731. なんらかのパラドックスが発生している


 琴音が完全に伸びてしまったので、置いて帰るわけにもいかず暫し慧ちゃんの部屋でお休み中。

 店舗二階に構える保科家は言っちゃなんだが非常に狭く、六畳一間にも満たぬ無機質な自室は慧ちゃんのサイズ感には相容れない装いだ。



「ありゃま。膝枕っスか?」

「触れないでやってくれ」

「わはははっ、りょーかいっス! ホント先輩って猫みたいで可愛いっスよね~! 普段はキリッとしてるのに、廣瀬先輩の前だと完全に赤ちゃんっスね~」


 部屋の片隅には小型のウォーターサーバーと冷蔵庫が並んでおり、慣れた手付きで『マッサージ後に飲むとメチャクチャ効くんスよ!』というはちみつレモンを作り上げる慧ちゃん。


 腰回りにしがみ付く琴音を特別気にする素振りは無い。フットサル部における処世術としては満点も満点だが、年下に気を遣わせる心苦しさと言ったらもう。



「ホンマごめんな。琴音だけならともかく男の俺まで上げさせちゃって」

「全然ヘーキっスよ! 家に野郎しかいないんで、アタシも実質男みたいなもんスから! 見られて困るモノもありませんし!」


 ここまで一切触れて来なかったけど、奥には普通に慧ちゃんの下着を含め衣服が部屋干ししてある。パパさんは家事が一切出来ないらしく、身の回りのことはすべて自身で賄っているそうだ。


 いやでも、だとしても気にして欲しい。少しは生活感を隠して欲しい。他人にここまで明け透けにして恥ずかしくないのか。

 瑞希やノノとはまた違う方向でモラルが欠陥している。これも保科家の血筋なのか。分からん。



「ほいほいっ、冷めないうちにどーぞ!」

「ありがと。凄いな、こんなものも作れるのか」

「親父に色々仕込まれてるもんでしてね~。アタシも健康オタクみたいなところありますし、なんなら学校にも持って来ましょーか?」

「はちみつレモンだけでええかな」


 当人はプロテインを作ってゴキュゴキュ飲み干している。健康オタクはプロテインを1.5リットルボトル分一気に飲んだりしないよ。絶対おかしいよ。


 ちょっと存在感があるってくらいで普通の子だと思っていたけれど、なんというか、フットサル部に入るべくして入った逸材だよな。慧ちゃん。

 突き抜けて良い子なのは間違いないんだけど、頭のネジが二、三本抜けてる感じ、凄く既視感がある。色んなところで。



「……ん? これって……」

「おっ、流石は廣瀬先輩、お目が高い! 最近超ハマってるんスよ~! メッチャ可愛くないっスか!?」

「可愛いというか……ええ?」


 色気の無い部屋の飾りにおいて唯一のアクセントとも呼べる、ベッドに鎮座している謎の巨大ぬいぐるみ。見たことの無いキャラクターだが、なんとなく覚えのあるデザインだ。


 ……犬? 犬だよな? たぶんデフォルメのミニチュアダックスフンドだと思うんだけど……青ざめた顔にぐにゃりと曲がった背筋。これは……。



「シャザイーヌ……!」

「琴音? 知ってるのか?」

「……ドゲザねこの後発キャラクターです。尤も、会社が違えばコンセプトも丸被り。云わばパクリ商法……ッ!」


 のっそりと膝元から動き出しぬいぐるみを掴み取る。ついに模倣品まで現れたのか、ドゲザねこ。だからどこに需要があるんだよ。猫に飽き足らず犬に土下座させてまで何を得たいんだよ人類は。



「楠美先輩、カバンにドゲザねこのキーホルダー着けてるっスよね! ぬっふっふ! 時代はシャザイーヌなんスよ! 流行は廃れ行く運命なんです!」


 廃れるもなにも身近にファン一人しかいねえよ。映画化までした時点でなんらかのパラドックスが発生しているんだよ。元の世界線へ帰して。


 暫くシャザイーヌのぬいぐるみを視姦し続けていた琴音だったが、不意に『これはこれでアリかもしれない』と恐ろしいことを呟き、そのままぬいぐるみを抱えベッドに移動するのであった。もうコイツは良いや。ほっとこう。



「そうそう! 昨日貰った誕生日プレゼント、メチャクチャ良い感じっス! なんかすいません、まだ全然絡み無いのにここまでしてもらっちゃって!」

「いや、気に入って貰えたなら良かった。サイズは大丈夫だったか?」

「バッチリっス! マジでもうジャストフィット過ぎて、走り高飛びとかやりたい気分っス!」

「そこはフットサルと言って欲しいところだが」


 誕生日パーティーでプレゼントしたトレーニングシューズを箱から取り出しご満悦の慧ちゃん。

 内コート用のシューズを持っていなかったので、今後の活動で出費も嵩むだろうと三年生でお金を出し合って購入したのだ。


 正式に部へ加入し一週間。技術面の進歩はまだまだこれからという段階だが、愛莉にも劣らぬ強靭なフィジカルと全力プレーでたびたび俺たちを驚かせてくれる。一年の元気印でもある彼女、二週間足らずですっかり馴染んでしまった。



「アタシ、今までずーっと親父の手伝いばっかで……部活とか全然縁が無かったんスよ。やっと家の仕事から解放されたんで、高校で思いっきり打ち込めるものを探してたんですッ」

「ならええタイミングやったな」

「はいっ! マジでユーキちゃんには感謝してるっス! 先輩も良い人たちだし、楽しいことばっかりで、超充実してるっス!」


 純度100パーセントの満面の綻びを溢れさせ、トドメとばかりにガハハハと豪快に笑う。本当に裏表の無い子だ。それはそれで逆に心配だが。


 フットサル部はどいつもコイツも策略しがちの捻くれ者で、それでいてエゲツナイ性癖を隠し持っている奴らばっかりだから、慧ちゃんみたいな忖度ゼロの真っ直ぐな人間は案外貴重だったりするのだ。


 凄く、こう、緩和剤になっている。勿論アイツらが悪いというわけではないし、俺も俺で捻くれ者の代表格なのだから不満もなにも無いのだが。


 俺たちが新たに結束を固める上で、彼女の存在がとても大きく作用してくれそうな、そんな予感がしている。

 ただでさえ全力疾走しっぱなしの俺たちに加わった、新たなエネルギー。最新型のエンジン。言い表すならそんなところか。



「真面目な話してもしゃーないんやけどな」

「ほえっ?」

「これから俺たちもさ。大会が近付くに連れてちょっとずつナーバスになったり、不安だらけでおかしくなる奴が出て来ると思うんだよ。人間ってメチャクチャ脆いからさ。些細なことでバランスが崩れることも良くある」

「……ほんほん?」

「だから慧ちゃんは……出逢って数週間でこんなこと言われてもって感じだと思うけど。ずっとそのままで、みんなのことを引っ張って欲しいんだよ」

「引っ張る……でもアタシ、まだ一年っスよ?」

「年齢や経験は関係無いんだ。みんな慧ちゃんの明るくてポジティブで、ひたむきな姿に惹かれてるし、影響を受けている。だから、要するに……」


 首をコテンと捻る慧ちゃん。いきなり話を重くしたり真面目に語り出すのは俺の悪い癖だ。でもやっぱり、言える時に言っておかないとな。



「みんな頑張ってるんだよ。理想の自分になりたいって、一生懸命藻掻いてる。だから慧ちゃんも、見失わないで欲しいなって」

「……ほほー」

「辛いことがあったり、悩んでることがあったら、幾らでも頼って欲しい。みんながみんならしくあるために、俺はなんでもするし、みんなも協力してくれる。チームってさ、家族みたいなモンだから」

「家族、っスか?」

「そう。友達や部活仲間ってだけじゃ踏み込めないことも沢山あるだろ? 家族なら遠慮もなにも無い、助け合うのが当たり前……まぁ、深入りしたらしたで厄介なことも結構あるんだけど、それはそれで楽しかったりするんだよ」


 もう少し付け加えるつもりだったが、それ以上の施しは必要無さそうだった。慧ちゃんは感心したように掌を叩き快活に微笑む。



「良いっスね! そーゆーの、アタシも好きっスよ! 目に見えない繋がりってゆーか、ファミリー感ってゆーか、なんかカッコいいっすよね!」

「カッコいい……うん、まぁ、せやな」

「すっごい納得しました! 廣瀬先輩、女の子に囲まれてても全然気後れしないから、なんか秘密があるのかなーってずっと思ってたんスよ!」


 秘密か。あるな。沢山。

 世間には絶対に漏らせないエッグイのが。


 勿論そこまで明かしてしまうつもりは無くて、フットサル部の結束の根源を少しでも理解して貰いたかっただけなのだが……この様子なら心配する必要も無いか。



「よーするに、アタシはずっとこのまんまで良いってことっスよね!」

「……うん。せやな。そうなるな」

「じゃ、なんの問題もナッシングっすね! アタシ、もっと頑張るんで! これからもごしどーお願いしまっす!」


 一転の曇りも無い眩しい笑顔にそれ以上なにを言う気も無くなってしまった。


 保科慧、想像以上に一本筋の通った凛々しい女である。これはこれでちょっと対応し辛いなぁ、なんて若干思ったり、思わなかったり。


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