661. 余韻が引いていない


「それにしても随分サッパリしたのね。こっちのほうが顔が良く見えるし似合っているわ。ねえ貴方」

「聞いていた話とはだいぶ印象が違うな」

「ははははは……」

「良いタイミングだったわ。やっとこの人にも会って貰えて、琴音の手料理まで食べられるなんて……こういう日も偶には悪くないでしょう?」

「ああ。廣瀬くんだったね。これも偏に君の尽力のおかげだ、感謝しているよ」

「い、いえいえ……」


 居心地が悪い。今の今まで気にしたこと無いテーブルマナーのあれこれを一から勉強したい気分だ。



 連絡のあった通り、ご両親は7時前に顔を揃えて楠美家へ帰って来た。琴音に聞けばそこまで仲の良い両親ではないとのことだったが、テーブルを囲う二人の表情は穏やかそのもの。


 故に若干の罪悪感。なんせ食卓に並ぶカレーは琴音ではなく俺が作ったものだ。二人とも勘違いしてしまい、訂正出来ないままここまで来てしまった。



「どうした琴音、いつもに増して口数が少ないな。具合でも悪いのか?」

「緊張しているのよ。貴方と会わせるのをずっと恥ずかしがっていたんですもの。それに、そんな怖い顔をしていたら廣瀬くんも可哀そうだわ」

「む、そうか……申し訳ない、元々こういう顔だものでな。別に怒っているわけではないんだ。あまり気にしないでくれ」


 こちらは聞いていた通り、黒縁メガネと短髪の似合う琴音のお父さん。猛禽類のように鋭く尖った目つきにはどこか親近感も覚える。


 論じるまでもなく琴音は圧倒的にお母さん似だ。というかお父さんの面影がまったく無い。失礼ながら本当に親子なのだろうか……。



「あら、お腹なんて抑えて。本当に体調が?」

「い、いえっ……気にしないでください。少し辛く作り過ぎたんです……」

「そう? むしろ甘口だと思うけれど」


 で、肝心の彼女。


 あれから立ち上がるのも億劫になってしまったのか、俺が秒で買い出しと調理を行っている間、ずっと自室のベッドで休憩していた。


 よほど痛むのか気になって尋ねてみても『そういうわけではない』の一点張りで理由は答えてくれない。

 なんとか一階まで降りてテーブルを囲めるまでは回復したようだが、やはりお腹周りを抑え沈黙を貫いている。食事も進んでいない。



(まぁ、な……)


 実際のところ原因はハッキリしている。

 まだ余韻が引いていないのだ。


 一人遊びの経験すら覚束ない彼女は、次から次へと起こる未知の感覚を受け入れるだけの術を持ち合わせていなかった。

 押し寄せる濁流に身を委ね、なにがなんだか分からないまま最後まで突き抜けてしまったのだ。


 責任は一方的にこちらにある。例の合言葉を逆手に取って、嫌がっていないのを良いことにまんまと調子に乗ってしまった。

 どれもこれも仕方の無いことだ。今まで見て来たどんな姿より無防備な彼女を前に平静を保つなど……。



「琴音。気持ちは嬉しいが無理はしないことだ。フットサル部、だったな。 そちらの活動に支障が出ても困るだろうし、全国模試も近いだろう。何より廣瀬くんに心配を掛けてはいけない」

「は、はい。すみませんっ……」

「そう畏まるな。明日明後日も暇になってしまったからな。今日で今生の別れというわけでもあるまい……お前、部屋まで連れて行ってやれ」

「だ、大丈夫ですっ、一人で行けます……! すみません陽翔さん、先に失礼します……っ」


 父の提案を跳ね除けふらふらの足取りで二階へと向かう琴音。膝をもじもじ擦り合わせてのっそり歩く様は、それはもうだ。


 ……正直、助かった。今の状態じゃいつボロが出るか分かったものではないし、琴音の部屋もまだ掃除が終わっていない。


 なにより、今日この家で起こった出来事など知る由もないご両親を前に、これ以上二人で一緒にいるのは叱責に耐えられないのだ。


 ごめんなさいお父さん、香苗さん。お二人がそこそこ信頼している目の前の男は、一人娘をキズモノにした極悪人なんです。むしろ叱って欲しい。殴って欲しい。殺さない程度に。なんらかの軽い罰をください。



「わざわざ済まないね、私たちのために予定を空けてくれて。だが先に到着しているのなら、せめて香苗には連絡をするべきだな」

「す、すいません、突然だったもんで……」

「まぁ過ぎたことだ。私とてなにも説教をしたいわけではない。ただ君には聞きたいことが山ほどあるものでね。少々付き合って貰おうか」

「お、お手柔らかに……」


 昼間から部屋にいたなどとは当然口に出来ないので、二人の帰宅に合わせて琴音にお呼ばれしたという設定になっている。まぁそれはどうでもいいとして。


 目つきの悪さは世界一と自認していたが、完敗だ。怖すぎる。琴音のお父さんという固定観念を差し引いても人相が悪すぎる。マジで血の繋がりが全然垣間見えねえよ。堅気の雰囲気じゃないよこの人。



「健全な交際であれば私に口を挟む権利は無いが、今後の話についてはまた別の問題だ。まず高校卒業後だが……」


 香苗さんと同じく、世間一般の恋愛観とは縁遠いお方のようだ。間違いなく俺と琴音が結婚する前提で話が進んでいる。


 これは軽い罰のうちに入るのだろうか。いや、そういうことにしておこう。むしろこのプレッシャーだけで事済むならマシというものだ……。






 琴音パパからの質問コーナーもとい尋問もとい圧迫面接は一時間近くに及んだ。長い格闘の末、なんとか大きなボロも出さずに切り抜けることに成功する。


 両親揃い踏み、そしてこのお父さんを前に『泊まっても良いですか』なんて間違っても言い出せる筈も無く、大人しく帰路へ着くこととなる。



「……お疲れ様、ですっ」

「あんがとな……」


 暫く自室で横になっていた琴音だが、おかげでだいぶ回復したようだ。上大塚の駅まで見送りをしてくれる。口調も歩き方も若干ぎこちないけど。



「ホンマごめんな」

「……なにがですか?」

「結局半日しか一緒にいられなかったし……終わってからすぐに買い物出て行っちゃっただろ」

「二人とも早かったので……陽翔さんは悪くない、です」

「いやでも……」


 繋いだ手を離して肩を抱き寄せる。少し驚いた様子の彼女だったが、特に抵抗も見せず素直に身を委ねてくれた。黒髪を優しく撫で降ろし、俺はこう続ける。



「もっと時間を掛けて、ゆっくり過ごすものなんだよ。これから似たようなことあったら怒って良いからな。ヤるだけヤってほったらかしにするのは最低やって」

「……そういうものなんですか?」

「そりゃ勿論。二人とも満足しないと意味ねえんだから…………あの、琴音。今更聞くことでもねえんだけど……」


 終わった直後は息も上がって受け答えもままならなかったから、まだ感想を聞いていなかった。


 住宅街のド真ん中とはいえ人通りも無い夜道だ。誰に聞かれることも無かろう。こればかりは俺のワガママかもしれないが、どうしても今日中に聞いておきたい。



「どうだった?」

「どう、とは」

「だからその……ご加減は?」

「……すこぶる順調です」

「痛んだりとか」

「……あんまり、です」

「あ、そう……」


 今一つピンと来ていないようだ。まぁ余計な心配だったか。

 比奈ほどまでとはいかなくても、順応するまでの早さは愛莉とそう変わらないペースだったし。


 にしても、事後のソレとは思えぬ塩対応だ。キスの一つさえ自分からは出来ない琴音が、この手の質問で恥ずかしがらないわけがないと思うのだが……。



「……あの、陽翔さん」

「ん?」

「…………明日は、なにかご予定が?」

「いやなんも。練習は明後日からやし」

「……ではお二人には、明日から活動があると伝えておきます」

「えっ?」


 突然の偽装予告に思わず立ち止まる。ちょっと汗っぽい前髪の奥からこちらを覗き見る大きな瞳。


 夜道で暗いから気付かなかったけれど、いつの間にか顔中真っ赤だ。もしかして、悟られないようにわざとそっけなく返事してた?



「……かっ、勘違いしないでくださいっ。貴方が言ったんです。本当はもっと時間を掛けてするべきものだと……だとしたら今日は、途中までしか出来ていないということじゃないですかっ」

「え、いや別にそういう意味じゃ」

「そうなんですよねっ?」

「だから最後までやっ」

「そうなんですよねっ?」

「……………そうかもしれない」


 謎に推しが強い。お得意の負けず嫌いが顔を出したというより、この反応はむしろ……。



「……ハマってしまったというわけか」

「なっ……っ!? ちっ、違いますっ! 今日はその……さ、されるがままでしたからっ。なにも分からないまま終わってしまったので、だから、えっと、あのっ…………そう、復習。復習ですっ。人間の記憶は一日で70%も失われるのです。記憶の定着には繰り返しの学習が必要です、そういうものなんです……っ!」


 語尾を強め必死に詭弁を並べる。


 そう、言い切っても良い。詭弁だ。どちらにせよ彼女は、明日も俺と一緒にいることを望んでいる。


 自分の言った通りかもしれないな。琴音と過ごすすべての出来事は、もっともっと時間を掛けて。ゆっくり、ゆっくりと進めるのがちょうど良い。



「なら家で待っとるわ。朝一で来いよ」

「ふえ……っ?」

「今度こそ一日掛けて、みっちり叩き込んでやる。それで良いな?」

「あっ…………ぁ、ぁぅ……っ」


 耳元で囁いてやると、肯定代わりに首まで真っ赤に染めて湯気を立ち込ませる。我ながらインチキ臭い台詞だが、琴音に限っては効果覿面のようだ。


 余計な勘繰りも必要は無い。俺は知っている。あんな遠回りな言い方が、琴音にとっては全身全霊。この上無い愛情表現であると。


 今日みたいなことは偶にで良いんだ。やっぱり俺たちは、言葉では言い表せない強い何かで繋がっているのだから。




「……分かり、ました……っ」 

「えっ?」


 でも、裏切って来る。想像を遥かに超えて、あらゆる角度から無自覚に攻め立てて来る。唯一無二の親友に負けず劣らず、中々に小悪魔な彼女だ。



「……陽翔さんに、きっ……き、気持ちよく、して貰うためにっ…………お家に、いっ、行きます……っ……だからっ……」


 わざわざ言わなくて良いのに。

 わざわざ伝えてくれる。

 ちょっとズレてて、変なところで素直。


 そんなお前だから、大好きだよ。

 笑った顔も、困った顔も。もっと見せて欲しい。



「……知らないことが、まだ沢山あります。だから、もっと……もっと、教えてください……っ」



 とはいえやり過ぎには注意しなければならない。素直過ぎるのも色んな意味で問題だ。そこはもう少し恥じらいがあっても良いのでは。


 嬉しくもあり、それ以上に困惑している。最後の最後にとんでもないパンドラの箱を開けてしまったのかもしれない……。



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