794. 余裕噛まし過ぎ


 兎にも角にも皆の注目がチェコと慧ちゃんパパに集中し始めた。今のうちに人気の無いところへ行こう。


 B本館の横。フットサル部の活動拠点である新館裏コートから遥か遠く、敷地の真反対に体育倉庫がある。赤のコーンとバーで仕切りが作られ、気持ち立ち入り禁止になっていた。ここが良いな。


 この奥に裏門があって住宅街へ出れるのだが、誰も帰り道じゃないので一度も使ったことが無い。なんなら一年山嵜へ通って初めて踏み入れたかもしれない。まったく縁の無かった場所だ。



「競技でもないのに疲れちゃったよ~」

「変に早足で歩くとな。分かる分かる」


 壁に寄り掛かりホッと一息。『ちょっとドキドキしたよね』なんて呟き比奈は楽しそうに笑う。別にそこまでのピンチでも無かったけれど、笑顔に釣られて俺も『そうだな』と暢気に返してみる。


 ほんの少しだけど、学生らしい甘酸っぱい時間を堪能出来た気分。もし比奈と今のような関係が無かったら、体育祭中にみんなの目を盗んで、倉庫の影で二人きりなんて、きっと良い思い出になっただろうな。



「お昼休憩、あと何分あるかな」

「分からん。30分くらいちゃうん」

「……中に、誰もいないよね?」

「入らねえぞ。わざわざ。貴様の考えていることは手に取るように分かる」

「じゃあ当ててみて?」

「体育祭の喧騒を離れ逃げ込んだ二人きりの密室、汗ばむ体操着、迸る身体……これは格好のチャンスだ。やろ?」

「おぉ~っ。大正解~!」

「否定してくださいお願いですから」


 流石にリスク高過ぎるよ~なんて暢気に呟いて、その場へひょこんと座り手のひらサイズのおにぎりに齧り付く。

 分かっていた。一線を越えた彼女相手ではどう足掻いても青春ラブコメへは傾かない。分かっていたけど。虚しい。


 さっさと腹を満たして待機ブロックへ戻ろう。すぐ二人三脚があるから比奈の相手はあとでも出来る。

 どうせイチャつくなら合法的に、より健全に。足首どころじゃない、腰まで密着してやる。髪の毛の匂い嗅いでやる。誰か止めてくれ。



「……あれ? 有希ちゃん?」

「え。どこに」

「倉庫の中じゃない?」


 比奈は立ち上がり入り口付近へと歩み寄る。確かに微量ながら女性の話し声が聞こえた。初めは分からなかったが、段々と大きくなる声量からして、その主が有希であると俺も気付いた。


 つまり誰かと一緒に居るわけだ。

 人目の届かない体育倉庫で。


 しかし真琴は愛莉と一緒に居る筈だし、慧ちゃんは親父さんのところだし……小谷松さんという可能性もあるがどうだろう。ミクルなわきゃない。



「……そうだよねえ。誰かと二人っきりになるなら、一番チャンスのある場所だよね。この体育倉庫」

「いや、だとしても誰と?」

「じゃあ覗いてみる?」

「…………プライバシーの侵害的な?」

「あははっ。怖がってる~」


 気後れもするのも当然だ。普段あれだけ俺に対して好き好き言って来る子が、他の男と密室で逢瀬を重ねていようものならとても冷静ではいられない。それはもう純粋たる寝取られだ。受け入れ難い。



「一応確認しておこうよ。変な人に言い寄られてたら困るでしょ?」

「変な人じゃなかったら?」

「陽翔くんの分身かも~?」

「だとしても殺してやる」


 いやまぁ、有希は有希のものだ。プライド丸ごと俺に売り払っているノノのような奴とは違い、相手を選ぶ権利も猶予もある。あるのだが……。



「ほら、大丈夫。和田くんだよ」

「それはそれでなぁ……」


 倉庫の扉は鍵が掛かっておらず、中を盗み見るのは容易だった。隙間から様子を窺うと、重ね置かれた体操マットの上に並んで座る二人の姿が。


 両手にそこそこ特大サイズのおにぎりを抱え、楽しそうにお喋りする有希。ほっぺに付いた米粒がなんともチャーミングで、これがまぁ可愛らしい。

 

 一方の克真はそんな有希を直視することも出来ず、壁側を向いて相槌を打つばかり。とてもじゃないが恋人同士の逢瀬には見えなかった。



「なるほどねぇ~……勇気を出して誘ったけど……ってところかな……?」

「あの調子じゃ告白は出来そうにないな……」

「……どうする?」

「放っておこう……」

「そうしましょ~……」


 物音を立てないようゆっくり倉庫扉から離れる。


 ダンスでもペアを組む二人。体育祭でどこまで進展するかは分からないが、克真にとってはこのもどかしい時間も大切な青春の思い出。フットサル部特有の悪ノリでぶち壊すのは流石に可哀そうだ。


 有希に気があるのは知っている。体験入部初日には目で追い掛けていたし、フロレンツィア衆との試合後にはもう明らかで。GWのオリエンテーション前には軽く相談にも乗っている。


 偶にフットサル部の練習へ顔を出しても、たいてい有希と一緒にいる。真琴はそんな二人へ『案外お似合いなんじゃない』とか言ってよく困らせていたけれど、最近は口を挟むことも無くなったな。



「……なんやねん、アイツ」

「あれぇ~? 嫉妬~?」

「そうだよ。文句あっか」

「こーら。拗ねないのっ」


 子どもをあやすみたいな優しい声色で、比奈はクスクスと微笑む。釣られて溜飲も多少は下がるのだが、すべて咀嚼し切れたわけでもない。


 チェコがグラウンドを離れたようで徐々に騒ぎは収まりつつあった。待機ブロックへ戻る最中、顰めた眉がいつまで経っても元の位置へ直らない。



(勝負するんじゃないのかよ、ったく)


 皆をあれだけ焚き付けておいて、他の男と二人でいるのかよ。それもあんな密室で。しかも結構楽しそうだったし。


 解せない。やはり引っ掛かる。

 有希ってそんなに鈍い奴だっただろうか。


 確かに純粋ではあるが決して鈍感ではない筈だ。去年の夏、三年生の四人を差し置いて一足早く想いを伝えてくれた彼女。


 演技派である真琴の心変わりまでは見抜けなかったようだが、少なくとも恋愛沙汰に関心が無いタイプではない。現に他の面々へ最も対抗心を燃やしているのは、今も昔も有希なのだから。次点で愛莉。



「陽翔くん、昔から有希ちゃんにも甘々だよねぇ。ちょっと懐かしい気分」

「懐かしい?」

「夏の大会で、有希ちゃんが応援に来てくれたでしょ? わたし、結構嫉妬してたんだよ」

「嫉妬……比奈が?」

「だって、ちゃっかり差し入れまで持ってみんなのこと牽制して来るし……こんなに可愛くて抜け目の無いライバルがいるんじゃ大変だなぁ~って。そのあと先に告白されちゃうし、本当にもう駄目かもって思ってた」


 当時の焦りを思い出したのか、苦笑いと共に身体を揺らす。


 そうだ。早坂有希という少女は本来、昨夏の出来事や個人賞云々も含め、何においてもガンガンし掛けて来るタイプ。個性の強すぎる部員共に囲まれ色々と折られまくってるから大人しく見えるだけ。


 一人暮らしというウルトラCで俺へ接近して来たように、元々は押しの強い性格だ。自分がそれなりに可愛い顔をしていることだって、アイツはちゃんと自覚している。年下の強みも理解している。結構強かな奴なんだ。



 そんな彼女が克真の想いに気付かないなんて、あり得るか? 自分に向けられる好意には鈍感と言ったって、あんなに分かり易い奴相手に? 俺でも一瞬で看破できるほどなのに?


 仮に克真の好意をすべて理解した上で、単なる同級生、クラスメイトとして接しているのなら、あの距離感はもう悪意でしかない。惨過ぎる仕打ちだ。


 告白されるのを待っていて、盛大にフる日を楽しみにしているとか? いやいや、有希に限ってそんなまさか……。



「……どう思う? 比奈は」

「んー……でもそうだよねえ。陽翔くん、有希ちゃんの相手しないで、わたしたちとばっかりイチャイチャしてるんだもん。ほったらかしにされてるって思ってるのかも。えっちもまだだし」

「いやそれはっ……歳の差もあるし……」

「ほらっ、そういうところ! 一つ下のノノちゃんは良いのに、二つ下だったらダメなの? それって陽翔くんだけの都合じゃない?」

「むっ…………まぁ、確かに」


 痛いところを突かれる。思い返せば有希も、真琴にしたって流れがまったく無かったわけではない。

 二人とも元を辿れば可愛くて魅力的な女の子。邪な思いを抱いたことも一度や二度ではなかった。


 なのにわざわざ歳の差を持ち出して距離を置こうとするのは、俺が彼女を子ども扱いしている何よりの証拠だ。それを有希も感じ取っていたとしたら……。



「陽翔くん、自分の中で変に壁を作ってるんじゃない? 有希ちゃんもそれを感じて、自分は女扱いされてないんだって思っちゃってるのかも」

「そんなつもりは……」

「愛想尽かして同級生に鞍替えしちゃっても、全然おかしくないよ。ちゃんと自分を好きだってアピールしてくれる和田くんの方が…………なーんて、ただの妄想だけど。んふふっ」


 澄ました顔で恐ろしいことを言う。

 やたら現実味のある妄想だ。


 でも、もしそれが妄想じゃなかったら。

 困る。とても困る。

 有希が俺の傍から居なくなるなんて……。



「そんなに悩んじゃう、気に掛けちゃうってことは…………本当に好きなんだね。有希ちゃんのことも。わたしたちと同じくらい」

「……まぁ、な」


 受験終わりに二人で出掛けたとき、彼女へこう話した。フットサル部に関わらず有希の家庭教師だけを続けていたら。そう遠からず俺たちは恋人になっていたかもしれないと。


 今も同じように思っている。確かに子どもっぽい部分はあるけれど、大人になりたがる、憧れる姿さえ愛らしい。


 真っ直ぐで無垢な心。美しい姿かたち。纏い切れず溢れ出してしまった、目に見えるほどの愛情、そして幸福。どれも俺に足りなかったものばかり。


 決して欠かせない存在だ。目の前と比奈と同じように。みんなと同じように。たただちょっとだけ、関係性が違うというだけで。



 ……不思議だ。何が違うんだろう。

 なんで俺、有希にだけ遠慮しているんだ?


 他の男と比べても構わない。後悔の無い選択をして欲しいなんて、先人を気取って上から見下ろしている。

 よりによって、何人もの女性を自分勝手に染め上げ、自分のものだと手放しで喜んでいるような俺が? 有希だけを?


 

「……余裕噛まし過ぎたかもしれん」

「そうなの?」

「個人賞、俺も取りに行くわ」


 確かめないと。ちゃんと考えないと。

 勝負が必要なの、俺の方かもしれない。


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