659. バレてしまった


 待ち望んでいたその言葉を合図に、奥深くへ溜め込んでいた残りの分がワッと込み上げて、紅潮した頬を艶やかに濡らしていく。

 いよいよ堪えられなくなったのか、勢い任せに胸元へ飛び込む琴音。胸中からはすすり泣くような声が聞こえた。


 荒々しく揺れ動く身体をどうにか落ち着かせようと、刺し伸ばした右手で長い黒髪を撫で下ろす。

 一切の抵抗無くさらさらと指先を通り抜ける様に、彼女の持ち合わせるすべてを目の当たりにした気分になった。



「……よう頑張ったな。偉いぞ、琴音」

「…………やっと、やっと言えました……っ!」


 鼻声交じりの返事はちょっと情けないけれど、その代わりにと大袈裟に何度も何度も首を縦に振る。


 酷く強張った身体を強く抱き締めると、それを打ち消すほどの柔らかな暖かさが伝って、肝心なところでしっくり来ないなと一人呆れて。



「そうだな。確かにそうやった。一緒にいるのが当たり前になり過ぎて……俺も琴音も、ちゃんと伝えてなかったかもな」

「……ぜんぶ、貴方のせいです……っ!」

「違いねえ」


 脇腹の辺りをポコッと殴られる。どうやら赤面を拝むのはもう少し先になりそうだ。

 一世一代の勇気を使い果たした今なら、これくらいの猶予は許される。



 家出騒動のときに似たようなやり取りはあったけれど、こうして言葉にしたことはなかった。加えてあの時も、どちらかと言えば俺の一方通行で。


 二人の間に余計な言葉は必要無い。文化祭二日目、琴音はそう言った。

 無駄な気遣いなど無しに、俺たちは分かり合える。目に見えない何かで繋がれて、言わずとも理解し合える関係。俺もそう思っていた。


 でも、琴音が本当の意味で壁を打ち壊すには。変化を求めるのなら。そして、俺たちの絆をより確実にな物にするには。

 おざなりにされていたこの一言こそが、俺からではなく、琴音から必要だった。



 不思議な話があったもの。曖昧なものに縋りたくないと語っていた彼女が最後に頼るものが、こんなあり触れたお粗末なフレーズだったなんて。


 退化や妥協などと、安易な決め付けはまるでお呼びじゃない。散々遠回りして、その度に立ち止まって、実はちょっとずつ成長して。


 本当に必要なモノを、琴音は自分の力で見つけた。意固地で不器用な彼女には、この遠回りこそが唯一の正攻法だったのだ。



「ホンマ冗談みたいな話やな。あんなに俺のこと警戒してた琴音に泣きながら告白されるとは、人生分からんモンや」

「…………嫌いでしたよ。本当に」

「知っとる。ぜんぶ読んだから」

「……でも、それで良かったんです」


 ギッシリ詰まっていた距離を少しだけ離して、消え入りそうなボソボソ声でこんなことを語る。



「……比奈を取られたくなかったんです。比奈が私の傍から居なくなったら、私は一人で……なにも出来ない人間で……」


「でも、フットサル部のなかで過ごしているうちに……私でも出来ることがある、誰かの役に立てるのだと……少しだけ、思えるようになったんです。貴方がきっかけをくれたんです……っ」


 出逢った頃の琴音は、何をするにも比奈の言動が第一優先。それでいて自己肯定感が低いし、現実主義者で冗談の一つも言わない。

 正直に打ち明ければ、とても面倒に思っていた。分かり合えないと思い込んでいた。



「……まるで違う世界の人間だと思っていた貴方が、思いのほか、私と似たような生き物だと、ある日突然気付いて……」


「……単純ですよね。本当に浅はかで、どうしようもない自分です。ちょっと褒められただけで、気に入っていると言われただけで……」


 そう。浅はかだった。

 警戒を怠ったのだ。お互いに。


 二人とも騒ぎ立てない物静かな性格だから、自然と一緒にいる時間が多くなっただけ。偶々容姿がタイプで気に掛けていただけ。すべては偶然の産物。


 もしかしなくても、彼女の心を埋める役割は、俺でなくても良かったのかもしれない。事実それまでは比奈一人で十分だったのだから。



「ただ、これだけは……これだけはハッキリしています。貴方であることが、理由なんです」

「……ん。あんがと」

「今でも他の男性とは目も合わせられません。瑞希さんや市川さんでなければ、大声で騒ぎ立てる女性も苦手です……」

「俺のどこがそんなに良かったんやろな」

「…………目が……」

「えっ?」

「……偶に見せてくれる……前髪の奥から、ほんの少しだけ見える、貴方の……優しくて、寂しそうな目が、好きです……忘れられないんですっ……」


 ゆっくりと顔を上げる。パッチリとした大きな瞳が汗を垂らしながら、俺の目をジッと見つめていた。


 これはまったく予期していなかった。むしろ『腐った目』とか『恐ろしい目つき』とか罵倒されることの方が多かったのに、どういう風の吹き回しだ。



「……同じです。私と、同じ目をしているんです。堅い防壁を纏い、誰にも内側を悟られぬよう奥底で怯えている……とても弱くて、不器用で……寂しい目をしている……」

「……そんなに?」

「だから、貴方が笑ってくれると……私のことを見て、優しい目をしてくれると……勇気が出るんです。殻に閉じ籠る必要も、一人で怯える必要も無いと……そう、思えるんです」


 あまりにも純粋で真っ直ぐな視線に、思わずこちらが逸らしてしまいそうだ。日記を朗読するなどというとんでもプレイを乗り越え、いよいよ防壁はおろか羞恥心まで木っ端微塵に吹き飛んだのか。


 いや、違うか。

 そんなに馬鹿じゃないな、琴音は。


 こんなに綺麗で、可愛らしく笑うんだから。

 ただただ素直に、思うままに話している。

 俺がずっと見たかった琴音。



「……貴方が、初めてです。誰かのために笑いたいと思えたのは。ただ受け入れてくれるだけでなく、誰かのために変わりたい、頑張りたいと思わせてくれた、初めての人です。だから、好きなんです。特別なんです……っ」


 頑固と言われても、肝心なところで頼りにならなくても。決してブレない信念を抱き続けている。

 どんなことにも勇気を持ってチャレンジ出来る。結果を出せるまで、決して諦めない強い意志を持っている。


 なのに、そんな真面目な姿がちょっとだけ惚けていて、なんとも可愛らしい。だから好きなんだ。尊敬出来るんだ。こんなにも愛おしく思うんだ。



「なんだか比奈に申し訳ないな」

「比べるものではありません。比奈は女の子で、貴方は男性ですから……」

「比奈が男だったら好きになってた?」

「かもしれません」

「なんだよ。冷たいな」

「ちっ、調子に乗らないでくださいっ。偶然なんです、貴方に抱いた気持ちも、この関係性も、なにもかもっ……」


 そうだ。偶然だ。

 結果的にそうなった。

 だから、このままで良いんだよ。



「……でも、貴方だけです。陽翔さんにしか、出来なかったことです。陽翔さん以外、あり得ません」


 ようやく涙も収まり、曇り一つ無い晴れ晴れとした穏やかな笑みが広がる。

 相変わらず手はキツく握られているし、なんなら油断した隙にまた泣きそうだけど。まぁそれが琴音だ。もはやなにも言うまい。



「じゃ、俺からは二つだけ」

「……二つ?」

「そう。琴音がこんな風に変われたのは、俺がお節介焼いたのだけが理由じゃない。琴音が自分の意志で、もっと強くなりたい、変わりたいって思って、ちゃんと行動したから。偶然は偶然でも、俺と琴音、二人で作った偶然や。だろ?」

「…………そう、ですね。そういうことにします」

「んっ、なら良し。で、二つ目やけど」


 こんなに我慢したんだから、そろそろ大丈夫だと思う。大団円で纏まりつつあるところ申し訳ないが、もう限界だ。



「告白されたからには、返事が必要だろ」

「あ…………そっ、それは……ッ!」

「一応聞いとくけど、心の準備は?」

「……でっ、出来てませんっ……!?」

「あっそ。まぁ言うけどな」


 なんだか後出しじゃんけんみたいで悪いけど。お前が勇気を出して伝えてくれたんだから。俺も覚悟を決めるよ。


 どういう覚悟かって。そんなの決まっている。

 もう勘弁してくれと大泣きで懇願されるまで。

 全力でお前を愛し、守り抜く覚悟だよ。



「琴音」

「はっ、はいっ!?」

「大好きだよ。女の子として、女性として、友達として。あと、尊敬してる。普通に人間として。信頼してる。チームメイト的な意味で」

「ふっ、ふえぇぇ……っ!?」

「絶対離さないから。だから…………ずっと、俺と一緒にいて欲しい。俺のために笑って欲しい。俺も……琴音のために笑うから。琴音と一緒なら、どんなことだって笑えるから。だから……っ」


 冷や汗が流れるほど箆棒にクサイ台詞をなんてことない顔で言い放つのだから、俺という人間はやはりどこか壊れている。


 でも、言いたいんだから仕方ないだろ。

 少しくらいワガママ言っても良いだろ。

 言わないで後悔するよりマシだろ。


 気になる子にはちょっかい掛けたいんだよ。

 ただ死ぬまで続けたいって、それだけだって。



「これからもっと琴音のこと困らせるし、メチャクチャ引っ張り回すし、穴が開くほど凝視するし、すっげえベタベタする。でもええよな? お前が言うたんやぞ、もっと見て欲しいって。約束守るだけや。拒否権無いからな」

「……む、むちゃくちゃです……ッ」

「無理も通せば道理になる、だろ?」

「…………まったく、貴方は……」


 サッパリ呆れたという顔で深いため息を吐く。けれど、全面的にお断りという雰囲気でもなかった。日記に書いてあった通りだ。


 もう一度息を吐いて、しっかりリセット。ほんのちょっとだけえくぼを広げ微笑を溢し、視線を合わせる。


 俺にしか見えない、分からない、理解し得ない機微がある。ところが同様、彼女にしか分からないものがあるらしい。まっ、お互い様ってわけだ。



「……き、拒否権が無いのは貴方の方ですっ。私という重りを抱えたまま、好き勝手生きていけると思わないでくださいっ」

「ほう。強気だな」

「本当に分かっているんですか? 貴方、比奈以上に束縛されるんですよ」

「自覚あったんかい」

「私の比奈ですからっ」

「ところが俺の比奈でもある」

「…………やめましょう。不毛な争いです」

「うむ」



 で。結局、俺と琴音はどういう関係になったのかって?


 両想いってやつだろ。取りあえず。

 それ以上は俺たちにしか理解出来ない。

 アイツらにも、比奈にだって分からないさ。


 あぁ。でも、一つだけバレてしまった。


 この愛を。信頼を。ズシリと軋む重みを。

 いつまでも抱えながら生きていくということだ。



「仕方ありません。我々の共有財産ということで、一つ手を打ちましょう」

「可哀そうに勝手にモノ扱いされて」

「……そして私は、陽翔さんのものです」

「ハッ。俺は琴音のものって?」

「…………逆も然り、ですっ」

「じゃ、そうすっか」


 

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