660. 不思議で、可愛い


 握り拳二つ分くらいの距離を挟み、俺たちはジッと見つめ合う。

 独特の雰囲気に耐え切れなかったのか、琴音は時折視線を外しては上目遣いで元の位置へ戻ろうとする。が、やっぱり恥ずかしいのか、似たような動きを何度か繰り返す。


 ちょっと素直になったくらいで易々と事が運ぶわけでもあるまい。ここから先に起こる出来事は、すべてが琴音史上初めて。未知の領域だ。



「……あ、あの、あまり直視されるのは……っ」

「いやあ。ちっとも飽きへんと困ってまうわ」

「うぅっ……」


 さて。ようやく想いが通じ合ったところで、俺たちに次に取るべき行動とはなにか。互いの熱っぽい吐息が上唇をほんのり湿らせる。



「……ええか?」

「…………ど、どうぞ……っ」


 焦って進み進み過ぎるのも禁物だが、彼女は肯定してくれた。同じ展開を望んでいるのなら、もはや理性に蓋をする必要も無い。


 ゆっくりと距離を詰めて、チェリーピンクのぷっくりとした唇へ近付いていく。

 極度の緊張からか目をギュッと瞑ってしまう琴音。初々しい姿に、少しだけ笑いが零れた。


 誰にも邪魔されない、二人だけの空間。

 しかし、望外の角度からソレはやって来た。



「ひゃぁぁっ!?」


 勉強机に置いてあった琴音のスマートフォンが鳴り出す。電話だ。なんというタイミングの悪さ。



「……すみません、こんなときに」

「ええよ。大事な用かもしれんしな。お茶でも飲んで待っとるわ」

「もう冷めてますよ、たぶん」

「構へんわ。ほら」


 申し訳なさを顔中に滲ませベッドから降りる。俺も立ち上がって床に置いたままのお盆の脇に座り直し、温くなった粗茶を啜る。普通に美味い。料理は下手なのにお茶は淹れられるのか。



「もしもしお母さん。珍しいですね日中に。お仕事は…………あぁ、そうなんですか。父も一緒に? そうですか……夜ですか? ええ、家には居ますけど……」


 どうやら母の香苗さんからの連絡だったようだ。地べたに座る俺をチラチラ見ながら困惑の表情を浮かべている。明後日まで出張とか言っていたっけ。



「……分かりました。なら何か作って待っています……馬鹿にしないでください、もう高校生なんですから、料理の一つくらい朝飯前です。本当ですっ」


「何時頃に帰られますか? ……分かりました、では準備しておきます。全員揃うのは随分と久しぶりですね」


 あんなにギクシャクした関係だったというのに、今では冗談まで挟めるようになったのか。仲直りも順調みたいだ。


 話を掻い摘むと、何らかの事情で出張が中止になって夜に帰って来るっぽいな。となるとその頃までにはお暇した方が良いか。



(うーん……)


 昼過ぎなので時間はまだまだ残っているが、物足りなさも覚える。他の三人とは丸一日ずっと一緒にいたから、琴音だけ半日だけというのもな。


 まぁ彼女に限ってはようやくスタートラインに立ったようなものだし、これ以上の進展は高望みという気もしないでもないが……ふむ。



(良い角度だ)


 琴音は勉強机の前に立ったまま通話をしている。それを地べたに座って眺めている状況。

 一張羅の短いスカートは肉付きの良い生足を無防備に晒している。


 相も変わらず真っ白でムチッとした魅力あるプロポーションだ。健康的かつ扇情的。

 これでおっぱいもボリュームがあって、なのに体重は物凄く軽いという。人体の不思議。時空が歪んでいる。



 すっかりお喋りに夢中になっている琴音。改善傾向にある母親との関係を利用するようでなんだか忍びないが、どうしても視線はそちらへ向かう。


 もう少し頭を降ろせば覗けそうだ。日頃から琴音の下着はしょっちゅう見えているけれど、自分から覗きに行くのはまた違った高揚感がある。



(言うて合意のもとみたいなモンやろ)


 せっかく両者公認の関係性になったのだから、もっと調子に乗っても許されると思う。こないだ鍋囲んだときはギリギリのところで叶わなかったし。



「はい、分かりました。時間が分かったら連絡をくだっ、ひゃぁっ!?」


 足元まで忍び寄りスカートを摘まみ上げる。

 白に花柄のよく見るタイプだ。

 これぞ琴音。100点満点。優等生。


 流石に思いっきり捲られると気付くものなのか。素っ頓狂な声を挙げこちらへ振り返り、目を白黒させる。心配そうな香苗さんの声が聞こえて来て、琴音は慌ててスマホを握り締め弁明を始めた。



「なっ、なんでもありません、ちょっと躓いただけです……最近部屋の掃除をしていなくて、物が多くて……!」


 綺麗好きの彼女にしては苦しい言い訳だ。これでもかというほど涙目で俺を睨んで来る。なんだよスカート捲ったくらいで。オーバーだな。


 観念しろ。これも良い経験だ。

 大人しく悪戯されろ。



「なっ、なにを……!?」

「聞こえるで」


 立ち上がり背後からギュッと抱き締める。突然の蛮行に琴音は酷く慌てふためき、スマホを落っことしそうになった。



「たっ、宅急便か何かが来たようなので、もう切りまっ……ふああぁぁぁァ……っ!!」


 左耳にそっと息を吹き掛けると、物欲しそうに口をぽっかり開けて情けない嬌声を垂れ流す。なんちゅうエロい声出しやがる。事後のソレだぞ。


 寸前のところで電話は切ったようだ。スマホを置くとそのままふらふらと倒れ込む。


 支えようと腕に力を込めると、お腹周りがブルブル震えているのがよく分かった。あの程度の攻撃で、随分と押しに弱い。



「なっ、なな、な、なにかっ、考えてるんですかっ、バレたらどうするんですか……!?」

「バレへんかったやろ?」

「それはあくまで結果論であって……!」

「なあ、琴音」


 思いがけない素直過ぎる反応に、過剰な嗜虐心も顔を出してくる。予定変更だ。夜に両親が帰って来るのなら、それまでに……。



「修学旅行では結局はぐらかされちまったからな。この際ちゃんと聞いておくわ」

「……なっ、なにをです、かっ……?」

「琴音がどれくらいエロいこと知ってるのかなって」

「えっ、えろ……ッ!?」


 ここまで来ては正直に打ち明けるしか無かろう。ドゲザねこに助けて貰うのはもう禁止だ。擬態した姿ではなく、楠美琴音として応えて頂く。


 なんてったって、琴音は既に同意してしまった。俺がどれだけ琴音を困らせようと問題無い。

 むしろそうしてほしいと、言ってしまったのだから。もはやこの沸き上がる尊大な感情をどう処理しろというのだ。


 

「それを聞いて、ど、どうするんですか……っ?」

「なにされると思う?」

「…………知りません、そんなのっ!」

「ううぉっと」


 どうにかこうにか脱出を試みるが、琴音の筋力では拘束を解くのも一苦労。そのまま電車ごっこみたいなフォルムで暫し格闘を繰り広げる。


 ベッドへの緊急避難を試みるも、ついぞ腕を離すつもりも無く、一緒に布団へダイブ。誰かに見られようものなら言い訳も出来ない非常に不味い絵面だ。



「はっ、離してください……!」

「やなこった。少なくとも全部聞くまでは……あぁ、ならこうしよう。どうしても嫌だったり、痛かったり、怖い思いをした時のために、合言葉を決めるんや」

「……あ、合言葉?」

「そう。ダメとか無理とか、そういうふとした瞬間に出るワードやなくて……せやな、『ごめんなさい』にしよか」


 一件逃げ道を作っているようにも見えるが、これは非常に狡猾な罠だ。

 単に恥ずかしいという理由で俺を拒んでいるとしたら、合言葉は使えない。だって『恥ずかしいときに』というルールは作っていないのだから。


 

「で。改めて聞くけど、続けても良い?」

「…………うぇぇ……」


 賢い琴音なら、この合言葉が持つ効力とその意味をすぐにでも理解出来る筈だ。ましてや負けず嫌いで、筋の曲がったことは嫌いな彼女なら。



「…………だめ、です……っ」

「へえ。駄目なのか」

「いきなりこんなこと、絶対にだめです、早すぎます……っ!」

「こんなことってどんなことだよ」

「…………分からないです、けど……でも……っ」

「でも?」


 右手をそっと重ねて、耳を澄まさなければ聞こえないほどの声量で。琴音はこのように切り出した。



「……仕組みは、知っています。常識ですから……」

「教科書に書いてあることだけ、ってところか」

「…………皆さんが話していることの半分も分かりません……なのに比奈は、絶対に調べたりするなと口酸っぱく言いますから……」

「比奈が?」

「先日も、そのっ……そういうことは、ぜんぶ陽翔さんに教えて貰えと……」


 とすると、10代後半、女子高生として必要最低限の知識も怪しいレベルか。俺の言動に拒絶反応が出るのも納得だ。


 だが、肝心なところを見落とすべきではない。


 まだ言っていないんだ。ごめんなさいって。

 どういう意味か、勿論理解してるよな。琴音。



「……幾つか確認な」

「はいっ……」

「瑞希がクリスマスのときに持ってきたプレゼント、何に使うか分かるか?」

「……分かりません」

「一人でする、の意味は分かるか?」

「……分かりません」

「なら……俺がどうして琴音のことばっかり見てるか、理由は分かるか?」

「……性的興奮を覚える、から?」

「俺が琴音となにをしたいのか……分かるか?」

「…………なんとなく、分かり、ます……っ」

 

 なるほど。よく分かった。

 十分に理解した。



「……なんにも知らないんだな。琴音」

「……はい。なにも、知りません」

「じゃあ教えてやるよ。ゆっくり丁寧に……最後まで出来なくても良いから。だからその代わりに……琴音のこと、もっと教えて欲しい」

「…………だめ、です……っ」


 あまりに弱弱しい抵抗。その言葉を皮切りに、体勢を変え琴音の小さくて大きな身体に覆い被さる。


 どうやらまだまだみたいだな。

 琴音。お前はもっと素直になれる。


 でも自分一人じゃ限界があるみたいだ。

 なら俺が、無理やりでもこじ開けてやる。



「…………あの、陽翔さん……っ」

「ん? どした?」

「……もう、良いですから……諦めましたから。だから、そのっ……それより先に……」


 捕食寸前の小動物みたいに怯えている。言葉通りに受け取るのは適切ではない。

 食べられるのを待ち望んでいる生き物が、この世のどこにいるというのだ。



「……さっきの続きから、したい、です……っ」



 ところが、すぐ目の前にいた。楠美琴音。世界一不思議で、可愛い生き物である。


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