、ルビーの気持ちも、そして俺たちが置かれている現実も。すべて明確に、クリアにしてから進めなければならない。
彼女は今日のデートも、この告白も、それ相応の覚悟を持って臨んでいる。本気でぶつかって来たなら、本気で返すのが礼儀だ。曖昧なままで良いものと駄目なものがあって、今この瞬間は間違いなく後者に分類される。
『リボン。解けそうやな』
『……誰のせいよ。まったく』
『頭振り回して暴れっから。ほら』
さっきから雨に打たれっぱなしだ。歩み寄り傘に入れてやる。リボンを手直すついでに、髪の毛に指を挟み撫で下ろす。
『よう似合っとるな』
『……んっ』
雨粒と湿気でほんのり濡れ纏まりがある。それでも一切の抵抗無く指を通るのだから恐ろしいものだ。俺の癖っ毛とは大違い。
唐突な接近に意表を突かれたのか、やり場の無い羞恥が滲み出るみたいに息を漏らし、汐らしく目を細めた。どこか不満げな面持ちは、期待もしていない優しさに当てられた反動と思われる。
これ以上振り回されて堪るか。
今度は俺が手綱を握る。
『……ヒロの考えていること、正直よく分からないわ。いっつもトゲトゲしてるのに、急に優しくなったり、かと思ったらまた突き放したり』
『天邪鬼なんだよ。多分』
「アマノシャケ?」
『アマノジャク。捻くれ者って意味さ』
『……言い得て妙ね。勉強になったわ』
時間ではないが、それでもたった半年の付き合いだ。生まれ持った棘の鋭さもあるから、俺が本当は自分のことをどう思っているのか、ルビーもイマイチよく分からないのだろう。
でも、結構単純だと思うけどな。だってオレ、ガキの頃からちっとも成長していないんだから。何人もの可愛い女の子に言い寄られて、一度だって断ることも出来ない。その癖、酷い言葉で軽はずみに傷付ける。
好きな子にちょっかい掛ける小学生男児と一緒だ。ただ、少し歳を取り過ぎていて、余計なことも一緒に考えてしまう。それだけなんだって。
『もし俺がフットサル部に入っていなくて、他の連中より先にルビーと交流センターで出逢って、今日までこうやって過ごしていたら……お前から告白させるまでも無かったよ。いや、ここまで引き伸ばすわけねえ。即口説いとったわ』
『…………そう、なの?』
『あぁ。間違いない。俺たち何だかんだで気も合うし、自然と歩幅も揃うし、見えてるものも一緒やしさ。お似合いのカップルや思うねん』
『……そうね。わたしもそう思うわ』
『何より可愛いからな。普通にタイプやわ』
『急に素直ね……悪い気はしないけど』
バレンシア語を理解出来るのは本当に偶々、偶然の生んだ産物だが、そうでなくても俺たちは良き理解者だ。
肩に力を入れなくてもいい、隣にいてなんの違和感も無い、そんな関係。カッコつけたがりで変に自信家なのも似ている。
もし大阪の地で何かの拍子に関わりを持ったら、そのまま今のような仲になっていたのかも。いやでも、当時の俺にルビーの相手をする余裕があったかどうか……結局そうはならなかったのだから、意味の無い考察か。
そう。仮定の話に意味は無い。有り得たかもしれない未来に期待しても、やっぱり架空のままだ。
『ところが、現実はそうじゃない。お前と同じくらい大切で、大好きな子がいる。沢山な。沢山。片手や収まらないくらいの』
『結局ヒロって、誰か特定の子と付き合っているの? だとしたらアイリ?』
『いや。全員恋人』
『……あぁ、やっぱり。なんとなくそういう感じなんだろうって思ってたわ』
『仕方ねえだろ。みんな大切で、一人も手放したくない。誰が一番で誰が何番目とか、そんなの考えたくもねえ…………みんなと幸せになりたい。そうじゃないと、俺が幸せじゃねえんだよ。そこだけは譲れねえ』
このような話をもう何度も、何人もの相手として来たけれど、未だに慣れない。最近ようやく客観的に見れるようになった。こんなの告白どころじゃない。プロポーズも同然だ。
だって、これからずっと一緒に居ろって言ってるようなものだろ。捻くれ者のマセガキがおいそれと吐いていい台詞じゃない。
でも、言うんだよ。ガキはガキでも。なんの展望も、将来も無い空っぽの人間でも。口に出して、ハッキリと伝えるんだよ。
『欲張りね』
『悪いか?』
『ううん。嫌いじゃない、そういうメンタリティー。でも、振り回される側の身にもなって欲しいわ。パパも結構なプレイボーイだったってママから聞いたことあるけど、ここまでじゃ無かったもの』
ちょっかい掛けるだけ掛けて満足しているようなお子様でもいられない。そこら辺の野郎と一緒にするな。俺は本気なんだ。いつだって。
『お前一人の男にはなれない。一生や。欠片のチャンスも無い。それを理解して貰った上で……もう一度聞くぞ。俺と、どうなりたい?』
『変わらないわ。貴方が好き。貴方の
『だから、一番とかそういうのは』
『ヒロの意志なんてどうでも良いわ。勝手に名乗るし、気付いたらそうなっているから。今のうちに覚悟しておくことね』
『……いやホンマ、凄い女やわお前』
『ふふんっ。もっと褒めなさい!』
もし身分不相応で、とんでもない我が儘だと言われるのなら。それこそお前なら仕方ない、我が道を行けと背中を押されるまで突き抜けるしかない。茨の道を選んだのは、なにを隠そう俺の方。
理論や常識では語れないものがある。正直に、ハッキリと、嘘偽りなく伝えるんだ。そう、だから要するに……。
『……慣れろ。とにかく。俺はこういう人間やから。そんな俺に告白して来たお前が悪いんや。ええな。そういうことやからなっ』
『なに? いきなり強がっちゃって』
『うるせえっ……あのな、俺やって外面剝いだら普通の男で、何回言ったって恥ずかしいもんは恥ずかしいんだよ……いやもう、だいたい分かれ?』
『分からないわ。ちっとも。ヒロなりにわたしのことを真面目に考えてくれているってことだけは分かるけど?』
緊張のピークはすっかり超えてしまったのか。ルビーは楽しそうにクスクス笑っている。授業参観で親を前に恥ずかしがる子どもを見るみたいに、それはもう温かい目で。
嗚呼もう、最後の最後にこんな調子だ。いっつもこうだ。調子の良いことばかり言って、結局ボロが出る。こんなんだから舐められるんだ。
でも、そうか。そういうことか。この不思議な、ルビーだけにしか抱かない特別な気持ちの正体は。ようやく分かったかもしれない。
こんな気心の知れた、それこそ普通の友達みたいな奴にさ。面と向かって『可愛い、好きだ』なんて、恥ずかしくて言えねえんだよ。母の日でもなしに母親へカーネーションを渡す奴いねえだろ。そういうことなんだよ。
ちょっと忘れ掛けていた。もう一年も前のことだ。ただのチームメイト、友達と思っていた奴らが、いきなり女に見えて来て。俺は酷く動揺して……こんな風に無様な顔をしながら、思いの丈をブチ撒けたんだ。
「……俺も好きだよ。ルビー。だから、そのっ……どこまで期待に応えられるか分からねえけど……でも、あれや、なるべく努力はする。色々と。なっ?」
ついバレンシア語を忘れて、普通に日本語で話してしまう。だが問題は無かった。ルビーはその言葉らを噛み締めるようにこくんと小さく頷き。
「ワタシモダイスキ! アイシトルデ、ヒロ!」
「…………お、おう」
「ヒロ、カレピッピ! ヒロノオンナ!!」
「だから誰に教わったその日本語」
「ノノ!!」
飛び切りの笑顔を咲かせ、胸元へ飛び込んで来る。思わず落してしまった傘を拾おうにも、あまりの力強さに身動きも取れない。
いや、お前。メチャクチャ喋れるじゃん。
ちゃんと聞き取りも出来てるじゃん。
こんな時ばっか日本語とか。
ズルいわ。本当にもう、さ。
雨はますます強くなる一方だった。もっとロマンチックでシリアスな場面が似合う筈だが、そんな流れには一切傾かない。とことん俺たちらしいキマリの悪さだなぁって、半ば言い訳みたいなことを考えている。
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