742. 御冗談を


 早いもので数日後にはゴールデンウィークへ突入する。特別な仕込みも無く、暦通りの五連休だ。

 初日にコンビニのバイトを始め、最終日に辞めた去年のゴミカスみたいな思い出も懐かしい範疇。


 スクールバスを使おうと駄々を捏ねる文香と有希をほったらかし自転車で登校。辿り着いた俺を出迎えるは、朝から喧しい先の二人ではなく。



「おはよござんます……えへへっ……」


 下駄箱の影からひょっこり顔を出す青髪眼鏡の小柄な女の子。

 可愛らしい見た目とつるつるしたアニメ声とはまるで釣り合いの取れぬゴリゴリの岡山弁。


 気になって調べてみたのだが、厳密には岡山弁というより広島に近い県南の人がこんな喋り方なのだそうだ。地元は相当な田舎で、学校に自販機が置いてあって死ぬほど驚いたとかなんとか。



「悪いな、いっつも待たせちゃって」

「ううん、せわーねー。今さっき着いたところじゃけえ……あのっ、先輩。教室まで一緒に行きてーなって……ええかのう?」


 へへへ、と困ったような照れ顔で口元を歪ませる。例の岡山事変(ノノ命名)以降、小谷松さんは本当によく笑うようになった。


 必死に方言を隠していただけで、愛嬌のあるこのような姿が本来の彼女なのだろう。

 後ろをトコトコ着いて来る様はさながら忠犬が如く。制服の裾握られてる。人前でようやるな、誰の影響を受けた。


 今さっき着いた、ね。またまた御冗談を。

 三日連続ですよ。下駄箱での待ち伏せ。



「あっ、そうか……いつもここの自販機で、飲み物を買うんじゃったなぁ。楠美先輩と一緒に……昨日一昨日はおらなんだけど……」


 スマホを取り出し覚束ない手取りでポチポチ文字を打ち込んでいる。そんなのメモってどうするつもりかね、キミ。ええ? 何にどう役立てようと?



「おはよハル。黒いご飯粒付いてるよ」

「んなわけあるか。おはようさん」

「またランランと一緒?」

「そういう解釈にはならんやろ」

「なっとるやろ、がいっ!」


 渡り廊下には先客がいた。抹茶オレを飲み干しゴミ箱へ華麗なシュートを決めると、小谷松さんの背後へ回りスマホを覗き込む。



「ほーら。やっぱり盗撮してた!」

「ひええっ!? 金澤先輩っ!?」

「顔写真欲しいなら素直にそー言えば良いのに、変なとこで遠慮すんのな」

「かっ、返しんせ~っ!?」


 取り上げられたスマホ奪い返そうとぴょんぴょん飛び跳ねる小谷松さん。アルバムの写真を流し見し瑞希は意地悪気にニヤニヤと笑う。


 アルバムの中身もさして興味は無い。似たような後ろ姿が見切れた写真でいっぱいなのはだいたい想像が付く。練習後とか隠れもしないでメチャクチャ撮ってるんだもん。気付くよそりゃ。



「はいはいっ、あんまハルのこと困らせないようにな。てゆーかアレじゃん。もーすぐゴールデンウィークだし、普通にデートでも誘ってみれば?」

「でっ、でぇと……っ!?」

「コソコソ追い掛けるより楽しいっしょ?」

「……ええんじゃ。わしゃあただ、先輩のことを沢山知りてーだけで……遠いくで見守っとるだけで十分なんじゃ……!」

「むえ~。もったいな~い」

「 そねーなん金澤先輩がやっとればええんじゃ……! わりい、先に行くっ!」


 男子禁制のガールズトークに暫し花を咲かせ、小谷松さんは一人階段を駆け上がる。呆れ顔でハッとため息を溢し、瑞希は呟いた。



「たぶんアレ、自分でも気付いてないな」

「なにが?」

「恋愛経験皆無って言ってたからさ。ハルのこと好きかどうかも分かってないんだよ。だからこーゆー意味分かんない方向で目覚めちゃうわけ」


 手を伸ばし制服の裾を掴む。なにか取ったのか。

 なんだその本当に黒い米粒みたいなやつ。



「ったく、ちょっとは警戒しろよな! くすみんがどうこう言えねーし!」

「なんそれ」

「知らん。でもなんかセーミツ機械っぽいし、発信機とかじゃねえの?」

「えぇ~っ……」


 さっき裾を握られたときに付けられたのか……奥手の癖にこういうところはリスク上等で仕掛けて来るとは。ワケ分からん。


 という具合な直近の小谷松さん。

 奇行は日に日にエスカレートしていた。


 玄関先でブチ上げられた狂気のストーカー宣言。ただただ恐ろしくて考えも無しに『迷惑掛けない程度で好きにして』と雑に返してしまったせいだ。


 栗宮未来から譲り受けた幾多のストーキング初心者セットは今も所有したままらしい。それに留まらず、朝の授業前、昼休み、練習後、下校時間……着かず離れずの絶妙な距離感を保ち続ける彼女。


 ……余談だが、栗宮未来は先の一件以来、コートに姿を現さない。あれで懲りたわけでも無かろう、何か奇策を練っているに違いない。


 関わって来ないのならそれはそれで構わないが。むしろ有難い。小谷松さんの件だけでお腹いっぱい。暫く出て来るな。これ以上ややこしくするな。



「で、どーすんの? いつも通り美味しくいただいちゃうカンジ?」

「見境無しみたいに言うな」

「事実じゃん。ほぼ」

「…………いや流石にな。瑞希の言う通りなら、今はまだ盲目の状態で……恋に恋しとるようなモンやろ。だったら少し様子を見た方が」

「とか言ってホントは嬉しいんだろ~ん?」

「そこまで能天気じゃねえよ……」


 聞けば異性との交遊はおろか、マトモな女友達さえ今まで居なかったそうだ。

 それが突然フットサル部に加入して、居心地の良い環境を手に入れて、唯一の男に世話を焼かれて……舞い上がっている。間違いなく。


 悪いことではないしフットサル部に馴染んでくれるだけ有難いのだが。もっと時間を掛けて対処するべきだ。閉じていた世界がいきなり広がってしまい、自覚が無くとも混乱している。


 だから様子見だ。一先ずは。好きに動いて貰って、納得するまで迷惑掛けて貰おう。

 正式にストーカーへ昇格したとはいえ、我らがファミリーの一員であることに違いは無い。


 とはいえ不安は付き纏う。

 一件落着とは。終わらない延焼。



「あれ琴音。そこにいたのか」

「……おはようございます」


 この数日は渡り廊下に姿を見せなかった琴音。曲がり角の影からひょこんと現れる。

 小谷松さんが向かって行った階段を頻りに気にしている……なんだ、彼女がいるからわざわざ気を遣っていたのか?



「まったく、やはりこうなるのですね……ようやく真っ当な感性の持ち主が入部して来たかと思えば、とんだ曲者でした」

「曲者て」

「陽翔さん。新入生の面倒を見るのも良いですが……大会まであと二か月しか無いんですよ。あまり気を取られているのもどうかと」

「くすみん嫉妬の巻」

「違いますっ。真面目な話ですっ」


 一際クセの強い奴がなんか言ってら。


 だがしかし、琴音の言い分ももっともではある。実はゴールデンウィーク最終日の練習試合まで一週間ちょっとという。

 春休みを境に練習もだいぶハードになって来たが、歓迎ムードもそこそこにもっとギアを上げていかないとな。



「今回の一件といい、陽翔さん一人に負担を押し付けるケースが目立ちます。より明確な役割分担が必要なのではないでしょうか」

「どーゆーこと?」

「例えば……そうですね。一年生を引っ張るコーチ役、とでも言いましょうか」

「ほーん。なるほど……言われてみれば部のアレコレ決めるのも、一年の世話も全部ハルがやってるよな」


 突如始まった首脳会議。

 やはり部長は不在。はよ来い愛莉。


 アホの権化とクソ真面目の権化。一見交わりの無いこのコンビだが、俺に対する想いと同等にフットサル部へ強い執着を持つ二人だ。

 無頓着に見えて先のことをしっかり考えている、リスクヘッジを怠らない抜け目なさがある。



「ふむ、なら良いアイデアがある」

「なにそれ?」

「こないだ買って来た。今まで特に決めて来なかった……というか、俺が勝手にやってきたけど、公式戦までにちゃんと決めておかないとな」


 鞄から取り出すは悪目立ち激しい真っ黄色のペラい腕章。本来なら部長の愛莉か試合出ずっぱりの俺が着けるべきではあるが。


 むしろ良いタイミング、良いきっかけになる筈だ。ここらで整理整頓。チーム改革と行こう。



「瑞希。お前、ゲームキャプテンな。次の練習試合から。あと一年の世話もよろしく」

「ほい?」

「琴音はチームキャプテン。ゴレイロでずっと試合出とるし、瑞希がいないときはお前が着けろ」

「……はい?」



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