786. 愉快愉快
「終わった……完全に終わった……ッ!」
終業のチャイムと共に席へ突っ伏す愛莉。回収された試験用紙を遠い目で見つめる様は珍妙にして滑稽。挟まれた双丘も痛々しく悲鳴を挙げている。
「連休明け初っ端から試験なんて聞いてないわよ……っ! しかもこの授業だけとか、どんな嫌がらせ!?」
「オリエンでちゃんと説明しとったろ」
「なんでそういうところだけしっかりしてるのハルト。ムカつく。ウザすぎ」
「責任転嫁甚だしいな」
月曜の六限は選択科目の英語表現Ⅲ。難易度は非常に高く、俺と同じ授業を取ることに拘っていた瑞希や比奈も避けるほどの代物。
学力に乏しい愛莉が苦戦を強いられるのも目に見えた未来であった。
語学力が数少ない取り柄の俺と、山嵜一の秀才である琴音ですら若干面倒に思っているというのに。現実を見て欲しい。切実に。
「山岡先生は面倒見の良い人ですから、理解出来るまでいつまでも付き合ってくれますよ。気を落とさないでください、愛莉さん」
「つまり補習じゃん……ッ!」
「貴方自ら選んだ道ですから、仕方ありません。最後までキッチリと全うしてください。それとも、他にこの授業を取る理由があったと?」
「…………分かって言ってる癖に」
「ならば、出過ぎた真似はしないことです。貴方には貴方のテリトリーがあるように、私も身の丈に合った範囲で努力しています……行きましょう陽翔さん、練習が終わってしまいます。愛莉さんは遅刻するそうですよ」
「行くってば! すぐ片付けるっ!」
学生鞄を拵えドヤ顔で勝ち誇る琴音。コートではともかく教室では愛莉の分が悪すぎる。
動機は丸きり一緒の筈なのに、どうしてこうも差が生まれるのか。人生は理不尽の連続だ。
短いゴールデンウィークも無事に幕を閉じ、活気と波乱に満ちた学び舎での生活が帰って来た。
進学すら怪しい愛莉を含め、先の話は先に考えるとして。まずは目の前のことから。
公式戦まで残り二か月。今日からエントリーも始まり書類も提出済み。夏本番へ気力体力共に充実と一途を辿る、我らが山嵜高校フットサル部である。
初々しさの残っていた新入生もすっかりチームへ馴染んだ。勝手知ったる新館裏コートを駆け抜けるいつもの面々……の中に見慣れない顔が一人。
「ハーーッハッハッハ!! 見たかこの華麗な演舞! 最終奥義『オルタナティブ&シューゲイザー』を会得した聖堕天使ミクエルにもはや死角は無いッ!」
「クッソ……! ツッコミたくても負けている手前その権利が……っ!」
「マコくーんどんまーい!」
気付いたらもう四時過ぎだ。着替えを済ませコートに顔を出すと、シンプルな一対一のメニューの真っ最中だった。
ガックリと膝を付く真琴を声高々に嘲笑う、新品のユニフォームが見慣れない馬鹿にちっこい女。
勝ち抜き戦をしているようだ。その後もルビー、慧ちゃん、文香と対峙する相手を次々と打ち破り連勝を重ねる。だが続くノノは……。
「甘い甘い甘いッ!! 速さにはパワーを、そしてパワーをぶつけるのみ! ロリ巨乳アタック!!」
「だヴぉわァァァァアア゛ーーッ゛ッ!?」
ライン際での攻防は、スピードへ乗る前に強引なショルダーチャージで阻止してみせたノノの勝利。そのまま防球ネットまで吹っ飛ばされるミクル。
守備の対応はノノの欠点でもあったが、ここ最近すっかり上達した。
腰の入った良いアタックだ。だがロリ巨乳は関係無い。事実だけど。関係無い。
「一時はどうなることかと思いましたが……結果的に素晴らしい戦力にアップになりそうですね。うるさいですけど」
「ええ。男子相手にも通用する突破力……まさにウチに足りなかったものね。うるさいけど」
「褒めたり貶したり忙しいなお前ら」
連休明けと共に購買弁当の転売などを理由とした停学処分が解かれ、晴れてフットサル部の正式な一員となった聖堕天使ミクエル。もとい栗宮未来。
学校きっての問題児を招き入れることもあり、顧問の峯岸は他の教師陣に相当訝しい顔をされたそうだが。
上級生がしっかり教育出来るのなら。と軽くお灸を据えられた程度で、入部に当たり特別なハードルは何も無かったとのこと。
ちなみに生徒会長たる橘田からは『あんなイカレた子フットサル部くらいしか居場所がないでしょう。むしろ有難いです。お願いします』とまで言われた。嬉しくはない信頼。
「おらっ、さっさと退けチビ助ッ! お前だけの練習じゃねえんだよ!」
「やだぁ!! リベンジするのおぉぉ!!」
「おっと、こんなところに退部届が!」
「ごめんなさいッッ!! 退きますッ!!」
瑞希とノノに引っ張られあえなくご退場。教育係は二人が買って出てくれるそうだ。オンオフのしっかりしているキャプテンと、上級生と下級生の橋渡し役であるノノ。この上ない適任だろう。
厨二趣味と会話の覚束なさは相変わらずだが、度の過ぎたワガママっぷりを除けば案外普通の子な気がしないでもない。
と、ちょっとだけ思えるようになって来た。多少は可愛げのある後輩になってくれると密かに期待している。
まぁ、希望的観測だけど。
根拠は無い。自信はもっと無い。
「聖来ちゃんっ! 顔を上げて、味方の位置を確認! 落ち着いてっ!」
「ひいいっ……! 早坂さぁぁん……!」
愛莉と琴音が合流したので、メニューは6×2チームに分かれてのハーフコートを使ったロンドへ。
有希は積極的な声出しで小谷松さんをフォローしている。実力面では真琴が一歩も二歩も抜けている一年組だが、リーダー性という意味では有希が良く目立っている印象だ。
新入り勢は飛び道具を持った人間ばかりだし、彼女もなにか一つ、誰にも負けない強力な武器を手に入れて欲しいところ……。
「おっ、早速やってるね。オフェンスが四人で守備が二枚。自陣から少ないタッチで繋いで組み立てるトレーニング……ってところか?」
「ヌルっと入って来たな。その通りだけど」
「地上からの見学も乙なものでね」
峯岸が薄手のファイル片手にご登場。今朝はスーツだったのにいつの間にか柄シャツへ着替えている。わざわざなんのために。暑いのか。
「倉畑。顔上げてパス受けるのは良いけど、視線でコースがバレバレさね。繋がってもドン詰まりになる。気を付けた方が良いな」
「ふぇっ……? は、はーい?」
「早坂、お前は逆に足元がおざなり過ぎ。それじゃトラップ際狙われるぞ」
「は、はいっ! 気を付けますっ!」
突然片方のグループに接近しコーチングを始める峯岸。生真面目な有希はともかく、比奈は驚いた様子で目をパチクリ。
「め、珍しいな……プレーに口出しするなんて」
「資格が無かったんだよ。今までは」
「……これからはあると?」
ヌッフッフと薄気味悪い笑みを溢し、手に持っていたファイルから何やら一枚抜き取る。真ん中上のマーク、非常に見覚えが……修了証?
「公認フットサルC級コーチ養成講習会…………え、指導者ライセンス!?」
「おう。取って来たぜ」
「いつの間に!?」
「そりゃあゴールデンウィーク中にさ。元々D級は趣味で持ってたんだけど、フットサルの指導者資格はサッカーのC級ねえと受講出来なくてよ。冬からコツコツ通って、ようやくな」
お得意のニヒルなドヤ顔がいつもに増して光眩しい。な、なるほど。練習試合に顔を出さなかったのは講習会に出席していたからか。
だがしかし……確かに指導者ライセンスはS級からD級まであるが、部活動の顧問は特に資格が無くても出来る。
夏の大会もフットサル協会主催とはいえそこは変わらない筈。なのにわざわざゴールデンウィークを返上して……?
「メニューは今まで通り、お前と長瀬で考えれば良い。急に権力を握るような真似はしないさ。つーかそんなとこまでやりたくない。面倒くさい」
「お、おう……」
「やるとしても初心者への細かいレクチャーくらいさね。大所帯になって個人練習の時間が取れてないだろ? 負担も減って良いこと尽くめじゃないか」
「それは……うん。有難いな」
練習に口出し出来るようになったどころの話じゃない。知識量で言えばフットサルを始めて一年未満の俺よりもはや上かも分からぬ。
確かに川崎英稜戦。特に前半は余計な知恵を凝らして難しい展開にしてしまったから、俺以外に戦術的な知見を持った人間が必要だなと、ちょうど思っていたところではあるのだが。
「試合も同じさね。戦術、システム、起用法、交代策。ずっと一人で考えてたんだろ? 自分もプレーしてるってのに、負担がデカ過ぎる」
「……せやな」
「三分の一くらいは担ってやるよ。全国まで勝ち抜くためには、お前が気持ち良くフルパワーでプレーするのが大前提だからな」
「…………いや、急にどうした?」
「アァっ?」
「顧問の仕事はともかく、活動内容には徹底的に不干渉貫いとったやろ」
どういう風の吹き回しだろう。普段は更衣室のベランダから練習風景を眺めているだけで、それすら週に一回とか、下手すりゃ丸一か月顔を出さない時期もあったのに。
校内での評価を上げておこう、なんて画策しているとも思えない。あまりの適当授業ぶり故、他の教師からまぁまぁ嫌われてるようなアウトロー聖職者だぞ。意図を教えろ意図を。
「んだよ。私がやる気出しちゃいけねえのか?」
「いや別に、そんなことは言ってねえけど。気になるやろ普通に考えて」
「……じゃ~、ひみつぅ~」
「はぁ?」
「偶には良いじゃねえかよぉ~。頼れるお姉さんが本職ほったらかして協力してやるっつってんだから、素直に受け取っておけっつうの~」
「…………はぁぁ~……?」
「ハッハッハッハ。いやぁ愉快愉快」
小馬鹿にしたようにケラケラと笑い、修了証をひらひら振って背を向ける。
結局教えてくれねえのかよ。久々にウザいなコイツ。いっつもウザイけど。
「気付かないうちに無理したり、突っ走ったりするものさね。少年。預けるものは預けて、出来ることだけやって、好きなように振る舞うと良いさ」
「また漠然とモノを言うなお前は……」
「小難しいことは忘れて、目の前のファニーを大切に過ごすということだ。これまでと変わらず、いつも通りな」
聞き覚えのある台詞を置き土産に新館へと向かう。いつの日か財部から似たようなことを言われたものだ。勿論、それは重々承知だが。
だからね。先生。貴方が突然やる気を出したことと、その台詞はまったく関係が無いんですよ。なにも答えになっていません。先生。
「お前ら、一限の授業取らないような時間割にするのは良いけどよ。毎回ホームルームすっぽかすのやめてくれんかね。一人ひとりに説明するの面倒なんだわ」
「説明?」
「決まってるさね。体育祭だよ、体育祭。学年一位になると担任にも景品が出るんだわ……食堂の割引券だけどな。まっ、いっちょ頼むわ~」
軽やかな足取りでコートを去って行く。意外にもキリッと伸びた背筋と夕陽のコントラストは中々の様。相変わらず後ろ姿だけは絵になる奴だ。
……いや、体育祭?
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