777. 甘い学校生活(後)


【兄妹水入らず】


 楠美琴音です。今日も今日とてフットサル部の活動日……の筈でしたが、午後から降り出した雨のせいで、練習は一時中断しています。


 雨なんて知ったことか、とゲームを続けていた皆さんも流石の大降りに更衣室へ駆け込みました。談話スペースには先んじて切り上げたおかげで、あまり濡れずに済んだ限られた方が残っています。



「あちゃー。また複数失点かぁ」

「開幕からボロボロやなぁ」


 そのうちの二人が陽翔さん。そして真琴さんです。サッカーのプロリーグが試合中らしく、ソファーで仲良く肩を並べ観戦しています。


 どうやらお互い違う試合を見たいようです。ならどうして、それぞれ自分のスマートフォンを使わないのでしょうか。

 そうすればああも密着する必要も無いというのに……むう。



「セレゾンの試合は……お、勝ってる。凄いね内海さん。今シーズン何点目?」

「6点目やな。今日でアシストも3つとか」

「すっかり主力だよね。この調子なら二桁は確実か……二部とはいえ高三の代で凄いなぁ。他の若手も良い感じだし、一年で戻って来るだろうね」

「ブランコスと入れ替わりかもな」

「ちょっと、縁起でもない……しょうがないでしょ、トラショーラスになって一年目なんだから。浸透するまで時間が掛かるスタイルなんだよ」

「とか言うてセレゾンもクビなっとるしなぁ」

「絶対落ちないよ、絶対! オリジナル10で落ちてないのウチと鹿嶋だけなんだから、そこだけは死守するって!」


 陽翔さんは古巣のチーム、真琴さんはこの辺りの地域を本拠地にしているチームを応援しています。二人ともヤイヤイ言いつつも楽しそうです。


 普段は私と同じくクールな装いが印象的ですが、陽翔さんの前でだけはどうにも子どもっぽい彼女です。年齢相応と言えばそうかもしれませんが。


 恋人同士の睦まじい時間というより、仲の良い兄妹のじゃれ合いを眺めている気分です。二人とも黒髪で、端正な顔付きという点でもよく似ています。


 ……が、しかし……。



「ちょっと。当たってるんだケド」

「なにが?」

「肘が」

「どこに」

「…………うざっ」

「え、ああ、ごめんごめん。わざとやないって」

「どーせ小さくて気付かなかったーとか言うんでしょ。ばか。変態っ」

「アホ。んなこと考えながら試合観いひんわ」

「誰かーー兄さんがセクハラして来まーす助けてくださーーい」


 口振りとは裏腹にニコニコと笑いの絶えない真琴さんです。普段は滅多に喜怒哀楽を露わにしないだけに、何故か私まで動揺してしまいます。

 

 見れば見るほど姉の愛莉さんに劣らず綺麗な方です。彼はこんなに可愛らしい人を男性と勘違いしていたそうです。節穴にもほどがあります。



(……隙が無い……)


 仲が良いのは結構。兄妹ごっこも当人が満足ならそれは良いことです。

 しかし最近の真琴さんは、彼を兄と呼び慕うのを逆手に取って、何かと近い距離を保っているようにも見えます。


 敢えて兄弟のような関係性を強調することで、自分だけのテリトリーを確固たるものにする……彼女の戦略なのでしょう。



「おっ。南雲やん。ついにデビューか」

「マジで? うわっ、ホントだ」

「セレゾンの面汚しがエライ出世したなぁ」

「兄さんが言えた口じゃないでしょ」

「アァ? なんやおら。やんのか」

「嘘ウソ、冗談だって。あー。でもあれかぁー。このビハインドの状況で強化指定の選手使って来るのかぁぁ……その采配はどうなんだろう……」

「これで降格したら大戦犯やなアイツ」

「だからっ、絶対に落ちないって! 頼む南雲さんっ! せめて一点返して!」

「サイドバックに無茶言うなよ」


 話し掛ける暇もありません。

 私もサッカーの勉強をしておけば……。


 ……いえ、そういうことではないですね。自らも思い当たる節があるように、あの関係は二人だけの、誰にも邪魔出来ない特別なもの。


 今は大目に見ましょう。先輩に甘えるのは後輩の特権です。その分しっかりと、責務は果たして貰いますが……私にだって特権はあるんですからね。




【秘密の特訓】


「はぁっ、はぁ、ハァッ……!」


 おはようございますっ。早坂有希ですっ。


 金曜日のフットサル部は、週に一回の『脳筋デー』という日。ボールはあんまり使わないで、とにかく走る、鍛える、走る! そんな感じです。


 これに合わせて、金曜の朝はスクールバスに乗らず走って学校まで通っているんです。坂道はすっごくキツイし、一時間近く掛かって大変だけど……部で一番体力の無いわたしは、これくらい頑張らないとみんなに着いて行けません。


 こういう地道な努力を重ねることが大切なんですっ。今日の長距離ランこそ最下位脱出を目指します。琴音さんには負けられませんっ!



「ゴーールっ!」


 学校へ到着! 今日のタイムは……56分! 先週より5分も短くなってます! すごい! わたし! やれば出来る子ですっ!


 時計を確認。まだ七時半前なんですね……いっつも焦ってシャワーを浴びるから朝は大変なのですが、今日はゆっくり出来そうですっ。



「ふんふふ~ん♪」


 山嵜高校は私立なので、更衣室のシャワーもとっても綺麗で豪華なんです。アパートよりも広くて使いやすいので、お気に入りですっ。


 というかアパートのお風呂が狭過ぎるんですっ! 廣瀬さん、あんなに小さいお部屋で一年以上暮らしているなんて……わたし、恵まれてたんだなぁ。



「あれっ?」


 この時間は部活の方がまだ朝練をしているから、普段は誰もいない筈。でも、誰かが一番奥のシャワーを使っているみたいです。


 ロッカーも開けっぱなしで不用心です……って、あれ? 畳んだ制服の上に置いてあるチョーカー、確かノノさんの……。



「ノノさんっ?」

「ほわぁぁ嗚呼ァ゛ァ!?」

「あっ、やっぱり! おはようございますっ!」

「……おっ、おはようごご、ご、ざいます……ッ」

「お隣失礼しますねっ」


 タイル越しにノノさんの特徴的な甲高い声と、シャワーの弾ける音が響き渡ります。この時間にお会いするのは珍しいかも?



「……は、早いんですね。早坂コーハイ」

「えへへっ。今日は特訓の日なんですっ」

「ほ、ほほぅ……んんっ、くぅっ……ッ」

「家から学校まで走るんですっ! 今日は一時間切っちゃいました!」

「そっ、それは凄いですねぇ……っ」


 ……むむむ?


 なんだか今日のノノさん、ちょっと元気が無い様子です。いつもより声が小さいような気がします。早朝だからテンション低めなのでしょうか?


 それにさっきから、パンパンと何かが弾けるような物音が聞こえるような……ノノさんの方からでしょうか? シャワーの水が落ちる音にしては大きい気がします。なんの音だろう……?



「ノノさんも今日は早いんですねっ」

「あーっ、いやぁ、そのぉ……んふっ、んンゥ……! はぁ、はぁっ……! ち、ちょっと入り用と言いますか、その……普段と違うことをしたいというか……まぁ、ノノも云うならば特訓的な……ッ」

「朝は得意じゃないって言ってましたよね。言い心構えだと思いますっ! 早起きは三文の得ですよ……って、これじゃわたしが先輩みたいですね。ごめんなさいっ」

「い、いえいえっ、そんなことは……んぅぅっ、くはぁっ……ッ!」

「……ノノさん?」


 どうしたんでしょう。お喋りするだけで精一杯って感じです……声も上ずっているし、息も苦しそうです。まさかっ、体調が悪いのでしょうか……っ?



「あのっ、さっきからなんだか辛そうですけど……大丈夫ですかっ?」

「だっ、大丈夫です! なんともありませんっ! 朝ごはん食べ過ぎて、お腹がパンパンで……ひぅぅっ……ッ!?」

「ほ、ほんとですか……?」

「マジのマジで大丈夫ですっ! ほらっ、あんまりゆっくりしてると授業始まっちゃいますよ! もうすぐ朝練組が来てシャワー混んじゃいますしっ!」

「わっ。ホントだ!」


 ついつい長居してしまいました。シャワーの数はあんまり多くないから、わたしが占領していると他の方の迷惑になってしまいますっ。


 そろそろ切り上げましょう。朝の特訓はマコくんたちには秘密ですっ。こっそり鍛えてあとでビックリさせる計画なんです……!



「じゃあ、お先に失礼しますねっ!」

「はい、はい……お世話様ですっ、んんっ、はぁ、ふあぁ、かふッ……!」

「…………?」


 最後まで辛そうな様子でしたが、ノノさんが大丈夫と言うのなら信用します。放課後には元気なノノさんに戻ってるかな?


 おっと、わたしも急がないと! 秘密の特訓は誰にもバレちゃいけないんです! 勿論、廣瀬さんにも! サプライズなんですっ!


 ……そう言えば廣瀬さん、わたしが出るときにはもうお家に居なかったような。入れ違いだったんでしょうか?











「…………行ったか?」

「たぶん…………もうっ、喋ってるときは止めてって言ったのに……! 早坂コーハイじゃなかったら絶対バレてましたよ……っ!」

「家以外の場所でやりたい言い出したのも、わざわざ更衣室に連れ込んだのもお前やろ。自業自得や」

「うぅぅ~、センパイがますます変態に……」

「誰のせいでこうなってると思ってんだよ……ほらっ、まだ特訓は終わってねえぞ……!」

「あ、ちょっ……!? だめだめだめ、だめですっ、やだっ、声出ちゃ――――」


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