808. 恥ずかし過ぎない?
すぐ近くのベンチに腰を下ろす。ミクルがガッツリご飯を注文してしまい今はハンバーガーを食べているとのことで、まだ戻って来るまで時間が掛かるそうだ。文香に返信を済ませ、改めてその真意を問うこととする。
「で……安心って?」
「……他のみんなにゃあ、言いなんなね?」
スマホをギュッと握り締め、時間と共に噴射される噴水をボンヤリ眺めている。水飛沫が厚底の眼鏡にきらきらと反射していた。夜道を照らす蛍光とは裏腹に、表情は一向に冴えないまま。
「わしゃあ昔っから、誰かの後ろに着いてばーで……あだ名まであるんよ。同級生の男子に、背後霊や呼ばれとった」
「酷い言い草やな……」
「けど、自分でもそう思う。なんにも喋らんで、後ろに引っ付いとるだけで……気味悪がられてもおかしゅうねえ」
常に誰かの後ろに無言で引っ付いていて、偶に喋ったと思ったら厳つい岡山弁。同級生の気持ちは分からないこともないが、だからと言ってこんな可愛らしい子に背後霊は無いだろう背後霊は。
ただまぁともかく、幼少期の言動からして、ストーカーへ変貌する要因がゼロではなかったわけだ。
上手く言葉に出来ないから物理的な距離感を縮める。居場所や性格を外的手段を用いて把握しようとする。ある意味正しいルート。
だが今知りたいのはそこじゃない。どうして俺と一年生にだけ固執し、先輩女子共にはそうしないのか、だ。
心の奥底では、陸上部の先輩に友達を取られてしまった過去が引っ掛かっているのではないか。と慧ちゃんの話から推理していたが、先の『安心』という発言から考えるに、これもちょっと違う。
「その……上手く言えねえんだけど……っ」
「ええよ。ゆっくりで。全部聞いてやるから」
「…………先輩たちは、わしが後輩じゃけぇ、気に掛けてくれるが……別にわしじゃのうてたって、他のみんなにも一緒じゃ思う。けどみんなは……」
「……そうじゃない?」
「あの子のこともあったし、急にどこかへ行ってしまわんか、不安で不安で……わし、こねーな性格じゃけぇ……」
……なるほど。先輩たちは『後輩だから』という理由である程度自分を気に掛けてくれるので、アプリ等で保険を掛ける必要が無い。
その一方、同級生の皆はあくまで歳が一緒なだけ……些細なすれ違いをきっかけに、また地元の友達のように距離が出来てしまうのではないかと、どうしても不安になってしまう。
ストーカー紛いの行動に出るのは、彼女なりの『裏切られたくない』『遠くへ行って欲しくない』という気持ちを表した保険なんだ。
自身の手の届く距離に置いて、皆の言動を把握することで『安心』出来るから……。
「……でも、俺は?」
「へっ?」
「いやだって、その理屈なら俺も小谷松さんのこと『後輩だから』って理由で、ちゃんと気に掛けてるつもりやし。別にどこも行ったりせえへんで」
同級生に執着する理由は分かった。やっと俺の番だ。彼女の抱いている気持ちが愛情でも執着でも無いのだとしたら……俺を監視しようとするのは何故?
「……………………分からん」
「……分からんかぁ」
振り出しへ戻った。
じゃあ、理由も無しにストーカーですか。
それはそれでもっと怖い。
お願いだから真っ当な理由をください。
「めーにも言うたけど……わしゃお父さんっ子じゃったけぇ、そねーなのもある思うけど……自分でもひょんなげじゃ。廣瀬先輩だけは、他の先輩たちみてーに確信が持てんで……」
「……俺がダメな先輩ってことかな」
「ううんっ、そねーなんねえ! 先輩はでーれー頼りになるし、カッコええし、優しいし、凄い人じゃし、ほんまに尊敬しとるんじゃ……ほんまじゃよ!?」
大慌てで弁明する。さっきから誉め言葉がパターン化され過ぎていて今一つピンと来ていない節はあるが、ともかく信頼されているのは事実のようだ。
ともすると、俺とアイツらの違い……男女の差しかない。やっぱり自覚が無いだけで、俺のことを異性として意識しているんだ。
だったらもう、白黒つけないと。俺の答えは決まっている。これだけ慕ってくれている後輩に、こんなこと言いたくないけれど……。
「ごめん、小谷松さん。俺も小谷松さんのこと、可愛い子だとは思ってるけど……どうしても恋愛対象には見れないんだ」
「…………へっ?」
「どっちかと言うと、妹と接している感覚というか……いやホント、自分でもビックリだけどな。異性に対してそういう感情が残っていたことに」
「へっ? へっ?」
「自分で言うのもアレやけど、オレ、すっげえ面倒くさい恋愛しとるんよ。小谷松さんみたいな真っすぐで純粋な子の相手は、ちょっと荷が重い。重いっていうか、俺が相手じゃダメだと思う。もっと誠実な男じゃないと……」
「ちちっ、ちいと待って……なんの話か!?」
「えっ?」
おろおろと腕を伸ばし目を泳がせる小谷松さん。そうじゃない、そういうことではないと、言わずとも分かる何かがあった。
「あの……ご、ごめんなせー。わしも先輩のこと、男としちゃあそねーに……」
「えっ?」
「ええ人なんいっぺー知っとるし、カッコええのも分かっとるけど……けど、違うんじゃ。先輩たちと色々やっとるのも知っとるし……」
「えっ?」
「…………ごめんなせー。こねーなんわざわざ言いとうなかったけど…………先輩のあねーなやらしいところだけは、ちいとどうかなぁ思うとる……っ」
「……えっ?」
真っ赤に染まった顔はゴリゴリにそっぽを向き、意地でも視線を合わせないという鋼の意志さえ感じさせる。
そうだ。彼女は知っている。先輩女子共との不埒な関係について。
春先は音声も筒抜けだったのだから、俺がいつどこで、誰と致しているのか。ほぼほぼ知ってしまっている。比奈と瑞希もそう話していた。
……ちょっと待て。
また俺だけ先走った?
「自分もそねーなぁ詳しゅうねえけど……がめ聞きしてーて、こねーなん言うのもアレやけどっ……」
「……うん」
「そねーなんするとき、でーれーオラオラしとるの、ちいと怖ええ……」
膝を擦り合わせモジモジしている。俺たちが夜な夜な何をしているのか、彼女はちゃんと分かっている。これも『意外とむっつり』という証言通り。
要するに小谷松さん、俺とみんなの情事を盗み聞いて『ああいうときにオラオラする男はタイプじゃない』と言いたいんですか?
なんでオレ、後輩に夜の詳細を把握されていて、しかもそれが『自分好みじゃない』と面と向かって苦言を呈されているの?
え? なにこの状況?
男として恥ずかし過ぎない??
「……そねーなのがなけりゃあ、先輩はほんまにカッコようてええ人じゃ……でーれー尊敬しとる……!」
「……はい」
「あとな、あとなっ? さっき先輩の言うた『妹みてー』いうの……もしかしたら、それかもしれんっ!」
「はい?」
「わしゃあ、ずっとお兄ちゃんが欲しかったんじゃ! その子もお兄ちゃんがおって、ずーっと仲良しじゃったけぇ、けなりいなぁ思うとって……!」
「…………はい」
お兄ちゃん、か。なるほど。
確かに俺の小谷松さんに対する態度はずっと『妹』そのものであったし、彼女も彼女で恋愛感情が無いのなら、異性相手に行き着く信頼は、やはりそのようなものになるかもしれない。
まぁ、だからなんだって話だけど。
さっきの件、全然消化出来てないけど。
「自分でもひょんなげぇよ……先輩のこと、男として好きになってもおかしゅうねえなって、ずっと思うとったのに、どねーしてもそうならんで……」
「うん」
「頭ん中で、ピカーンってなったんじゃ……! 先輩は他の先輩より、わしのことを気に掛けてくれるし……きっと何か、違う理由があるんじゃって、ずっと思うとったんじゃ! それが今、全部分かった!」
「そうなんだ」
「あの、先輩っ……もっぺん『にぃに』って呼んでもええか……!?」
「良いよ」
凄まじい速度で、何かが収束しようとしている。俺の心を犠牲にして。
フゥーっと大きく息を吐いて、俺の顔を真っすぐ見つめる。やめてほしい。こんな出来損ないのクズ人間を、そんな目で見ないで欲しい。
分かんない。全然分かんない。男としては見れないけど、兄として慕うのは良いんだ。全然分かんない。どういう原理なの。ねえ。
「に、にぃに……っ!」
「はいなんでしょう」
「…………わしのこと、聖来呼んでくれんか!?」
「分かったよ。聖来」
「……こっ……これじゃあ……っ!!」
どれだよ。
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