812. 一味違う


「……死ニテェ゛……ッ!!」

「やめろ言うたのに……」


 目論見通り十分足らずで入店出来たまでは良かったが、間違ってMAXラーメン大盛りの食券を買ってしまったルビー。

 選んだからには責任を持って食べ切ると大見得を切り決死の勝負を挑んだが、長い格闘の末、撃沈した。色白の肌が真っ青に染まっている。



『少しは落ち着いたか』

『はぁぁ……汗と雨で身体中ベタベタ……あんな馬鹿げた量をあっという間に完食するんだから、やっぱりコトネっておかしいわ……』

『栄養が全部胸に行ってる奴は一味違うのさ……あー、気持ち悪』


 琴音はいつもMAX大盛りを頼むから、自分もそれくらいは食べられるものと思っていたようだ。結局半分は俺が片付けることになった。調子に乗るな。部で一番食べるんだぞアイツ。理由は謎。


 汗と湿気、度を過ぎた満腹感の合わせ技に揃って足並みは遅い。傘を持ち上げるのさえ億劫だ。地下街の腰を下ろせる店を探そう。歩くのもシンドイ。



『ねえ、冷たいものが飲みたいわ。カフェを探して。なるべくお洒落で静かで、わたしとのデートに相応しい、そういうところ!』

「自分でハードル上げておいてコイツは……」


 階段を下り地下街へ。飲食店や家電量販店、本屋が立ち並び雨風の心配なく時間を潰すには持って来い。人の流れは多いが一度店に入ってしまえば問題無い。カフェか……良いところあるかな。



『あれは? コーヒーって書いてあるわ』

『読めるのか。珈琲って結構な難読やろ』

『ふふんっ、あまり舐めないで欲しいわね! これでも地頭は良いんだから!』

『もっと早い時期に発揮して欲しかったよ』


 読み書きお喋り共に来日したてかと思うほどの熟練度だった日本語も、この数か月で随分と向上した。特に読解は素晴らしい。ひらがなカタカナは完璧にマスターしたし、漢字も少しずつ覚えている。


 欲を言えばスピーキングにもっと力を入れて欲しいところだが……未だにお決まりの定型文しか発しないんだよな。練習で他の子とコミュニケーションが取れないのはちょっと痛い。



『傘。右手で持ちなさい』

『なんで?』

『わたしがこっちにいるから! もう、察しなさいよ! 手を繋げないでしょ?』

『やだよ。汗でベタベタするもん』

『構わないわ、わたしも一緒だもの』


 だが当人曰く、あくまで面倒なだけで、その気になればもっと喋れるとのこと。俺相手に日本語を多用しないのは、瑞希以外には聞き取れないバレンシア語で秘密のお喋りを楽しみたいからだそうだ。


 湿気でベチャついた左手を細い指で絡め取り、上機嫌に振り回す。流石に暑苦しいからか腕は組まれなかったが、距離は相変わらず近い。


 腹の具合もだいぶ収まったようだ。楽しそうにニコニコ笑っている。間近で見ると本当にただの可愛い女の子で、非常に困る。



(デートと言ってもなぁ……)


 昨日とまったく同じことを考えている。

 コイツ、俺のことをどう思ってるんだろう。


 初対面から割かし気に入られている。バレンタイン前日、皆に内緒で出掛けた際『運命の相手かも』などと宣い、あまつさえ連中を前に『油断してたらわたしが全部持っていく』とまで言い放った。


 外国人特有のアグレッシブさか故かはともかく、彼女の猛烈なアピールに気を取られ、心を奪われていた時期もある。

 様々な事象が重なったとはいえ、強い絆で結ばれたフットサル部を一度は半壊へと追い込んだ女だ。そのポテンシャルは計り知れない。



『ふーん、中々良い雰囲気の店ね……』

『言うてチェーン店やぞここも』

『あらっ、そうなの?』

『全国チェーンやろコ○ダ珈琲って確か。俺も入ったことねえけど……なんかで有名だけど、なんで有名なのかは忘れた』

『きっとコーヒーが美味しいのよ!』


 すぐに案内されテーブル席へ。メニューもすらすらと解読し、指差しと拙い日本語でさっさと注文も済ませてしまう。俺、なんも選んでないのに。



『選択肢ねえのかよ』

『適当なセットメニューにしておいたわ』

『は? まだ食べるの? 馬鹿なのお前?』

『スイーツは別腹よ、別腹!』

『懲りない奴め……次は自分で食い切れよ』

『たかがパフェでしょ? 余裕余裕っ』


 先の格闘から三十分ちょっとしか経っていないのに。今度こそ置いて帰るぞ。残した分だけ生クリーム鼻に突っ込んでやる。



(語学力と女子力は共存出来ないのか……?)

 

 今更語るまでもない。

 ポンコツが過ぎる。この女。


 初対面時はどこかお淑やかで清廉なイメージもあり……俺も俺で、当時の印象をずっと引き摺っていたのだ。故に尚更ギャップを感じる。


 我が部のリーサルウェポンこと市川ノノと言葉も介さず馬が合った理由が、今ならよく分かるのだ。

 非常に好奇心旺盛で、猪突猛進で、単細胞で、自信家で調子ノリ。度の越えたおっちょこちょい。そして人の話を聞かない。


 愛莉から陰キャ要素を抜いて、自己肯定感をモリモリに付け足した性格と言えば分かり易いか。なるほど、ノノの親友に相応しい女だ。



「絵にはなるんだけどなぁ……」

『なに? エ? pintura?』

pintoresco絵画的、やな』

『あらっ。嬉しいこと言ってくれるじゃない。ようやくこの美しさの真髄に気付いたってわけ?』

『なんでそういうこと言いながらおしぼりで顔拭く? 誰に教わった?』


 メイク落ちてるからってそんな乱暴に。


 ノノか文香に教えられたんだろうな、食事処でタオルがあったらまず顔を拭けって。日本の作法云々関係無く、普通気付くだろなんとなくマナー的に。



 この手の具合を筆頭に退屈しない奴だ。見ているだけで面白い。日本に不慣れな外国人という以上に、彼女のキャラクターそのものを気に入っている。


 大雑把なのにカッコつけたがりで、偶に本当にカッコいいところ。真面目にやっているつもりが結果的に馬鹿を見る不運なところ。全部含めてルビーらしいし、魅力的だと思う。


 が、しかしルビーだ。

 どう足掻いてもルビーはルビーである……。



『それにしても、こんな風に二人で出掛けるの、いつ振りかしら? もしかしたらドーナツ屋に行ったきり?』

『交流センターは数に入れないのか?』

『あんなの日常みたいなものじゃない。デートのうちには入らないわ』

『ところがどっこい、日本には放課後デートという言葉があってだな』

『知ってるわ。でも認めない』

『あ、はい。そうですか』


 彼女を女の子として見ることは、出来る。全然出来る。余裕で出来る。


 聖来とは違う。にぃにと妹、保護者と被保護者に近いソレとは異なり、ルビーとの関係は極めて対等だ。一つ離れた歳の差も気にならない。


 にも拘らず、どうしても『あぁ、ルビーだなぁ』とか考えてしまうのは、これもやはり、彼女のキャラクターに起因するところがあった。夏前での瑞希へ抱いていた感情と似ているかもしれない。



 このところ、どうしても女の子を相手している感覚にならないのだ。『女友達』『悪友』という印象が強く、恋愛沙汰に縺れるイメージが沸かない。初対面とのギャップによる影響も大きいのだろう。


 そしてルビーも、同じように俺を『男友達』として見ている節は、やっぱりあると思う。好意こそ明白だし態度にも出ているが、出会ってから春休み、そしてこの一か月、彼女から受けたは決して多くはなかった。



『一応聞いておきたいんだけどさ』

『なあに?』

『デートって、男と女がするもんやろ』

『らしいわね。一説によると』

『お前、俺とデートしたいのか?』

『…………なに? 喧嘩売ってるの?』

『そうやなくて……なんでもねえ、忘れろ』

『売られっぱなしで買わせもしないつもり?』

『だからごめんって。楽しいな、デート』

『ほんっと性格悪いわね貴方……ッ』


 余計なことを言い怒らせる。が、すぐにパフェが運ばれてきて、すぐ元の可愛らしい顔に戻った。こういうところもなぁ、掴めないんだよなぁ……。



(わざわざ今日に拘らなくたって……)


 ルビーの性格上、好きなら好きでもっとアピールしてくる筈なのだ。それこそみんなを嫉妬させるくらいベタベタくっ付いて、なりふり構わず独り勝ちを狙う程度のことはやってくるタイプだと思う。


 でもこの数か月、俺たちはまるで進展が無かった。まずは友達から、それも間違っていないが、男女としての関係は一切進んでいない。


 何が言いたいのかと言うと、個人賞のご褒美ダシにしてわざわざ『デート』をするって、なんだかルビーらしくないなって、ずっと不思議に思っていた。



『……ねえ、大きくない? このパフェ』

『デカいな……』

『普通のサイズを頼んだんだけど……』

『……あぁ、思い出した。コ○ダ珈琲ってご飯の量がメチャクチャ多いんだよ。SNSでもしょっちゅうバズってるって瑞希が……』


 俺の分も運ばれて来る。ルビーが勝手に頼んだ、サンドウィッチとコーヒーのセットメニューだ。だが明らかに多い。ちゃんと一食分。



『……ごめん、ヒロ。頑張って』

『…………お互いにな』


 蘇る三十分前の悪夢。

 乾いた笑い声が店内BGMと共に消えていく。


 そうか。こういうことか。改めて『デート』と銘打たないと、俺たちはどうしてもこうなってしまうのか。そういう運命なのか……。


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