641. シチュエーションに酔うタイプ


「おかえりなさーい。長風呂だったねえ」

「誰のせいだと思ってんだよ……ッ!!」

「一緒に入ってあげれば良かったかな」


 激しい格闘の末、ようやく浴室から生還した。服を着るのも一苦労だ。身体を動かすたびに腰回りの変なところがギリギリ軋んでいる。


 疲労度で言えば似たようなものなのに、比奈は相も変わらずケロッとした顔をしている。優雅に紅茶まで飲んでやがる。納得いかん。


 入浴中に洗濯を済ませてくれたのか、カーテンの奥で昨日着ていた服が春風でゆらゆら揺れていた。徹頭徹尾隙の無い若奥様だ。惚れ直すわ。



「時間間に合いそう?」

「なんとか……って、なんで俺の着てんだよ」

「やってみたかったんだよね。彼シャツ。陽翔くん同じのいっぱい持ってるし、一枚くらい良いでしょ?」

「汚す気満々じゃねえか」

「髪の毛乾かしてあげる」


 ベッド上にしゃがみ込み、こちらへおいでとをぽんぽん叩く。既に片手にはドライヤーが。コンセントの位置まで把握してるのかよ。もうお前が住め。



「なんだか子犬の面倒見てるみたい」

「大型犬の間違いやろ」

「んーん。子犬」


 謎の拘りを見せる彼女である。ドライヤーの音が煩くて、それ以上追及する気にもならない。午前10時。春休み初日に相応しい怠惰なひと時であった。



 お手製のドーピング料理の甲斐あって、愛莉のときとほぼ同じような一夜を過ごすこととなった。終始マウントを取られていた点を除いて。


 元々の気質なのかは分からないが、比奈はなんというか、シチュエーションに酔うタイプだった。

 強引に責められてもその状況込み込みで楽しんで来る。こちらから攻め立てて幾ら鳴かせても、もまるで勝った気がしない。


 すっかり手玉に取られた印象だ。思い出しただけで催してしまう。言いたかないけど、昨日まで処女だった奴の動きじゃねえよあんなの……。



「はい、おっけー。今日は結ぶ?」

「ええわ。瑞希あの髪型嫌いらしいし」

「もったいなーい」


 立ち上がると同時に思いっきりよろけて、比奈に身体を支えられる。こんな調子で外を出歩けるのだろうか。不安しかない。



 そう。申し訳ないことに、もう一日掛けてゆっくり比奈の相手をすることは出来ない。瑞希に呼び出されているのだ。早朝にラインが送られて来ていた。


 修学旅行のかなり曖昧な記憶だが、彼女とも約束を立てている。それが今日だった。比奈も重々承知の上だったので、快く送り出してくれる。


 まぁ、意味不明だけどね。この状況。普通関係を持った翌日に他の女のところへ遊びに行かせねえよ。懐云々の話じゃない。倫理とは。常識とは。



「あっ」

「どした」

「…………垂れて来ちゃった」


 ベッドの上に立つ比奈は、シーツにしたり落ちたをなんの抵抗も無く掬い上げ、ぺろり。


 あまりの妖艶さに、ひん死状態だった我が分身もいら立ちを隠せない。が、どうやら不発に終わりそうだ。無理。痛い。超ズキズキする。 



「なんで履いてねえんだよ」

「好きかなって。こういうの」

「そりゃ嫌いじゃあねえけど…………ホンマ今更やけど、大丈夫なんだよな?」

「何回も言ったでしょ。愛莉ちゃんと同じの飲んでるから、ヘーキなの。いざとなったら責任取ってもらうだけだし、簡単でしょ?」

「勘弁してくれてって……」


 二人とも『問題無い』とは言ってくれたし、裏付ける証拠もあるのだが。それでも不安なものは不安なのだ。

 いくらリスク管理が施されているからとは言え、男として無責任な行動であることに変わりは無い。



「それとも、わたしとは遊びだったの!?」

「やめろ急に、演技派め」


 振り返った先には、やはり悪戯にえくぼを垂らすいつも通りの彼女。手を取るといちにのさんでベッドから飛び降りる。


 勢い任せに抱き締めると、シャツ一枚では到底隠し切れない柔らかな肉付きが全身へ広がった。

 前よりがっちりして来たって、本当かよ。どうせ俺からすれば、お前はいつまでも女の子なんだから。なんてことないけどな。



「心配なんだよ。だいたい分かるやろ」

「……うん、分かってる。優しいんだね」

「そこまで無責任じゃねえよ」


 こんなときくらいバチっと決めておこう。これだけ可愛らしい少女を性悪の魔女で留めていくのはもったいない。


 俺に王子役なんて似合わないけど。でも少なくとも、比奈。お前は立派なヒロインだから。飛び切りおかしなハッピーエンドでも良いなら、用意してやる。



「上手く言えへんけど。ありがとな。比奈」

「どういたしまして」

「いま、すっげえ幸せだわ」

「なんと奇遇っ。わたしもっ♪」


 ロマンチスト気取りの俺たちだ。これ以上の台詞は野暮にも思う。薄味のほんのり甘い口づけと、夢見心地の蕩けるような彼女の笑顔。他に何もいらない。



「あ、待って。陽翔くん」


 と、良い雰囲気だけで話は終わらない。玄関へ向かうとトコトコ歩いて来て厚手のシャツをグイっと引っ張る。

 襟元をぺろっと捲り位置を見定めると、少し背伸びをして、首筋にかぷりと噛み付いて来た。


 ズズズズッ、と嫌に間抜けな音を鳴らしている。これがまた結構な強さ。皮膚はおろか精気まで吸い取られてしまうようだ。また痛くなっちゃう。



「ん……完成っ」

「なにをした」

「キスマーク。付けちゃった♪」

「……口紅じゃねえのそれ?」

「あれはむしろ変化球じゃない?」


 どこからか持ち出した手鏡を渡して来る。かなりしっかり付いているな……赤過ぎて痣にしか見えないというか、まぁ突き詰めれば内出血なんだけど。


 

「……え。これがキスマークなら……」

「うん。わたしにもいっぱい付いてる」

「めっちゃ無意識でやってたわ……」

「なーんだ、自覚無かったんだね。すっごい興奮したのに……あー、でもそっか。無意識でいっぱい付けちゃったってことは……逆に独占欲の表れなのかな?」


 一転満足そうに口元を歪ませる。その通り、比奈の身体には夜通し刻み続けた接吻の跡がこれでもかというほど残されているのだ。主にお腹とおっぱいに。


 というか、これが世間一般で言うところのキスマークなら、しょっちゅう付けられてるぞ。瑞希に。背後から飛び付かれて首根っこ噛み付くもんアイツ。


 そんな俺の思惑に気付いたのか、目を細めお腹を優しく擦る彼女である。余計な邪知ではあるが、別に意味にも捉えられそうで怖いな。この絵面。



「隠しちゃダメだよ。わたしなりのアピールなんだから。もし指摘されたらちゃんと説明するの。良い?」

「えー。殴られそー……」

「んふふ。意趣返しってやつ?」


 まじない代わりのキスを添え一歩後ろへ離れる。


 なんたる小悪魔、魔性の女。ラインを越えてしまった以上、今後もこの手の匂わせには事欠かさないのだろう。出発を前に一本取られてしまった。



「じゃ、いってらっしゃい。瑞希ちゃんによろしくね」

「なにをどうヨロシクって話やけどな」

「確かに。誰々によろしくって、よくよく考えたら変な挨拶だよね」


 別れ際まで締まらない二人である。既にこちらへ関心は無いようで、そさくさとベッドへ戻る比奈。片手に我が愛用の枕。



「……なにしてんの?」

「もう少しお邪魔してよっかなって。ちゃんと鍵掛けて帰るから大丈夫」

「それはええけど」

「ああ、これ? ちょっと使おうかなって」

「使う?」


 大事そうに枕を抱き締めベッドへ倒れ込む。思い起こされるは修学旅行二日目の朝。あのときも俺が一晩使った枕を抱き抱えて……。


 ……まだ満足していないと?

 どうしてそんなに元気なの?



「ちゃんとお掃除もするし、昨日芳香剤も買って来たから平気だよ」

「貴方の体力と今後のほうが心配なんですが」

「陽翔くん」

「はい?」

「出るなら早く出て。始められないから」

「今更?」

「見られるのは恥ずかしいのっ」


 飛び切り頭の悪い比奈も嫌いではないが、やっぱりちょっと残念だ。なるべく急ぎで帰って来い、清楚でお淑やかな正統派文学美少女。


 一方、こんな彼女に俺がしてしまって、それを彼女も望んでいると、少しでも考えようものなら。悩んでいるのが滅法馬鹿らしく思えても来る。


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