806. 良い兆候だ
陽も少しずつ陰りを見せ夜が近付いている。スポッチョへ別れを告げターミナル駅まで戻って来た。
クレーンゲームで手に入れたシャザイーヌの新作キーホルダーに慧ちゃんは大喜びだった。何度でも言うよ。趣味が悪い。
結局小谷松さんの本命を窺い知ることは出来なかった、と一人すっかり解散モードだったのだが、ここに来て最後にどうしても訪れたい場所があると、急にミクルが音頭を取り始める。
「ほえ~。こりゃシャレとんなぁ~」
「 すげー……! 映画のセットみてーじゃ……!」
文香と小谷松さんも興味深そうに周囲を一瞥する。線路沿いの一角に突如現れた、石畳の小道や小綺麗な噴水が印象的な商業施設。異国情緒の漂うエレガントな雰囲気だ。洒落たカフェやレストランが立ち並んでいる。
案内板を読んでみる。イタリアのヒルタウンを模して造られた、コンセプト型の複合施設らしい。比奈は気に入りそうだな。蘇るレンガ倉庫の思い出。
「で、なにか目的が?」
「……歩く!」
「歩く?」
「この美しい街並みをバックに、颯爽と歩く! 魔力を回復するのだッ!」
「セーブポイントか何かなの?」
堕天使を名乗るに相応しい重たい恰好は、大変不本意ながらヒルタウンの情景にとてもよく似合う。取りあえずみんなで着いて行くことにした。歩いているだけでも気持ちの良い場所ではあるし。
「なんか、こーゆーお洒落な場所を練り歩くのが好きみたいっスよ。理由も無く中華街とかフラっと行くらしいっス」
慧ちゃんがこそっと耳打ち。あぁ、なんとなく分かった。お洒落な街並みを我が物顔で歩くお洒落(自称)な自分超イケてる、的なアレか。自己肯定感を高めるわけだ。ミクルらしい行動原理と言えばそうかも。
「この辺りは詳しいのか」
「否、新たに解放されたフィールドだ。考え無しに『扉』を開くほど我も愚かではない……」
「実際のところは?」
「…………白石に会いたくない」
「だと思ったわ」
川崎英稜高校はここからすぐ近くだ。自身の言動とファッション全否定の白石弥々がうろついている可能性を考えれば二の足を踏むのも致し方ない。仮に遭遇したら置いて帰るけどな。甘やかさない。
映画館の入っている大きな建物へ。
エスカレーターに乗り三階の通路を進む。
雑貨屋が並んでおり、ミクルはそのうちの一つに興味を持った。和風アクセサリーの専門店か……俺一人だったら絶対に入らない店だな。
「せっかくやしなんか買うてこうかな~。ほれ、じゃじゃ丸。好きなの選び」
「ふぇっ? ええんか?」
「今日まで先輩らしいことなーんもしとらんしな。気紛れや、きまぐれ。二度目は無いで。ホッシーもええよ」
「マジっスか!? やったーー!!」
急に年上ぶり出して二人が連れ回す。貧乏性でけちん坊の文香がどういう風の吹き回しだろう。まぁなんでもええけど。
で、さっきからずーっと簪のコーナーに留まっているミクル。よほど気になっているようだ。
コイツから和のテイストや侘び寂びを感じたことは一度も無いが。好きなのか、こういうの。背伸びしてない?
「欲しいのか」
「……我の
「洋と和を合わせても喧嘩するだけやろ」
「ぐっ……高過ぎる……ッ!」
一本3,000円ちょっとか。かなり精巧な作りのようだし、相応の値段だとは思うが……ミクルの経済力を考慮すれば贅沢の範囲か。
仕方ない、俺も先輩らしいことしてみよう。今日の娯楽代ほとんど俺が払ってるんだけどな。今更気にすることじゃないか。
「どれだよ。買ってやる」
「……馬鹿に優しいな。対価はなんだ?」
「出世払いってことにしてやるよ」
「……ふふんっ。良い兆候だ。それでこそ我が眷属の誉れに相応しい……!」
「感謝の言葉がねえぞ栗宮」
「ありがとうございます廣瀬先輩」
操縦の仕方も分かって来た。
ちょっと強気に出れば素直になる。
愛莉に負けず劣らぬ根っこが陰キャ。
ミクルのチョイスにしてはシンプルな水色のとんぼ玉簪。ピンク髪との調和は如何ほどかと思われたが、これが意外にも似合う。
黙っていればミクルも他の面々に劣らぬ可愛らしい女の子だ。黙っていれば。何百回だって言うさ。黙っていれば。
二人も文香に簪を買って貰ったらしい。お互い付けてあげたり写真を撮ったり、仲良しの女子高生みたいな甘ったるい雰囲気を形成し早足で通路を行く三人。いやまぁ、女子高生なんだけど。そういう感じじゃないだろアイツら。
「急にキャピキャピし出したな」
「そんなもんちゃうん。高一なんまだまだ子どもとさかい、あれくらい浮ついとったほうが健全やろ……はぁ~。ウチも年取ったわぁ」
「よう言うわ17の代が」
「まだ16ですぅ~」
「だったら尚更や」
美しい街並みに気をやられたのか、建物へ差し込む夕日も相俟り絶妙にノスタルジックな雰囲気だ。似合わねえ。俺と文香だと、特に。
三人を追い掛けスロープを下る。道中、一緒に購入した猫デザインの髪留めを弄りながら、文香はこんなことを言った。
「初めてやなぁ。後輩って」
「……あぁ、そうなの?」
「青学館のフットサル部、一年生ウチだけやったんよ。しおりんも地味に年上やしな。タメ口使うてたけど……部で遊びに行ったりはせんかったなぁ」
「でもスポッチョは行ってたんやろ」
「一人に決まっとるがな」
「ごめん。なんか」
人当たりは良いが特定のグループには属さない性質で、実は大勢で群れるのが苦手だったりする彼女。俺の傍を離れなかった理由の一端でもある。
「結構ええモンやな。後輩。長いことはーくんとおったせいで、年下の気持ちしか分からへんかったけど、頼られるのも案外悪ないわ」
「お前一度だって俺に敬語使ったことあるか?」
「あー。そーゆーのちゃうねん。こう、誰かの保護下に入っとるっちゅうか、甘やかされとる感じがな。ええねんな」
「甘やかした記憶はもっと無いぞ」
「雰囲気や。雰囲気。はーくんの」
「欠片もピンと来ねえ」
ハッキリとしない物言いだが要するに、こうして三人を見守っている状況というか、先輩として扱われる今のポジションが楽しいみたいだ。
俺もそうだった。セレゾンでは年上のチームに混ざるのが常だったから、下の世代とは関わりが無い。初めての年下が有希で、次いでノノ、真琴だ。文香の気持ちはちょっと分かる。頼られるってそれだけで心地良い。
「言うてはーくん、しっかり年上やねんな」
「またフワッとした」
「ミクエルも甘やかしとるし、ちゃんと面倒見とるし。ウチと最初に絡んだキッカケ、覚えとるか?」
「鉄棒やろ。年中年少で教えるやつ」
「せやせや。あんときやって、ウチが全然出来へんでもずーっと出来るまで教えてくれたやろ。根っこが世話焼きやねんな、はーくん」
「いやぁ。そう言われても」
まるで自覚が無い。お節介だとは思うが、世話焼きとイコールで結びつくものだろうか。カッコつけたがりではあるけど。
「はーくんのそーゆう、甘やかしいなとこに女も惹かれるんかね。まぁウチもか」
「知らん」
「しかも先輩と来たら、そらもう頼り甲斐のある男にしか見えへんやろな。じゃじゃ丸みたいなんは特に」
「……なにが言いたい?」
「別に。なんも。てきとー」
オチの無いトークを締め括る気の抜けた欠伸。
このいい加減さこそ文香の代名詞。
(……でも、そうか)
小谷松さんが俺を慕ってくれるのは、ただただ純粋に『気軽に頼れる』からなのかもしれない。その人その人のキャラクターが大きなポイントなのかも。
確かにフットサル部の先輩女子って、傍から見ると取っ付き難いオーラはあるよな。
愛莉と琴音は基本トゲがあるし、金髪トリオはフリーダム過ぎてある程度の理解が無いと絡みにくい。比奈は良い人過ぎて逆に怖い。
その点、俺も文香も何かと隙が多いから、先輩というフィルターもあまり機能しない。気を許すまでの過程、ハードルが同輩連中と一緒なのだ。
……なんて、話の流れに乗って、流石に都合良く捉え過ぎだろうか。やはりどうしたって、本人へ問い質さないことにはな。
「あれ。二人だけ?」
「んにゃ。じゃじゃ丸だけおらんな」
そんなこんなで噴水広場まで戻って来たのだが、慧ちゃんとミクルしかいない。お手洗いにでも行ったのだろうか。
「小谷松さんどこ行った?」
「ほえっ? 先輩たちを迎えに行ったっスよ? 中々来ないからって」
「いや、見てねえぞ」
ゆっくり歩いていた俺たちを迎えに行ったようだ。似たような構造の建物が幾つもあるから、道を間違えたのかな。
慧ちゃんがラインを送り暫し到着を待つ。だいぶ陽も落ちて来たな。合流したらいい加減帰るか。晩飯は自宅付近まで戻ったら適当に……。
……………………
「…………来ねえな」
「来ないっスねえ……」
「おしっこにしても長いなあ」
最初にラインを送ってから十五分は経ったが、未だに戻ってくる気配が無い。俺たちを探して建物の奥へ行ってしまったのか。
この辺りは土地勘も無いし、下手に動くのもな。だが敷地を外れるとちょっと治安の悪そうな場所もあるし、変なことに巻き込まれると……。
「……ちょっと探して来るわ」
「ウチらも探そうか?」
「いや、戻って来たときに誰もいないと、それはそれで困るからな。ここで待っててくれ。そこの噴水が見えるカフェでもええ」
「んっ。ほな頼むわ」
三人を置き元来た道を進む。
迷子になっていなければ良いが……。
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