736. 人の心が無いのか
練習に集中しているうちはまだ良い。二週間後に相まみえる川崎英稜をどのような布陣、戦術で迎え撃つか考えるだけでたいていの悩みは忘れられる。
問題はその後。この日は早抜けして交流センターのアルバイトだったのだが、ファビアンら子どもたちと外のグラウンドで遊んでいる間も謎の視線に苛まれた。聞けば彼らも不審な人物などは目にしなかったという。
『きっと勘違いよ。ヒロはどこにいても目立つんだから。顔も特徴的だし、背も高いし。だいたい、周りの目なんて昔から慣れっこじゃないの?』
『そういうのとはちょっと違うんだよな……こう、人を上から見下ろすような舐め腐った負のオーラというか』
『それこそヒロ自身が発しているものでしょ。もっと自覚しなさいな』
『人の心が無いのかお前は』
今となっては大した用も無いのに仕事場まで着いて来るルビー。彼女を交流センター近くの自宅まで送り届けるのは他でもない俺の仕事である。
居酒屋の絢爛な明かりで賑わう商店街。22時過ぎの滑らかな冷風が美しいゴールドウェーブと見慣れない水色のカチューシャを小刻みに揺らす。
『それ、お前のカチューシャか。ソファーにほったらかしだったから誰のかと思ったわ』
『ミズキがこないだのパーティーでプレゼントしてくれたの。練習中は外しているのよ、ヘディングなんてしたらすぐ壊れちゃいそうで』
『だとしても適当に放置すんなって』
『スマホ置いて来たヒロに言われたくないわよ』
『それな』
自宅マンション前までやって来た。せっかくなら上がってパパに挨拶でもしていけば、と誘われたがこれは丁重に断る。
チェコのプライベートにさして興味は無いし、自宅ではやはり理由も無くノノが帰りを待っていたりする。
昼に二人の時間を邪魔されたからそのリベンジをしたいそうだ。何かご飯を買って行かないと。アイツも来るだけでなんもしないからなぁ……。
「…………」
いよいよ嫌気も差す頃。ガックリ肩を落としたのはそれが原因か、ルビーを無事に送り届けた安堵によるものか。まぁ前者で異論は無い。
立ち止まり背後へ振り返る。誰も居ない。
少し歩く。立ち止まる。振り返る。誰も居ない。
早足で進んだり急に止まったり。間違いない、足音は二つ。確かに商店街は人気も多いが、逆に言えば俺だけ注視する理由も無いし必要性も無いのだ。舞洲で鍛え抜かれた視野の広さと機微を舐めるんじゃない。バレバレだ。
「いい加減ウゼえなぁ……」
気持ち挑発的な呟きは最後通牒のつもりだった。駅へ到着する前に発見出来なかったら、明日から本格的に犯人探しを始めよう。やってられん。
地面を蹴り駅までの一本道を走り抜ける。曲がり角に飛び込み身を潜め来た道を窺うが、それらしい姿は見当たらない。
よほど精巧に隠れているか、それともルビーの言う通り俺の勘違いなのか。だとしたらヤバいよなぁ。疲れてるのかなぁ……。
「ううぉァッ!?」
「……………………」
まるで無警戒だった背後から突然叩かれ思わず悲鳴を挙げてしまう。慌てて距離を取ったその先には……小谷松さん。
「ど、どうしたんだよこんなところで……家ってこっちじゃないよな?」
「…………」
無言のまま何かを差し出して来る。
これは……俺のスマホ?
そ、そうだ。慌てて学校を出たものだから談話スペースに置いて来てしまって、誰かに回収するようルビー伝手に頼んでおいたんだ。帰り道でもないのにここまで持って来てくれたのか。
「あ、ありがとう……ごめんな、助かるよ」
「…………」
「お礼と言っちゃなんやけど、家まで送るわ。一人じゃ危ないしな」
「…………」
大袈裟にこくりと頷く。彼女の自宅は俺と同じ学校の最寄り駅付近、特に会話などはなくホームへ向かう。沈黙もそれほど苦ではない。喋れば喋るほどコミュニケーションに困るから。
しかし、この近辺には愛莉も真琴も住んでいるというのにわざわざ小谷松さんが持って来たのか。誰かに頼まれたのだろうか?
「……なぁ小谷松さん。分からんなら分からんで構わないけど」
「…………」
「最近オレ、ずっと誰かに付けられているような気がしてさ。周りに怪しそうな人とか居なかったか?」
「…………ッ!!」
改札までやって来たところでそれとなく話題に出してみる。すると小谷松さん、それはもうあからさまに目を見開きふらふらと後退り。
鼻息で眼鏡が曇り出している。いったいどうしたのかと疑問を投げ掛ける間もなく、彼女は改札へ向かって全速力で走り出した。
「ちょっ、小谷松さん!?」
学校指定のローファーだろうと関係ない。恐るべきスピードだ。あっという間に階段を駆け下り姿が見えなくなる。
同時に電車の到着する音が聞こえ、慌てて追い掛けるも万事休す。ホームに小谷松さんの姿は無い。先に乗られてしまった。
(まさか本当に……?)
心当たりも無しに逃げ出す必要は無いだろう。間違いない。彼女はこの一連の動きについて何か知っている。
というか、論ずるまでも無い。
あの反応を見るに犯人は……。
* * * *
「ということがあってだな……」
「なーんだ。なんかヤバい話かと思ったら、ただのノロケってわけな」
「話聞いてた? ねえ? 俺の気持ち考えて?」
互いに四限が無く暇していたので、瑞希を談話スペースへ連れ出し早めのお昼ご飯。昨晩の出来事を打ち明けてみたのだが、あまり真面目に聞いてくれない。
膝に寝っ転がって総菜パン食い散らかしてる。スラックス汚れちゃう。それを許している俺に責任が無いかと言えば、分からん。なんとも言えん。
「どーせいつもの流れっしょ。気付かんうちに優しくしちゃったんじゃない?」
「いやまぁ、別に嫌われるようなことはしてないと思うけど……」
「こんなんでも頼れるカッコいい先輩なんだからさぁ。ありがたく受け取っときなよ。長瀬とかは知らんけど、あたしはなんも言わんからさ」
「こんなんてお前な」
今更競争相手が増えたところで瑞希はなんとも思わないだろうが、俺が懸念しているポイントはそこじゃない。
仮に彼女の言う通りだったとしても方法が不味いだろう。やってること実質ストーカーだぞ。なんかこう、もっとあるだろ。
小谷松さんが俺のことを……それ自体は嫌な気持ちでもないし、他の面々にも劣らぬ可愛らしい少女に好かれていると考えれば大変喜ばしいことだが。
純粋な好意と素直に受け取るべきなのか。あの不快感の強い眼差しは恋愛沙汰の縺れと呼ぶには相応しくないように思うし、ましてや物理的に自己主張の薄い小谷松さんだ。どうにも納得いかない。
「ひーにゃんみたいなタイプなんじゃないの?」
「比奈みたいな?」
「マトモに見えてエグイ性癖飼ってる的な」
「いよいよアイツの評価メチャクチャやな……」
「長い付き合いっすからねえ~」
焼きそばパンから紅生姜をポロポロ落としかったるげに笑う。確かに昨今の比奈はズバ抜けて変態指数の高い暴君と化しているが、小谷松さんも似たような裏の顔を持ち合わせているとは……ちょっと考えにくいな。
秘密主義を気取り演技も巧みな比奈と違って、小谷松さんは言葉を発しない分なんもかも顔に出るタイプだ。隠し事が出来るようには見えない。恋慕募ってストーカー紛いの行動に出るような視野の狭い子とはとても……。
「大変です廣瀬さんっ! 大事件ですッ!」
四限の終了を告げるチャイムが鳴り響く。すると同時に、小谷松さん以外の一年組が新館へ全力ダッシュで現れた。
「どしたんゆっきー」
「瑞希さぁん! これ見てくださいよぉっ!」
涙目で訴える有希の手には、誕生日パーティーで慧ちゃんへプレゼントした例のビーズクッション。シャザイーヌのデザインが施された非常に趣味の悪いアレ。
慧ちゃんもエライ気に入ったようで、今朝も談話スペースで枕代わりにして仮眠を取っていた。授業中も枕代わりにして爆睡しているとは真琴の話だが、いったいどうしたのだろうか。
「このクッション、ビーズを入れ替えられるタイプで……角の部分がゴツゴツしてるって慧ちゃんが言って、中身を見てみたんですっ!」
「やっぱり妙に固いな~って思ったんスよ! これはマジでヤバイっス!」
「…………んッ!?」
ビーズは白い粒粒した形状なので、中から出て来た真っ黒なキューブは非常に悪目立ちする。これは……なんだ? 電子機器の類か?
「まさかと思って、スマホで調べてみたんだよね。画像検索で。そしたらさ……ちょっと悪質過ぎるよ、いくらなんでも」
真琴が画面を突き出し見せて来る。アマ〇ンの商品購入ページにまったく同じ黒いキューブが映し出されていた…………小型GPSトラッカー?
「発信機だよ。盗聴機能も付いてるみたい…………兄さんだけじゃなかったみたいだね。練習より先に持ち物検査した方が良いんじゃない?」
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