669. なんとも言えぬ
その晩。当事者に報告するのもどうかとは思ったが、ご飯を食べていると電話が掛かって来てしまったので、話の流れで伝えてみることにした。
「つうわけでアイツ、多分ノンケちゃうわ」
『ノンケ? なにそれ?』
「レズっ気がある」
『その言葉も知らないんだけど』
「比奈に対する琴音、と言えば分かるか」
『……普通に仲良しじゃない?』
「なんでそんな察し悪いんだよ」
午前中まで一緒にいたというのに『声が聴きたくなった』なんて甘ったるい理由で連絡を寄越した愛莉である。
それはそれで別件として、絶妙に知識の偏りが凄い彼女へ一からレクチャーしなければならなかった。結構シンドイ作業よこれ。
「恋愛対象が女ってってことや」
『…………あー。なるほど……ってことは、琴音ちゃんのことが?』
「違う。お前やお前」
『……え、わたしっ!? なんで!?』
「んなん俺が知りてえわ」
思い返せばそんな傾向もあったかもしれない。だって愛莉は橘田さんのことをふんわりとしか覚えていなかったのに、向こうは『去年とはすっかり変わった』なんて言っていたし。
俺に対する文句も、言動そのものをというより『我が物顔で愛莉や琴音を』と二人を心配するような言い分だった。推測の域を出ないが。
「となれば、琴音にも詳しく聞いてみるか……グループ通話にするな」
『橘田さんが私を……えっ、えぇー……ッ!?』
受け入れ難い告発に暫し言葉を失う愛莉。その間に琴音へ連絡を入れると、すぐに返信が来てグループ通話に参加して来た。
一人だけビデオになってる。ベッドに寝っ転がってドゲザねこのぬいぐるみ抱えてる。寝巻が可愛い。好き。
『こんばんは。なにかご用ですか』
「琴音、お前じゃなかった。橘田さんの狙いは愛莉や。一杯食わされた」
『……どういう意味ですか?』
「またこの説明かよ……」
まったく同じ話を琴音にも。日頃から比奈への愛を叫び散らかす彼女なだけあって、理解は愛莉よりもだいぶ早い。別に褒めてはいない。
『……なるほど。そういうことであれば、思い当たる節があります』
「と言うと」
『私も愛莉さんも、去年は一人でいることが多かったので……なんと言いましょうか。余り者同士、なにかと一纏めにされていたのです。体育の授業とか』
「二人一組になってーってやつか」
『それです。トラウマです』
「言わんでええよわざわざ」
拝見した日記にも似たようなことが書いてあった。今ほど交流は盛んではなかったが、去年からクラスメイトとしてある程度面識があったこの二人。
『たいていの場合、声を掛けてくれたのは愛莉さんです。私とて断る理由もありませんから、団体行動を求められるときは愛莉さんと一緒にいました』
「はっはー。そういうことか……」
『……え、なにっ? 全然分かんない』
「琴音を目の敵にしとったのは成績がどうこうやなくて……愛莉と一緒におるのが気に食わなかったからってワケよ」
今更語るまでもなく、長瀬愛莉はそんじょそこらの女性とは一線を画した芸能人顔負けのハイレベルな美少女だ。彼女に交際を迫られて断るような男はよほどのブス専かホモくらいのものだろう。
それは女性であっても同様である。いつぞや下級生の女子にファンだなんだと絡まれていたように、同性から見ても愛莉は魅力的な容姿の持ち主。
つまり根っこの部分がどうであれ、愛莉相手にソッチへ目覚めてしまう女がいてもなんら不思議ではない。
どこまで本気で好いているかはともかく、橘田さんは愛莉に対してなんらかの特別な感情を抱いているのだ。
「愛莉も思い当たる節は無いか?」
『…………一個だけ』
「どんなのだよ」
『入学してすぐにオリエンテーションみたいなやつがあって、すぐそこの動物園に行ったんだけど……同じ班だったのよね。橘田さんと』
「そこでなにをしたと?」
『ホントなんでもないことなんだけど……慣れない靴で靴擦れしちゃったみたいで、私が軽く見てあげたのよ。絆創膏貼ってあげたりとか。それから一か月くらいすっごい絡まれた。うん。昔のこと過ぎて忘れてたわ』
あるじゃん。気に入られる理由。
普段ツンツンしてる癖に、甲斐甲斐しくお世話してあげたんでしょ。根っこの優しさ見せちゃったんでしょ。ギャップ発揮しちゃったんでしょ。そりゃドキドキさせられるよ。意識しちゃうよ。
「まさか無碍に扱ったのか?」
『だってその頃の私、一番ヤル気ないっていうか不貞腐れてた時期だったし。友達作る気なんて全然無かったんだもん。偶に琴音ちゃんと一緒にいたのも、無理してお喋りしなくて良いからってだけだったし……』
『……そうだったんですか……っ!?』
『あっ、ちょ、ごめんって琴音ちゃん!? 今は違うからっ! すっごく大事に思ってるから! 親友だから私たちっ! 明日もがんばろっ!? ねっ!?』
「どこでコミュ障発揮しとんねん貴様」
ともかく、原因はある程度ハッキリした。元々愛莉に気があったけど性格的に深入りは出来なくて、気付いたら琴音にポジションを奪われていたと。
生徒会に立候補したのも、琴音より優秀な自分を見せつけて気を惹こうとかそんなところだったのだろう。雑な推理だけど大外れってわけでもないと思う。
そんでもって、クラスが変わって交流が無くなったと同時に愛莉がフットサル部を立ち上げ、いつの間にか俺と一緒にいるようになって。
俺たちの知らぬ間に、橘田さんは一人嫉妬の炎を燃やしていた。こんな感じだろうか。フットサル部を敵視する理由にしては十分だ。
若干落ち込んでしまった琴音を励ましつつ寝かしつけて、再び愛莉と二人の通話に戻る。ビデオ越しにため息を溢す愛莉へ、俺はこう結論付けた。
「とにかく、今回の件は俺より愛莉がキーパーソンっちゅうわけや。橘田さんの前で余計なことせんよう気ィ付けんとな」
『そう、だよね……気を付けないと……』
「なぁ愛莉。それと合わせてやけど」
『……な、なに?』
「練習再開してからずーっと身体重たそうやな」
『…………やっぱり、そう思う?』
「だいたい理由分かっとるやろ」
『…………痛くて集中出来ないとかじゃないわよ』
「それも分かっとる。正直に言え。怒ったりしねえから。俺も気持ちは一緒やし」
あまり重たい話にはしたくないけれど、どちらの件に関しても愛莉の気の持ちようの問題だ。現に支障が出ているのだから。
『……本当に怒らない?』
「怒らんよ」
『引いたりしない?』
「しねえって」
『…………ごめん。ホントごめん。その……全然集中出来てない……っ』
「……まさか、現在進行形?」
『さっ、流石にそれはしてないわよっ!? ちゃんと掛けるまでにお風呂入って落ち着かせたからっ!』
それはね。暴露って言うんですよ愛莉さん。
全然言い訳になってないのよ。
「んだよ。俺相手じゃ不安ってか」
『そうじゃない! そうじゃないのっ! むしろ逆っ! 足りないの全然っ!』
「声デケえよ」
取り繕うポイントがあまりにズレている。この様子だと、俺と一緒にいられなかった昨日の夜も……ごめんな真琴、俺のせいで苦労掛けるわ……。
『一人じゃ全然ダメっ……ハルトがしてくれないと、寂しい……っ』
「アホっ、泣くことねえだろ…………そんなに気に入ったのか?」
『…………んっ』
なんてこった。
絵に描いたような欲求不満だ。
普段から色々と溜め込んでいる愛莉なだけあって、一線越えたばっかりに諸々のゲージも上限突破してしまったのか。ここまで依存されてしまうと、嬉しさ以上にちょっと心苦しさも。
素直で汐らしいスケベな愛莉は諸手を挙げて大歓迎だが、状況が状況なだけに処理が難しいところだ……思い掛けない課題が出て来てしまったな。
「……分かった愛莉。我慢しろとは言わん。その代わり宿題を出してやる」
『宿題……?』
「明日の試合、決めたゴールの数だけしてやるよ。アイツらに気遣う必要も無い。なんなら試合が終わったらすぐに俺ん家来い。どうや?」
『……ほっ、ほんとに? 噓じゃない……っ!?』
「ホンマのホンマ。会長もいきなり試合観に来たりはせえへんやろ。少なくとも俺の家がどこかとか、お前がここ数日入り浸ってることだってアイツは知らないしな。学校で気を付ければええだけや」
『…………分かった。じゃあ、頑張る。絶対、絶対に点取るから……っ!』
鼻息荒く何度も頷く愛莉。
目が血走っている。怖いっすよ。
物で釣るような真似、後々尾を引きそうでちょっと怖いけれど。愛莉の欲求を解消しつつ、フットサル部の活動でも一定の成果を残す。
この二つを並行するにあたっての作戦としては、今の段階では現実的な落し処ではないだろうか。
こんな愛莉にしてしまったのは他でもない俺の責任だ。だったら彼女がストレスを溜めないよう気を配るのは俺の役目。
(この姿を見て橘田はなにを思うか……)
非常に底意地の悪い言い方をすると、今の愛莉は心酔する男からご褒美を貰うために必死なわけだ。恐らく橘田が最も嫌悪する光景である。
出逢った時期だけなら橘田のほうが圧倒的に早い。これは所謂、精神的寝取りに該当するのだろうか。どこか申し訳なさも募る所存である……。
「少なくともノノよりよっぽどペットやってるよなぁ……」
『えっ、ノノがなに?』
「躾って大切なんやなあって」
『どっ、どういうこと……っ?』
分からんでいいそんなこと。
ただでさえ不安の残る状況だというのに、余計な悩みで頭がいっぱいだ。課題だけでなく収穫も見つかれば良いのだが、コートに立たなければなんとも言えぬ。
(うるせえなテレビ)
一昨日くらいから隣と、その隣の部屋からワイワイ騒がしい声が聞こえて来る。入居者は女性が多いようだ。こちらも色々と気を遣わなければ。
忙しなく変化を続ける俺たちの関係性と、フットサル部の不確定な未来。無論、この時の俺はまだ知る由も無かった。
愛莉の問題や橘田会長との確執など一瞬で吹き飛ばすほどの超巨大台風が、影すら見せず着々と近付いていることを。
それどころか、既に台風の目に巻き込まれているなんて。想像にすら及ばぬ、開けっぱなしの窓から差し込む夜風がまだまだ冷たい、初春の一幕であった。
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