765. スペシャルワン
『
「にゃっはー! さっすがはーくん!」
「……すごい……っ!」
「い、意味が分からないっ……ああも易々とド真ん中から……!?」
暢気に喜ぶルビーや文香とは対照的に、有希と真琴は目前で繰り広げられる異常な光景に思わず唾を飲み込んだ。
川崎英稜高校の広大な第二アリーナは異様などよめきに包まれる。
エース格の弘毅だけでなく、10番を背負う土居すらも圧巻のスピードで軽々と振り切る陽翔。両軍ベンチは身を乗り出し事の顛末を見届けた。
「なぁっ……!?」
分け目も降らぬ大胆な中央突破。シュートモーションに移った陽翔をどうにか食い止めようと白石摩耶は身体を投げ出すが、これは下策に終わる。
振り抜いたかに思われた右脚は優雅にボール表面をなぞった。強力なスピンが掛けられていたのだ。行先とは反対へ重心を乗せられた摩耶は、こうなれば見送ることしか出来ない。
その先には陽翔のドリブルを唖然とした様子で眺めていた、新品の背番号4番のユニフォームが初々しい長身の赤髪少女、保科慧。
転がって来たラストパスを慌ててトラップすると、すぐさま大声で指示が飛んで来た。
「振り抜けッ!!」
男子二人が置き去りにされた以上、陣地には既に出し抜かれた摩耶と守備に戻る気の無い弥々しか残っていない。自身が完全フリーの状態であることに、慧はこのタイミングでようやく気付いた。
「てやぁぁっ!!」
アリーナ中へ響き渡る大きな掛け声と共に、渾身の一撃が繰り出された。
が、突然のビッグチャンスにさしもの慧も緊張してしまったのか。上手くミートせず、ゴールマウスを僅かに逸れていく。
「ええぞ慧ちゃん! とにかくシュートや、ボールを持ったらまずはゴールを目指せ! 撃てばなんか起きるからっ!」
「りっ、了解っス……すごいっスね先輩。ちょっと舐めてたかもっス……」
「メッチャ張り切ってんじゃん。ウケる」
「三人に任せてセーブするかと思ったら、初っ端からフルスロットルですねえ」
「むう~っ。やっぱり相手に気になる子が……」
「比奈ちゃん。それだけは絶対違うから」
すっかり目の色が変わった頼れる支柱の活躍に、山嵜ベンチからは安どの色が漂う。
一方の川崎英稜サイド、失点こそ免れたが今日一のビッグプレーに言葉を失っている。女性監督はやっとの思いで声を絞り出した。
「……こ、弘毅ッ! 絶対に5番から目を離さないでッ! 弥々も! 3番のマークはついでで良いから! 二人掛かりで潰してっ!」
焦燥に満ちた悲鳴が木霊し、川崎英稜ファイブは我に返った。
ヒリついた言い表しようのない空気が充満するなか、ゴールクリアランスからリスタート。
(とんでもない選手だ……映像で見るのと実際に対峙するとではまったく違う。スピード、技術、そして緩急。どれも取っても一級品だが……後付けの理由に過ぎん。筆舌に尽くし難い威圧感、これが廣瀬陽翔か……っ!)
時計の針が進み出す。パスを受けた白石摩耶は大きく息を吐きコート全体を見渡すが、最後尾まで戻った陽翔が気になって仕方がない。
(栗宮の末っ子はともかく、4番はシュートフォームを見るにズブの初心者。3番も似たようなもの……不用意に仕掛ければ失点に直結するというのに、大胆にもほどがある……ッ!)
後半開始直前。見慣れない面子を投入して来た山嵜のベンチワークから察するに、勝敗はさほど重視していないのだろうと摩耶は考えていた。
大会前の貴重な実戦の場。出来るだけ多くの選手を試したいのはこちらも同じ。
ところが直前の暴挙とも呼べる単独突破。弘毅と頻りにポジション争いを繰り広げる陽翔の冷たい眼差しは、自身の足元へと向けられている。
本気で同点、逆転勝利を狙っている。強烈な無言のプレッシャーを摩耶も感じざるを得なかった。
それ故、腑に落ちない。エースの愛莉や瑞希をコートに残さなかった理由がついぞ分からなかった。
(一人で全員のフォローをしながら、私たちを出し抜くつもりか……!?)
それしか考えられない。だがあまりにも無茶だ。摩耶は浮かび上がった僅かな可能性を振り払うように息を飲み込んだ。フォローに入った土居へ横パス。
それがこの上ない妥協の産物であると、摩耶も勿論理解はしていた。だがどうしても前線の弘毅には、前には出せなかった。
(落ち着け、落ち着け! 必要以上に恐れるな……ッ! 彼一人を相手にしているわけじゃない! 必ず穴はある、むしろ穴だらけの筈なんだ……!)
敵も味方も関係無い。
コートの隅々まで支配し尽くす。
永遠のライバル、栗宮胡桃の幻影も今では霞んで見えた。刺し向けられたあまりにも鋭利な牙。摩耶は着実に冷静さを欠き始めていた。
(あちゃ~……ビビってるな~……)
右サイドでパスを受けた土居。すぐさま未来が駆け寄りスペースを塞いだ。対峙する未来をジックリと観察し、感心気に深々と頷く。
(ほー……守備も結構出来るんだねえ。弘毅の言ってた通りだ……でも……んー? あれ~?)
小柄な未来の上を通し弘毅に預ければ、すぐにチャンスは生まれる。筈なのだが。思うように脚は動かない。
(あのゴレイロちゃん、中々良いところに……小さいのにガッツあるな~)
「ふぉりゃああアアアアアアアア!!!!」
(この子ほどじゃないけどね~)
未来の猛烈なチャージも意に介さず、土居は軽々とボールをキープし続ける。高いポジショニングを維持し続け、パスカットを虎視眈々と狙う琴音が気になった。陽翔との距離感を頻りに確認している。
その陽翔も弘毅にベッタリ付くようなことはせず、絶妙な位置を保ちながら戦況を見渡している。
これでは駄目だ。くさびに当ててもチャンスにはならない。土居はガックリと肩を落とした。
(前半のメンツより明らかに劣ってるのになぁ……偶々上手いことハマってるのか、それとも狙ってなのか……仮に後者だとしたら恐ろしいねえ……)
強引に突破するような性格でもプレースタイルでもないことは自身が一番理解している。本調子でない右足首を酷使するつもりも無い。
トップデビューを目前に負った決して軽くない怪我は、今日日に至るまで土居を悩ませ続けている。
手負いの状態でもプロで通用する自信はあったが、首脳陣がそれを許さなかったのだ。土居は一気にモチベーションを落としてしまった。
(キャプテンマークも7番が巻いてるし、本当に落ちちゃったかと思ってたけど……なるほどね~。孤高のスペシャルワンも人の使い方を覚えたってわけか……こりゃキツイわ~……鬼に金棒っすわ~……)
そんなとき混合大会へ誘ってくれたのが弘毅だった。プロになる前に、どうしても倒さなければならないライバルが出来た。初めは双子の胡桃のことかと思っていた土居だが、今日の試合でそれが誰を指していたのかよく分かった。
中学からフットサルへ転向した経歴を持つ土居。同世代で抜きん出た活躍を見せていた陽翔のことを昔からよく知っている。
奴が第一線にいる内はどれだけサッカーで努力してもトップには立てない。彼もまた、陽翔が知らずのうちに潰し掛けた才能の一つであった。
(あー超悔しいー……せっかくタイマンでやり合える機会だったのになー……。せめて怪我さえ治ってれば……関東予選でもっかい出来るかなー……?)
漠然とした喪失感が土居を襲った。負傷で全力を発揮出来ない不甲斐なさだけではない。巨大な才能という名の壁を前に、無意識のうちに浮足立っている自身に嫌気が差してしまったのだ。
(許せ白石二号……今日の俺には無理だ~)
未来のマークを剥がし逆サイドの弥々へと展開。こちらはコートに充満する重々しい空気など微塵も気にする様子も無く、対峙する聖来を挑発。
「ふふーん! その程度の実力でよく私の前に出て来れたものねッ! 心意気だけは認めてやっても良いわっ!」
「ひいいっ……!?」
聖来が初心者であることを早々に見抜き、弥々は一気にボールを蹴り出しスピード勝負を仕掛ける。
この程度の相手に頭を使うまでもないだろう。前半ノノに散々煮え湯を飲まされた弥々は大変な浮かれっぷりであった。
「エッ!? ウソッ!?」
「や、やらせんよ……っ!」
余裕綽々だった筈の弥々は驚きのあまり目を見開く。悠々と左サイドを突破したかのように思えたが、ピッタリ聖来が着いて来たのだ。
「……ふ、ふーん!! 中々やるじゃない!? でもこれならどうっ!?」
「へえっ!?」
だったらテクニックで勝負だと言わんばかりに、洗礼されたボールタッチから素早いシザースフェイントを繰り出し中央へと切り込む。
これには聖来も及ばず振り切られてしまう。勝利を確信しニンマリと頬を緩める弥々だったが……。
「ギヤアア゛嗚呼アアア゛アーーッ!?」
「おっと! 失礼するっス!」
ドリブルを止めたのは前線から戻って来た慧だ。余りある体格差を利用し、上から覆い被さるように弥々を捕まえてみせた。
勿論初心者である彼女の意図したものではなく、勢いのまま突進してしまっただけではあったが。
笛は鳴らない。前半からノノに引っ掻き回され何度もコートへ倒れ込んでいた弥々に対し、主審はやや厳しいジャッジを下す。
ファールを誘って自ら倒れたように見えたのだろう。思いっきり押し倒していることに気付いていたのは他ならぬ慧だけであった。
「クッソ……! これが狙いかよ!?」
「そういうこった!」
セカンドボールは陽翔が回収。弘毅にベタ付きせず零れ球を狙っていたのが功を奏し、一足早く反応してみせた。ダイレクトで逆サイドの未来へ一気に展開。
再び土居と攻守が入れ替わっての対決、絶好のカウンターチャンス。
冷静なトラップから前を向くと、未来は深く腰を落とし唇を剃り返すようにニッと笑う。
舞台は整えてやった。あとは好きにしろ。向けられた鋭い眼光から、未来は無言のメッセージを感じ取る。
光沢の激しいツインテールがふわりと揺れ動く。初めから何も無かったかのように、小さな影が忽然と姿を消した。
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