811. 自分をしっかり持て


(もう降っとるやん)


 天文学者のみならず天気予報士まで現実が見えていないようだ。支度を済ませ玄関を潜ると、横降りの強い雨で肩袖が早くも濡れてしまった。


 午後からにわか雨とは嘘も良いところ。今日一日止むことは無いだろう……開幕から心が折れる。相手が相手なだけに。



 心細い安物の傘を差し最寄り駅を目指す。建学記念日、臨時休校に当たる今日火曜日は、ルビーの個人賞獲得のご褒美が果たされる日だ。内容はなんでも良かった筈だが、当然のようにデートの取り決めが為された。


 待ち合わせ場所はルビーの自宅最寄りから少し都心部へ向かった駅。向かう場所も事前の打ち合わせで既に把握している。海がほど近い歴史的な日本建築が立ち並ぶ庭園だ。ずっと行ってみたかったらしい。



「あーあー、こりゃ絶好の散策日和ですわ……」


 改札を抜けると、出発時に増して強い横殴りの雨がお出迎え。気を抜いたら傘がひっくり返りそうなほどの強烈な風だ。新品のシャツが早くもびしょ濡れ。


 雨の当たらない場所でルビーを待ち惚けるが、中々姿を見せない。既に待ち合わせ時間は過ぎているが…………あっ、来た。



「えぇ、お前……ッ」

『もう最悪っ!! なにが午後からにわか雨よ! とんだハッタリ掴まされ……ヴぇっクシュンッ!!』


 豪快なくしゃみと共に現れたルビー。薄手のカーデガンにフリフリの白いブラウス。シックな装いのロングスカート。

 見てくれの良さを存分に生かした可愛らしいコーディネートだ。ちょっと成長した不思議の国のアリス。そんなイメージ。


 ファッション負けしない整ったビジュアルが、清楚さをグッと引き上げている。まさにルビーの特権とも呼べる完璧なシルエット……なのだが、こうもびしょ濡れでは魅力も半減か。普通にクソ寒そう。



『ああああ~寒いいいいい~~……ッ!』

『メイクほぼ落ちとるやん……タオル使う?』

『貸してッ!』


 ハンドタオルを宛がいゴシゴシと拭き取る。それでは不十分と、雨風にタオルを晒し軽く濡らして、更にゴシゴシ。薄化粧は剥がれ落ち、すっぴんへ逆戻り。


 普段からノーメイクなので、こちらの方がよっぽど見慣れた姿ではあるのだが……完全に出鼻は挫かれたな。ここで『化粧し直して来る』と一旦引き下がらないのがまた彼女らしくも感じる。そもそもの女子力が低い。



『で、どうするんだよ。この天気でお散歩デートは流石に無理があるぞ』

『そうね、サンケーエンは諦めるわ……でも心配ご無用。こんなにお似合いのカップルなら、この程度のアクシデントなんてことな……ヴァァ゛くしゅッ!!』


 女らしさの欠片も無いくしゃみだ。

 こんなところまでノノに寄せるな。


 近辺には目ぼしい屋内施設がなにも無いので、一先ず電車へ乗りターミナル駅を目指す。何かしら良い場所はあるだろう。腐っても日本屈指の政令都市。カジノ計画がとん挫したとしてもその価値に変わりは無い。


 彼女と同じだ。多少の事故や失敗では覆い隠せないだけの魅力がある……筈。



『はぁ……わたしったら、こんなに不器用でだらしない女じゃなかったのに……ヒロと一緒にいると、どんどん女性らしさが損なわれていく気がするわ』

『アホ、俺のせいにするな。頭からつま先までお前の落ち度やっちゅうに』

『……ふんっ。余裕ぶっちゃって。いつまでその澄まし顔が続くか見物ねっ!』


 デートプランが半壊してしまいご機嫌斜めな様子。素のポンコツぶりはともかく、比奈と並んで女の子らしさには拘りのある彼女。

 スタートからガッツリ躓いたのも、この頃の俺たちの関係性にも、納得いかないことは多々あるようで。


 全然良いんだけどな。俺は。これはこれで楽しいし。お前と一緒にいると、一つも背伸びしないで済むから、気楽で心地良いよ。


 電車がエラい勢いで揺れる。雨の匂いと合わさり嫌に気分が悪い。つい感心してしまうまであった。どこまでも俺たちらしい、一日の始まりだ。






『ふーん。貴方がセーラのお兄ちゃん……似ても似つかないわね』

『言われるまでもねえよ』

『まっ、良いんじゃない。セーラがそれで満足なら。ライバルが減っただけ有難いくらいよ』


 暇を持て余す車中、時間潰しに昨日の出来事をざっくばらんに打ち明けてみる。実にルビーらしい返答だ。他人の動向にちっとも関心が無い。外国人特有のパーソナリティーか、強がりの範疇かは分からないが。


 今朝もGPSアプリはしっかり作動している。もういちいち気にしない。妹をガッカリさせたくないし、にぃにらしい真っ当で誠実なデートを目指すだけ。声もたっぷり聞かせてやる。プライバシーなど端から存在しない。



『朝飯は?』

『食べてないわ。時間無かったし』

『なら少し入れておくか……ええ場所あったかな』


 もう何度目か数えるのも億劫な市内最大のターミナル駅。ここで降りたのは春休みに愛莉と二人で出掛けた日以来か。


 地元でもなければ覚える気も無いので、未だにどこに何があるのかサッパリ分からない。ルビーも父の仕事柄、国内をあちこち回っていてロクに土地勘が無いので、完全に手探りだ。まぁでも、飯屋の一つくらい探せばあるだろ。



『牛丼でええか』

『はぁ!? ダメに決まってるでしょ! デートで牛丼屋なんてあり得ないわ!』

『いっつも食っとるやろお前……』

『デートと練習帰りを一緒にしないで!』


 西口を出て通りを真っすぐ進む。チェーン店が立ち並んでいるがそれではご不満のようだ。チーズ牛丼お持ち帰り常習犯の癖に、もっと良い店を探せとブーブー文句を垂れる。


 いや困った。うどんやファーストフードでも同じやり取りの繰り返し。かといって変な店に入りたくないし。本当なら庭園の茶屋でだんごでも食べていた筈なのになぁ。はあ、先が思いやられる……。



『……あれ、なんの行列?』

『ラーメンじゃねえの』

『有名な店なのかしら?』

『あー、アレや。有希のバイトしてる店と同じ系列の。系列っていうか、なんて言うかな。同じ流派?』

『イエケーってやつ?』

『それそれ』


 昼前から馬鹿みたいな行列を形成している。いつの日かテツが話していた。この店が家系ラーメンの元祖とも呼べる店舗で、全国からラーメン愛好家がこぞって訪れるとかなんとか。


 有希がバイトしているフットサル部行きつけのラーメン屋も、元を辿ればこの店舗から暖簾分けした店なんだとか。

 いやもう、悔しいけど美味しいんだアレ。初めて食べたときのカルチャーショックと言ったら。クソ美味い油食ってるみたいなモンよ実質。



『気になるのか?』

『ちょっとね。ユキのラーメン屋、結構美味しいし。ここが本店ってことは、あっちよりこっちの方が美味しいんでしょ?』

『そうとも限らんと思うが』

『……ただ、行列が』

『並びたくはねえな。雨やし』


 何人かは傘も差さずに並んでいる。修行か何かなのか。ラーメンばっか食べてると体温調節機能がバグるんだろうな。凄い悪口だ、控えよう。



『あぁ、でもそんなに掛からなそうね。十分くらい待てば入れそうよ』

『牛丼は駄目でラーメンは良いのか?』

『うグっ……!?』


 すっかりその気になっていたルビーだが、先の発言と思いっきり矛盾することに気付いたのか、ピタリと足を止める。

 それもそうだ。こんなに重たい、いかにもデートみたいな恰好でラーメン屋は入り辛かろう。TPOに助走着けて殴られる。


 ただ……やっぱり気になるよな。人生で一度くらい本店の味を試してみたい。それがよりによってルビーとのデートでなければ完璧だったのだが。



『まぁ、もうちょっと探そうや。また今度食いに来ればええやん。わざわざ今日やなくたっ、って、おい、待てルビー』

『はぁぁ……良い匂い……っ』

『ねえデートは? デートに相応しい店があるんじゃないの? ルビー!? 自分をしっかり持て!? あと昼前のラーメンは腹に来るぞ! ルビー!?』


 ふらふらと引き寄せられるように行列の最後尾へ。嗚呼、もう駄目だ。後ろにも客が並んでしまった……。



『諦めは肝心よ、ヒロ。この匂いに誘われたら最後、我慢する方が身体に毒……!』

「…………お前さぁ……」


 本当にデートする気ある? ねえ?


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