643. マナーはしっかり


「お待たせいたしました、3種のマグロづくし丼大盛りです。ごゆっくり」


 程なくお目当ての逸品が運ばれて来た。凄い、丼から溢れている。真ん中に沿えたわさびから四方へ飛び出す様は、まるで咲き誇る花びらのようだ。


 手前から大トロ、中トロ、赤身。凄まじい光沢を放っている。一杯3,000円、値段負けしない豪華爛漫ぶり。流石に見栄を張り過ぎただろうか……。



「ハル、撮って」

「だからどういう感情やねんお前」


 超つまんなそうな真顔でダブルピースを決める瑞希。SNSにでも投稿するのだろうか。ギャップ受けを狙いたいのは分かるが、よだれが隠せていない。



「食べるの勿体ねえ……」

「じゃーあたしが食うわ」

「ちょっとでも手ェ出してみろ、殺すぞ」

「いただきまーす」


 手を合わせる。いただきます言う。帽子も外す。意外にもマナーはしっかりしている瑞希であった。食べ方が汚いので差し引きマイナスか。


 一枚箸に取ってみる。ツヤツヤだ。大トロなんてもう脂をこさえた牛肉にしか見えない。

 我慢ならん、さっさと食べよう。瑞希の腹の内を探るのはあとだ。三大欲求の一つとなれば当然の成り行きである。



「……うめっ、うめぇ……ッ!」

「泣きながら食うほどかよ」


 史上類を見ないご馳走に、瑞希もようやく感受性を取り戻す。このあとお代わり頼んで満腹になったところで、部屋に毒ガス撒かれて死ぬんだろ。知ってる。文香の実家にあった狂〇郎で読んだ。



 いやしかし美味い。他に感想が出て来ない。口の中でとろける。なのに歯ごたえがあって、くどくない程度の脂が噛むたびにドロドロ溢れて。愛莉や比奈の手料理とはまた違うベクトルの美味しさだ。


 中トロもまろやかな口当たりでスルっと喉を通り抜ける。赤身もメチャクチャ美味い。偶にスーパーで買うやっすい刺身とか比較にならん。


 ほかほかの酢飯と薄口の醤油も絶妙なバランスだ。またバイト代入ったらみんなで来よう。長瀬シスターズに腹いっぱい食べさせるんだ。



「たまには贅沢も良いもんだねえ~……」

「俺の金やけどな」

「やっぱ自炊とか無意味なのよ。どう頑張ったってこんな美味いモン作れんもん。金出して作ってもらうのが一番だな」

「俺の金やけどな」


 購買の安い菓子パン一つで昼休みを過ごす彼女のことだ、手の込んだ料理には縁が無いと思われる。練習後の打ち上げも大したもの食ってないし。


 バイト戦士の愛莉に隠れがちだが、瑞希も結構な頻度で働いている。大半の収入は謎のアクセに費やされているので、食事はおざなりになっているのだろう。



「やば。もう入らんかも」

「勿体ねえな。焦ってガツガツ食うからや」

「だって小食だし~」

「ならなんで大盛り頼んでんだよ……ったく、人のこと言えねえけど、お前もちゃんと食えよ。ただでさえほっそい身体しとるんやから」

「そこは『俺が稼いで腹一杯食わせてやる』だろ?」

「俺が稼いで腹一杯食わせてやる」

「もう遅いで~すダサいだけで~~す」


 サーモンピンクの短い舌を突き出しチョケにチョケる、すっかりいつも通りの瑞希である。なんだ、腹減ってるから元気無かったのか? 心配して損した。



「……なに?」

「やっぱ細いなって」

「そー? ゆーてフツーじゃね?」

「いや、細過ぎるわお前。骨と皮しかあらへんやん」

「誰がスネ夫だよ」

「言ってねえわ」

「食べるなら長瀬ってな」

「超悪口やん」

「でも美味しくいただいたんだろォ?」

「食事中やぞ控えろ」


 自分から言い出して掘り返すのもアレだが、二人の肌感を身を持って味わった手前、瑞希の細い身体を見ているとなんだか心配になって来てしまう。


 みんな夏からしっかり鍛えているから、結構がっしりした身体つきになっているんだよな。標準体型だった比奈でさえお尻周りがムチっとして来ている。愛莉、琴音、ノノは言わずもがな。あれは言うならばムチムチか。


 瑞希だけ異様に細いのだ。まぁ真琴も似たようなものだけど……こんな小さな身体でよく男子顔負けのプレーが出来るものだよなぁ。



「フゥー。食った食った。案外イケたわ」

「おっけ。じゃあ行くか」

「…………もっと太ったほうが良い?」

「あっ?」


 瑞希が食べ終わるのを待ち席を立つと、突然そんなことを言い出す。ちょっぴりポコッと膨らんだお腹を擦り、なんとも言えぬ微妙な顔をしていた。



「……いやまぁ、別に太れとは言わないけど。それも含めて瑞希のアイデンティティーみたいなモンやろ」

「じゃあなんで細過ぎとか言うん」

「相対的に、ってやつや」

「だからあたしの知らん言葉使うな」

「それはもう地頭の問題やろ……ええよお前は、そのまんまで。デブに年がら年中飛び乗られたら命が幾つあっても足りん」

「おっぱいも?」

「巨乳の瑞希なんざ見たくねえ」

「うざ。死ねや」


 汚い言葉とは裏腹に、軽々しく鼻を鳴らし先に店を出ていく。被り直したキャップがなんだか嬉しそうにコロコロ揺れていた。


 美味いメシ食って元気になったのだろうか。相変わらずここへ来た意味も当初の無気力の原因も分からないが、まぁ一旦放っておこう。なんか楽しそうだし。


 ……バイト代、一気に五分の一は飛んだな。

 シフト増やしてもらお。




*     *     *     *




「マジでどこやねんここ」

「もうちょっとだって!」


 お腹と幸福指数も膨れ上がったところで次の目的地である。一向に場所を言わない瑞希に取りあえず着いて行くのだが。


 住宅地を抜け周囲には田んぼと畑しか見当たらない。気持ち坂道を下っているような感覚はあるが、いったいどこでなにをしようと言うのか。


 と、新しい文句を垂れる寸前のところ。階段を下り切ると一気に視界が開けて、おおよその目的を察することとなった。


 広大な芝生のフィールド。先には野球場らしき施設もある。こんなところに運動場があったとは。それもかなり広い。フルコートじゃないか。



「すげーだろっ! 予約なしで使えるんだよ! なんせフツーの公園だからな!」

「ほー。よう見つけたな」


 普通の公園に一面芝生のコートがあるなんて、昨今中々に珍しい環境だ。流石にちょっと荒い天然芝だけど、スポーツにはなんら不足の無いコンディション。


 詳細が気になって、スマホを開いて現在地から調べてみる。なるほど、普段は地元の高校のサッカー部とかが使っているんだな。

 で、今日はたまたま誰も居ないと。水はけの悪い土のグラウンドで練習している山嵜サッカー部が実に不憫だ。



「更にボールも借りれるのだよ。有料だけどな」

「アァ? また俺が払うのかよ」

「残念ッ! そこまで安い女じゃないんだなあたしは!」

「いつの間に」

「一時間100円!」

「やっすい女」


 目を離している間にボールを借りて来たようだ。そのまま芝生のコートへと蹴り出し全速力で追い掛ける。食べたばっかりなのによう動けるわ。



 ふむ。となると、結構真面目に蹴らないといけない感じか。よりによって瑞希が相手だし、手抜きすると怒るしアイツ。


 どうしよう。普通に腰メチャクチャ痛いんだけど。下手に無理したら怪我しそうで怖いな……いやでも、ヤり過ぎを理由にサボるのはもっと恥ずかしいわ。


 眼鏡を筆頭に動きやすい恰好でもなければ普通のスニーカーだけど。まぁ言い訳か。瑞希も似たようなものだ。



「早く来いよーっ!!」

「はいはい、ちょっと待っ……ウグゥッッ゛!?」

「おー? どしたー?」

「なっ、なんでもねェ゛……ッ!!」


 走り出した瞬間、身体が軋む音がした。ビギって。ビギって言ったんだけど。ヤバイ。マジで腰終わっちゃう。全国間に合わない。


 ……クソ、餌待ちの犬じゃないんだから、そんなワクワクするんじゃねえ。意地でも頑張りたくなっちゃうだろうが!



「久々に1on1やろーぜ!」

「……っしゃああああッ! 掛かって来いや!!」


 お前の笑顔を裏切ることだけは許されない。

 いかなる理不尽な状況でも、鉄則だ。


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