682. 私のために争わないで
「…………」
「…………」
「…………」
(なにこの状況……)
ひとまず早坂別宅に集結し膝を付き合わせた四者だが、揃って口を閉ざし無言の時間が続いている。気休めに窓を開けても換気には至らなかった。
浮気の現場ってこんな感じなのだろうか。ファミレスとかで、こう、並んでね。よくあるやつ。居心地最悪。逃げてえ。
「一応、確認なんだけど。その……こっちに引っ越したってことは、青学館のフットサル部は辞めて……ウチに入ってることで、良いのよね?」
「……せやなぁ」
「そ、そっか……」
大阪で多少の交流を持ったとはいえ、二人はほとんど初対面みたいなものだ。人見知りの愛莉があの短時間で心を開いたとは欠片も思っていない。
となると問題はやはり文香の方だ。有希には終始強気な態度だった彼女が。瑞希にも劣らぬコミュ力お化けたるあの文香が、愛莉を前にすっかり意気消沈してしまっている。
「……まぁ、向こうでもパパさんとママさんにクソ媚びとったし。気があるのは知っとんねん……こんな時間にはーくんの家来て、なにするつもりやった?」
「そ、それは……ぁぅ……」
「いや、もうええわ。説明せんでも分かる。ちょっと先って、つまりそういうことやろ。ウチも子どもとちゃうし……」
赤面の愛莉を飄々と受け流すが、目元にはほんのりと涙が浮かんでいた。俺と愛莉の関係を大方察してしまったのだろう。強がりめ。
一方こちらとて穏やかではいられない。フットサル部に身を置いてからこんな事態は初めてだった。これを修羅場と呼ばずどう表現したものか。
「手遅れやん、もう。ゲームオーバー。ウチのことなんて全然必要無い……なに勝手に幸せ満喫しとんねん、なんなんホンマ……っ!」
「ま、待て文香。頼むから話を……」
「見たまんまやろっ! 完全にこましとる女の雰囲気やどう考えてもッ! それともあれか!? ただのセフレ言うんちゃうやろな!?」
「……こましとる、ってなんですか?」
「有希には縁の無い言葉や……分かった、正直に言う。文香、お前の想像しとる通りや。俺と愛莉はそういう関係だよ」
ハッと息を飲み込み辛そうに口元をゆすぐ文香。予想していたとは言え事実として突きつけられるとショックも相当だろう。身体の力が抜けてしまったのか、更に背中を縮こませペタリと座り込む。
待望の再会がこんな形になってしまうなんて、俺だって本望じゃない。でも仕方のないことだ。話を聞いてくれない限りこれ以上の進展も難しい。
だから、一回ぶち壊そう。この重い空気。
「この三か月……お前といない間、そりゃもう色んなことがあった。丸々説明するのは不可能や。当事者にしか分からんものが多過ぎる」
「……ウチは、仲間外れ?」
「そうなって欲しくないから説明するんたよ…………落ち着いて聞け。物凄く、非常に下品な言葉を使って、分かりやすく簡潔に言うぞ」
元より外部の人間に俺たちの関係性を理解して貰おうなどと微塵も思っていない。
だが、文香にだけは知って貰わないと。理解して貰わなければならない。こんなキショイ括りで一纏めにするのも本当は嫌だけど。
「愛莉も、有希も、みんな俺の女や」
「…………ほう?」
「コイツらだけやない。お前の知っとるフットサル部の連中、今んところ全員や。手を出したか出してないかの違いしかない」
「…………はぁぁ~~?」
聞いたことも無い低い声で困惑を露わにする。絵に描いたようなドン引きだ。文香のこんな顔は生まれて初めて見たかもしれない。
そこまで言ってしまうのか、と一人アワアワしている愛莉と、手を出すの意味があんまり分かっていない有希は一旦放置して良いだろう。
ここまで来たらすべて打ち明けるしかない。このド修羅場を笑って切り抜けられるほど器用な生き方はして来なかった。
「誰が一位とか二番目とか、そういうのも無い。みんな俺に足りないモノをちょっとずつ持ってて、色んなパーツを埋めて貰ってる。誰一人として欠かせない存在や。友達としても、恋人としても。勿論チームメイトとしてもな」
「…………嘘やん、そんなの」
「嘘じゃねえ。とっくに馬鹿デカい家族のつもりだよ。それに高校卒業したら……まぁ詳しいところは追々や。とにかく、文香」
荷物から紙袋を引っ張り出して、中から小さな包みを取り出す。修学旅行の土産のうちの一つだ。本当は練習試合の前に渡す予定だった。
歩み寄り箱ごと手渡す。この程度の施しで彼女が喜んでくれるかは分からなかったが、何よりも文香が恐れているモノを少しでも解消するために、まずは行動だけでも示さなければならない。
「これ、蔵王土産。一個いくらすると思う? 五千円やぞ五千円。一点物のクリスタルガラスや、3Dなんちゃら言うてな。俺もよう分からんけど」
「物で釣ろうっちゅうわけ?」
「アホっ、そうじゃねえよ……俺の大事な、欠かせないモノのなかに、文香も入ってんだよ。気付けよそれくらい」
「……これで証明したつもりか?」
「まさか。一部分のそのまた半欠片にも過ぎんわ…………だから、その、ちょっとは気付け?」
「……なにを?」
「なんとも思ってない女に、他の奴に黙ってプレゼントする馬鹿がどこにいるんだよ。それこそ立派な浮気やろうに」
「…………まぁ、言われてみればなぁ」
中身を取り出して興味深そうにクリスタルガラスを覗き込む文香。勿論、適当に選んだわけではなかった。
こういう使い道の無い変な小物が文香は好きなのだ。自宅の部屋もどこで買ったか分からない意味不明なインテリアが小さい頃から山のように置いてあった。俺の知っている限りのアイデアと思いやりを込めたプレゼントのつもり。
「……よーするに、アレか。ウチも甘んじてはーくんにこまされろと?」
「口に出すのも憚れる下郎ぶりだが、つまるところそういうことになる」
「……ウチ、そんな軽い女ちゃうもん」
「分かってるって。気が合うわけでもない幼馴染をずっと好きでいてくれた女が軽い奴なわけあるか。むしろ重いわ」
「でも嫌なモンはイヤ。絶対ウチのほうがはーくん好きやもん。一緒じゃ納得せえへんわ」
「うぐっ……」
こう見えて意地っ張りな文香のことだ、この程度の説得ではまるで足りないことは分かっていた。このまま場を終わらせるわけにもいかないし、なにかもう一つ押しが欲しいところ。
だが現状、文香を納得させられるだけの材料は用意されていない。口下手の愛莉とテンパり屋の有希が手を組んだところで籠略など不可能な所業。
何度も言うように、俺たちがこの一年間で築き上げて来た関係性は、おいそれと外部に説明出来るほど単純明快なものではない。
やはり文香自身の目で確かめて貰わなければならない。が、その方法が今現在だとどうしても……。
「……今の発言、聞き捨てならないんだけど」
と、暫く黙り込んでいた愛莉からの助け舟。いやどうだろう。口振りからしてやや喧嘩腰。景気の良い話では無さそうだ。
「前にも同じこと言ったでしょ。アンタの知ってるハルトはもう居ない。幼馴染だからなに? アンタの知らないハルト、私たちも沢山知ってるのよ」
「……その台詞まんま返したるわ。たかが一年ちょっとではーくんのなにを知った気になっとんねん。エエ? 3歳から15歳の思い出全部並べて喋ったろか? 半日、いや丸一日は掛かるやろなぁ……」
「だったらこの一年の話をアンタが気絶するまでしてやるわよ。丸一日? 全然足りないわね、こっちは朝から晩までずーっと一緒にいるんだから……!」
「むむむむ……っ!」
「うぐぐぐぐ……ッ!」
また同じような流れになってしまった。いやだから、こんなところで張り合っても意味が無いんですよお二人さん。
さっきも言ったけどこれからチームメイトなんだから。だから喧嘩をやめて。二人を止めて。私のために争わないで。
「二人とも落ち着いてくださいっ! 喧嘩はだめですよぉ!」
「ついさっき同じことしてた奴に言われたくないだろうが、有希の言う通りや! 争いからはなにも生まれないっ!」
「そうですよっ! 喧嘩じゃなくて、話し合いが必要なんですっ! だって愛莉さんと文香さんも、全然お互いのことを知らないんですから! まずは仲良くならないといけないんですっ! わたしも、ですけど!」
「……お、おう?」
飛び切りのナイスアイデアと言わずとも物を語る有希に、二人もいがみ合いを止め彼女を注視する。なんだ、どういうことだ。突然どうした。
「ピンと来ちゃいました! だって廣瀬さんっ。わたし、蔵王であんなことがあっても……まだマコくんと仲良しなんですよっ! 好きな人を取り合ってるのに、大親友のままなんですっ! どうしてか分かりますかっ?」
「…………利害の一致?」
「仲良しだからです! ライバルである以上に友達なんですっ! だから喧嘩もしないし、協力も出来ちゃうんですよっ!」
な、なるほど。確かに言うことも一理ある。足湯でのやり取り直後こそライバル心を露わにしていた有希だが、気付いたら真琴とも良好な関係に戻っていたようだし……というか争い合っている素振りすら見せなかったし。
盲点と言えば盲点だった。フットサル部の皆は俺を軸に回っているとはいえ、根本的には仲の良い友人だ。一年近く一緒に過ごして来た絆がある。
比奈と琴音の危うい関係に留まらず、なにかとソリの合わない愛莉と瑞希さえすっかりツーカーの域に達している。険悪な組み合わせというのもまったく無い。
「知らないなら、教え合えばいいんですっ! 愛莉さんも廣瀬さんの昔のこと、もっと知りたいですよねっ?」
「えっ……まぁ、うん。それは」
「文香さんも、最近の廣瀬さんのことはあんまり知らないじゃないですか! 昔のことばっかりじゃダメだと思いますっ!」
「……まぁ、確かになぁ?」
「というわけでっ、明日は皆さんで遊びに行きましょう! 練習じゃないですよ! ズバリ、オリエンテーションですっ!」
で、急に変なことを言い出すいつも通りの有希。
なに? オリエンテーション? はい?
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