738. 厳つい
屋上の端に誰が使うわけでもなかろう小さなベンチが設置してあり、そちらで話を聞くこととする。見た目に限ればおっかない部類の先輩二人に挟まれ、彼女の小さな身体は小刻みに震えていた。
一度声を発してしまえばもはや致し方ないと高を括ったのか。それ以上抵抗することも無く事の顛末を正直に打ち明ける彼女。
「わしゃあ岡山でも県南のえれえ田舎モンで……昔からこねーな感じなんじゃ。でーれーお父さんっ子じゃったけぇ、男みてーな話し方になってしもうて、友達からも散々馬鹿にされとって……」
つるつると喉仏を滑るような甲高い特徴的な声、からは想像も付かないゴリゴリのドキツイ岡山弁を流暢に操り、小谷松さんは鼻水をじゅるじゅると啜る。
そうだ。体験入部の初日、確か慧ちゃんが話していた気がする。練習後にファミレスへ行ったときも比奈と琴音が地元トークを展開していた朧げな記憶が。
「直そう思うても、上手う話せんで……慧ちゃんは都会の人じゃけぇ、そのまんま真似すりゃあ東京モンみてーに話せるかなて……」
「そういう理由だったのか……ハンカチいる?」
「すんません、いただきますっ……ひりりゅるるるるルル゛ルルッ!!」
鼻かむな。先に涙拭け。
なるほど。様々ある方言の中でも特に棘が強い部類とされる岡山弁というだけでなく、特徴的な声質とイントネーションのせいで不利益を被って来たわけだ。
今どきの若者なんて方言で喋る子の方が少ないだろうし。文香なんて例外中の例外。そもそもアイツ偽物だし。新〇劇ベースだし。俺もだけど。
努力はして来たがついぞ改善されず。親の仕事の都合でこちらへやって来て、なんとか声質と話し方を誤魔化そうとした結果、無口キャラが完成したと。
当人を責めるわけではないが、この可愛らしい見た目からドキツイ岡山弁が飛び出て来たら、ギャップが激しさに驚いてしまうのも無理はない。標準語への矯正が完了するまで喋らず乗り切るつもりだったのか。
「そーは言っても、盗聴器はやり過ぎじゃねさすがに。フツーに犯罪だし」
「ううっ……! ほんますんません、すんませんっ……!」
「まーでも、ちゃんと理由話せばケイもシルヴィアも許してくれるっしょ。あんま気にすんな。うしっ、昼休みもう終わっちまうし、さっさと説明しに戻り……」
「待て瑞希。小谷松さん、あともう一つ」
例のGPSトラッカーなるものとイヤホンを彼女に見せる。話し声を晒したくない理由はよく分かったが、まだ解決していない問題があった。
「さっき言ってたよな。自分が全部悪い、アイツは悪くないって」
「ううっ……わしかてこねーなんするつもりなかったんじゃ……!」
「正直に話してくれ。この盗聴器、誰かに押し付けられた物なんじゃないのか?」
力無くこくりと頷く。やっぱりそうだ。まぁ実質自白したようなものだが。
根っこは真面目で恥ずかしがり屋な小谷松さんだ。話口調を隠すために無口キャラを貫いていたのに、盗聴器を使って会話を盗み聞きしようなんて彼女のキャパシティーじゃ考えも付かない範疇。
「栗宮、って言ったよな?」
「……ど、どねーしても言わにゃあだめか?」
「こればっかりはフットサル部の存続に関わる問題でな……一年生の弱みに付け込んだってなら、ちょっとばかしデカい話になって来るんだよ」
ありふれた名字でもなしに同一人物と考えて間違いない。どのようなルートで小谷松さんに接触したのかは不明だが、彼女を利用してフットサル部の弱点を暴こうなどと考えているのなら、大した度胸と捻くれた根性だ。
冷静を装っているが正直失望している。フットボール界で知らぬ者はいない天才女性プレーヤーがこのような卑劣な手段を用いるとは。確かに俺と愛莉が天敵だなんだと話していたが、そこまでして勝ちたいと言うのか……。
「栗宮ってアレでしょ? こないだハルと長瀬が絡まれたやべーやつ」
「ああ。弱みに付け込んで、諜報活動の使い走りにされたんだよ…………ええか小谷松さん。アイツを恐れる必要は無い、全部教えてくれ。いつどこで栗宮胡桃と接触したのか、そしてなにを言われたのか」
「……栗宮……胡桃?」
小谷松さんは不思議そうに目を細める。下の名前までは把握していなかったのかと一瞬納得し掛けたが、彼女は首を横に振りこう答えた。
「ちげえます、下の名前はミクルじゃけえ」
「…………ミクル?」
「へえ。栗宮ミクルさんじゃ。わしのクラスメイトで、授業にゃあほとんど出とらんけど……朝に鞄だけ置いて、すぐどこかへ行ってしまうんじゃ」
瑞希を顔を見合わせ暫しの沈黙。
栗宮……クルミじゃなくて、ミクル?
「えっと、小谷松さん……ちゃんと俺たちから言っておくからさ。変にアイツのこと守ろうとせんでもええで」
「へ?」
「えっ?」
「……ほ、ほんまじゃよ?」
「…………姉がいるとか話してたか?」
「へえ。言いよっとった」
『妹? いるいるー。
「絶賛お取込み中や……ッ!」
電話をするとすぐに応答があった。栗宮弘毅、ブラオヴィーゼのアカデミーで出会った同い年のプレーヤー。
ゴールデンウィークに対戦する川崎英稜高校フットサル部の一員でもある。姉と似た掴みどころのないヘラヘラした顔が電話越しに浮かぶ。
そして、女子サッカーならびにフットサル界の新星として名を馳せる天才プレーヤー、栗宮胡桃の双子の姉弟でもある男だ。
「え、なに? 栗宮家って何人姉弟なん?」
『三人。未来が一番下。栗宮ブラザーズ最後の秘密兵器、
「いや初耳すぎる」
『ていうかアイツ、まだフットサル部入ってねーの? なんで? 逆に聞きたい』
「その前にちゃんと教えてくれません?」
詳しく聞いてみる。
栗宮未来。弘毅の二つ下の妹。
姉の胡桃ほどではないがそこそこの有望株で、中学まではどちらかというとフットサルをメインにプレーしていたらしい。
地元のジョガドール墨田というフットサルクラブのレディースチームに所属していたそうだ。
そのまま高校でもジョガドール墨田のU-18に昇格する筈だったが、直前でそれを断ってしまったらしい。で、なにを思ったのかいきなり『山嵜に行く』と言い出し、今年の春から晴れて高校生と。
『胡桃に影響受けたんだよ。アイツ暇さえあればヒロの話ばっかしてるからさ。ヒロを倒すんじゃなくて、同じチームでってことなんじゃね?』
「なんで兄がフワッとした知識しか持ってねえんだよ」
『一緒に暮らしてないし。両親別居中なんだよ、まだ離婚はしてないけど。オレと胡桃は親父で、未来は母さんに着いてったんだわ。オレはあんま会わないけど、胡桃とはしょっちゅう顔合わせてるみたいだし』
「……そうなのか。悪いな無神経で」
「いや全然。で、母さんが家に男連れ込むからやってらんねーって、春から念願の一人暮らしだとよ。そっからオレにも情報入ってないんだわ」
纏めると、栗宮未来は山嵜高校に入学しフットサル部に入部する予定だった。が、どういうわけか今日まで一度も姿を見せていない。体験入部期間にも栗宮未来の名は無かった。
それどころか、小谷松さんの弱みを握り手駒のように従えている。まるで姉の胡桃に都合よく働くよう協力しているようだが……。
『まさか入部しないわけじゃねえだろーし、どっかしらで顔出すと思うからさ。まぁ気にしてやってくれや』
「……おう。分かった」
『先に謝っとく。アイツ、色んな意味で胡桃の影響受けまくってるから。いざという時はオレを頼れ』
「そんなに?」
『胡桃より会話成り立たねえぞ』
「まぁ予感はあるよ」
さっきイヤホン越しに聞いた声だけでだいたい察しはつく。思い返せば栗宮の血筋と考えればあのインチキ臭い語り口も納得だ。
通話を切り改めて事情を窺う。ちょうど五限のチャイムが鳴ってしまった。皆への説明は後回しだ。すべてクリアにしておかないと。
「つまりランランは、栗宮未来に脅されて無理やりやらされてたってこと?」
「栗宮さんだけが悪いわけじゃねえ……わしも栗宮さんに相談してしもうて、そしたら『盗聴器使うて話し方の癖をがめりゃあええ』言われて……」
マジで厳ついな岡山弁。
話が全然入って来ねえ。
ともかく小谷松さんは、恐らく栗宮未来に岡山弁で話したか呟いているところを見られ、弱みを握られてしまったのだろう。それを利用しフットサル部の内情を探っていると。理由までは分からないが。
一先ず誰かに危害が及ぶような事件でなくて良かった。が、やはりなにも解決していないのは先ほどと変わらず。
まず必要なのは小谷松さんの謝罪ではなく、栗宮未来なる不審人物を探し出し、洗いざらい吐かせることだ。
「なんで今年の一年ってこんなメンドーなやつばっかなわけ?」
「間違っても俺たちにその台詞を吐く資格は無いな……取りあえず、栗宮未来を探さないと。授業もロクに出てないんだろ? だったら校内を探せば……」
「あ、あの、先輩……」
スマホを差し出し見せて来る小谷松さん。
ラインにメッセージが届いている。これは……。
「『放課後、新館裏コートにて待つ。世紀末の魔術師より』…………探すまでも無かったな」
「世紀末の魔術師はもうただのパクリじゃん」
「俺に言われても困る」
早々にご対面となりそうだ。あの栗宮胡桃と血を分け合った人物。それも兄の弘毅でさえ手に負えないという暴れ馬っぷり。
誰か助けて欲しい。どうしてこうなった。
俺はいったい何に巻き込まれているんだ。
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