668. 汁まみれ


 翌日もフリーゲームを中心とした軽めのトレーニング。直近の疲労も考慮し、明日に向け午前中だけで切り上げ解散となる。



(うーん……)


 昨日と比べ皆のコンディションはだいぶ良化していたのだが、相変わらず愛莉だけ動きが重い。


 結局昨日は真琴と一緒に自宅へ戻った彼女だが、ハツラツとしたプレーを見せアピールを続ける妹とは対照的に調整が進んでいない様子。


 なんというか、ボールに対する一歩目のリアクションが致命的に遅い。キレが無いのだ。どこか痛めているわけでもなさそうだし、生徒会長とのやり取りもマイナスに作用しているのかも。


 いや、まぁ、なんだ。

 実際のところ勘付いてはいますけど。


 真琴も今朝、開口一番『誰かさんのせいでメチャクチャ眠い』とか匂わせること言ってたし。絶対一人で遊んでたアイツ。試合前くらい禁欲しろ。



「もう笑っちゃうくらいイメージ通りでさぁ。俺くらいのテクニックでも向こう行ったら一番上手いわけ。みんなしてすっげえ褒めるし、逆になんか恥ずかしくて」

「おー」

「ゲームになったら軽~く吹っ飛ばされるんだけどねぇ……マジで同じ人間とは思えんアイツら。遺伝子からして違う。見てこれ。ショルダーチャージで出来た痣。全然腫れ引かないの」

「今日三回目やからそれ。もうええって」


 四人組のロンド(鳥かご)に興じながらウェアの袖を捲るテツ。或いはてちてちこと茂木哲哉。

 知り合いの伝手を辿ってベルギー下部クラブの練習に参加し、先日帰国したばかりだ。残念ながらプロ契約の話は出て来なかったようだが。



 春休み中フットサル部の活動がストップしていた頃から、隙間を縫ってサッカー部の練習にも参加している。この日も午後から合流した。


 新部長兼キャプテンの谷口、副部長のオミのおかげでこの辺りの連携は非常にスムーズだった。知らんうちに人脈を築いている。本意ではない。


 新二年生が中心のBチームはこの時期に行われている新人戦へ出掛けているようで、逆に彼らAチームは練習試合が偶にあるくらいで暇しているそうだ。


 余談だが、俺がAチームの練習にお邪魔していることを顧問のハンチョウは知らない。だってBチーム着いてっちゃって学校に居ないし。というか居ない日をわざわざオミに教えて貰ってるし。今後も言うつもりは無い。



「時に谷口。なんてことない話だが」

「えっ!? なにっ!? どうしたのっ!?」

「サッカー部も生徒会に定例報告がどうとかで呼び出されたのか?」

「あぁ、あったあった! 真奈美から色々聞いてはいたけどっ、かなり厳しく言われたよっ!」

「やっぱりどの部もそんな調子か……」

「遠征費が嵩み過ぎだからもっと近場で済ませろとか、グラウンド独占する時間が長過ぎだとかっ、そりゃもう色々ッ!!」

「お互い大変やな。はい30回。プラスワン」

「ハァ、ハァッ、しっ、死ぬゥ……ッ!!」


「……なんでボール見もしないでダイレクトでこんな正確に出せるわけ?」

「息一つ上げないしね」

「ナチュラルに人間辞めてるよな廣瀬……」

「ね。ロンドで人の心を折る奴はじめて見たよ」


 永遠に鬼役から脱出出来ない谷口が疲労困憊で膝を着き、テツオミは死んだ魚のような目で俺を見つめている。なにをしたってんだ。ただの鳥かごだぞ。



「え。囲まれたときどうやって抜け出すか? んなん……ほら、こんな感じで。出すと見せかけて引いて、距離取って、一気に持ち出して。簡単やろ」

「あのねヒロロン。普通の人はそんなに足首をグニャグニャ曲げられないんだよ」


「オミ、わざわざトラップせんでもダイレクトで撃てばええ。今みたいなショーバンはな……谷口、出してくれ。ほらこうやってな! 腰を落として振り下ろす! インパクトの瞬間に身体を畳む! なっ!」

「いや説明されてもそんなん普通出来んからね?」

「割と常識通用しないから怖いよねヒロロン」

「まぁ廣瀬くんだからなぁ……」



 で、気付いたら指導側に回っている。


 参加し始めの頃『セレゾンでやってた練習教えて』と谷口にしつこく頼まれ、財部がよく好んで使っていたものをそのままやらせてみたら、通常メニューとして定着してしまったのだ。


 当初はあまりのハードさに着いて来るだけで精一杯だった彼らだが、回数を重ねるに連れてちょっとずつ適応している。割と短期間で普通に上達してる。笑う。


 彼女たちとの連日のハードワークにも耐え切れているのは、もしかしたらセレゾン式のトレーニングが秘訣なのかもしれない。また財部に礼を言う理由が増えてしまった。今度会ったら怒って貰おう。



「なぁ。生徒会長の話やねんけど」

「橘田会長? なにどしたの?」

「詳しくは話せんけど面倒なことになってな。同じクラスだったんやろ、ちょっと教えてくれよ」


 テツと肩を並べてクールダウンがてら軽くランニング。すっかり熱が入って聞くのを忘れていた。



「ダーさんの情報ねえ……」

「なんやそのあだ名。誰が使うとんねん」

「俺しか呼んでない。すっげえ怒られる」

「でしょうね」


 基本誰とでも打ち解けられる社交性の高いテツだが、そんな彼でも橘田会長とはだいぶ距離があったようだ。

 が、一年同じクラスとなればある程度の情報は持っていた。知る限りだけどね、と前置きを挟み色々と話してくれる。



「思った通りだと思うけどね。風紀の具現化みたいな人だよ。偶に口開いたと思ったら内申がどうとか授業に集中しろとか、そんなんばっか」

「ふむ……」

「あんなんでも結構モテるらしいよ。中身知らない先輩からコクられたりとか。全部断ってるっぽいけど」


 そりゃ俺たちの関係性を真正面から否定して来たのだから、自身が恋愛沙汰に巻き込まれるなんぞ死んでもご免だろう。あんなんってお前。酷い言い草。



「あー……でもそっかぁ。あの噂は結局どうなんだろうなぁ……」

「噂って?」

「いやぁ大したことじゃないけどね。あんなにお堅い性格ってことは、男に酷い目にでも遭ったんじゃないかって、みんな色々言ってたんだよ。で、一回本人に直接聞いた奴がいて」

「……そしたら?」

「特に否定もしないで、ソイツの腹思いっきり殴って教室飛び出してね。だから本当になんかあったのかもねって、まぁその程度だよ」

「ほーん……」

「ちなみにその殴られた奴は俺です」

「うわーサイテー」


 鵜呑みにするわけにはいかないが、やはり男に対してなんらかのトラウマがある様子だな。俺に対する当たりの強さも納得だ。


 だが、それだけでは理由としてはまだ弱い。俺みたいな女を誑かす男が嫌いなら、わざわざ生徒会長なんてものにならず距離を置けば良いわけで。


 あくまで仕事として割り切っているというのなら、それ以上は何も言えないけれど……やっぱり琴音と何かしらの因縁があるのかなぁ。



「直接本人に聞いてみるしかないか……」

「いやぁ無理でしょ。いくらヒロロンがボールより女の子の扱いの方が上手いからって、あのダーさんを篭絡するのは至難の業だよ」

「あらこんなところに殴り甲斐のありそうな痣」

「イ゛タァァ゛ァァイ゛!!」


 籠略する気は更々無いが、生徒会長ではなく一女子生徒、橘田さんとして話を聞いてみたい。谷口経由で奥野さんから連絡先を貰えるか試してみよう。



「っと、噂をすれば」

「ホンマや」


 本館の出入り口から一人鞄をぶら下げて現れた橘田さん。そのままバスの停留所へと歩いていく。これはまたとないチャンスだ。


 居残り練習中のオミと谷口に一声掛け彼女のもとへ。俺に気付いた橘田さんは露骨に顔を歪ませおずおずと後退り。すっごい警戒されてる。



「よう会長さん。今日も生徒会の仕事か?」

「……ひ、廣瀬陽翔……っ!?」


 んな重々しくフルネームで呼ばれても。

 顔、真っ青だな。昨日より心なしか元気が無い。



「い、いったいなんの用ですか……というか、何故サッカー部と練習を?」

「勝手に混ざっとるだけや。まぁそれはええねんけど、昨日の件でちょっとな」

「……必要なことはすべてお話しましたっ! 条件になんら変更はありません! ではさようならッ!」

「ちょっ、待て待て待っ」

「フイ゛イイイイイ゛イイーーーーッッ!?」


 つい慌てて腕を掴んでしまう。すると橘田さんは、興奮した猫みたいな甲高い叫び声を撒き散らし、その場で硬直してしまった。


 これは……テツの話していた通りかもしれない。橘田さん、男に対する免疫が無いのかも。そういや生徒会メンバーもみんな女子だったな……。



「……わ、悪い。大丈夫か?」

「おっ、お、お、おお、おとっ、おと、とっ、とととと、おと……ッ!?」

 

 腕掴んだだけでこの拒絶ぶり。

 分かってても傷付くわ。


 手を離して落ち着くまで暫く待っていると、解凍された冷凍食品みたいに顔色がパンと弾けて、ようやく血の気が戻って来た。


 掴まれた箇所を頻りに袖でゴシゴシ拭いて、涙を溜め込み更に距離を取る。

 流石に酷いよこの対応。仮に奥手のオミだったら明日から不登校になるレベルだよ。



「易々と女性の身体に触れるなんて……けっ、汚らわしい……ッ!!」

「汗だくの手で触ったのは普通にごめん」

「男汁まみれでッ!?」

「その言い方は語弊があるのでは?」


 初対面時の琴音並みに会話成り立たねえな。

 無性に懐かしい気分だ。決して嬉しくはない。


 しかし、なんだ。こうして面と向かって話してみると、言っちゃなんだが普通の女子って感じだな。拒絶反応が出過ぎてる以外は。


 個人的な感想としては、中々に面白いリアクションをするし表情もバリエーション豊かで、結構嫌いじゃない。

 愛莉が話していたイメージとは若干異なるような気もする。とはいえそもそもの距離感が問題だが。



「クッ……これだから男という生き物は……! そうやって軽薄な態度で懐柔して、調子の良いことを言って、長瀬さんを……ッ!!」

「え、愛莉がなに?」

「〜〜ッッ!? なっ、なんでもないわよッ!! 貴方には関係無いッ! 無いったら無いの!! ふふーんだ! いつか痛い目に遭わせてやるんだからっ!!」


 敬語以外でも喋れるんだ。

 と、どうでもいい新情報。


 大慌てで鞄を持ち直し、ちょうどやって来たスクールバスに飛び込む橘田さん。香水等の華やかなものとは縁遠い、無味無臭の香りが周囲を漂う。


 いやまぁ、バッチリ聞こえてたけどね。

 最後の最後にまぁまぁな爆弾置いて行ったな。



「……琴音じゃなくて、愛莉?」


 どうやら勘違いをしていたようだ。

 そして、割と簡単に真相へ辿り着いた。


 男が嫌いなんじゃなくて、橘田さん……。


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