766. ダニィ!?


 館内は締め切られていた筈だが、その時だけ突風が吹いたとしても決して気のせいではなかった。ショッキングピンクの超小型ハリケーンが音も無く左サイドを切り裂く。勝負は一瞬で片が付いた。



「ちょっ、聖也ッ!?」

「やばぁ……っ!?」


 自慢の相棒がアッサリと置き去りにされただけでなく、その相手が勝手知ったる妹であることも相当の衝撃だっただろう。

 弘毅は声をひっくり返した。土居にしたって似たようなものだ。お得意の仏頂面は蒼白に染まる。


 これまでの決闘デュエルで何度も見せて来た、サーカス気取りの高等テクニックなど何一つ無い。内側へ切り込むと見せ掛け、縦に抜け出すシンプルなボディフェイント。


 だが土居は追い付けなかった。一歩目が致命的に遅かった。本調子ではないという右足首の弊害もあるにはあるだろうが。

 ロジックは簡単。彼の視線は他でもない俺へと向いたままだった。肝心の未来に意識が向かなかったのだ。



(懐かしいな……ユースで内海とコンビを組み出した頃も、こんな風に……)


 彼が最初に警戒したのは、そのまま前線へ上がって来た俺へのリターンパスだった。直前のドリブル突破が強く印象に残っていたのだろう。


 自然と意識は俺へ、内側へと向かった。

 未来はその隙を打ち破ったのだ。


 俺を警戒するあまりに他の面子がおざなりになる。セレゾン時代、特に内海と大場が活躍し出してからよく見た光景だった。


 まったく舐めてくれたもの。スピードさえ劣らなければ性差の問題などゼロに等しい……身体に当てられないんじゃ、男も女も関係無いだろ?



「摩耶ッ! 死んでも止めろッ!」

「言われなくとも……っ!」


 弘毅の必死な嘆願に歯を食い縛る、最後尾で待ち構えていた白石摩耶。状況は五分五分だ。あまりのスピードに出足が遅れている。


 だが未来も縦に行き過ぎてコースが狭まっている。ここから単独で突破するのはちょっと難しい。

 中央に折り返せば俺がいる。背後の弘毅にかなり引っ張られているが、先に触る自信はあった。とはいえ、な。



「栗宮っ! ハルがフリーだよ!」


 絶好機に思わずベンチを飛び出した瑞希。だが逆サイドの未来に届いているかどうか。仮に聞こえていたとしても彼女は止まらないだろうが。


 このご時世、同じコートにファンタジスタは二人もいらない。今は譲ってやる。魅せてくれ、未来。



「――喰らえッ!!」

「なああっ!?」


 白石摩耶の素っ頓狂な悲鳴が響き渡る。

 いや、全員ほぼ同じリアクションだった。


 コーナーアーク付近でキープするかと思いきや、左足首をキュキュッと回し強力なスピンを掛ける。ボールの流れた方とは反対へ駆け出す未来。


 身体が一旦逆方向へと離れるわけだから、目的を見失い摩耶が立ち止まるのも致し方ない。ゴールラインを踏み越え戻って来た未来を迎え入れるように、ボールは足元へと帰って来た。


 裏街道だ。広大なスペースを利用したスピード勝負ならいざ知らず、こんな狭いエリアで繰り出し、それも成功させるとは……ッ!



「やり切れッ!!」


 角度はゼロに近いが、未来の目に迷いは無かった。挑発的な笑みに嫌味たったらしく光る前歯。

 瑞希も試合中あんな風に笑っているが、もっと悪魔的で、芝居掛かったソレだ。要するに俺みたいな顔をしていた。



「トーキック!?」

「上手いっ!」


 愛莉と真琴がベンチから口々に叫ぶ。ゴレイロの肩上を掠めるように狙った、大胆かつ繊細、シャープな一撃!



「――あっぶねええええ!?」


 戻って来た勢い余りコートへ滑り込む弘毅。シュートはポストを掠め反対サイドへと流れていった。

 小谷松さんがしっかり詰めていたが僅かに届かず。タッチラインを割り川崎英稜のキックインで再開。


 って、おい。決まらないのかよ。

 最後の最後に締まらん奴だ……。



「グオオオオォォ゛ッ!! フィニッシュまで完璧だったのにぃぃぃ!?」

「落ち着け。アホ」

「ぬうぉァァァァ゛降ろせええぇぇエエ降゛ろしてエエェェェェ゛!!」


 四つん這いになりコートをバンバン叩く未来。気持ちは分かるがいつまでもそうしていられちゃ困る。ビブスごと吊り上げ捕獲。



「チャンスはまた作ってやる。それまではさっきと同じ。土居か白石弥々、同じサイドの奴を徹底的に見ろ。ええな」

「いっ、今のは我が一人で生み出した決定機だ! 貴様の力など借りん! 指図するなッ!!」


 フシャーッ! と逆毛を立て威嚇して来る。仮にもチームメイトに向かってお前という奴は。そういうところだよ。


 この様子では駄目だな。まだ保留だ。

 少し頭を冷やして貰おう。予想の範疇ではあるが。


 最初のプレーはともかく、摩耶を出し抜いた裏街道はお前一人の功績。まだしょうがない。こればかりは結果を出さないことには中々。



「比奈ー。コイツと交代なー」

「ダニィ!?」

「あとでもっかい出してやるから。いま言ったことがどういう意味か、すぐに分かるさ。それまで大人しくしてろ」

「やだやだやだやだやだやだぁぁ!!」

「じゃかあしいッ!!」

「ドボォォ゛ッ!?」


 無理やり外に蹴り出す。すぐさま比奈がコートイン。流石に交代さえ無視して割り入ってくることは無いだろう。あり得ないとも言い切れないが。


 ふむ。まだ後半始まって2分も経っていないか……なら余裕もたっぷりだ。悪いけど、未来の面倒ばっかり見ている場合じゃないんだな。



「ポジションはフィクソで大丈夫?」

「ああ。俺がそのまま左に入る……こっちばっかり見んなよ。なに考えてるかくらい分かるだろ?」

「分からないこともないけど~……あんまり相手してくれないと、わたしも浮気しちゃおっかな~?」

「さっきからずっとなに言ってんだよお前」


 間違っても川崎英稜の女性陣に心惹かれているわけではない。姉の摩耶は美人だけどみんなほどじゃないし、弥々は女として見れないし。どうでもいいわ。試合中に考えることちゃうわ。



「心配すんな。他の女がどれだけ魅力的だろうと、お前には及ばねえよ。大人しく脇役でも演じてろ。迎えに行ってやるから」

「んふふ。キザだね」

「こういうのがお好みなんだろ」

「今ので百倍好きになっちゃった♪」

「そういうのは試合が終わってからな……頼むぜ」

「お任せを~♪」


 ハイタッチを交わしコートへ散らばる。さて仕切り直し。右サイドの敵陣奥からキックイン、キッカーは白石摩耶。


 そのままローテーションし土居がフィクソ、弥々がピヴォの位置に。弘毅は逆サイドのアラへと移った。俺対策ってわけな。分かりやすい。



「なんだよ。今日は試運転か?」

「さあどうだろうな……交代して内心ホッとしてるんじゃねえか?」

「まっさかー。そんなわけちょっとあるわ」

「あるんかい」

「いやぁ流石にビビるって。聖也があんな簡単に振り切られるの初めて見たわ。超レベルアップしてるじゃんアイツ。なんか仕込んだ?」

「別になんも?」


 逆サイド中心にパスが回るなか弘毅が話し掛けて来る。しばらく見ないうちに成長を遂げた妹の活躍ぶりに興味津々のご様子。


 嘘は吐いていない。アイツが練習に参加したのはゴールデンウィークの極僅かな期間。それも最初の方は道場荒らしみたいなものだった。俺と瑞希でひたすら追い返しては涙目敗走、その繰り返し。


 俺たちを出し抜くために何らかの特訓を重ねた可能性もあるが。一切関知していないものでなんとも言えぬ。



「ねぇね、こっち!」

「弥々! 仕掛けろ!」


 くさびのパスが最前線の弥々へ収まる。

 比奈が懸命に食らい付き前を向かせない。


 おっと。いつの間にやらピンチだな。

 つまり絶好のチャンスってわけ。



「弥々ッ! オレに預け……ううぉ!?」

「これくらいで倒れてんちゃうぞ!」

「クッソ……! 春にやったときこんな強くなかったじゃねえかよ……!?」

「お生憎、まだまだ成長期だもんでな!」


 もし彼の言う通り、未来がレベルアップしているとしたら。或いは何かしらの壁を破ろうとしている過程の中にいるのなら。


 この試合は彼女の今後を左右する、大きなターニングポイントとなる。チャンスを生かすも殺すもやはり彼女次第。


 追い出されたのを根に持っているのか、ベンチにも戻らず相手ゴール裏でゴロゴロと寝っ転がっている。

 そう卑屈になるなって。まだ分からないんだろ。未だに認められない理由も、最後に決め切れなかった原因も。


 今からとってきのヒント出してやるから。

 ちゃんと見とけよ。瞬き厳禁だぜ。



「んギャああああアアアア!!」

「陽翔くんっ!」


 ラストパスを諦め強引に仕掛けた弥々だが、比奈の巧みな寄せに遭いコントロールを失う。

 軽量型の彼女にさえ吹っ飛ばされるとは、未来のことを馬鹿に出来ない貧弱ぶりだ。序盤以外ちっとも目立ててないなコイツ。ウケる。


 ダイレクトで返し左サイドを駆け上がる。弘毅がそのまま付いて来た。前線の慧ちゃんには土居がベッタリ。


 おいおい、白石摩耶。妹が心配なのは分かるけど、その曖昧なポジショニングは不味いんじゃないか? 今見るべきは比奈じゃないだろ!



「行くよ、聖来ちゃんっ!!」


 右サイドの広大なスペース。

 さあ出番だ! 走れっ!!

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