688. ファイティングポーズ


 外も暗くなって来て、続きはハルトの家でやろうとノノが言い出した。瑞希と比奈ちゃんがハルトを両側から挟み込んで、その後ろに琴音ちゃんが着いて行く。ノノはシルヴィアとお喋り。言葉通じないのに。ある意味感心する。


 慌てて着いて行こうとした私を真琴が呼び止めた。この場に残ったのは私たち姉妹と有希ちゃん、そして世良さんの四人。



「あーりん、結局あの金髪ちゃんは何語で喋っとん?」

「スペイン語。厳密にはバレンシアの方言だって瑞希が……あーりん?」

「そっ。ええあだ名やろ」

「……お、お好きにどうぞ?」

「にゅふふ。ほな遠慮なく~♪ ウチのことも文香でええで、もうちょい仲良うなったらふみふみ許可証出したるわっ」


 嬉しそうに口元をゆすぎニコニコ笑う世良さん。いや、文香。ハルトがタヌキだなんだと言っていた理由が少し分かった気がした。口癖は猫っぽいけど、笑ったときの丸っとした顔つきはどことなくそんな雰囲気がある。


 昨日から垣間見せていた敵対心はどこへやら、すっかり気を許してしまったようだ。単純な人だ。警戒心の欠片も無い。

 いや、その決め付けもどうだろう。こういう性格なのだ。ハルトが絡むと少しワガママになるけど、元々は誰とでも打ち解けられるフレンドリーな人。


 大阪での初対面と昨日のやり取りを思い出す。私と似たような人なのかなって、思ってたけど。でも違うみたい。私なんかよりずっと……。



「ほんで、ウチになんの話? まーくん」

「くん付けはやめてください。これでも女なんで」

「えー!? だってユッキはマコくん呼びやろぉ?」

「昔からなんで、これはこれで良いんです。それより…………これだけ離れたら聞こえないよね」


 ハルトと他のみんなはもうかなり遠くを歩いている。そんなに聞かれたくないことをどうして私たち四人だけに? 真琴はなにを話すつもり? 分からない。



「ハァー……こんなの絶対自分の役目じゃないんだけどなぁ。よりによって頼りにならない人ばっかりで、困った困った」

「姉に向かって頼りにならないは無いでしょ」

「だからこそ、だよ。文香先輩、改めて聞きますけど……わざわざ青学館を辞めて山嵜に来たってことは、そういうことで、良いんですよね」


 強い風が吹いて、短く切り揃えられた綺麗な黒髪が波を打つように靡く。


 不思議な感覚だった。真琴の冷めた顔はいつものこと。でも、何かが違う。少なくとも、今日一日文香のことばかり考えててんやわんやだった私とは比較にならないほど大人びて見えて。


 文香を真っすぐに捉える鋭い視線に、四人を囲う公園の温度が少しだけ下がったような、そんな気がした。

 私は文香の返答をただジッと待つことしか出来ない。唾を飲み込む音が有希ちゃんに聞こえたようだ。不安げな表情が点と点で重なる。



「アレか? 新参者が余計な手出しすんな言うて?」

「まさか。今日だけでもちゃんと伝えた筈です。みんな文香先輩のこと、結構気に入ってると思いますよ。兄さんのことを抜きにしても」

「ずーっと気になっとんねんけど、その兄さんてなに? そーゆープレイ?」

「文香先輩には関係の無いことです」

「あーりん。この生意気な妹凝らしめんとええんか?」

「私もその辺詳しくないし……」


 何故ハルトのことを兄さんと呼ぶのか、真琴は今日までその理由を話してくれない。私にもお母さんにもなるべく不干渉を求める真琴だけれど、どれだけ問い質してもこれだけは意地でも答えてくれない。


 なんて、実際のところ分かっていた。あの日、飛び切りのオシャレをして陽翔と出掛けて、きっと色んなことがあって。


 ハルトと真琴の関係に、もはや私の存在は必要無い。真琴にとっての私は、姉妹であると同じくらい、もう……。



「別に良いんですよ。それ自体は。兄さんにとって文香先輩は絶対に欠かせない必要な人で……フットサル部に文香先輩がいる日常も、これから当たり前のモノになっていく。あの人の計画通りに進んでるってワケ」

「……ほんで?」

「でも、予定調和はここまで。言っときますケド、自分、すっごい負けず嫌いなんで。指咥えて見てるだけとか、死んでもご免です」


 鋭い瞳が今度は私に向けられた。人を試すような舐め腐った態度に思うところもあるけれど、あまり強く出れない臆病な私。妹相手に。なにやってんだろ。



「客観的な意見も聞いておこうか。姉さん、正直に答えてよ。自分と一緒にいるときの兄さんって、結構自然に笑えてるでしょ? 楽しそうだと思わない?」

「…………まぁ、そうね」

「比べて最近の姉さん、苦労掛け過ぎでダメだね。いくら好かれてるからって、甘えてばっかで困らせるのは違うんじゃない?」

「……そ、それはだって、ハルトが……!」

「ほら、人のせいにして。重い女は嫌われるよ。自分が楽しいのは結構だけど、もうちょっと兄さんのことも考えてあげた方が良いんじゃない?」


 痛いところを突かれる。勝ち誇った真琴の顔が心底憎たらしい。真琴に対するそれじゃないことはとっくに分かっていた。最近の私は、ちょっと酷過ぎる。


 春休みの出来事を考えないようにすればするほど、ハルトの顔が脳裏に浮かんでいつまでも離れない。我慢が足りないのも分かっている。こんなに幸せな気持ちをどう抑えれば良いかなんて、誰にも教わらなかった。


 その点、真琴は強い子だ。ハルトから色んな影響を受けているとは思うけど、決してワガママなことは言わないし、ポリシーを曲げたりはしない。私とは違う。



「幼馴染だろうと、姉だろうと、親友だろうと、譲る気は無いです。もしフットサル部が本当に『家族』なんて大それたものになるのだとしたら……兄さんの一番近いところにいるのは、やっぱ自分かなって」


「意外? こういうこと言い出すんだって。だったらそれこそ予定通りかもね。あの人の本気が、熱意が、優しさが伝染して、気付いたら一色に染められたんだよ。そういう軟弱でチョロい自分も、結構嫌いじゃない」


「……好きとかカッコいいとか、そんなつまらない話はしたくない。長瀬真琴が、理想の長瀬真琴になるために。心から『幸せだ』って思えるために、必要なんだ。同じくらいあの人も、自分の存在を求めてるって信じてる」


「だから、二番目でも三番目でも、ましてや妹でも意味が無い。勝たなきゃいけないんだ……どれだけ理不尽で、不利な勝負でも。絶対に負けたくない……ッ」


 そんな真琴がここまで惚れ込んだのだから、止められる筈が無いのだ。私にその資格は無い。

 真琴の言う通りだ。私はただ、ハルトの優しさに。みんなの優しさに甘えているだけ。こんな私を、わたしは認められない。 



 不思議な感覚だった。いつもならこのまま『どうせ私なんて』って、落ち込んで一人殻に籠るだけ。誰かに引っ張り上げて貰わないと、なにも出来ない。


 でも、どうしてだろう。変な気分。

 胸の奥底から、なにかが沸き上がる。

 酷く懐かしい匂いがする。



「……つまり、宣戦布告っちゅうわけやな?」

「まぁ、はい。そんな感じで。仲が良いのは結構ですが、馴れ合いは勘弁ですね」

「ふ~ん……クールに見えて意外と骨のある子やなぁ」

「どっかの誰かの血を受け継いだモンで」


 冷めた瞳のなかに宿る確かな期待。

 そうだ。私は。


 誰よりもエゴイスティックで、空気の読めない、最高に馬鹿で、トロくて、どうしようもなくて。

 でも、諦めだけは悪くて。とにかく誰かに認められたくて。盲目で、猪突猛進で、勢いだけで生きて来た、そういう女で。


 そんな私を認めてくれた、好きになってくれた、愛していると言ってくれた、あの人に。ちょっとでも同じものを返したくて。伝えたくて。


 一緒に幸せになりたくて。

 私の傍で、笑って欲しくて。


 違うわけない。文香も、真琴も、有希ちゃんも。みんなだって。私と同じ。本気でハルトのことを想っている。これだけは忘れちゃいけない。



 落ち込んでる場合じゃない。

 戦わずして負けてどうする。


 どんな逆境にも、理不尽にも立ち向かう勇気を。

 他でもない、ハルト。貴方がくれたんだ。



「……わたしだって同じよっ! ハルト言ったもん! 私は特別なんだって! 自分から好きだって気付けたのは、私だけだって!!」

「その頃は、でしょ。今の堕落ぶりじゃどう思ってるか分からないね」

「……だったら、取り返せばいいんでしょっ! 自分のミスは自分で取り返す! それがストライカーのギンジってもんでしょうが!!」

矜持キョウジ、ね。バカ姉さん」

「うるっさいわね!?」


 揚げ足を取られ次の反撃の用意をするまでもなく、黙り込んだままだった有希ちゃんも口を開いた。顔は真っ赤で足も震えている。

 


「わたしもっ! わたしもですっ!! わたしだって、廣瀬さんの一番になる資格がある筈ですっ!」


「わたし、馬鹿だけど……先輩たちみたいに、自分がどんなことをすれば、廣瀬さんにとって一番良いのかなんて、全然分からないですけど……!」


「でも、好きなんですっ! もっともっと笑って欲しいんです! わたしのためじゃなくて……わたしと一緒に、笑って欲しいんですっ!」


 私や他のみんなと違って、中々ハルトと進展が無かった有希ちゃんは、誰よりも悔しい思いをして来た筈だ。幼馴染の文香まで現れて、自分がどれだけ不利な状況に置かれているか、勿論理解しているのだろう。


 それでも、彼女は折れない。ファイティングポーズを取り続けている。どこまでも真っすぐで純粋な姿が、ハルトの心を突き動かして来た。


 だからこそ、負けたくない。

 年下だろうと関係無い。

 他の人がどう思っていようが、知らないっての。



「ほんなら競争や。誰がはーくんの一番に相応しいかジャギっとやり合って、決めて貰いましょか。温いだけや物足りへんとさかい、これくらいが丁度ええ……一応、仲良くしたるわ。一応な。ここ、重要やで?」


 ニカっと笑い拳を突き出す文香。纏め役みたいに振る舞われるのがなんだか悔しくて、慌てて私も右手を差し出した。

 こういう後手後手なところが一番ダメなんだって、分かってるけど。でも、こんなところでさえ負けていたら。絶対に敵わない。


 譲れないものがある。


 どれだけ情けなくても。頼りにならなくても。

 最後の美味しいところだけ持って行く。

 それがストライカー。エースの仕事。


 私にしか出来ないこと。

 私だから、出来ることなんだ。 



「……絶対、絶対に負けないから……っ! 次にこの四人で話すのは、私に膝を着いて『ハルトをよろしく』って言うときよ! 覚悟しなさいっ!」

「わたしもっ、本気で勝ちに行きますっ! 愛莉さんにも、文香さんにも、勿論マコくんにも! 絶対に負けませんっ!」


 三人の拳が突き合わると、真琴は鼻に着くニヒルな笑みを浮かべ最後のピースを埋める。ラスボス気取って、余裕扱いてんじゃないわよ。真琴の癖に。



「じゃ、始めよっか。長い戦いになりそうだね」

「まっさかぁ。すぐウチの偉大さに気付くだけやっちゅうに」

「ううっ、どうしてマコくんそんなに余裕たっぷりなのぉ……!?」

「どしたの有希。それじゃ四天王の面汚しだよ」

「さっ、最弱じゃないよぉっ!?」


 ちょっぴり締まらない有希ちゃんをきっかけに、みんな揃ってどこか挑発的に、けれど、なんだか満足げに微笑んだ。


 まるで一人の男を奪い合う間柄とは思えない。でもこれで良い。これしかない。こうやって作っていくんだ。私たちの世界は。今までも、これからも同じ。


 仲良しこよしの家族も悪くないけどさ。

 ちょっとくらい緊張感があっても良いでしょ。



「最後に勝つのは……笑うのは、わたしよっ! 誰にも譲らないっ! ハルトの一番は、絶対に……絶対に、わたしなんだからっ!!」


 ハルト。これからも私のこと、しっかり見てて。

 迷惑いっぱい掛けてるけどさ。

 なにがなんでも挽回するから。


 もっともっと、自分のために頑張るから。

 そしたらアンタも幸せでしょ?


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