640. 清楚で真面目で純真無垢な学級委員こと倉畑比奈さん


 鼻先を抜けるピリッとした匂いに釣られ、寝ぼけ眼を貪り身体を引き起こす。テーブルに置いてあった眼鏡を掛けても今一つ視界が定まらない。


 付け心地が悪い。こんなにフレーム細かったっけ。締め付けられるし、頭のサイズと合ってない。

 不思議に思い外して確認すると、見慣れないようですっかり見慣れた細身の黒縁。なるほど。度も合っていないわけだ。



「わっ。見たことあるシーン」


 持ち主たる比奈がプレートに丼を二つ並べリビングへ現れた。

 匂いの根源はキッチンだったようだ。酸と辛味の混ざった濃い香りが部屋中へ充満していく。



「うーん、お料理中じゃなくてシャワー上がりだったら完璧だったのに。眼鏡を取ろうとして、そのまま床に倒れて……久々にアニメ見返そうかなあ」

「……なんの話?」

「知らないの? 今度映画観に行こうね」

「だからなんの話だよ。聞け」

「結局いつ公開なんだろう、また延期かな」

「鼓膜破れちゃったの?」


 テーブルへ置かれた丼二杯。俺が寝ている間に作り上げたようだ。

 ニラ、ねぎ、かつお節、きざみのり。赤いのは豆板醤か。そして中央に生卵がズドン。


 オミに誘われて食べに行ったことがある。台湾まぜそばというやつだ。随分と本格的な作りに見えるが、自宅で作れちゃうのか。流石はお料理上手。



「うどんがいっぱい余ってたから使ってみたの」

「ああ、昨日食べ切れなかった分か……ウチにこんな沢山調味料あったっけ?」

「ちょっと買い物してきた。陽翔くん全然起きないんだもの、一人で楽しむのも飽きちゃったよ」

「……なにをした?」

「なにをしたでしょー?」


 手玉に取るような妖艶な笑みを残し、一足お先に食べ始める。枕もとの時計は夜7時過ぎを指していた。もう晩飯時か。かなり寝たな。


 ……どうやら眠っている間に、散々俺の身体を好き勝手使われたようだ。へそ周りがボッコリ凹んでいるのはそのせいか、或いは単なる空腹か。



「元気やな」

「うん、すっごい元気。いっぱいパワーもらっちゃった」

「……痛みとかは?」

「なんと、ビックリするくらい無いんだよね」

「結構血ィ出てたのに」

「ねー。幸せ過ぎて感じなかったのかなあ」

「……ならええけど」

「んふふっ。照れちゃった♪」

「うるせえボケ黙れ」


 序盤から中盤に掛けては、そりゃもうコッテリ搾り取られたという表現がこの上なく正しい。

 言い方は非常に悪いが、腰をくねらせ妖艶に踊り狂う姿は場末の下品なストリップショーを想起させるものがあった。


 比奈が疲れて来たところでようやく主導権を取り返したのだが、当初の懸念通り昨日から休みなく放ち続け、すぐ限界に達してしまった。


 その後は屍となった俺をひたすら彼女が貪り続け、今現在へと至る。



「服、着ないの?」

「怠い。立ち上がる余力もねえ」

「大変だねえ。昨日と合わせて何回出したの?」

「さあ……二桁は余裕で越えたと思うけど」

「すご~い。絶倫なんだねえ~」

「んな暢気な声で言うなっ……」


 気力が体力に追い付いていないのだ。こんな調子で元の生活に戻れるのだろうか……日課のランニングも量を増やさねばならない。いくら走っても損は無い筈だ。例え邪な理由でも。



 なんの気なしにリモコンを取りテレビを点ける。名前も分からないクイズ番組の途中だった。ちゅるちゅると面を啜り難問に頭を捻る比奈。


 エプロン姿の比奈と、全裸でまぜそばを食べながらテレビを見る。

 どういう状況なんだろう。咀嚼し切れない。取りあえずうどんは噛みやすい。美味しい。



「……えっ。比奈」

「なあに?」

「エプロンだけ?」

「あー。やっと気付いたっ」


 裾を握ってヒラヒラと躍らせる。

 世に言う裸エプロンというやつだ。


 そもそもこの家にエプロンなんて存在しない筈なんだけど、これも一緒に買って来たのだろうか。

 と考えてすぐ、こないだ鍋を囲ったときも着ていたことを思い出す。どこにしまってあったんだ。家主も気付かないところに。



「むう。感想とか無いの?」

「……エロいっすね」

「それだけ?」

「今すぐにでも食べちまいたいわ」

「ホントに? 大丈夫?」

「…………無理。痛い。悲鳴上げてる」

「あははっ。まずはご飯だねえ」


 日頃ガードの堅い彼女のあんな姿を目の当たりにしたばかりだというのに、布一枚で隣に座られては落ち着く筈もない。のだが、流石に反応はしなかった。惜しい気持ちでいっぱい。



(情事の後とは思えん……)


 教室や談話スペースで過ごす日常とさほど変わらない光景だ。

 相変わらず比奈はニコニコしているし、肩をピッタリくっ付けて距離感もほとんど一緒。


 なのに当の彼女は裸エプロン、俺は素っ裸という。パラレルワールドにでも引き込まれた気分だ。頭おかしくなりそう。



「ごちそうさま」

「おー、早いねえ。ちょっと少なかった?」

「まぁ若干。丼小さいし」

「ふっふっふ。そう言うと思って、実はもう何品か作ってあるのでした!」

「よっ、若奥様」

「褒めてもわたししか出ませんよ~~」


 このえちえち新妻気取りクラスメイト、ノリノリである。俺も大概だ。なんだ今のヨイショは。気持ち悪いの集大成か。



「取って来るね~」

「ブホォ゛ッ!?」


 プレーと片手に立ち上がりこちらへ背を向ける……当たり前っちゃ当たり前だが、エプロンというものは身体の表部分を守るものだ。後ろは紐しかない。


 小ぶりで真っ白なお尻を大袈裟にふりふり動かして、比奈はキッチンへと消えていった。背中に印された仰々しい愛の告白も劣情を煽るに一役。


 絶対に意識してやりやがったな。クソ、一線超えたら越えたで容赦なく煽って来る。覚えとけよ。



「はーいお待たせ~」

「また小鉢で大量に作ったな……これは?」

「長芋と納豆のねばとろ和え」

「これは?」

「えびとアボカドの辛味マヨサラダ」

「これは?」

「あさりのお味噌汁」

「……これは?」

「ウナギとニラの卵とじ」



 ……………………



「比奈」

「んー?」

「露骨が過ぎる」

「なにが?」

「惚けてんちゃうぞ」


 どれもこれも精の付く食べ物ばかりだ。色々と聞きたいことは山ほどあるけど、何よりもまず、ウナギをどうやって調達した。どう調理した。怖い。



「ご飯だけだと喉乾いちゃうよね。はいこれ」

「当たり前のように」


 テーブルに並ぶマカの〇気。凄〇。

 欲張り二本セット。



「もう一度聞くけど」

「うん」

「買って来たんだよな?」

「買って来たよ?」

「なんとも思わなかったん?」

「店員さんはちょっと引いてたかも」

「でしょうね」


 清々しいまでの満面の笑み。ベッドにちょこんと座り食べ始めるのを今か今かと待ち焦がれている。


 ええ。どうしよう。比奈さん、すっごい斜め上の方向に覚醒してるんだけど。愛莉のデレデレぶりも凄まじかったけど更に上を行くぞ。



「どうしたの? 食べさせて欲しいの?」

「おい待て、このド変態」

「……今のちょっと良いかも。もっかい言って?」

「清楚で真面目で純真無垢な学級委員こと倉畑比奈さん、話を聞いてください」

「いじわる」


 どうしても続きをしたいらしい。ここまで露骨に迫られるのはちょっと想定外だ。愛莉といい普段大人しい奴の性欲が弾けると実に恐ろしい。


 クソ、まだ食べてもないのにムラムラして来やがった。身体が熱い。

 そうか、さっきの台湾まぜそばにもニラとかニンニクとか入っていたんだ。それの影響か……いや違うわ。単に盛ってるだけだわ。



「……変わっちまったな。お前」

「だって、知っちゃったんだもん」

「色々余計なモンばっかりな」

「そんなこと言って。ずーっとおっぱい見てる」


 抗える筈が無いのだ。あの倉畑比奈がなりふり構わず誘っているのだから。我慢しろという方が無理な相談。


 彼女の覚悟が、話していた意味がようやく分かった気がする。手段を選ばず、多少強引にでも俺を篭絡するつもりなのだろう。

 相手が誰であっても関係ない。ただひたすらに、己の欲望と目指すべき理想のために。


 良い度胸だ。受けて立とうじゃないか。

 その余裕ぶった顔がいつまで続くか見物だな。



「すぐ食べ終わってやる。首洗って待っとけ」

「じゃあ、シャワー浴びて来ちゃおっかな」

「必要無い。どうせ臭くなる」

「もうっ、デリカシー無いなぁ」

「どっちがだよこの淫乱め」

「……うん。良い感じ。言葉責めも悪くないね」

「梃子でも折れねえな貴様……」


 また長い夜が始まりそうだ。

 なんとか腹上死だけは避けたいところ。


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