816. 合格


 夜から明日に掛けて雨は収まるそうだ。大橋下の下流こそ大荒れだが、もう傘を差さなくても良いかもしれない。



『これはこれで洒落たモンやな』

『役者の顔が良いと尚更ね』

『まぁ否定はしない』

『あらっ、ヒロの話はしてないけれど?』

『調子乗んな』

 

 市内最強デートスポットの本領発揮と言ったところ。いっぱいに広がる高層ビルたちはブルーのライトを基調に装飾され不思議と趣を感じさせる。天候によってライトアップが変わるのだろう。


 目立ちの良い金髪とリボンを振り回しルビーは意気揚々と先を進む。雨の力は偉大だ。影さえも淑やかに映る。


 あれこれ頭を回す気にもならない。ただただ漠然と『なんか良いな』という気分になる。瑞希の良く言う『エモい』の一言で片付けるべきかは分からないが、他に適切な表現も見当たらなかった。



『ねえヒロ。写真を撮って』

『ええよ。なら観覧車が映るように……』

『そっちじゃなくて、こっち!』

『なんで? 映えなくない?』

『子どもっぽいのはイヤなの!』


 何故か目前の遊園地でなく、車道を挟んだ先の温泉商業施設をバックに撮りたがる。背景一つで子どもっぽい大人っぽいも無いだろ。分からん。


 スマホでサクッと撮るだけでも構わなかったが、ふと鞄に入れっぱなしでロクに出番の無い一眼レフの存在を思い出した。

 結局趣味の領域へは至っていない。一番重宝しているのは家へ遊びに来たときなんの気なしに手に取る比奈だったりする。


 カメラを構える。久々に使っているところ見たわ、なんて悠長に呟き、ポーズも取らずシャッターに収まるルビー。構図の良し悪しを勉強する気にはならない。被写体が良ければなんでも美しく見えるものだ。



『それ、アイリに送りなさいよ』

『なんでよりによって愛莉やねん。休み明けに殺されるの俺やぞ』

『一緒に釈明してあげるから!』

『やめろ死にたいのか』


 にっしっしと悪戯に白い歯を輝かせ、踊るようなステップを踏む。リボンを巻いてからすっかり上機嫌のルビーだ。すぐ調子に乗る悪癖は相変わらずだが、笑っているうちは大した問題でもない。


 気に入ってくれて良かった。グダグダのデートだったけど、最後の最後にそれっぽい雰囲気にはなったと思う。ちょっとは挽回出来たかな。



『流石に風はまだ強いな……最寄りに着くまで収まるとええけど』

『さあ、どうかしら。まぁ良いんじゃない、今日はこのくらいで。最後に帳尻も合ったことだし、大人しく……』


 大橋を渡る。去年のハロウィンは比奈とこの橋を渡った。帰りは全力ダッシュだったな。警察と追いかけっこしたから。学生服でもなしに目を付けられる心配は無いだろうが、そろそろいい時間だ。


 軽快な足取りに相違なく、カラカラと歌うような声色を弾ませるルビー。だが、途中まで言い掛けて、ついでに足も止めてしまった。



『どうした?』

『…………いや、まだね。まだ足りないわ。写真とプレゼント一つで挽回出来ると思ったら大間違いよ』

『お、おう?』

『満腹で苦しんだ思い出は必要無いわ。全部忘れちゃうくらい、塗り替えて貰わないと……!』


 鼻息荒く拳を握り締める。雨が上がったのを良いことに、まだデートを続けるつもりらしい。


 とは言うものの、夜景を楽しめるほど天候は回復していない。もう二十時を過ぎていて、学生が気兼ねなく遊べる場所も限られる。レンガ倉庫は歩いて数分のところだが、流石にこの天候では寒すぎるし。



『なんか探してる?』

『人が多過ぎるわね……こんな天気の悪い、しかも平日だって言うのに。どうして日本人は混雑したところへわざわざ集まりたがるのかしら』

『自分ら棚に上げてよう言うわ』

『ねえ、どこか静かな場所は無いの? あんまり人が居なくて、夜景が楽しめるような、そういうところ!』


 無茶振りである。人気のデートスポットでそんな都合の良いところは早々見付からない。俺とて詳しくないのだ。地元じゃないんだから。


 熱のこもった真剣なまなざし。適当に答えようものならまた機嫌を損ねてしまうだろう。彼女はまだまだ期待しているのだ。完璧ではなくとも、俺たちらしいデートというやつを。


 あまり自信は無かった。ロケーションだけなら最高だが、肝心の役者は頼りなさ過ぎる。お前が言ったんだ。顔だけなんだよ俺もルビーも。



『……ランドタワーは、人が多い』

『でしょうね』

『いつまた降り出すかも分からないし……なるべく屋内に居たいよな。誰だって』

『そうね』

『……二人になれる場所が、良いんだよな?』

『言わなきゃ分からない?』


 スッと歩み寄り、空いた右手を力いっぱい握られる。冷たいのに暖かい、不思議な感触。サラサラとしていて、しっかり握り返さないとスルリと抜けてしまいそうだった。湿気のせいでもなかろう。


 もう少しだけ背伸びをしてみろ、男を見せるんだと、言葉も無しに説得されているようだ。見る者を吸い込むブルーの力強い瞳が、俺を貫く。



『逆転の発想やな。敢えての外や』

『と言うと?』

『……遠回りするか。あっちにも橋があるけど、この時間この天候なら人は少ない。と、思う。どうだ?』

『……合格っ!』


 会心の笑みを浮かべ、人懐っこく頷いた。合格って、何様だよ。男女のデートと言い切るには揃いも揃って不合格、落第だ。今日の俺たちは。


 だから、部分点を狙うんだよ。

 募りに募って、やっと合格だ。



 海沿いの埋め立て地なので、必要かどうかも分からない小さな橋が幾つもある。臨港パークと新港パークを行き来するスロープもそのうちの一つだ。名前の由来は分からない。港って付いていればなんでも良いのか。


 スマホで軽く情報収集。ほんの数か月前に全面開通したばかりの新しい橋なんだとか。コスモパーク沿いに架かる大さん橋の賑わいが嘘のような閑散ぶりだ。みんな存在自体知らないんだろうな。



『ふーん……ここから展示ホールに行けるのね』

『いらないよな。ぶっちゃけ』

『まぁ駅からも離れるしね』


 渡り切ったところに芝生の広場があって、冬に真琴と訪れた。そのときはまだ無かった筈だ。横幅の広い道を二人占め出来るのも今だけだろう。


 そう。二人だ。他に誰もいない。


 桁下が低く大荒れの水面が近いのが若干怖いけれど、気になるところと言ったらそれくらいで。何に邪魔されることも無い。


 100メートル弱の短い距離。全力で走り抜ければ10秒とちょっと。どれだけゆっくり進んでも、すぐに渡れてしまう。


 たったそれだけの短い距離、時間で。

 俺とルビーは、何が出来るのだろう。


 水面が揺れている。不確定で曖昧な二人の未来を暗示するみたいに、ぐらぐらと、音を立てて。


 


『……今日は楽しかったわ。それなりにね』

『ん。ならええこって』

『次は軽く食べるくらいにしておきましょう』

『お前が馬鹿やらなもっとマシな昼だったよ』

『だって、食べたかったんだもの』


 普段と代わり映えしない軽快な突き合いを合図に、二人は歩き出した。左手に拵えた傘を馬鹿に持て余す。誰に指摘されるわけでもなしに、持ち方が気になる。あらゆる要素が邪魔に思えて仕方ない。



『色々と思うところはあるけれど……おおむね満足ってところかしら。サンケーエンに行けなかったのはちょっと心残りね』

『またそのうちな……でもなんでまた三渓園?』

『今と一緒。この辺りも嫌いじゃないけど、どうしても人が多いでしょ? 静かな場所に行きたかったのよ。フットサル部も退屈はしないけれど、ちょっと騒がし過ぎて疲れちゃうわ』

「誰よりも喧しい奴が良く言うわ」

『なに? なんて言ったの?』

『なんでもねえよ。もっと勉強しろ』


 細やかな反抗は水の流れに紛れ彼女に届かなかった。そうでなくても聞き取れなかっただろう。リスニングはまだまだ改善の余地がある。


 俺や瑞希相手ならともかく、お決まりの日本語しか話せない彼女は意思表示のために大袈裟なリアクションを取る必要がある。それ故、つい勘違いしてしまうのだ。確かに根っこは陽キャなんだろうけど。


 優雅で上品で、自分が可愛い顔をしていることをよく分かっていて。誰よりも抜け目ない。ところが案外感情的。国籍や肌の色、出目は関係ない。どこまで行っても女の子なのだ。ルビーという少女は。



『正直、なんとなく予感はあったわ。貴方と一緒にいると、あまりにも気が休まるから……まともなデートにはならないんじゃないかって』

『だからお前のせいやろ半分は……でも、そうか。だからあんなにデートデート言うとったんやな』

『ちょっとでも油断したら、いつものわたしたちに戻っちゃうんだもの。それはそれで悪くないけど……』


 橋のちょうど真ん中辺りまで来て、ルビーは立ち止まった。一瞬ばかり周囲を確認して、少しわざとらしく息を吐く。



『本当に良いところ見つけたわね。誰もいないじゃない』

『……ルビー?』

『いつも通りのままじゃ、なにも始まらないのよ。だからこうやって、無理にでも進めるしかないの……』


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