642. ぴええ~~ん


 山嵜高校の最寄り駅。フットサル部の遊び場である上大塚。バイト先の交流センター。長瀬家と早坂家。これらすべて乗り換え無しの一本道だ。都心から県南までを結ぶ長い長い路線。


 その最南端、半島に構える終着駅の三つ手前が瑞希の自宅最寄りである。ちなみにもう二つ進むと夏合宿の宿泊地とほど近い。


 で、今日の集合場所に指定されたのがその更に奥、路線の終点だった。

 何だかんだでここまで来たのは今回が初めてだ。一時間近く掛かっただろうか。


 改札を抜けるとうっすら潮の匂いが。辺りはタクシーの停車場のようだが、一台も止まっておらずガランとしている。目前は森に囲まれた民家ばかりで観光地らしきものも見当たらない。



「よっ」

「悪いな待たせて」

「いま来たとこ~ん。お、早速掛けてんじゃん。気に入っちゃった?」

「マジでダサいわ」

「だってダサいの選んだし~」


 三月にはやや手厳しい潮風と昨晩からの疲労に身体を擦っていると、すぐ横のコンビニの前でしゃがみ込んでいる瑞希を発見。


 ねずみ色のパーカーに黒のスキニー。どこのブランドかも分からないグレーのキャップを被っている。随分とボーイッシュというか、ラフな格好だ。



「しかしなんもねえな。バリ田舎やん」

「もうちょっと下りるとでっけえ公園とか、水族館とかあるんだけどね。バス乗らねえとだし、なによりクソつまらん」


 スマホをしまいさっさと歩き出す。どうやら目的地があるみたいだ。疑問はますます膨らむばかり。



「野暮な質問だが」

「なんじゃらほい」

「……ヤるんじゃねえの?」

「直球だな。猿かよ」

「そのための約束だろ」

「まぁそう焦らんことよ、童貞ハルさんや」

「もう違うぞ」

「…………そーだったね」


 振り返り見つめる先は、シャツの襟元にデカデカと鎮座するキスマーク。流石に気付いたようだ。右手を伸ばしその箇所を思いっきりギュッと抓る。



「痛い痛い痛い痛い痛い痛い」

「お楽しみだったようですなぁ?」

「悪かったって、比奈が我慢出来ん言うて」

「ん。知ってる。昨日終業式終わってわざわざ謝りに来たし。怒ってない」

「怒っとるやん」

「殴ってないということは怒ってないのである」

「手が出てんだよええ加減離せ」

「わおっ。気付かなかったぜ」


 白い歯を溢しニカっと笑う。

 様子を見るに、本当に怒ってはいないようだ。


 となると、この妙にダウナーな雰囲気と今一つ整合性が取れない。明らかに学校で見せる瑞希とは何かが違う。


 軽快な足取りへ先を進む彼女の背中を眺め、ようやく思い出した。ハロウィンの一件を機に喧嘩していた誕生日直前のあの頃と、ちょっと似ている。


 だが似ているだけだ。唯一の懸念である愛莉と比奈の件に引っ掛かりが無いとなると、なにが原因なのかサッパリ分からない。



「で、どこ行くんだよ」

「マグロ」

「……は?」

「マグロ。食べよ」


 振り返りもせず一方的にそう告げる。

 マグロ……なんでマグロ?


 道端にデッカイ看板がある。この先15分。本場のマグロ丼。海鮮食堂。有名なのか。全然知らなかった。確かに近くには港があるらしいが。



「昼飯食った?」

「いや、空かしては来た」

「食べたことなかったんよね。フツーに高いし。長瀬から聞いたよ、今日給料日なんだろ。奢れ」

「別にええけど……」


 降ろして来たばかりなので財布はパンパンだ。だからってすぐに散財するつもりは無かったのだが、瑞希のことだ、言っても聞かないだろう。奢る言っちゃったし。


 分からない。俺とマグロ丼を食べるのに何か理由があるのだろうか。この思わせぶりなローテンションとも繋がりがあるのか……?



「珍しくオシャレだね。ハルの癖に」

「やかましい。お前のために無理してんだよ……まぁ比奈が選んだんやけどな」

「やばひーにゃん。メッチャ匂わせて来るね」

「好きなんだよそういうの」

「知ってる知ってる」


 追い付いて手を指し伸ばしてみるのだが、特に握り返すこともなく見下ろしただけで先を急いでしまう瑞希。


 やっぱり様子がおかしい。怒ってもいないということは、単純にヤル気が無いだけなのか。わざわざ約束して会っているというのに?


 瑞希も随分と長い付き合いになって来たけれど、偶に見せるこういう顔は未だに慣れないな。黙っているとただの美人だから尚更困ったり。



「着けて来たんだ」

「アッ? たりめえやろ舐めとんのか。よほどのことがねえ限り外さねえよ」

「よほどのことって?」

「……昨日とか、一昨日とか」

「ハッ。ひーにゃんはともかく長瀬は泣いちゃうもんなー。わたちのハルトにゃのにぃ~ぴええ~~んって」

「酷いやっちゃなお前」

「事実だろォん?」


 赤の他人の色恋沙汰を聞いているみたいに、のっぺらした顔でヘラヘラと笑う。

 その割にペアリングは左の薬指に着けていて、ますます意図が読めない。



「せめてヘアピンしろよ、前髪お化け」

「ヤだよあんなダッサい恰好。ピンで前髪留める可愛い子ぶった男がこの世で一番嫌いや。戦争と差別より憎たらしい」

「分っかる~~♪」


 久々に無造作なまま曝け出された前髪が潮風に揺られ、ところどころ視界を遮る。


 まぁ、取りあえず良いか。

 嫌いでもない。空気そのものは。


 無性に懐かしい気分だった。ボヤけて見える世界も時には役立つものだ。隣に彼女がいると分かるだけで、不思議と十分なようにも思えて来る。






「ここか」

「たっけーなマジで」


 海鮮食堂に到着。徒歩15分。看板に偽り無し。


 長々と続く道路の中間地点に店はあった。背後は畑。だだっ広い畑。店舗の裏は森。何故かポツンと食堂。隣にカラオケ。誰が来るねんこんなとこ。


 看板の値段を舐め下ろしポケーっとした顔の瑞希。確かに高い。どれも2,000円近くする。二人分は辛いが仕方ない、男の甲斐性というやつだ。



 春休みなんてものは学生の特権であり、平日の昼間ともなれば店内は閑散としていた。地元住みと思わしき老夫婦が二組だけ。


 古めかしい装いで、気持ち料亭っぽい雰囲気もある。高校生二人で入るのはちょっと勇気がいるかもしれない。入っちゃったからなんでもええけど。



「あ。海老天美味そう」

「マグロ食いに来たんじゃねえのかよ」

「腹いっぱいなるならなんでもいいっすわ」


 メニュー表を眺めだらしない顔に拍車が掛かっている。悪ノリに付き合うのも良いが、道中で散々マグロ丼の載った看板を見せられてその気になっているのだ。素直に食べさせろ。



 注文を済ませ暫し待ち時間。

 瑞希は暇そうにスマホを弄り始める。


 一瞬納得し掛けたけど、やっぱりおかしい。


 これは非常に珍しい光景だ。フットサル部みんなで部活後にファミレスへ行くと、俺や愛莉がスマホを弄り出したのを見て「お喋りしろクソ陰キャ共が!」と率先して注意する瑞希である。


 練習後の談話スペースではちょくちょく弄っている姿を見掛けるが、よっぽど暇しているか俺たちに見せたい動画を探している場合だ。二人っきりのときにこうも蔑ろにされるのはあまり記憶に無い。



「なあ瑞希」

「んー。どした」

「…………ヤル気ない?」

「なんの?」

「諸々の」

「あたしの知らん言葉使うな」

「だから……水曜にって約束したやろ」

「またその話かよ。サカってんな」

「いやそうじゃなくて……」


 彼女が言い出したからこうして二人の時間を作っているというのに、俺だけ先走っているみたいだ。というかそういう風にしか見えない。この構図。


 なんだ、もしかしてあんまり乗り気じゃないのか? いやでも、だったらわざわざ日にち決めて会う必要あったのか。やっぱり気が変わったとなんとでも言って断れば良かったのに。


 恥ずかしくなったからデートだけ、という感じでもなさそうだ。さっきのやり取りからするにどうしてもマグロ丼が食べたかったわけでもあるまい。



「なー。ハル」

「んっ」

「その格好だとちょっとダルいかもよ」

「なにが?」

「……まーいいや」


 一瞬こちらの様子を窺いすぐスマホに目を落とす。

 ええ。なにそれ。どういう感情……?


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