716. 煮え切らない
和田少年を連れ出している間にファミレス内でも動きがあったらしく、愛莉と真琴が先に帰ろうとしたタイミングでちょうどお開きになったようだ。真琴が隣にベッタリくっ付いて姉をガードしているとルビーから連絡があった。
「すいません、ごちそうさまですっ。なんか、ホントすいません。自分メチャクチャ食べたのに、結局一円も払わないでコーヒーまで……」
「さっきから謝り過ぎお前。一年は黙って奢られるのが仕事なんだよ、また好きなだけ食わせてやっから覚悟しとけ。好物は?」
「……ステーキ、とか?」
「ハッ。ちっとは遠慮しろや」
「えぇっ!?」
わざわざ人目を避ける必要も無くなったので、駐車場の自販機で缶コーヒーを買い和田少年に手渡し、皆の後を追いながら車の行き交う大通りの脇道を進む。
ファミレスと学習塾の蛍光ばかりが目立つ面白くは無い光景だ。欠伸混じりの間抜けな面が素晴らしく似合う。こんな顔は野郎の前でだけだ。
「んで、相談って?」
「…………まだ悩んでるんです。サッカー部とフットサル部、どっちに入るか」
無糖のコーヒーを啜り和田少年は肩を落とす。予想の範疇ではあった。彼は春休みのうちからサッカー部の練習にも参加している、川崎フロレンツィアのジュニアユースでプレーしていた有望株。
一方、他の同期とは違い一般入試組であると谷口が話していた。サッカー部への入部が条件である特待組と違い、必ずしもそうしなければならないわけではないということだ。
「女に囲まれとる方が気楽ってか?」
「そっ、そういうのじゃないです!? 断じて、そんなつもりは…………まぁ、ちょっと楽しいなって、思っちゃいましたけど……」
居心地悪そうに顔を引き攣らせる。馬鹿正直に打ち明けるということは、そちらは言葉通り本命では無いのだろう。となると他に引っ掛かっている要素がある。
「自分、チームでも下から数えた方が早いくらいで。ユースも他の高校も、セレクション全部落ちちゃったんですよ。で、まぁ、推薦とかもなんも貰えなくて……家から一番近い山嵜に来たんです」
「……で?」
「サッカー、もう辞めるつもりだったんです。才能無いのは自分が一番分かってるし……春休みに山嵜の練習参加したときも、すっげえ上手い人ばっかで、それでまた自信無くしちゃって……」
競技を辞めるかどうかというところまで追い詰められているのか。となると、単にレギュラーが取りやすいからフットサル部で……というのもまた少し違うな。
比奈から聞された第一印象は酷いものだったが、実際に接すると彼女が言っていた通りの人間だと今更ながら思う。
非常に生真面目で一本調子。悪く言えば余裕が無い。華の高校生だというのに、定年間近の中高年みたいな雰囲気を醸し出している。
「谷口キャプテンにも相談したんです。そしたら、先輩に相談してみるのが一番良いって……」
「押し付けやがったなアイツ……」
「まさか先輩が山嵜に、それもフットサルをやってるなんてオレ全然知らなくて。だから、その……興味本位で来ちゃったのは、認めます。すいません、そういうの一番嫌っすよね……」
「別に。動機はなんでもええ。真面目にやってくれんならどんな奴でも歓迎や。俺の女に手ェ出さない限りな」
「あ、あはは……溺愛してますね……っ」
今日一日の練習を見た限り、和田少年は俺たちの求める『同じ目標を見据えて全力でプレー出来る』『チームに馴染む努力をしてくれる』という二つの大きなポイントを十分にクリアしていると感じている。
彼からしてみても、サッカーに未練が無ければフットサル部へ加わるハードルは一つも無い筈だ。
俺と同じチームでプレー出来るのも、恥ずかしながら彼にとってはモチベーションの一つのようだし。なにも文句は無い。
なのに、煮え切らないでいる。
だったら答えは出ているも同然。
「続けたいんだろ。サッカー」
「…………はい。やっぱり、それだけは捨てられないんです。フットサルを舐めてるとか、下に見てるとかじゃないんです……でもここで諦めたら、サッカー自体から逃げ出したみたいに思えて来て……」
「ふむ……」
「フットサルを言い訳にするのだけは、絶対にしたくないんです。先輩たちにも失礼だし……ほんの一ミリでも『妥協した』って感じたら、その時点でもうダメなんだって、やっぱりそう思うんです」
迷宮入りの難題にため息を重ねる和田少年。闇夜に紛れる青臭さの抜けない面持ちはなんとなく内海に似ているなとか、どうでも良いことを考えていた。
実力は重々承知。フットサルはフットサルで面白そう。だったらそっちで……そう考える一方、サッカーから距離を置くことにどうしても納得がいかない。すなわち自身への敗北と彼は考えている。
「先輩だってそうですよね? サッカーへの未練は断ち切って、フットサルを始めたってことですよね?」
「いや、んなことないで。フットサル始めたのはホンマ偶々や。こっちに来たのだって完全に縁切るためやしな」
「あっ……そ、そう言えばそうですよね。廣瀬先輩、大阪の人なのに……」
「別にサッカーから逃げたつもりも、妥協してフットサル始めたわけでもねえ。流れるままに転がって、偶々こうなっとるだけや」
「……後悔、してないんですか?」
「しとるよ。山ほど」
幼い頃からの夢をすべて投げ捨てて、大阪から離れる道を選んだ。何もかも諦めたつもりではいたが、少しの葛藤も無かったと言えば嘘になる。
事実、この街に来てから俺はずっと腑抜けていた。人生を賭けた目標を失い、なんのために生きていくのかさえ分からず。
瓦礫塗れの暗中を裸足のまま彷徨っていた。暴食もした。煙草も吸った。バイトを三日で辞めた。なに一つ実りの無い日々。
でも、みんなに出逢えて。本当に大切なことを学んで。どうして守りたいものが出来て。俺はもう一度前を向けた。生きる糧を見つけることが出来た。
勿論割り切れないものもあったし、過去の苦い記憶は今でも足を引っ張るけど。併せて自身の一部で、それはそれで忘れちゃいけないもので。
未練は残っているけれど、別に残したままでも良いと思っている。今の俺に出来ることは、フットサル部で必死に頑張ることだけ。
フットサルという競技と培ってきた身一つで向き合う。みんなとの限られた時間を出来るだけ大事に、日々を精一杯生きる。ただそれだけだ。
「よく覚えておけ少年。人間はな、言うならば肉食動物や。ライオンやクマと同じように、前にしか目が付いていない。一方、草食動物は横に目が付いとる。何故か分かるか」
「え……すぐ逃げられるように?」
「その通り。ともすれば、人間が前しか見えないように出来ているのは……逃げ道を作るべきではないから。妄信した先へ向かって走り続けるしかねえ」
「は、はぁ……?」
怪訝な表情で首を捻る和田少年。
俺も俺でなにを言っているのかよく分かっていなかった。恐らくステーキがどうこうの件から引っ張られているのだろう。
アカンわ。柄じゃ無さ過ぎる。先輩風ってどうやって吹かすんだろう。知らんところで勝手に吹くんだよな。風。操縦出来ん。
「上手い下手は関係ねえ。サッカー部でもフットサル部でも、妥協無しの100パーセントで取り組むんだよ。逃げずにいま出来ることだけをやれ」
「……そのつもりではいます」
「つもり、だろ? お前自身が納得出来ねえなら意味の無い葛藤や。違うか?」
「…………そう、かもです」
「谷口には話付けといてやる。サッカー部も人数不足でヒイヒイ言うとるからな、遅れて入部でも文句垂れるこたねえだろ……明日もウチに来い。走り込みと筋トレや、徹底的に扱いてやっから。他人に指摘されて初めて気付く限界もあるんだよ」
「……じゃあ、お願いしますっ、先輩」
「おう。任しとき」
モヤモヤしている暇があるなら目の前の壁を、課題を全力で乗り越えてみろということだ。単純な話。死ぬまで走ってシャキッとしろ。
珍しいこともある。男相手にここまで世話を焼いたことはあっただろうか。内海にも大場にも、はたまたテツオミにもここまで親身になったことは無い。先日の橘田の件はノーカウントだ。半分悪ふざけだったし。
いやでも、どうだろう。身近に女しか居ないせいで忘れていたという可能性もあるが。もしそうでないとしたら、俺が和田少年を気に掛けてしまうのは……。
「……先輩?」
「ああ、いや。なんでもね」
和田少年の惚け顔に、俺は曖昧な返事しかすることが出来なかった。それもその筈、俺だって同じ悩みを抱えている。
いや。抱えていたのに、都合よく無視し続けていた。事実、あんまり考えないようにして、実際のところ大して重く捉えてはいなかったりするけれど。
少なくとも今年の夏。たった一度の大会、そしてこのメンバーによるフットサル部は終わってしまう。
それが終わったら俺は。
俺たちは、どうなってしまうのだろう。
なんとなく幸せな未来を想像している。
でも、漠然としている。ハッキリとは見えない。
理想だけでは補えないものが、確かにある。
早く答えと正しいルートを見つけようと、あれだけ焦っていたのに。今ではそこまで焦るべきではないとも思うし、反面やっぱり焦っている。つまるところ、まだなにも始まっていない。
どうすればそれを掴めるのか。まだ分からないし、分かりたくも無かった。星の見えないこの夜空に溶かして、今日も忘れるつもりだった。
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