689. やめてほしい。普通に


 予定調和のアクシデントと邂逅を乗り越えた俺たちだが、束の間の休息さえ与えられそうにない。


 一人でも泊まりたいなどと言い出したら他の連中が黙っている筈も無く、結局終電まで粘られて全員帰ろうとしない。俺と有希、文香の三部屋に十人が押し込まれカオスな一夜となった。


 壮絶なじゃんけん大会の末、瑞希と琴音が俺の部屋で寝泊まりする権利を勝ち取った。

 勿論寝るだけだ。寝汗以外の余計なものを分泌する余裕など無い。少しでも物音を立てたら文香が飛んで来るのだから。


 結局、例の四人でなにを話していたのか問い質す機会を失ってしまった。何だかんだで文香も連中と仲良くやっていたし、あまり心配するのも下世話か。焦ることも無い、そのうち聞けるだろう。



 さて。長いようで短い春休みも残り数日。一日のインターバルを挟み、フットサル部は毎日のように練習へ明け暮れている。


 文香も正式にメンバーへ加わり、これで十人目の選手というわけだ。頼もしいかどうかは何とも言えないが、貴重な戦力を手に入れた。


 ここ数日は専ら走り込みと筋トレが中心だ。文香が文句を垂れないか心配だったが、このくらいのトレーニングは青学館でも日常茶飯事らしい。

 そう言えば日比野、フットサルに関しては結構スパルタだったな。他の要素が強烈過ぎてすっかり忘れていた。



「メンドくさいっすね、学校。四季が無くなって一年中春になったらずっと春休みなのに」

「その理論だと四季の無い国は誰も義務教育を全う出来ないぞ」

「おー。確かに」


 潮風香る国道沿い海岸線。肩を並べランニングに勤しむは、連日のハードメニューによる疲労など微塵も感じさせないスタミナお化けこと市川ノノ。


 わざわざ早朝にノノの家近まで出向いて付き合って貰った。先を走るワンコを追い掛け早30分。息一つ切らさず話を続けるのだから恐ろしい奴だ。



「で、急にどうしたんですか? 今までノノが誘っても全然来なかったのに」

「遠いし。お前ん家」

「空き部屋借りるって言ってるじゃないですか」

「やめとけって、愛莉が爆発しちまうから」

「むしろ爆発するのはセンパイのほうなのでは? 愛莉センパイのなかで」

「朝っぱらからやめえや」


 俺のアパートは一階の角部屋を除いてこの春休みで埋まってしまった。ノノは財力を盾に最後の空き部屋の確保を狙っているらしい。

 いよいよフットサル部の専用寮だ。残り一人の関係無い住民が可哀想。


 閑話休題。ノノの言う通り、早朝から彼女へ逢いに来たのには理由があった。海沿いで爽やかな汗を流したいという思惑もゼロではないが。



「もしかして、二人ともセンパイの部屋に居座ってるとか?」

「愛莉と真琴もな」

「良いじゃないですか。5Pでもなんでもすれば」

「そろそろ怒るぞ」


 同じ物件に巣を構えているのだから、朝に出るタイミングも同じだし、帰って来てからもすぐ近くに居るわけだ。

 有希と文香はほぼ毎日のように俺の部屋でメシを作ったり掃除をしたり、はたまた理由もなく居座ったりと横暴の限りを尽くしている。


 で、真琴も真琴で『有希の部屋は自分の部屋だから』と謎理論を展開し頻繁に訪れる。そして、遅くまで妹を出歩かせたくないと愛莉がウチまでやって来て、結局終電ギリギリまで居座るのだ。


 一緒に過ごしている分には楽しいことばかりだが、みんなしてアピールが過剰というか、ライバル心剥き出しでこちらも心労が溜まるというか。


 勿論それが嫌というわけでもないし、特別険悪な雰囲気でもなければなにも問題は無いのだが。なんとなく現状を誰かに話しておきたかったという一点で、軽く受け流してくれそうなノノを頼ったのだ。深い意味は無い。気紛れ。


 いやでも、それはあくまで建前か。

 もっと浅ましい理由も実はあって。



「ふーん……要するにセンパイは、女のみっともない争いを間近で見るのが嫌になって、ノノに泣き言を聞いて欲しかったわけですね」

「違げえよ。んな軟な根性でアイツらの相手が務まるか」

「ならどんな理由だってんですか」

「普通にノノに逢いたかったし」


 市川邸の外玄関が見えて来た。玄関を先に潜り抜けたワンコを見送り、ノノはゴール間近で走る足を止めてしまう。



「…………あっぶねー。興奮するところだった」

「なんで? 急に? 何故?」

「……はい。はいはい、分かってます。そうやってノノを喜ばせるために、ちゃんと台詞も用意して来たんですよね。分かってますって……いくらノノが都合の良い女だからと言って、あんまり舐められちゃあ困りますねっ、まったく……!」


 自戒の言葉を並べ律するのに精一杯。ノノらしからぬ珍しい光景だ……いや、そんなこと無いか。真正面から打ち込むと意外と弱いんだよなコイツ。



「俺にそんな器用な真似が出来るとでも?」

「なっ、なんですか! じゃあ本当にノノのために逢いに来てくれたと!? すぐノノのことほったらかすあのセンパイが!? エエんッ!?」

「なんでそんなキレてんだよ……最近二人でいる時間無かったし、偶にはワガママの一つくらいええやろ。ペットを可愛がってなにが悪い」

「おっふ……ッ!」


 ふらふらと酔っ払いみたいな足取りで外玄関を潜るノノ。顔を抑えて庭の片隅で座り込んでしまう。

 なんだ。クリティカルヒットか。恥ずかしくなっちゃったのか。ノノの癖に。可愛いなおい。



「……待って。うざい。なにこの人。急にデレるし。やめてほしい。普通に」

「いったいどうしたんだ。厚顔無恥ぶりに定評のあるフットサル部の暴走機関車こと市川ノノさん」

「ちょっ、マジでタイムですタイムっ!? それ以上喋らないでくださいっ! ノノのアイデンティティーが崩壊してしまいますっ!」

「んな大袈裟な」


 庭の芝生へ倒れ込み辺りをグルグル回転。心なしか息は荒く、見ての通り落ち着きが無い。ランニングの疲労が一気に溜まって来たわけでもなかろう。


 舐めているのはそっちの方だ。その程度のメンタルで俺の理解者を気取られちゃ困る。ペットはペットらしく、大人しく可愛がられてろ。



「……無理です。もっとキツく当たってください。優しいセンパイの相手はまだ慣れてないんです」

「いつでも優しいだろ」

「鏡見てから言ってくださいマジで……」


 ゴールドのアホ毛を乱暴に引っ張り上げると、恨めしそうに歯を食い縛り地面との隙間からこちらを睨み付ける。

 まるで迫力の無い可愛らしい怒り顔だ。これを見れただけでも早起きした甲斐があった。



「変なところで素直なのはセンパイの方っすよ……やめてくださいホントに」

「そう言われても」

「うぅっ、今日はそーゆー気分じゃなかったのに……ちゃんと責任取ってくださいね。ノノの余りある愛情をすべて受け止めて貰うまで、帰しませんから」

「その切り替え方がよっぽど変やけどな」

「ほらっ、行きますよっ! どーせ誰も居ない家なんですから、好きなだけノノを蹂躙すれば良いのですっ! さあっ!」

「昼からルビーと用事なんじゃねえの?」

「んなもん午前中に終わらせりゃ良いんですよっ! どーせセンパイに責められたらノノ、へなちょこですから!」

「どういう強がり方だよ」


 変なスイッチが入ったようだ。そのまま手を引かれ市川邸へと招かれる。別に俺もそれ目的で来たわけじゃないんだけど……まぁ良いか。汗も余計な邪念もシャワーで洗い流すに限る。



 そう。ノノに逢いに来たことでもう一つ予定が出来た。先日のお返しかは分からないが、今度はルビーがノノを自宅へ招待したようで。


 まだまだ日本語の不自由なルビーだし、俺が居た方が都合も良いということでそのまま同伴することになった。

 故に痕跡は残さない。ああ見えて貞操観念しっかりしてる子だし。普段のノノとのやり取りを少しでも理解しようものなら卒倒しちゃうアイツ。



(流石に家にはいねえかな)


 アポ無しの訪問だけど、せっかくの機会だし顔くらい見ておきたい。正月に年賀状返しただけでロクにコンタクト取ってないし。



「……ほら。そーやってすぐ他のこと考える」

「え、ああ。ごめんって」

「罰としてぜんぶ脱がせてくださいっ! 飼い主の仕事ですよ! ぷんぷーん!」

「もう半分脱いどるやんけ」


 まぁ後のことは後で考えよう。まずはシャワールームまで我慢出来そうにない手間の掛かるペットの相手から。まだまだ昼は遠い。


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